はてなキーワード: 「家族」とは
【父】
・地方出身/中流、しかし比較的裕福ではない/持ち家/祖父母と同居/妻より高学歴
【娘】
・周囲の評価は「しっかりしてる」/勉強はできるほう/見た目が派手ではない/現実逃避のための趣味がある
・やたら「家族」を押しつけてくる件
家族を万能な何かだと思ってるが、それは彼にだけ許された環境である
妻や娘は彼をちやほやする装置
おそらく自分の父親(私にとっては祖父)が「家族」で肯定されてきたから自分も無条件に「家族」が肯定してくれると信じている?
しかし自分以外の「家族」構成員を気遣わないし、都合も考えない
娘には妻と同等のサポートを求め、従わないことなど有り得ないと信じている
「なんでもやってみなさい」と言う …しかし必ず「あれをしろ」口を出す、「こうしたほうがいい」と手も出す
「俺がお前のことを一番よくわかっている」「娘が俺のことを嫌っているはずがない」という根拠のない自信
これをやられ続けると、娘のほうは自分の意思で何かすることすべてに罪悪感を伴う
たちが悪いのは、「家族」と「愛」でゴリ押し、拒否権は認められないということ
11~12歳くらいになると娘は「お父さんが嫌がるようなことを考える自分が悪いんだ」と思うようになる
父が嫌う発言をすると「心が貧しい」「頭が固い」など性格を否定される
そのへんのおっさんの所有欲・支配欲と変わらないと気づくのに年数が掛かった
他人は「よくできた娘さんで」と言い、
父は「いやいや、そんなことないですよ」と笑い、
隣の娘まんざらでもないような気がするが、自覚なく鬱屈がたまっていく
法律上ペットがモノ扱いだからといって、人格批判されたかのように吹き上がってる人はなんとかならないのかな。
例えば、好きでクモ飼ってる人が「クモは家族です」と公言して憚らないほど思い入れがあって、
その人の家にトラックが飲酒居眠り運転で突っ込んでクモが全部死んだとするよ。
その家ももちろんだが、何よりクモを殺されたことに対して許せず訴えた場合、クモは法律的にどう扱うべきだよ、おい。
モノだろ、モノ。モノ以外にねーよ。犬猫鳥亀魚虫その他の生物、ぜーんぶモノ。
生類憐れみの令でもお望みか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/lim-untlim/entry-11065958332.html
http://blog.livedoor.jp/honkinohonyomi/archives/52529848.html
余力のある社会は強い//『働かないアリに意義がある』長谷川英祐 « 本気の本読み―グループで書評・本のまとめブログ
http://news.nicovideo.jp/watch/nw127033
ブラック企業の“大手”社員が激白「すでに社畜化してますね」 | 日刊SPA!
最近良く聞かれるようになった「働きアリの中にも怠けた蟻がいて、それは集団のためになっている。これは人間における労働者とニートの関係と同じだ。だから働かない人がいることは悪いことではない」という主張。これはまこと見るべきものを見ない唾棄すべき愚論である。
単純に言えば、アリ社会は
それにひきかえ日本人は、
端的に言えば一番最後こそが両者を分かつもっとも重要なファクターなのだが、こういった還元主義的発想は共通項ばかりを論って差異に無頓着である。
ましてや仮にこの言説が一定以上の信頼性を持ち得たとしても、この手の大局的主張は個を幸せにすることはない。幸せになるためには物質的、精神的な満足こそが大事なのであり、それは様々な方法こそあれ、多くは労働によって達成されるのだ。
資産家の御曹司で余生も安泰だという若年層にとっては、それでもいいだろうが、多くはそうではない。そしてこの主張はそうでない「溜めも役割もない」人々に向けているのだから、どのみち的はずれである。
ちなみに、「アリとキリギリス」などを引き合いに出して現代の「労働者とニート」問題に置き換える言説はこれより以前から見られたが、これはそれ以上に愚論である。そもそもキリギリスはまともに働こうが最初の冬には死ぬのだから、ニートをキリギリスに当てはめるという事自体が残念な考えである。もちろん、この話が成立した時代においては仕方がない事情もあろうが、21世紀にもなってこのような話をしたり顔で振りかざしていては恥知らずとしかいいようがない。
われら人類のニートの問題はこれら以上に複雑なのだから、このようなバカでも知った気になれるような矮小化に振り回されてはいけない。
http://www.dailymotion.com/playlist/x1imx8_chubu2010_yyyyyyy-yyyyyyyyy#videoId=xgnjon
30分に圧縮した方が質は格段に上がったと思う。
・伝えたいことを盛り込むために、
「人が言うことでなく、行動で判断しろ」
のような、このストーリーなら必要不可欠なはずの核を見のがしている。
