はてなキーワード: 末っ子とは
http://anond.hatelabo.jp/20111230232131
確たる才能もないつまらない人間であるぁたしゎ結婚相手への最低限の条件としてぇ~
・首都圏に4LDKの自宅マンション、子供には小学生から中学生にかけて1~2年置きに海外旅行に連れて行く
・子供には中高一貫の私立中学に行かせ、比較的金のかかる私大に行かせ、塾とピアノとスイミングの習い事もさせる
・妻は専業主婦で、手芸や料理などの習い事の教室によく通い、ジムにも
・お金のかかるアウトドア系の趣味にお金を使っても生活に支障なし
・年収1000万以上稼ぐ
で、まとまったかな?
私の場合、自分のことは自分で稼がないと、と思ってた(多分そう育てられた)ので、相手に何でもクレクレはありえなかった。結婚で退社とかありえない。定年まで働くし、もし給与が足りないならバイトもする気でいる。生きていくため、自分の理想?の生活のためならやれることはやる。
「働かざるもの食うべからず」とまでは言わないけれど、両親とも働いていたし、祖父母もかなり高齢にもかかわらず、ずっと働いていた。社会とのつながりを絶ちたくないというよりは、祖父母こそが「働かざるもの食うべからず」的な発想だったようだ。
祖母はかなりいいところのお嬢様だったが、家族の中では末っ子で乳母に育てられた。が、親だか兄弟が金遣いが荒く、家が凋落し、幼少期に親戚の間をたらいまわしにされたらしい。そこで彼女は生きるためには手に職をと考えたようで、高齢になっても年をごまかしてまでパートに出ていた(ぉ
祖父はある土地の大地主であったが、家を継がず、考えがあって大学に行き、公務員になってた。
祖父母の家は祖父の実家よりも劣悪な家庭だったと思うが、親を見るとそれに対してどうこうというのはない。祖父も自分で決めた人生に対しては特に親がこうだったからという考えは持っていなかった。
親からの庇護をアテにして生きてきた子供は、ずっと誰かの庇護をアテに生きていくしかないんだろう。そういった教育を受けてしまったのだから。↓これにはぞっとした。
社会に出たら(20代になったら)多様な生き方は周囲にあるし、選択肢も見えてくるはずなんだけどなあ・・・
親も含め、私に対して、非人道的とも言える行いや、人権意識を欠いた行いをした人たちというのは
みんな いいひと wwwwwwwww
「○○ちゃんの状態が、進んだかもしれない」
と言った友人だった人(註あり)は、教育学部の選択授業に来ていたW大学で言うと理工の学生に社会学を一般教養として教えてるだけのくせに、心理学と銘打った本を多数出版して、世の中を惑わす情報を含んだ情報を流布させるのに貢献している教授のような教育心理の教授が
と豪語するのも聞き流しているくらいに、いいひとだったwww
自閉症は精神分裂症(当時の言い方)の一つで機能的なものだから、治らないんじゃないの?
と私が言うと
○○ちゃんも、勉強しとるみたいやねぇ。
と言われた。
が、前から知っていた。
それで、こうも言った。
とか
その先生は、自分の家族にその療法かカウンセリングをして、それまで結婚できなかったのができるようになった
とか
むつかしーい理論がある
とか
自閉症をカウンセリングで治したと聞いて、先生すごーい♪というのも難しいだろうw
そんなすごい理論がなぜ学会に発表され論文が評価されてないのか、不思議だ
それは、もし言うとしたら、自閉症と診断されていた子供を、カウンセリングや親子関係の改善で治した
と言うべきではないだろうか?
