2007年08月18日の日記

2007-08-18

ほれ

http://anond.hatelabo.jp/20070818213014

このへん見れ。http://www.tamagoya.ne.jp/potechi/2005/20051027.htm

もっと知りたかったらぐぐってみ。いっぱい出てくるからさ

ぶくまやはてだは星がつくのに

何で増田にはつかないの?

バルコニーとベランダの違いって何?

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070612/1181653989

タイトルが「自己評価の歪み」って…。

この人の自意識過剰ぶりってものすごいけど

そういう指摘をあまり見ないのはなぜだろう。

バッシングもほとんどないのに

本人は「ネガコメ」とか「攻撃を受ける」と頻繁に言うのも不思議だ。

外からは見えないものがあるのだろうか。

昨日のMUSIC BOXみて

日本人ってブス不細工しかいないですねwww

格差のない社会=金持ちを作らない社会

anond:20070818205859

あらら図星だからって人をオタク呼ばわりして逃げてはいけませんよw

Marcoへ

お前はしがない雑魚SEだ。現実みろ

格差と貧困が区別できないやつって何なの?

貧乏人が増える=格差拡大じゃないんだよ。

失業者やワーキングプアの比率が10%から100%になるのは格差の拡大か?

NHKが共同と時事と統合になって、BBCみたくなるなら沢山お布施したい。

http://anond.hatelabo.jp/20070818203723

例えば南京問題や慰安婦問題で基本的な資料を読まないであーだこーだ既に議論済みのことを

持ち出す奴を批判すると「これがオタク」「オタク必死だな」とかいうレスが付くんだろうか

重度のオタクキチガイネットウヨでもあったわけですねw

あらら、自分で証明しちゃったよ、この人。

おかわいそうに……。

http://anond.hatelabo.jp/20070818204621

家にテレビのない人間は払わないだろ?NHK受信料を支払うことが出来る程度の支払い能力を証明するために払うのか?

http://anond.hatelabo.jp/20070818204621

必要ないものはどれだけ安かろうと払いたくないだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20070818204200

すいませんすいません、元増田ですが、「うちテレビ無いんですよ、どうぞあがって確認してください」は、女子大生一人暮らしの頃に使っていた台詞でした。「結構です」はこっちが女子だからそれで済むんであって、男子学生だったら本当にあがって確認するんだろうなーとは思いながらやってました。

あと放送法の受信設備に関する知識は一応確認のうえでやってました。

NHK受信料すら払えない人間って一体何?

http://anond.hatelabo.jp/20070818203306

通学、通勤のために一人暮ししてる独身女性が使える手段ではないな。

たとえ複数人で生活している男達であったとしても、素性の分からない見知らぬ人間を家に上げるのはためらいがある。

とはいえ、逆に素性の分からない男達の部屋に単身乗り込む側にもなりたくないなー

「あれ、これパソコン最近パソコンってテレビ見れるから、受信料払わないといけないんですよー」

「な、なんだってー!?」

http://anond.hatelabo.jp/20070818133551

http://anond.hatelabo.jp/20070818135658

http://anond.hatelabo.jp/20070818141853

旧来型の貧乏

・自分が住んでいる地域とか、血縁とか、性別なんかで貧乏かどうかが決まっちゃう貧乏

生まれたときから親兄弟親戚近所一同皆負けてます、みたいなもの。

部落とか、母子家庭とか、田舎に住んでいるかとか。生来的なもので決まっちゃう。

だから地縁血縁、性別、伝統からの自由が必要だった。

あとインフラ格差の解消とか。下水道ありません、とか、電車通ってません、近所に病院ありません、とか。

その解決の道具がお金(土木公共事業・ばら撒き行政)と教育

田舎貧乏人の子供は家の手伝いで小学校までしか行かせてもらえなかった分、就ける職業も限られてた。そのために夜間中学なんてあったし。女が学問するなんて!って驚かれた時代。

でも、昔は学歴小学校非モテニートでも親の家業農業を継げばよかったし、自分の家のクラスや住んでいる地域に合わせて勝手に決められた見合いで結婚できた。後天的なコミュニケーション能力不足なんて関係ない。とにかく家の面子を守ることと嫁という労働者が欲しいということ。離婚なんてタブー。嫁が子供が産めないという理由で離縁されることはあった。そこに職業選択の自由結婚の自由はないけど。

それと長男は親との同居が当たり前。女は姑と同居が当たり前。介護に嫌気が差して座敷老人なんて問題もあった。

『ALWAYS三丁目の夕日』みたいな貧乏があっても皆幸せだったのは、『皆いっしょ』に貧乏で皆一緒に豊かになろうとがんばっていたから。

あと労働人口多かったから社会が体力的にも余裕あるし。

新しい貧乏

・『中流家庭』に育ったはずなのに、ある日突然貧乏。またはいつのまにか貧乏

生まれたときは一応中流(中の上、中の中、中の下)だったけど、いつの間にか自分ひとり負けてましたもう這い上がれません、みたいなもの。

雇用の流動化、核家族化、少子高齢化消費社会化による行き過ぎた個人主義グローバリゼーション自己責任

ばら撒きしようにも、今の家族単位が小さくなりすぎた結果(中年独身男女も含む)、ばら撒く家族が増えてしまったことと、独居老人が多すぎることで、ばら撒けるお金限界が見えた。

だから、国に頼る前にもっと皆繋がってください、支えあってください、自分の人生自己責任でということになる。

繋がれないと、老人孤独死。中年はへたすりゃ自殺自殺率最悪。職のコネがないローン抱えた中年の親父が自殺。息子勉強して大学行ってサラリーマンになっても、同じサラリーマンの親自殺。自分の職業労働単価の安い海外に外注で自分の職がなくなっちゃうかも。自分の職がいつ職業ごとなくなるかわからない。学問よりもコミュ能力。英語だのファシリテーションだのコーチングだの。