あとは「家族」って何だろうなってこと。
これについては臼井氏にしか作れなかったものと比べているわけで、
この監督に求めるのは苦かもしれない。
誰もが目を伏せていたことに、よく言及した。
そう、岡本太郎も言っていたね。
幸い、俺は一点の後ろめたさもない生き方をしているよ。
このご時世、主流の価値観から見たら価値を感じない者もいるだろう。
誰が何と言おうと、この生き方を続行していく。
俺たちの代から、きっと変わっていく。
明るい未来を。
ほぼ愚痴。垂れ流してみる。
人生最大の買い物は住宅だと思ってたけど、本当に一番高い買い物は「家族」だったということに気づいた。奥さんと子ども。食費、生活費、光熱費、その他もろもろ・・・結婚して10年でいったいどれだけの金をつぎ込んだことになるだろうか。数千万? 定年まで・・・いや死ぬまでに家族に費やすお金っていったいどれだけになるんだろう。
住宅だって、土地付き一戸建てを勢いで買ってしまったけど、独り身だったらこんな大きな物件はいらなかった。賃貸ワンルームでもいいくらい。車だって何台もいらないし、レジャーや旅行の費用だって少なくすんだ。ひとりだから飲みとかで遊びに出ることも多くなったかもしれないけど、それでも日々の生活費に比べたら微々たるものだ。子どもに費やすお金もバカにならない。義務教育とかいったってけっこうお金がかかる。もし将来、大学とか私立の高校に行きたいなんて言い出したらまたお金がいる。っていうか、いまの収支の状況ではそのお金を捻出できないことは確実だ。
何かを買うときでも、自分ひとりの好みでは買えない。特に子どもが生まれてからは子ども優先の生活になった。パソコンやテレビだって欲しい欲しいといいつつ何年も我慢している。お金がたまらないから、将来的に買えるときが来るとも思えない。家族を得ることで失ったのは「お金」だが、それ以上に「自由」というものを失っているような気がする。
もちろん、家族がいることの精神的なメリットは多大にある。あるにはあるが、逆に家族がいることに対するプレッシャーも大きい。会社が潰れたらどうしよう、仕事がしんどくてもやめられない、そもそもお金なんてどうやって稼げばいいかわからない。そんな自分に家族全ての生活が、人生がかかっている。望む教育、望む生活、望む遊び、それを子どもに与えてあげられないことに対する後ろめたさ。妻に楽をさせてあげられない心苦しさ。そして自分が自由に生きられない息苦しさ。家族さえ構成していなければ、それらの皆の苦悩など存在しなかったのではないか。そんな気さえする。
でも、家族がいなかったら自分はひょっとしたら、ある程度お金をためて会社をやめて引きこもってゲームばかりしている人間になっていたかもしれない。そのくらい、仕事に対して思い入れがない。人生に対してヤル気がない。欲しいものといっても娯楽や遊びのものでしかない。生産的なことはなにひとつやろうという気がおきない。つくづくダメ人間だ。
けっきょく、「家族のいない自由」とは持っていないものへの幻想で、もし仮に家族を失ったらそれがきっと今望んでいる「自由」とやらの何倍も、何十倍も大切で必要なものだったと気づくのだろう。家族があるからこそ、かろうじて社会的な存在としての自分を保っていられるのかもしれない。家族がいなければお金がたまるどころか、人間としてまともに生きていくことさえできていないかもしれない。自分はそれほどの腑抜けなのではないかという気もする。
でも案外だらだら仕事続けて、友達も少ないので適当に小銭がたまって、悠々自適な生活をしてたんじゃないか、という気もする。現実ではないことは想像するしかない。都合のよい想像と、最悪の想像の間を行ったり来たりしている。
とにかく・・・お金がない。それが不安であり、不満だ。老後の貯金などまったくできていない。子どもの貯金もせいぜい公立の高校に行かせてあげるくらいしか計画できていない。この子たちが大きくなるまで、高校の授業料無償化が続いていれば少しは余裕もできるかもしれないが、それでもしかし私立大学とか無理。急な事故や病気でお金がかかったら、それだけで家計が破綻する。そうでなくても老後は確実に飢え死ぬ。仕事がなくなればローンが払えなくなって家を売り払わなければならない。行き場もなくした家族はどこで生きていけばいいんだろう。そんな綱渡りな今日この頃。プレッシャーで押しつぶされそうだ。みんな、こういう重圧をどう処理してるんだろうか。それともみんなはもっときちんと稼いで貯蓄とかしてるんだろうか・・・。
そしてけっきょく、家族さえいなければこんな重圧はなかったのに、なんて都合のいいことを考えてしまう。家族がいないと生きていけないくせに。われながら最低だなぁ。
「ハーァ、なんだか最近、力が入ってこない...。」
どんなに人生経験を積んで成長したとしても、私たちは大失敗をしたり、飽きてしまったり、急にすべてが無意味に思えてしまうことがあります。
そんな時、あなたはどうしていますか?
