はぁ?あんた何言ってんの?
むかしの男は飯炊き要員が必要だったから結婚したのだが
いまの男は結婚すると、今まで炊かなくてよかった飯を炊かなきゃならなくなるのだな。
甘えんな。いつまでも母ちゃんが元気でいると思ったら大間違い。結婚しなかったら、父ちゃん母ちゃんが年取って動けなくなったらあんたが飯炊いて世話するんだよ。結婚してればある程度は(あるいはかなり)嫁さんもしてくれるかもしれないけどな。
もし父ちゃん母ちゃん亡くなったり施設入ったりして介護しなくてすんだとしても、結局自分で自分の飯を炊かなくちゃならなくなるのは変わらない。
追記:
甘えんな、ってのは言い過ぎだったかも。すまん。
引用元の文は、今まで炊かなくてよかった、と言ってるから、結婚するまでは誰かに飯を炊いてもらってる(で、それはたいてい母親)、って前提の話なんだな。ようは結婚しようとしまいと、いつまでも飯を誰かに炊いててほしい、自分ではしたくない、ってだけの話じゃん?と思ったわけさ。結婚してもしなくても、自分の飯くらい自分で炊く、つまり親離れする気は持てって。
そういう発想してたら結婚する気にならんのも当たり前だ。結婚するということは、自分が今度はその父親母親の立場になることだからな。
むかしの男は飯炊き要員が必要だったから結婚したのだが
いまの男は結婚すると、今まで炊かなくてよかった飯を炊かなきゃならなくなるのだな。
ちょっと、落ち着こうよー。
殺伐としてるよ。
それでも正しくはありたいと思うから色々言い訳しちゃうしさー。
ぐちゃぐちゃになって終わっちゃうじゃんさー。
キープしたい娘ちゃんの状況は良くわからないよ、結局。
でも、なんか全部うまくいくといいよね。
旦那さんの状況もやっぱり良く分からないよ、結局。
でも、みんなで気を使わないで暮らせるようになるといいよね。
信頼というのは、そんな一部の側面が同意できない程度で、失われたりするもんなんでしょうか。
言ってる事とやってる事が違うってのは、信頼を失うのに充分たる事じゃなないんでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070425191022
うん、わかる、わかる。
下の手伝う兄のエントリの中の人だけど、うちも脱いだ服は脱衣カゴとか洗濯機に入れる決まりになっている。
別に男衆に家事を全部押しつけて女衆がぐうたらしてるとか、そういう話じゃないんだから、こういうちょっとした気配りくらいは、家族みんなで協力して当然のように思う。
要は、家庭にセルフサービスを導入すれば、家事の負担も減るってものだ。24時間戦ってるかーちゃんを、少しは休ませてあげようや。
母の日だけ母親にプレゼントするのもいいけど、こうやって毎日たった数分間だとしても、母親を手伝うために割いてあげるのも、もっと大切な事だと思う。
末っ子は甘やかされるからねえ。妹さんには一度一人暮らしをさせとかなきゃね。
父が何もできない人だ。母がいなければまともな食事は食べられず、がんばって洗濯(全自動)をしてもしわしわのまま干して取り込みは忘れるだろうし、脱いだ服の始末を忘れて靴下をなくしてばかりだろう。
なのに、まったく不安がないんだよね。自分の生活力のなさに対して。
万が一母が先に亡くなってしまったらどうするんだろう?子供が来て自分の世話をするのが当然と思ってるんだろうか(実際その節もあるなあ)。
さらには、自分に生活力がないことを棚に上げて、母に向かって「お前は俺の世話をするのが当然だろう」と言った発言をよくするのだ。自分ができないから母にやってもらっているのに、母がやるのが当然だからやらせているというような雰囲気。
自分で自分の世話をできないやつほど、傲慢な発言をするのはなんでだろう。父も、ν速+民も。以前増田に己の傲慢さを書いていた高校生のような感覚をいつまでも持ち続けている幼さにいらいらする。