もし本当にカウンセリングで治ったとしたら、診断が間違ってた可能性が高いと思うが、これだけでは何とも言えない。
でも、その言い方がおかしいと言うのはわかる。
治るというのが、どのような状態からどのような状態になったことを言っているのかもわからないし、何ともわからない話。
母が末っ子だったせいで、私が小学生の頃に従姉妹たちは結婚式を済ませたが、従姉妹の結婚相手もここの大学の教育学部で、教授と意見が合わず、自分の主張を曲げなかったので、卒論が通らず(詳しい言い方は何というかわからない)中々卒業できず、プラス4年行って最後の2年は親が授業料払わなかったという話を、うちの親がしたり顔でしていた事があった。
(余談だが、親と言う立場の人の負担が軽くなる事なら何でも喜んで話す 他には育ててもらったというのをあり難がる話とか すごいのだと芸能事務所の独立について、育ててもらったので独立はしないとあるタレントさんの親がインタビューで答えていたのを、わざわざ”育ててもらった”ので独立せんのてぇ と言ってきた事もあった。余談終わり。)
こんな教授が居るのだから、意見が合わないのも無理は無いと思った。
この教授の事は、保健所の保健婦(当時の言い方)も知っていた。
この間、職人さんの家に入ってもらいました
と言っていた。
うちの家には今4件抱えてる、やるんやったら親の方から頼みに来て、と敬語で断られた。
元友人は、評判のいいひと
元友人によると、その教授もいーいひと らしい(いーいと伸ばして言われた)
http://d.hatena.ne.jp/oooquree/20111022/1319275014
註 小学校からの友人 小学校の時のではない。 向こうから心配してるなど言ってきたことも。教育心理の先生の話は出したくせに紹介するつもりも最初はなかったようだった。 その教授の住所、電話番号を教えたものの、先生も忙しいからさぁとか言ったりもしていた。 本人から教授に家族カウンセリングを友人の家庭でやって欲しいと頼んだりしていない。 だから、もあると思う。(入ってくれなかったのは)
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で △
貯金は500万円以上あって ×
自家用車持ってて ×
次男か三男で ×
自分として欲しい条件。
25歳喪女だから分からないだけなのかもしれないけど、世の中の女性は一体どんなハイスペックを求めているんだろうというのが正直な感想
>MARCH以上の大学出身で、 私も駅弁だしあんまり頭良くても話しが合わなそう
>東証一部上場企業の正社員で 安定して働けてるなら正社員ってだけで十分な気がする
>年収が600万円以上で 年収600万がどれほどの物なのか良く分からない。私は350万くらいしかないけど今のところ生活できてる。
>身長175cm以上で 自分(165cm)より低くなかったらそれで良い
>オタク趣味を持って無くて パンチラフィギュアとかコスプレ強要は勘弁して欲しいけど萌えアニメみて俺の嫁!とか言うのは平気
>年齢は35歳未満で 10歳も離れてると話あわなそうだけど自分が30歳なら気にしないと思う
>貯金は500万円以上あって 別にその貯金が私のお金になるわけじゃないと思うんだけどどういうことだろう。私は100万位しかないし。
>自家用車持ってて 都会暮らしなら維持費とか駐車場代考えたらむしろいらないと思う。田舎なら必須だけど。
>次男か三男で 逆に末っ子って親に溺愛されてそうで嫌だなーとは思うけど長男だから云々ってイマドキ重要か?
おかしい。
メンヘルばかりがよってくる。
普通の人だと思ってたんだがなー。
リスカ、アムカ、ボーダー、過食嘔吐、自己愛、躁鬱、パニック、糖質等々
俺はSAD(人見知りの激しいやつ)で少し薬を飲んでいた事はあるが、それ以外はいたってまともなんだけどなぁ。
共依存の気質があると言われたが、これは長男に生まれて妹たちの世話をしていたのが原因なのだが。
「(自分たちのような)末っ子は、甘えさせてくれる人を本能で見抜ける」
といわれた事がある(そして実際よく甘えられてる)が、同じようにメンヘルに本能で何かしら見抜かれているんだろうか。
昔婚活パーティーで粘着された糖失も「見た瞬間から決めてた」とわけのわからんことを言われたし。
お嫁さん欲しい。
私の両親は大学卒業後すぐに結婚し、一年後に私、その次の年に弟が生まれているので、
かなり若い親と言えると思う。
おばあちゃんに育てられた子は、授業参観に来た私の若い母親を見て羨ましがっていたし、
末っ子なせいでお父さんに中年太りや頭髪の後退がみられる子は、
運動会の帰りに車を運転した私の父親を見て若くてかっこいいねと羨んでいた。
小学校高学年から中学生にかけて、娘がお父さんを毛嫌いするようになるというけれど、
私は一切そういう時期がなかったし、若いお父さんが居る友達もそういったことはなかった。