私は、「ここであきらめるのは、もったいない!」と歯を食いしばってがんばるのですが、クタクタに打ちひしがれて、結果的に逃げるように撤退してしまった経験が多々あります。
まるで、ハエが外を目指して見えないガラスの窓に何度もぶつかり、命を使い切ってしまう、そんな状態です。
このように人生について行き止まりのように感じる時、どうすれば良いのでしょうか?
そんな時は、こう考えてみましょう。
神様が「一旦気持ちをゼロにリフレッシュしてから再スタートしたほうがいいよ」というサインがあなたに送っているのです。
今日は、また走りだすための上手なリセット方法をいくつかお伝えいたします。
1.潔く変化を受け入れよう
「気持ちのやり直し」を自分自身に迫られる。
それはどんな状態なのでしょうか。
あなたはもう、昔のあなたじゃない、ということです。
もう、あなたは同じものや人に惹かれてはいないし、あの時立てたゴールだって今や魅力のないものに変わってしまっているのです。
それは仕方のないことです。人は毎日、成長し変化するからです。
一貫性がないだとか、熱しやすく冷めやすいだとか、自分を責めてはいけません。
昔の気持ちを忘れて(捨てて)、今の気持ちを感じなおしてみましょう。、
はじめは難しいかもしれません。昔ほど、モチベーションが湧いてこない!と焦ることだってあるかもしれません。
潔く変化を受け入れよう。
そうすれば、元の場所に新しい自分がカチッとはまる素早さに驚くことでしょう。
2.思いきって、新しい人の輪に入る
私たちは、無意識のうちに見知らぬ人を避けていることがあります。
それがまさに、あなたを退屈や失望、失敗に陥れているのです。
会う人 会う人を少し見たり話したりしただけで「こういう人だろう」と予想してはいけません。あなた自身が奥深いように、他の人だって数分みただけでどんな人かわかるわけがないのです。
変な気負いや遠慮は思いきって捨て、いつもの自分を出して、流れに委ねてみましょう。
新しく出会う人を、フレッシュな気持ちで受け入れて続けていけば、人生は本当に変化していくはずです。
3.しょうがないけど、負けを受け入れる
仕方がないのです。負けを受け入れましょう。
そして、進みつづけるのです。何かを失ったかも知れないし、大切な人ともう二度と会えなくなったかもしれません。
それを受け入れましょう。その現実、そのデータは紛れなく正しいのです。
はい、だからそこで 自分との戦いはそこで終わりです。
思考の空回りはしっかりストップさせましょう。
その空回りをつづけている内は、同じ場所をグルグルまわっているネズミと同じです。時間の無駄、体力の無駄、お金の無駄です。
戦いが終われば、新しい勝利を手にするチャンスがやってくるのです。
腹をきめて、受け入れましょう。
4.まとまってなくても、誰かに話す。
友達じゃなくても構いません、あなたの話を聞いてくれる人ならば。
自分の今の気持ちを、言葉に変えて 外に出してみるのが目的です。
話しているうちに気分が良くなるかも知れないし、リアルタイムで整理しているうちに出てきた矛盾から新しいアイデアが生まれるかも知れません。
5.思いきって、リスクをとってしまう
自分がオロオロしてしまうような、新しいチャレンジをしてみましょう。
何かを踏み出すのが怖いなら、バンジージャンプをしてみたり、恥ずかしくてできないことがあるならば、人前でのスピーチを買って出るのもひとつの手です。
人は、「安全な場所から出たくない!」という思いがあります。だからといって、安全な場所からでなければいつまでも、その中で過ごさなくてはいけなくなってしまいます。
安全な場所を広げるには、安全な場所から思いきって出てみるのが効果的なのです。自分の怖がっていること以上の場所にいってしまえば、その場所はもう安全地帯になるのです。
6.それまでの事を、ワーッと書き出してみる
小説にしようだとか、あわよくば出版しようだなんて、思わないでください。ただ、飾らずに思いついたままを、あなたの言葉で書き綴っていくのです。そして、「どうして今ここに自分がいるのか」を描いてみましょう。
はしょらなくても大丈夫です。急ぐ必要もありません。
あなたは、ひとつひとつ言葉を書いていくごとに、今の現実を認識していくことでしょう。