彼女が家にきてごはんを作ってくれるのはありがたいのだが、その味付けはちょっと自分の好みとは違う。なんか濃すぎる。それはそれで手が込んでいてうまいんだけど、自分は別にシンプルでいいんだよね。肉と野菜を炒めて少し塩をかけた程度のおかずのほうが好き。といって「その味付けはやめてくれ」とは強く言えないんだけど。
あのギリギリ見えない感じがたまらないなあ。と思ったんだけど
いままで男の入浴シーンを女の人たちは見ていたわけで
これで公平になったのかと思った。
そう言えば昔、痛いニュースだかどこだか忘れたけれどあの手の記事紹介ブログで
専業主婦が「脱いだ下着を洗濯かごに入れて欲しい」と言っているのに対し
「そんなの専業主婦だったらお前の仕事だろお前がやれよ」的意見が多数付いていたのを見た。
私的基準では「脱いだ下着を洗濯かごに入れる」と言うのは「使ったティッシュをゴミ箱に入れる」のと同じレベルで
「幼児か病人でなければ自分でするのが当たり前のこと」だったのでそれに驚いた。
彼らにとってはそれは「ママがやってくれること」なんだろうな。
どれだけ甘やかされてるんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070425182325
うちは私が男のくせに台所で母の手伝いをしていて、隣の部屋では妹がのんびりテレビを見ていて、食事が出来上がった頃に食卓に来る。
「男に台所の手伝いをさせて自分は遊んでるなんて、女として恥ずかしくないの?」と妹をからかっても知らん顔。
そのうち、ふりふりのフリルの付いたエプロンとか、おばさま割烹着とかで台所に立ってやろうか。「自分がやるから、お願いだからその恥ずかしい格好辞めて」って言わせてみたい……けど、言わないだろう、きっと。
もちろん、私がいつも母の台所仕事を手伝っているという自慢ではない。サボる事もある。でも、なるべく手伝うようにはしている。
それはともかくとして、男が家事を手伝うか手伝わないかは、それが習慣付いているか否かに左右される。
そしてそれは、育ってきた環境に結構大きく左右される気がする。
私がちっちゃかった頃は母親が病気がちだった事もあって、台所仕事を手伝うのはすごく当然のようにして育ってきた。
たとえ自分が料理を作らないにしても、食卓を整えて、箸やスプーンやフォークを出して、メシや味噌汁を人数分よそって、それくらいの手伝いは普通の事だった。
食べた後はめいめいが食器を流し台へ持って行くのがうちの家族の伝統だったし、皿洗いもよく手伝ったものだ。
だから、他の家にお邪魔した時に、女衆だけが台所で料理を作っていて、野郎共はその間居間でのんびりテレビを見てて、食事が終わっても食器を流し台に持って行くのは女衆の仕事、という世界が少し不思議だった。家族だろう、メイドさんと客人みたいな関係でいいのかよ、と少し思った。
でも妹が生まれた頃から母も元気になったからなのか、それとも病弱気味だった一人娘を甘やかしてるのかわからないけど、妹が台所に立って母を手伝う姿はあまり見たことがない。
男が女の家事を手伝う事は男の沽券にかかわる恥ずかしい事と思っている人が男にも女にも多いけど、そんな事はない。
母親の皆さん、息子達を「家事を手伝う男」に育て上げられるかどうかは、ひとえに幼児期からの教育で習慣付けられるかどうかにかかっているのですぞ。
とは言え、「奥さんにうまいメシを作って欲しい」願望がほとんど無くて「結婚しなくたってメシくらい自分で作れる」なんて私も、また別の意味で問題かもしれないけれど……
この手の自分の考えでいっぱいの人に、そんなに丁寧にレスをつけても無駄ですよ。
相手をしない方がほかの増田のためです。
ところでこないだ頭に赤い洗面器をのせた男が歩いてきてさ。
うーんとね、
好きとか私に言っておきながら、速攻で他の女にふらつかれると、誰でもいいんじゃねーかとか、
嫉妬とか、様々な理由でむかつく
ここと、
匿名ダイアリーの皆さんが「その環境でアプローチをするのは誠実ではない」と言っているだけだし、
私の中では最大限の誠意を持って、かなり誠実に対応していますよ!