私の父親は公務員で地味だけど若いだけあってスタイルが良く清潔感があったし、
その友達のお父さんは若い上にアパレル関係の仕事をしていたのでオシャレですごく格好良かった。
お父さんキモイ!クサイ!ウザイ!みたいになっている子のお父さんは、
同級生の親の中ではかなり年がいっていたり、中年太りしていたり、はげていたり、
お酒を飲んでごろごろしているなど生活が怠惰だったり、それは嫌がられるよなと思う人ばかりだった。
高齢で子供を作ると、娘が一番潔癖になる時期(高学年~中学生)で中年期を過ごすことになる。
中年期って一番太りやすいし加齢臭も気になりだすとき。やっぱり子供は早めに作ったほうがいいと思う。
あとこの増田
http://anond.hatelabo.jp/20110619210549
ほどの高齢親になると、子供がバリバリ働きたい時期に親が全介護になるおそれも出てくる。
親の介護のために二人きりの新婚ラブラブ期をまったく過ごせないとなればやっぱり敬遠されて、
婚期を完全に逃してしまう可能性もあると思う。
学校行事の帰りに叔父が車を出し、友達を家に送り届けてやったらしいが、
翌日学校で「お父さん若くてかっこいいね」とくちぐちに羨ましがられたらしい。
叔父はたしか35くらいだったと思う。10歳の娘がいる父親としては若い方か。
聞けば友達の父親は40代が多いのだという。
晩婚化があらわれてるな。
末っ子なんかだと父親が45くらいで、すでに中年太りまで始まっていて最悪なんだと。
35で子供つくったとして、45で娘10歳、娘が20歳のときには55か。
45で子供つくると、55で娘10歳、娘が20歳のときには65。高齢者じゃねーか。
女子大生、キャンパスライフ、青春真っ盛りみたいな時期に、親の介護なんて意識させたくないもんだよね。
25で子供つくると、娘が20歳のときに45歳。安心の働き盛りだ。
自分は第一子。6歳離れた弟が一人いる。これまで初見の人に第一子と当てられることが多かった。理由を問うと「我慢強い」とか「面倒見が良い」とか「気を遣うから」とか言われることがほとんどで,自分が抱いていた第一子に対する印象とも一致していた。
が,先日知人に新しい指摘を受けた。「第一子は大人(というか年長者)を利用するのがうまい」とのこと。
その人曰く,「第一子は大人と接する時間が長いし,それに初めての子だから大人の愛情を(良くも悪くも)一身に受けて,関係度も濃密。大人の事をよく知る機会に恵まれて,ゆえに大人に甘えたり頼み事をしたりするのが上手になる」とのこと。
その人は末っ子。末っ子の方が大人の愛情を一身に受けて,甘えやすいのではないのか,と聞くと,「末っ子は特に求めなくても愛情がもらえる。第一子は求めれば自分が欲しい分だけ,きっかり丁度の愛情がもらえる」との返事。
「でも,大人は子供に頼ってもらうのは嬉しがる事が多いから,大人を上手にコントロールする第一子のスキルは大切だと思う」とも言われた。能動の愛情と受動の愛情,ってことですかね。目から鱗の指摘でした。
あと,兄弟の中で年長の者は両親が元気なうちに家を出ていけるが,年少者は老いてゆく両親との付き合いが長くなり苦労する,とも指摘された。その通りだと思う。今は自分も弟も家を出てしまって滅多に会う機会はないが,今度弟に会ったら姉貴の事をどう思っていたか聞いてみようと思う。
受験シーズンだなーとか思い出したから少し自分の大学受験のときのことを。
正直早稲田は確実に落ちると思ってて、マーチ辺りに入れたら御の字だと思ってたら合格した。
入院してたおじいちゃんに大学に合格したことを伝えたら、涙を流してくれた。
11月に脳梗塞?で倒れて、体の半分が動かなくなって声も出なくなってしまった。
声にならない声で、顔の前で4を表した手を出しながら「4年制か」と言っていた。
というのもうちのおじいちゃんは小卒。
おじいちゃんは5人兄弟の下から2番目で、小学校を卒業したら働きに出た。
小卒で働きに出るといっても、住み込みで住んでた部屋はとても汚くて、畳の上で寝たら痒くてたまらなくなるそんな部屋だった。
ちなみに軍隊ではお偉いさんのカバン持ちみたいなとこで体より頭を使っていたとか。
小卒だったけど頭は切れたおじいちゃんだった。
それから商売を始めた。
今でもこの商売を続けていて、うちの家族は生活している。
でも色んな人と話してる中で学歴を気にするようになった。
「小卒ということで悔しい思いをしたことはいっぱいあったと思う」と母親がいつだか話してくれた。
そんな悔しい経験があったからか、教育にはお金をかけてくれた。
自分の子どもは四年制大学には入れなかったけど、孫の俺らにも同じようにかけてくれた。
塾とか習い事とかは頼めば行かせてくれた。
(自営業から引退してなかったからうちの家計はある意味おじいちゃんに握られていたのね。)