何が起きているかがわかれば、問題はほぼ解決したも同然です。
あとはスマートな解法を見つけるのみです。
7.勝ち負けはコインの裏表であると知る
勝つ時もあれば、負ける時もある。ずっと勝ち続けることはできない。
反対に、負ける時もあれば、勝つときもある。
勝ち負けをコインの裏表なのです。次はわからない。
だから、勝ち負けに過剰に反応しつづけている内は、幸せにはなれないのです。
勝ち負けの牢獄を出よう。
積み上げてきたものを、楽しんで、次に進めばいいのです。
8.今ここを生きる
今、生きているこの一瞬を受け入れよう。
なぜなら、その瞬間はもう、二度と訪れないから。
過去にはいけない。
もう過ぎ去ってしまった。
「過去」というのは人間のこしらえた一つの考え方。「未来」も同じ。
今にしか生きれない。
だから、それを受け入れよう。
人は、今をがんばることしか、できない。
その過去につながっているものを、全部 捨ててしまおう。
それが目に付くたびに、あなたは憂鬱な気分を思い出す。
それを思い出すたびに、あなたはグッタリとやる気を失ってしまう。
「捨てる」という行為は、自分自身でない物事を認識する作業です。
つまり、「自分は誰か」という認識の強化につながる大事な作業なのです。
不要なものを捨てれば捨てるほど、あなたは軽くなったり明るくなったりする気分を感じることでしょう。
自分自身でない部分を捨てれば、努力はヒィヒィ言うものではなく、もっと自然に熱中するようなものに変化していくはずです。
10.道具をまっさらに一新する
たとえば、コンピューターを再インストールして、真っさらにしてみましょ。iPhoneを復元して、買った時と同じ状態に戻してみましょう。同じ真っ白の手帳を買い換えてみましょう。
いらないもの・必要なかったものは、そのまま忘れ去られるはずです。
(きっと、いらないものがほとんどのはずです。)
反対に、必要なものは必要にかられて、より適切であなたに調和した形で、再構築されるでしょう。一新する前後で、違ったものになったのだとしたら、あなたはそれが必要だったということです。
そんな思い切ったリセットが必要だったということです。
より身軽になって、スピードもあがるはずです。
11.再設計する
そういう部分は廃止してしまいましょう。
12.「小さな」新しいパターンを取りいれる
大きな変化を起こすというのは、小さないくつかのパターンを変えるということです。
理想の自分が取りうる「小さなパターン」を洗い出してみましょう。
それをどんどん部分的に、取りれていくのです。
やがて古いパターンを断ち切られ、新しい自分をつくる着実な一歩が刻まれていくでしょう。変化とはその積み重ねでしか無いのです。
13.昔の友人に連絡してみる
10年以上 連絡をとっていない友達を探しましょう。そして、連絡をとってみるのです。話を聞いて、その友達がどのように人生を歩んできたか理解しましょう。
あなたとその友人は、途中まで同じ道を歩んでいました。
しかし、あるタイミングやきっかけで別々になっていったのです。
そういった共通点もあり異なる生活を送っている友人の話は、新しい視点をあたえてくれるかもしれません。
14.引っ越す
違う場所へ引っ越してみましょう。自分を取り巻く環境というのは、記憶そのものなのです。環境を変えることで、古い記憶は薄れていくことでしょう。
それが難しいなら、毎日訪れている場所をかえる、道をかえる、それでも効果があるはずです。
はじめは不慣れなことや大変なこともありますが、変化を促してくれることでしょう。
15.熱中しているゲームを変える
「キャリアアップ」というゲーム、「家族」というゲーム、「収入アップ」というゲーム。「恋愛」というゲーム。
あなたは今、どんなゲームに熱中していますか?
あなたのゲームの得点は何で、100点満点中 何点を稼いでいますか?
よくよく考えたら無意味なゲーム、退屈なゲーム、自分が死んでいるように感じるゲームは、考えなおしてみましょう。そのゲームであなたが稼ごうとしているスコアは意味がありますか?本当は、どのスコアが欲しいですか?
16.よく笑う・笑いを見つける・笑いを作る
厳しい現実や、退屈な毎日を目の当たりにしているときでも、あなたは毎日の生活の中に「笑い」を取りいれるようにしていますか?