ニートの親はサラリーマン。自分が継げる先代から脈々と続く家業なんてない。地域社会商店は大型ショッピングモールが出来てからボロボロ工場は単価の安い中国に出ちゃった。農業は、海外から輸入作物の価格に影響されて、国内農作物価格が安くなりすぎるもんで、補助金に頼らないと生活できない。でも国は地方にばら撒ける金もうないよ。

それと、昔は正社員の職しかなかったけど、今は契約社員とか、派遣とか、バイトとか、いつ首切られて孤立するかわからない立場の職ばっか。フリータになりやすい。雇用が流動化して職場すぐ変るから人間関係も不安定。山谷とか釜が崎とかに集っていた日雇い労働者高齢化。若い日雇い労働者ネカフェの個室に一人きり。

こういうときに必要なのは、お金ばら撒きや職業教育よりも、人とのゆるい繋がり(コネ)と根拠なき自信。一旦繋がりが切れると対人関係の自信もなくなって二度と繋がれない。皆問題抱えためんどくさい他人と付き合いたくない。昔は地縁血縁で面倒くさくても嫌々人と繋がってたけど。それで、格差っていうのは世間にある幸せコミュニティには自分は二度と入れないんだっていう絶望みたいなもの。ちがう?うーん、どうなろう?

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0628-1a.html

で、家族っていうのは相互扶助社会の最小単位。昔は伝統世間体を理由にして嫌でも家族と付き合う、っていう前提があった(その代わり家族の中でどんなドロドロが起こっているかわからない。嫁姑問題とか親から子への体罰とか当たり前。貧乏な家の子供は小さな大人であり労働力なので、ひっぱたいてでも働かせる。中流以上の家庭の子供は、親の面子そのものであり大事な家を支える跡取りだから、親の敷いたレールからちょっとでも外れたら親とドロドロの喧嘩)。

そういう前提が日本消費社会化するにつれて変った。まず、日本住宅団地というものが登場して、核家族が爆発的に増えた。核家族っていうのは1970年代アメリカンホームドラマを模倣したもの。家電製品に囲まれた消費社会的な家族の始まり。そこから消費社会的な自由が進行して、お父さん仕事オタク趣味、お母さんも仕事女友達とお買い物、子供モバゲーで皆バラバラな家族の出来上がり。一人に一台携帯電話持ってるから話したい人と話せる一方で、話したくない人とは絶対に話さないということも出来る。最近家族はLDKの持ち家やマンションに一人一室の個室を割り振られて住んでるし。昔ながらの障子や襖で仕切られているだけのプライバシーの無い部屋なんてありえない。だから皆付き合いたくない人とは絶対に付き合わない。付き合っても嫌なものは見ない。というか無関心。でも、おばあちゃん、おじいちゃんはどこ行った?親に事情のある子供だって、昔は親戚に養子に出されたのに今は施設直行

そんな人付き合いの伝統や義務が無くなって人間関係が流動化した時代に、一旦自信の無さの塊になって、人付き合いに自信がなくなるとあっという間に孤立。行政はお金が無く、制度は家族の相互扶助の前提を崩そうとしないのに、「家族が嫌いでも、それでもやっぱり家族なのだから支えあうのは当たり前」という大義名分を主張することが、消費社会的な自由を阻害しているということを皆直感的にわかっているから中々主張できない。そして地縁血縁義理や情などで、面倒くさいんだけど義務的に構ってくれる人はどんどん少なくなり、他人の無関心に囲まれて消えるように自殺する。

これから日本人は、縁に縛られて毎日同じ他人といがみ合う苦しみと、生まれたときから将来が見えてしまっている不条理と共に生きることを選ぶのか。それとも、縁から自由になりすぎて高速で自分の前を通り過ぎる周りに無関心になるむなしさと、不安定な将来への漠然とした不安と共に生きることを選ぶのか。今の時代はそれらの選択の分岐点なのか、それとも折衷の機会なのか。国が行うシスティマティックなばら撒き福祉が大事なのは当たり前。けれどもそれだけじゃなくて、自分が嫌いな人や嫌いな世代に対しても、関心を持って扶助しあうような相互扶助社会も必要なはずなのにね。皆自分のことだけを大事にして生きてきたわけでは必ずしもなく、お互いに面倒くさいことを求めない、嫌なことはしなくていい、貴方は自由に生きていい、という優しさと気遣いを持って生きてきただけなのに。

だから格差社会っていうのは、世代間や地縁血縁の相互扶助と承認が機能しなくなった、今の核家族・孤立家族といった家族社会の拡大版だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070818201420

同じく家にテレビの無い増田だが、「うちテレビ無いんですよ、どうぞあがって確認してください」って言うと「結構です」ってあっさり引き返す人ばっかりだったけどな。今度から、あがって見てくださいとセットで言ってみれば?

久しぶりに一人で過ごす一日だった

一人でいるとどんどんいやーなことを考えてしまう

かといって誰かといれば甘えているように感じてしまう

NHKうぜー

今、NHKの集金の人が来た

テレビ無いんですよー」って言ったら

「あぁああぁ、そぉおなんですうかあ」

お前は払いたくないのなーって態度はなんだ

本当にテレビ無いんだぞ

ここ5年は家でテレビ見てないし

キー

http://anond.hatelabo.jp/20070818195652

よく売れてる&薄い本は昔っからこんなもんだったと思うけどな。

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