そんで俺の話になるんだけど、俺は4人兄弟の末っ子ってこともあり一番可愛がってもらった。
高校受験で地域のトップ校に入れたことを言ったらおじいちゃんはちょっと誇らしそうだった姿は印象に残ってる。
そして大学受験。
そんな経緯があっての、おじいちゃんの涙。
おじいちゃんは俺が大学に入ってほどなくして息を引き取った。
勉強したくてもできなかったこと、それで悔しい思いをしていたこと。
勉強することで人を喜ばすことも出来るんだと思った。
兄弟4人、奨学金をもらうことなく4年制の大学を卒業出来そうなのはおじいちゃんのおかげです。
俺も子供に対して、したいと思ったことをさせてあげられるようになりたいと素直に思った。
駄文でスマソ
おれの親父は高校を出てから20年東京にいた。これは11歳のときに聞いた話だけどバツイチらしい。九州に転勤するにあたってオカンとお見合い結婚。地元郊外に家を建てた。ただ、同じ九州といっても通勤できる距離ではなく、ほぼ単身赴任のような状況で、親父は週末しか家にいなかった。そんな状況で二つ年上の姉が生まれ、おれが生まれ、三つ年下の妹が生まれた。
家にはオカンと子供3人。何があったのかは知らないけど、オカンは何度も子育てが嫌になって、精神的におかしい時期があったらしい。そんな状況でもオカンは3人を育ててくれた。その点、オカンには本当に感謝してる。んで、親父はたまに家に帰ってくると、主に姉をかまって、オカンはといえば、末っ子の妹の面倒につきっきりだった。おれの遊び相手は、4歳のときに親父が家に持ち帰ってきたパソコンだった。
おれは、パソコンのことだけ考えながら小学校に進んだ。小6のときに胸倉掴まれて、「そんなんだから友達もできないんだよ!!」と親父に言われたけど、おれ自身は友達がいると自分で思ってた。パソコンじゃなく生身の人間の友達がいると。今思えば、あんなのは友達じゃなくて、本当の友達はパソコンだったんだろうな。認めたくない事実だけど。
県立高校の附属中学に入った。無勉で試験に合格した。最初の実力テストも上位2割に入れた。でもおれにはやる気なんて1ミリもなく、家に帰ったらネット上のコミュニティに入り浸ってた。
違和感は小学校高学年の頃からすでにあった。学校生活でうまくいかない。でもおれは勉強はできるし、これからの時代に必要なパソコンも人並み以上に触れる。だから大丈夫だ。中学に入れば、おれを本当にわかってくれるやつがたくさんいるはずだ。と思っていた。しかし現実は違った。周りが敵にしか見えなかった。なんで初対面のやつらに笑われなきゃいけないんだ。そう思っておれは入学二日目に、地元の中学に転校しますと言って学校を休んだ。親父が単身赴任先から飛んできた。「なんで転校するんだ」「学校いけばなんとかなる」伯母さんにも説教された。「アンタねえもうちょっと子供らしくしたらどうなの」
まあ、それから、けっこう回り道をしたと思う。なんだかんだで転校はしなかったけど、休む癖がついて、パソコンを夜遅くまで触って学校に行ったり行かなかったりを繰り返した。中2の学園祭で映像制作をしたのがきっかけで、周りの見る目も変わってきた。しかし違和感が残る。
中3になった。相変わらずパソコンが拠り所な、おれ。卒業記念のDVDをおれが作ることになっていたから、おれはそれしかすることがないって思ってた。んで、夜パソコンして、朝寝て、昼から学校。みたいなライフスタイルが学校で許容されてきたような気がしてた。でもなんか、かわいそうなものを見る目というか、なんというか。
だんだん、それについて思うようになった。生きた心地がしなかった。蓋をあけてみると、おれはチビなのにおっさんくさいし、パソコンばっかりやってて、勉強もろくにできないクソ野郎。そして気づいてしまった。自分が今までやってきたことは、しょうもないことだったと。自分は今までパソコンに支配されてきたと。そう思ったのが正月だった。
規則正しい生活をしよう。高校から運動系の部活をしようと思う。勉強もやろう。生身の友達をたくさんつくろう。人に評価される人間になろう。高校から第二の人生のスタートだ。今までおれを馬鹿にしてきたやつらを見返してやる。志望は東大文一。弁護士にでもなろうか。
そう思いつつ、今日も昼に起きた。学校行きたくないけど、卒業DVD作らなきゃいけないから、放課後に登校。女子にdisられた。そりゃそうだけどさ。どうせみんな、夜遅くまでネトゲやってたと思ってんだろうな。昨日、24時に寝たのに。どうしたら朝学校に起きられるんだろう。やっぱりまだパソコンに頼りっきりなのかな。パソコンとかを一切絶って、学校生活に全力を注ごうか。
おれはこの中学3年間を通して教育の必要性を痛感した。おれが子供をつくったら人間らしく育ててやりたいと思う。
まあ自分語りはここらへんにしとこう。
http://anond.hatelabo.jp/20101017084726
の続き。