「あんなつまらないことで笑うなんて」と他人をさげすむのはやめましょう。笑っている人はエライのです。
日々の生活に、笑いを見つけるようにする。笑いを作るようにする。
そして、声に出して顔や体全体で笑うようにする。
これだけでも、毎日に大きな違いがでてきます。
それを持つのも大事ですが、行き過ぎると逆効果になることがあります。もしかすると、今の状態も 真面目すぎた逆効果かもしれません。
心から笑えば、心は解き放たれるし、笑いを通して 凝り固まっていた考え方が溶け出すことだってあります。
きっと、周りの人もこわばったあなたより、笑顔のあなたに手を差し伸べるに違いありません。
よく笑うように心がけましょう。
17.他の誰かに、教えてみる
誰にでも才能があります。特別な能力や、面白い考え方、モノの見え方があるのです。それを、友人や家族に教えてあげましょう。
必ずしもそれが、ずば抜けたレベルである必要はありません。
他人に教えるという行為は、自分に教えることに直結しますし、知識の整理や強化、体系化に大きな役割を果たすのです。
そんな時間を共有する中で、あなたは反応や発見を得ることができます。
相互作用こそ、インスピレーションを生み出すカギなのです。
18.「Yes」を言いに行く
新しいことへの抵抗をしている限り、新しい変化は訪れることがありません。
本質的な変化というのは、Yesをいう余裕によって 創りだされていきます。Yesと言いたいのに、Yesが口から出てこない。Yesを言いに行きたいのに、足が動かない。
それはきっと、能力以上のことをやる恐ろしさがあるからだと思います。
世の中には、何の保証もないことが溢れています。保証のないところからスタートして物事を成し遂げる事が求められているし、保証があると思っていても、刻一刻と変化する状況の中で、その保証が無意味になってしまうことだってあるのです。
やりたいのならYesと言って、今 この瞬間にベストを尽くすしかないのです。
19.キッパリと「No」を言う
注力すると決めたもの以外は、キッパリとNoを言いましょう。
不必要なものにYesを言えば、あなたの中に、また「自分ではない部分」が作られていきます。それが足枷となり、あなたのフットワークを奪い、気持ちを暗くし、時間を浪費させるのです。
また、そういった無責任でベストでない状態で、物事を受け入れても頼んだ相手はガッカリ失望するだけでしょう。
責任の質を向上させましょう。けして量を増やしてはいけません。
上手なNo、合理的なNo、思いやりのあるNoをいえるようになりましょう。
20.「バカ」になってみる
失敗の恐怖。これこそが、私たちが新しいチャレンジを阻害する大敵です。笑われたらどうしよう、他人の目が気になる、そんなことが頭の中をグルグル回り始めてしまうのです。
振り返ると、「無知だからこそできた」バカなチャレンジと成功はありませんでしたか?それも今の自分を形作っている大事なチャレンジが。
当たり前の話ですが、はじめる前に全ての道すじや結果を知ることは、できません。
普段、私たちはバカにならないことに意識を集中していますが、もし 新鮮な気持ちで再スタートを切るのならば、「バカ」になってみるのも大事なことなのです。
あなたは、みんながその人気の秘密を知りたがるスターだったとしましょう。この世界を光で照らす、英雄なのです。
栄光をふりかえって、心を開いて 本当のことを正直に、話してみるのです。そして、それを読み返してみましょう。きっと、発見があるはずです。
22.レンズの焦点を調節する
人生を正しく見るためのレンズが曇っていると、大切なことを見過ごしがちです。それは、何を撮ったらいいのか、はたまたどこに焦点をあてたらいいのかがわからないカメラに似ています。
少し焦点をひいてみたり、近づけてみたりして、何を見るべきかしっかりと調整しましょう。
23.一日を「反応 < 行動」にする。
私たちの日々の生活は、何かへの「反応」がほとんどです。
仕事に反応したり、上司やお客さんに反応したり、自分の役割に反応したり、家族に反応したり、広告に反応したり。
何か起きたことに反応をつづけている限り、人生への意識の感度はどんどん鈍っていき、フレッシュな気持ちで再スタートをきることはとてもむずかしくなってしまいます。
反応がメインになると、何かに追われるだけの しんどくて退屈な毎日に飲み込まれてしまうからです。
けして恐怖や拒絶にまけることなく。
一日の時間が、反応 < 行動に変わったら、新しい道が開けるに違いありません。
24.意味のない問題を解きつづけるのをやめる
本当に、本当に、大事で意味があることに集中しましょう。
誰かに言われたことや、対抗心、意地の張り合い、そういうものに囚われるのは無意味です。
目の前に はまりやすい問題が転がっていると、私たちはそれを解きたくなってしまいますが、それが「本当に、本当に、大事で意味があるのか?」しっかりと再考しましょう。