ここですね。
あなたの中ではどうか知らないけど、一般的に言ってあなたの態度は誠実とは言えない。
相手の気持ちを考えてないのに「誠実」なんて言えないよね。
二股やキープしたいならすればいいけど、それを「誠実」と自己正当化するのが見ていて腹立たしいというのはあると思う。
次にその男の人もあなたのやっていることも似たようなこと。
二人の相手がいてどちらか選びきれなくて迷ってる。
それ自体は実際にありうることだし、それだけでは責められないと思う。
ただしあなたは、自分の態度や行動は「誠実」といいながら、
同じようなことをしている相手を「不誠実」と言ってる。
そこが「ダブルスタンダード」と言われる由縁だと思うよ。
それに詳しい状況はわからないので断じることはできないけど、
少なくとも彼氏がいながら他の男を束縛しようとしているあなたより、
二股なんてことはしないできちんと自分の気持ちを伝えているその男の人の方が誠実だと思うよね、普通は。
「自分は誠実」って言い方をしなければもう少し反発も少なかったかもね。
朝起床して学校へ行く。朝は大抵あまり時間が無いので、自分の部屋の片付けだけやって出発。
帰宅後、朝食の後片付けが完全でない場合は、皿洗いなど含め台所を片付ける。朝母が干した洗濯物を取り込み畳む。上着と下着を個別に纏める。居間などが汚れていたらざっと掃除をする。ペットの猫の世話をする。乾いていない洗濯物があったら、屋内の物干しに干す。米を洗って炊き、食材をあらかたそろえておき夕飯の準備を整える。大体このタイミングで母親が帰宅するので、夕飯作りを母親に預けて(暇なときは手伝う場合もあり)ペットの犬の散歩に行く。その後夕飯を食べてバイトに行ったり遊んだり休んだり。夕飯の片付けは父親が居ないときはやる。
これが現在大学生の俺がやっている家事労働の大まかな一覧。勿論学校が休みの日などはもっと多くの仕事をする場合もあるが、大体上記の内容を帰宅後1時間~くらいかけてやるのが大学入学時からの習慣になりつつある。高校時代はもう少し仕事量が少なかった(単に親任せでサボってただけ)。俺の家族は共働きの両親と俺と弟の4人(おまけでペットの猫と犬)で、母親はパートだが結構大変な仕事で、遅くまで帰ってこないこともあり。俺が試験前だったりして家事を行えないときは、大体は弟が上記の内容をカバーする。母親の仕事が休みの時は行う必要が無いこともある。父親が休みのときも以下略。
なんでこんなことを書いているかというと、↓の記事をはてなぶくまで読んだからなんだけど。
痛いニュース(ノ∀`):夫に言われて傷ついた一言…「太ったね」「ご飯ないの?」「結論は何?」など
俺の価値観から言うと、ジェンダーがどうとか男女同権がどうとかいうのはよく分からんが、「家事を家族の誰か(専業主婦や母親)が全て行うべきである」という主張は家事労働を根本的に理解してないものだとしか思えない。家事というのはいわば家族の連携であって、父親が忙しいときには母親が、母親が忙しいときには子供が、子供が忙しいときには父親がという風に、お互いの都合を臨機応変に考えつつ、一つ屋根の下にいる者達が自分達の生活をよりよく駆動させるために行う一連の業務である。これが「免除」されるということは、つまりその人は「家族」の一員として認められていないに等しいんじゃないか。
勿論、「家族」であっても家事労働が免除される存在もいる。幼い子供だ。幼い子供はまだ「面倒を見る」よりも「面倒を見られる」ことが仕事で、親などが強引に誰かの「面倒を見る」ように仕向けると、大きな失敗などを行ってしまう可能性が高い(多くの場合、幼い子供に料理をさせるのは危険極まりない)。ので、家族がその分をカバーし子供の「面倒を見る」必要がある。ただし、家庭内で「子供」と位置づけられる存在であっても、少なくとも中学生以上であれば料理含む家事労働を行うのは「家族」の一員であるという自認があれば当然だと思う。俺の弟などはこの辺の認識が甘いのでよくサボっているのだが(もう高校生の癖に)。
「専業主婦」はヒマであるから他の家族のためのものを含む一連の家事をすべきだ、という主張は上記した理屈に照らせば一見正論に見える。が、「専業主婦」であっても(記事中にあるように)体調が悪いとかもろもろの事情で家事が出来ないとかいうパターンは十分にありえるし、幼い子供がいればなおさらのことだと思う。幼い子供はあらゆる意味でイレギュラーだらけの存在であり、「面倒を見る」ことは並大抵の苦労ではない。一人では困難だが、夫婦の協力があればたやすく成し遂げられるようなことも「育児」の上では多いだろう。「育児」は誰かに暇があるとか無いとかの問題ではありえない。
もっとも、このような理屈は「家事」が「そこに住む家族の仕事」だ、という前提に基づいたものだ。「家事」そのものを「そこに住む家族の仕事」で無くしてしまえば、「家事はそれを専門とする人が受け持つべきだ」という主張は正論である。つまりは家政婦だ。こうした主張を行う人が、幼少時から家政婦に家事をしてもらっていたような家庭環境にいたのなら、このような理屈を「正論」として主張するのも、ある意味当然ではある。
彼らにとっての「家政婦」とは、つまり誰だったんだろうか。
なんでだろう。表情がないからかな。馬面だからかな。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070425mog00m030001000c.html