泣いてるっちゅうか、よっぽど俺、怖い顔してんのかな、ガクブルしてる弟を見ながら、タバコをもう何本か吸いきった。
何かしゃべったら、うっかりひどいことを言ってしまいそうだったから。
ああ、そういえばそんなことがあったなあ、てそんな時に昔のことを思い出してしまうもんだ。中学生だった俺と、姉を前にして、両親が対面に坐っていて、お袋が「実はお母さん、子供が出来ました」と言った時、ついうっかり、「誰の子?」って言ってしまって、お袋は「お父さんの子に決まってるでしょ!」と激怒したなあ。
あの時、お袋の腹の中にいた子がねえ。大きくなったというかなんというか。
家族みんなでつい甘やかしてしまったよ。俺なんか子供の時はゲームソフトとか買って貰えるのって誕生日とクリスマス、しかも12月23日生まれなんでしょっちゅうイエス様と合同誕生日にされてしまって、泣いた夜さえ、笑い話になるものさ、サチコ。
ゆうくん(弟、仮名)何か欲しいものない?お父さんが、お母さんが、お姉ちゃんが、兄ちゃんが買ってあげるよ、ってのはまだしも当たり前だとしても、叔父叔母の類までがさ、自分とこの子は憎らしい反抗期の最中、弟は可愛い盛りだったもんで、何か買ってあげずにはいられなかったんで、弟は我が家一の物持ちだったよ。
そのわりには優しく素直に育ってくれて、人が嫌がることは絶対にしない。俺はするけどね。
あれは弟が5歳くらいだったかなあ、トランプを組み合わせてタワーを作る遊びね、あれを教えてやったら一日中もくもくとやってんの。で、「兄ちゃんできたよー」ってニコニコしながら俺をひっぱってってタワーを見せてくれたんだけど、俺がフーッって息を吹きかけたらはらはらと倒れちゃって、弟、号泣ですよ。あはは、可愛かったなあ。
「兄ちゃんのばかー、だいきらいー」
って(当然言うわな)、言ったそばから、「ゆうに嫌われた・・・」って落ち込んだ俺を見て心配そうな顔になって、「だって兄ちゃんいじわるするもん」って正当性を主張するも、「兄ちゃん、ゆうのこと大好きなのに。世界で一番好きなのに。ゆうは兄ちゃんのこと嫌いなんだ・・・」って俺が言ったら「僕も兄ちゃんしゅき」って態度をひるがえして、ふたりでダハーッと笑いあったあの日。
嫌いになんてなれないよ。
ただ、いろいろと。なんとかならんもんかと。
なんとかなるくらいなら、親兄弟を困惑させたり苦しめるような真似を弟がわざわざするはずがない。
もちろん、こういう問題で、困惑する方が偏見もちだってのは分かってるけど、さて、身内のことになったら、こうも困ってしまうものなのか。
そして思い出した。
何年か前、俺一人で実家に行った時、居間でこたつに入って、母と俺と弟とで、テレビを見てたのね。おすぎとピーコが出ていて、面白いことを言って、俺たちもひとしきり笑った後、お袋が言ったんだ。
「でも、この人たちの親御さんもお気の毒よね。息子さんがふたりともこんな風だなんて。お母さんだったら耐えらないわ」
別におすぎとピーコのファンじゃないけど、たまたま「ピーコ伝」を読んだばかりだったこともあって、カチンときたんだよ、その言い方に。
「それって、すごい失礼な言い方だよね、おすぎとピーコにもそのお母さんにも。おすぎとピーコ、すっごい親孝行だよ。こないだ本にそう書いてあったし」
お袋はまたこいつは、みたいな目で俺を見て、
「もう、あんたはいつも説教ばっかり。あんたに言ってないんだからいいじゃない。ゆうに言ってんの。あんた、さっさと帰りなさいよ。晩御飯、用意してあげないからね」
弟はいつものように心配そうな顔をしてたけど、あれをどんな気持ちで聞いていたのかな。
お袋、おすぎとピーコのお母さんの半分の気持ちはもうすぐ味わうことになりそうだよ。
「そう簡単にはいかないぞ」
と俺は弟に言った。
「年寄りはなかなか自分の価値観を変えないし、変える時は相当な苦痛だと思う。それでも、打ち明ける気なんだな?」
弟はうなづいた。
「もう、浩介(弟の彼氏、仮名)に嘘をつかせたくないし、それに、近いうちに俺、家を出て、浩介と暮らしたい」
えっ? それはどうかなあ。末っ子の弟が出て行って、老夫婦ふたりきり、むちゃくちゃさみしいでしょ。さみしさが浩介(もう面倒くさいんで呼び捨て)への敵意に変わってしまいそうだなあ。
「まあ、それはちょっと待て。ひとつひとつ考えてみよう。な。親父はなんとかなるかもしれん。つかなんとかなるだろう。ただお袋はな、そう簡単にはいそうですかとはいかないと思うよ」
「兄ちゃんはどうなの?」
「どうって・・・」
「俺のこと、嫌いになった?」
馬鹿だなあって思う。こんなことで嫌いになるなら最初から兄ちゃんやってないよ。でも、不安にさせたのは俺だな。
何十年かぶりに、弟をぎゅっと抱きかかえた。でも、でもな。
いろんなこと考えてしまうんだよ。俺の奥さんはなんていうかとか。俺の奥さんが(わりあい保守的な人だ)、おまえのことを蔑む感情を持ってしまったら、俺はどうしたらいいんだ?