25.「できること」よりも「やること(意志)」を言い聞かせる
それが私たちを形作り、ひいては現在の人生を構成していくのです。
「できること」を言い聞かせ続けていても、変化はありません。
それよりも、自分のやりたい事、そしてやること(意志)を自分自身に言い聞かせましょう。
変化とは、自己との対話です。
生産的な対話が、素晴らしい結果を生み出すのです。
26.完璧主義をやめて、肩の荷を下ろして取りくむ
不完全を避けて、ものごとをやり切ることができなかったり、世に発表できなかったとしたら、それは不完全以下の「無意味」です。
ゼロです。
世界は全体として、助け合って成り立っています。
不完全さを表に出すことで、あなたを補完してくれる何かが集まってくることを信頼しましょう。
家族と会いたくない。
来週家族全員で集まる予定があり、とてもとても苦痛で仕方が無い。
こんなことを書くと、何かあったのかと思うかもしれないが、別に家族の仲は問題ない。両親、兄弟とも仲が良い。
両親、兄弟と1人1人個別に話したり接したりする分には平気なのだが、家族全員で集まると途端に息苦しくなって逃げ出したくなる。
「家族」という集団がとても怖い。
自分の人生をすべて知っている人たちがこんなにいることが怖い。
私の人生に影響を与えることが怖い。
他人じゃないから会いたくない。出来ればずっと。
私が選んで私が進んできた人生にこうやってただ集まるだけで心の平穏が崩れる集団に会いたくない。
もっと歳を重ねれば「家族」という集団とうまく付き合えるようになるのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20100309141447
そりゃそうだ。現実的なことを考えていくほど身動きが取れなくなる。
もう、やめようぜ。何で子供を産んだらその子供を育てなきゃいけないんだ。そもそもそれがおかしいだろ。
セックスのおまけで妊娠するが、みんなセックスをする際に子供を作る事にまで同意した訳ではないだろ。
子供を産んだ奴がキチガイなら虐待したり子供もキチガイになったりいい事ないだろ。
そんな子育て失敗のリスクが怖くて子供を産まない奴だっているわけだしさ。
もう子供は国が育てるべきだ。出生児は全員国が引き取って育てろ。そのための税金は徴収していいから。
税金を徴収される代わりに大人は子育てという重労働から解放される。
出生率は一気に上がるし子供を産んでも大人は好きなこと出来る。いい事尽くしじゃないか。
地域ごとに育児施設を公的に作って、教育工学や発達心理学の研究に沿った教育プログラムの下に子供を育成する。
DQNは減るし、結婚しても姓名はそのままでOK。誰にも迷惑はかからない。子供の養育そのものがなくなるから離婚もスムーズになる。
知人が死ぬ経験は悲しいことだけれど、自分もいつか死ぬということを実感させてくれる得がたい経験でもあるね。陰鬱な気分になりそな増田には、自分の死ぬ時から今日までを逆算してプランを立てるのオススメ。休日に、邪魔の入らない場所で半日くらい時間を取って実行するとすっきりする。欲してるか分からないけど、参考までにおおざっぱなやり方書いとくよ。
準備するものは紙とペン。あるいは、ワードかエクセル。
やり方はまず、自分が何歳で死ぬのか考えることからスタートする。寿命で死ぬケースを考えても良いし、病気で死ぬケースを考えても良い。「ああ、そういう理由で、自分は死にそうだよな」とリアルに想像できることが大事。
死ぬかもしれない年齢を決めたら、次に、そこから現在の年齢まであと何年あるか計算する。その年数を5年刻みか、3年刻みにして、その期間単位で自分が何を実現していたいか考える。「仕事」「余暇」「家族」「友人」「健康」「財産」くらいの項目を立てて、それぞれについて自分の希望を書き出す。縦軸に項目、横軸に時間を取って表にするとやり易い。
どの項目にも共通するプランニングのポイントは、「予定通りの寿命で死ねばそれも良し、途中で死んでしまってもそれも良し」って思えるプランにすること。(この辺で、たとえ今20代の若者であっても、自分が死ぬまでにやりたいことをやりきろうと思ったら、意外と時間が無いことに気づく。)また、将来のことになればなるほど、あやふやなプランになると思うが、とりあえず良しとする。5年以上先の未来は誰も正確に分からないのだから。
それから、増田の場合、「仕事」の項目については、WEBのクリエーターとしてヒットを出したい夢があるのなら、WEBのクリエーターとしてヒットを出す人間に何が必要なのか、先駆者の事例などを調べて別途研究する必要も有るかも。
直近の3年分、あるいは5年分の計画については、分解して年毎のプランを考える。さらに、今年度分については、月間計画にまで落とし込む。表の作り方はさっきと同じ。縦軸に項目、横軸に時間。