姉ちゃんはなんていうだろう。甥っ子、姪っ子は受け入れられるだろうか。
甥っ子、姪っ子の将来の触りにおまえがなってしまうんじゃないだろうか。
そんなことを、こうしておまえをぎゅっと抱きしめていても、俺は考えてしまうんだよ。
釣り無し、マジ話です。
こないだ、俺の恋人に会ってくれって、弟から電話があって、それじゃあ、お会いしましょうかって、休日に連れ立って家に来ることになったんですよ。
母、父と同年齢、専業主婦。
姉、バツイチ。息子と娘を抱えてシングルマザーとして奮闘中(実家近くのマンション在住)。
俺、既婚者、子無し、電力会社勤務。実家の近くのマンション在住。
こう書くとごくふつうの家族みたいだが、俺と弟は年齢は12歳離れている。そこはちょっと珍しいかも(ちなみに同じ両親から生まれた100%の兄弟姉妹です)。
弟からそういう連絡があったとき、ちょっと嫌な予感はしていた。だって、彼女を紹介するなら、普通、まず実家に連れて行くじゃん。別世帯の兄に最初に会わせようとはしないでしょ。
「できればまずは兄ちゃんひとりで会って欲しい」
ということだったんで、平日にそれぞれ有給をとって、うちの奥さんがいない時にうちで会うことになった。
うちの両親は平凡な地方人で、それはつまり悪意ないまま偏見まるだしな部分があるってこと。
俺はわりあい、戦うリベラルだから、親のそういう部分にも意見してきたのね。
弟は可愛がられるばかりの末っ子で、よく考えれば反抗期もなかったような大人しい子で、親であれ誰であれ、歯向かうとか、全否定するとか、そういうことは一切しない。俺と親父やお袋が喧嘩するのをいつもはらはらした顔で心配そうに見ているだけ。
でもまあ、そういうわけで、俺はきっちりかっちり主張するタイプの人間だから、俺を介して、弟は親に何か言って欲しいことがあるんだろうなあって思っていた。たとえば彼女が外国人とか。親が反対するような事情を何か持っているとか。
そうしたらさ、連れてきた子が男だった。想定外。
弟の高校のときからの親友で、ずっとそういうことだったらしい。
「俺たち結婚は出来ないけど、付き合っていることを家族に認めて欲しいんだ」
もう俺は頭の中がぐるぐるよ。何を言ったらいいのか。その子は以前、俺も実家で会ったことがあって、ちょっと事情がある家庭で育っていて、高校生のときから安アパートに一人暮らしをしていた。うちのお袋とかさ、母性本能刺激されまくりでさ、飯もさんざん食わせたし、いろいろと世話も焼いた。
そのお返しがこれか?
表情がね、みるみるこわばっていくのが自分でもわかるの。弟はさ、家族の中で一番俺が話せるって見込んでうちあけてくれたわけだけど、どう考えても茨の道だよ。高齢の両親がね、これを聞いたら卒倒するってこともね、どうしたらいいんだよこれ、って感じ。
よくよく考えたらさ、うちの弟は超がつくくらいイケメンで(俺とは大違い)、むちゃくちゃもててきたんだけど、浮いた話がこれまでまったく無かったのね。俺もさ、中高生の頃、付き合っていた彼女をいちいち親に紹介したりはしなかったから、俺の目に付かないだけで、それなりによろしくやってんだろうくらいに思ってたんだよ、これまでは。
ああ、ってそれで分かったんだ。たぶん最初に好きになったのは弟の方。でも、やっぱり弟は責められないんだよね。身内の勝手でさ、怒りは相手の男に向けられてしまう。
うちの弟をこんなことにしてくれて、いったいてめーどうしてくれんだよ、って気分。
リビングで吸うのを奥さんに禁じられてんだけどさ、タバコを一服して、やっと搾り出した言葉は、
「ごめん、弟と話し合いたいから、君、帰ってくれない?」
だった。
弟はもう泣いちゃってたけど、恋人くんは分かりましたと言って、立ち上がった。
「でも、俺、絶対こいつのこと諦めませんから」
知り合いの知り合いの知り合いの(中略)の話であってあくまで僕の職場の話ではないのだが、とある職場に非常に有能な50歳くらいの女性社員がいたとしよう。いたとしたんだよ。その女性社員は、人とのコミュニケーションスキルが非常に高く、物事の理解も早く、またここぞというときに絶対に折れないだけの強さを持つ。しかし雰囲気としては女性的で、いってみれば職場のお母さん的存在といっていい。というより昔扇子持ってお立ち台で踊ってた雰囲気がやたら濃厚にするんだけど、あれ隠せてない。まあ知り合いの知り合いの遠い知り合いの職場の話だが。
そんな彼女の娘さんが、学生アルバイトのいない時期だけ臨時で職場に入ってくることになった。「あの人」の娘さんということで、職場の面々は興味津々で待った。女性社員いわく「鍛えてあるつもりなんだけどね。おっとりしてるところもあるから、がんがんこき使ってやってよ」とのことだ。娘さんは大学生。ふだんは遠い場所で寮暮らしをしている。
そして当日。確かに口数がそんな多いほうではないけれど、娘さんはよく働いた。これが臨時の戦力だなんてもったいないくらいだ。
しかし娘さんの真価があらわれたのは、別のときだった。その職場に、外人さんが来た。英語しか話せない人のようだ。なにか質問しようとしているのだが、だれも言葉を理解できない。そこに通りがかった娘さんは、その状況に気づくと、なにごともなかったかのようにネイティブ顔負けの発音で応対しはじめた。職場はパニックだ。「たいへんだ! 英語だ!」「日本語じゃない言葉しゃべってる!」「なんかrが来てる!」落ち着け純日本人ども。「時給500円アップ!!!」俺も落ち着け。まあ知り合いの知り合いの親戚の幼なじみの話だが。
「あ、そういえば妹さん二人いたよね。妹さんたちも?」
「ええ、みんな」
すげえ。英語三姉妹だ(まだ落ち着いてない)。長女がおっとりだった場合、末っ子はわがままだったりするのか。最近あんまり三姉妹設定の作品を見ない気がする。
姉妹3人揃って英語ぺらぺら。そういえば下の娘さんは、なんかこう、この地域ではまず行く人のいない進学校に入ったと聞く。
別の機会を探して主任は聞いてみた。
「職場だけでお母さん見てると、家でのあの人って想像がつかないんだけど、どんな感じ?」
「いつでもあんな感じですよ。あ、でも怒ると怖いかな」
「なんとなくわかる気がする……。どんなお説教すんの? 俺はいつもしっかりしなさいよ!って叱られてるんだけど」
「お母さん……店でもやってるんですか……」
「やってるやってる」
「負けるの嫌いなんですよね。負けるな、逃げるな、って。それはよく言ってます」
ああ。
娘さんの隙がない化粧。おっとりはしていても、わからない仕事があると食らいついてくる負けず嫌いの感じ。物怖じしない雰囲気。姉妹すべてに短期とはいえ留学の経験があること。英語が日常会話レベルでまったく問題なく話せること。そしてこの教育方針。「教育はねえ、お金かかるから」という母の言葉。
勝てる人間を作ろうとしているのだと思った。娘さんの母親は、おそらく50年の人生のなかで、ずっと勝ち続けるべく努力をしてきた人で、その戦いのなかで「効率のよい」戦いかたを知ったのだろう。
実は、個性的で強い自我を持つ母親のもとで育った娘ならば、もうちょっと抑圧された雰囲気なんじゃないかな、と事前に主任は思っていたらしい。しかし抑圧されて人のいうことに従うようでは「勝てる」人間にはならない。そこまで含めて女性社員は娘たちを育てたのだろう。独立していけるように。社会のなかで生きていけるように。
まったく、正しい。非の打ちどころが見当たらない。
しかし主任は思ったらしい。それでいいんだろうか。
主任の人は非常に育ちが悪く、人格もなんか変なふうに歪んでいて、歪んだ状態からどうやったら生き残れるかを考えてきたような人で、その結果としての現在には特に不満がない。しかしどこかでは恨みのようなものを持っている。その恨みが、主任の視点を歪めるのだ。まっすぐに育ってきて、負けたら戦ってでも勝ちに行き、努力を続け、明るい場所で笑っているような存在に対して。
なにが幸福かなんて、まったくもってどうしようもないほど主観的なもので、巨万の富のなかで懊悩に苦しんでいる人もいれば、明日をもわからぬ境遇のまんなかで爆笑しているような人だってきっといる。娘さんは、おそらく初期条件において恵まれているだろうが、そのことが彼女の未来を永遠に保証するものでもない。現在はそれなりに幸福である主任が、彼女に対して複雑な感情を持つ理由などまったくないはずだ。
その主任とこのあいだ酒を飲んだ。
「わかっちゃいるんだけどね。初期条件の違いってのはでけえなあ、ってな」
「まあ、そうかもね」
「まともな学歴なんか持ってなくても、まちがいなく仕事できるヤツってのはいるわけよ。だけど、どこかに限界がある。その限界ってのは、数字に暗かったりとか、それこそ英語しゃべれねえとか、立ち居振る舞いとかさ、まあいろいろなんだけども、親がどれだけしっかりしてるかによって、子供の限界が決まるってのは、あるんだろうなあ……ってな……」
「例外だってあるだろ。たくさん」
「そりゃあるさ。だが、例外が全体を保証するわけでもあるまいよ。スタート地点が違うってのは、でけえんだよ」
「おまえ、それグチか?」
「ああ……そうだ。グチだグチ。わかってんだけど……ままならねえなあ、こういうのは」
主任がそうした感情を表に出すような人間でないことは、大急ぎでつけくわえておく。
幸福とはなんであるか、という問いに対して一律の答えが出せないことと同じように、このエピソードに結論はない。知り合いの知り合いの妹の幼なじみのお兄ちゃんの話だ。僕の話ではない。
もっとも、たぶん僕の話でもあるのだろう。
ヘット・ドルプの何人かの住人と,性について本音で語り合った彼は,セックスの時には「健常な体をしている自分」を無意識に想像しているという自己欺瞞に気づく.その晩,彼は,自室に戻り,上体ばかりが発達し下肢が未発達の「サルのような自分」の裸身を鏡に写し,その姿を見つめながら自慰をする.その時彼ははじめて本当の性の喜びを感じ,それこそが,本当の自分だと実感するのである.