ここまでやると、自分が今週すっきり生活する目途が立ってくる。月間・週間のプランニングと進捗管理についてはGTDがオススメ。習慣になれば精神衛生上、大変良いです。そこまで出来たら、後は手帳など使って進捗を見ながら、週一、月一くらいの頻度で計画を見直していけばOK。
年間計画以上のプランもときどき見返し、半年に一度か年に一度、じっくり時間を取って練り直す。
もっと本格的に知りたい場合、ベタだが、5年刻みの計画から年間計画までのおおまかなプランニングについては「夢に日付を」、月間・週間のプランニング(GTD)については「ストレスフリーの整理術」がそれぞれ詳しい。おれの場合は、こんなことをやり始めてから、自分の現状や行動にあまり不安を抱かなくなったので、良ければお試し下さい。
# テレビの感想(NHKスペシャル|セーフティーネット・クライシスII 非正規労働者を守れるか)
ttp://pikapika.to/yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2866
ぼくが日本で問題だと思うのは、不信があまりにも蔓延していることだ。労働者も役人も、「相手は悪いことをしようとしている。怠慢な人間だ」と不信をもっている。目の前にいる人にかかわることをおそれているし、自分になにかあったときに助けてもらえるとは思っていない。ある種のムラ的構造が保存されていて、身内以外は信用しない。そしてなお悪いことに、核家族化がすすんで身内がとても少なくなっている。失業した労働者たちを見ていると、ぼくなんかは「いったん実家に帰ればいいのに」と思う。でも画面に出てくる人はだれも「実家に帰る」という言葉を口にしない。テレビのコメンテーターたちも、口にしない。
彼らに帰る実家はないんだろうか。ないのかもしれないし、実家がないことが悪いと思わない。ただ、そういった身寄りのない人たちがたくさんいて、どこにも助けを求められずにもがいているのだとしたら、それは問題だろうと思う。家族や地域の構造は、ここ数十年おおきく変化してきた。むかしにおいては、「セーフティネット」というのは、「家族」や「地域」だったのだろう。なにかあったら家族や親戚が助けてくれるし、都会で仕事を失えば地域に帰るという手があった。地域にも仕事があっただろう。しかしいまでは、そういったセーフティネットが失われてしまったのではないか。
番組の終盤で、東京大学教授の神野直彦さんがおっしゃっていたのは、やはり信頼の問題だった。いまの日本には人のあいだの信頼がないと。いくら制度が充実してお金が用意されていても、相互に信頼する関係がないならば、日本人のあいだに幸せは訪れないだろうと。ぼくはこの意見に心から同意する。そして相互信頼が日本に訪れるためには、哲学が必要ではないかと思うのだ。たとえば、問題を解決しようという意志や、問題を解決したいと思わせる人の絆。自立と自律にもとづいた人や地域。そういったものが日本の社会で育ってほしいと思う。
ttp://type99.net/2010/03/kodokunikki.html
20代後半の童貞無職の書き手が、血反吐をはくように己の日常を綴る、ある意味初期の「最強伝説 黒沢」のような日記サイトだった。
閉鎖と移転(と改題)を繰り返し、『孤独日記リローデッド again』までは追っていたが、更新チェックにRSSリーダーを使うようになった頃に見失ってしまった。
久しぶりに、はてなアンテナのメンテナンスでもしようと思って探してみたら、復活しているのを発見した。
孤独日記から始まった俺の日記は、孤独日記リベンジやら孤独日記リローデッドなどと意味不明に様々なタイトルに変遷して、今、ここに、孤独日記レジスタンスとして復活することを宣言する!
かつての俺は、大学を中退し、ニートや引きこもりや派遣やバイトを繰り返し、20代後半で、正社員歴なし、童貞、友人ゼロ。絶望のどん底にあった。ある日一転、バイトから大企業の正社員に登用され、俺のこれまでの人生は180度大きく変わった。結婚もした。子供もできた。娘は1歳になった。両親以外に、俺だけの「家族」というものを持つようになった。ここは、そんな俺の、他人にとってはどうでもいい人生(?)を公開するウェブサイトである。
おお~…。
…なんというか、時の流れを感じる。
借金があって虫歯の治療にも行かれず、バイトを辞めたり、頭皮旅行で婆ちゃんちに車で会いに行ったり、つらくて涙したりしていた頃を思い返してみると、感慨深い。赤の他人なのに。
俺ミソジニーじゃないけど、というかバトラーをフェミとするなら俺はフェミを名乗っていい。
法制度だけ作りました、後は知るかー民事不介入ー。
じゃダメっしょ。そもそも、「家庭」というのは法の介入以前よりあったイデオロギー。
法のイデオロギーより遥かに歴史性に勝るし、強制力の面でもある面では大きい。
それに対して、何かを変える制度を作るのに
法整備だけ変えました(自由を担保しました)では、明らかに不備ちゃうん?
もちろん、それ以降まで全部踏まえて「法の不備」ってんなら話は別だけど。
リベラリストっていうのは非常にいいんだけど。
均質化したリベラリストというか、個は個として自由であるべきだみたいな
リバタリアン的鉄則に引きずられて、現状を見ないまま
「自由を担保する法だけでいい」って考え方にすると
入れ物変えても中身変わんないし、そんなんほとんど無意味だよ。
インドのカースト廃止みたいなもんです。法以上に強いイデオロギーっつーのはある。
法は自由を抑制することに関しちゃかなりのモンだけど、自由の幅を広げる作用は結構持ちにくい。
少なくとも、それ以前にあったより強固な「家族」や「親族」みたいなイデオロギーにはまず太刀打ちできない。
まぁ、夫婦別姓論者はあくまで制度上の、「見かけを大事にする」「ファッション」なリベラリストなのかなー
ってことはよくわかったけど。やっぱアホじゃねーの。
個人的にはツリー的にしかつながらない社会、パーフェクト・フラットな社会ってのも
構築するだけなら可能じゃね?って気がする。(維持出来るとは言わない)
そして、フェミの皆さんが目指してる社会ってどう考えてもこっちじゃね?とスゲー思う。
「社会とのつながり」っていうのは色々あって、我々が「社会から断絶された」と感じるときっていうのはまず
「職がねえ」とか「どこにも所属してねえ」「意見がどこにも言えねえ」「選挙権がねえ」みたいな、公的な集団からの断絶が最初にあり、
次に「友人がいねえ」とか「もう半年も誰とも喋ってねえ」みたいな、私的集団からの断絶が起こり、
最後に「金がねえ、メシもねえ」みたいな社会システムからの断絶が起こる。
この三段階(実際にはもっと細かく分ける必要があるかもしれないけど)を
全部同一としては語れない。
家庭っていうのは、半私的、半公的なイデオロギーで、
とりあえず家庭に所属しているという事実が、「断絶」から人を多少なりとも掬い上げる効果があるし、
それ以上の断絶からのセーフティネットとして機能してると思う。
とりあえず、家庭にあれば相互扶助として生活を支えてもらうことも出来るし、
社会との関わりをそこから再構築していくことも、独りでいるよりはずっと容易になる。
個人と社会を繋ぐには色んな方法があるけれど、「家庭」というイデオロギーは
その様々な段階において、「つながる」ことを補助する作用があるだろう、って言いたいわけ。
そしてもう一つ言いたいのは、フェミの皆さんが目指してる社会ってスッゲーキモい全体主義社会だよね!
ってこと。
まー、なんにせよ「家族」制度はそれが単なるイデオロギーに過ぎないとしても、
制度上として相当有益ですよ。「改善」するならともかく、「解体」する必要はねえだろーよ。
つか、今だかつて「家族」が消失した後人と社会の間に立つ緩衝材を提示するフェミを見たことねーよ。
アホじゃねーのかあいつら。壊すだけなら誰でも出来る、問題はマルクスの失敗やヒトラーのアレを見た後に
人と社会のあり方をいかに構築し、ベターな方向へ持ってくかだろうと。
壊したってしゃあねんだよな、んなこたー数十年前に随分やってみたんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20100309164305
フェミさんの基本は既存イデオロギーの破壊で、「家制度」や「家族」といった
既存の抑圧(と彼女たちは受け止める)的制度を破壊するってのは
フェミの皆さんの根本理念のはずだけど。これ知らんって、フェミ云々の議論に参加する資格ないよ。
俺はジュディス・バトラーしか思いつかねーわ。日本に現代的フェミニストって
一人でもいるんだろうか。あいつら脳みそがマルクスで立ち腐ってるだろ。
今回の夫婦別姓についてもその程度にしか思えない。既存制度の「破壊」だけじゃダメなのに。
別姓アリにしたところで、家制度が解体されるわけねーじゃん。やりたきゃやりゃいいと思うけど
ほとんど意味ないっしょ。色々めんどくさくなる以上の何も起きないと思うよ。