私の幼なじみの間ではそれほど特別なことではありませんでしたが,ゾラ家にとっては,ハーバードの大学院まで進んだ私は大したものでした.私の父は10人兄弟の末っ子でしたが,親戚の中で大学に進学した者は私のほかに2人しかいませんでした.ウェストエンドの調査に私が参加したことは,そんなゾラ家にちょっとした波風をたてることになりました.母は,長年そこから抜け出したいと切望していた下流階級の暮らしに息子が「潜伏」するという研究には困惑していたようです.一方,父は大喜びでした.父は,私が大人になってからは,初めて私と一緒に行動する機会を得た上,父の得意な技能を私に伝えることができたからです.父はたいそう自慢気に,私をビリヤード屋に連れて行き,「ハーバード大学教授」の息子にエイトボールやローテーションの技を教えてやるんだと吹聴していました.加えて父は,私にバーでの俗語やふるまい方を教えて,ギャンブルの手ほどきをしました.これには母はすっかり狼狽してしまい,私の研究については一切聞きたくないと言って,子どもの頃以来私に言いつづけていた「勉強はどうなの?」というセリフを初めて言わなくなりました.(中略)こうして私は,見たり感じたり聞いたりといった五感を用いるだけでなく,伝統的な参与観察では言及されることのない調査者の出自という「私自身」の一部を調査に役立てることができました.ドチェスター地区やマタパン地区の労働者階級のユダヤ人家庭に育ち,数年間工場で肉体労働をしたことがあるポリオの少年という私の出自は,たんにウェストエンドの仲間内の会話の種になっただけでなく,私の研究に直接影響を与えました.(中略)そして,ウェストエンドに始まり,ヘット・ドルプではっきりした事実とは,愛情あふれるユダヤ人の両親によって社会化されたこと,私が受けた教育,および,ポリオとその後の交通事故による障害を「克服」するためのすべての努力は,実のところ「私自身」の一部を切り離し,遠ざけることだったのです.私は大学に行くまで自分が労働者階級であると考えたこともありませんでした.大学に行ってはじめて,ブルーカラーの父をもつのは自分だけだと気づいたのです。(Zola, Irving Kenneth "Missing Pieces: A Chronicle of Living With a Disability" 1982)
もう30近いのにお盆が具体的に何をする日なのかわからない。
周りにもきくにきけない。
父親は勘当されてる。
母親は農家の末っ子で拾われてきた子と言われつづけて姉妹からもはぶられていて、まだ10代の頃逃げ出すようにかけおちして結婚した。
俺が小学校の頃に母親と二人でこっそり墓参りに行ったら見つかって「何をしに来たんだ帰れ」といわれたくらい親族に嫌われてる。
そんな俺はお年玉もまともに貰った事が無いし親戚づきあいというやつの経験が無い。
だからお盆が具体的に何をする日なのかわからない。
うちの墓がどこにあるのかも知らん。
当然お盆になにかしたという経験もあの恐ろしい叔父に追い返されたガキの時の記憶以外にない。
今後のために墓の事とか調べておきたいけどどうしたものだろう。
あなたと同い年(多分)の弟がいるけど、年上の女に養ってもらってるってのがまんま同じだわw
最初の文章からしか増田や相手、相手ご家族のことは読み取っていないので、念のため。
というのがキーになるのではなかろうか。
自分たちと同質のものはOK、だけど違う異質のものは受け入れられない的な。
「金髪でロッカーくずれのフリーター」とか「熱心な新興宗教信者」とか
だったとしても、お父さんは反対したんじゃない?
それがたまたま増田の場合は「外国人の血が入っている」ことだっただけ。
「外国人の血」が問題なんじゃなくて、「自分たちと違う異質」が問題。
それを、外国人だから! 差別! ってヒートアップしちゃってるように見える。
ずいぶんと親を見くびった「重要なこと」だこと。
内面性は評価する、でもその中の異質なところが受け付けられない、だったらどうするの?
増田は日本人だと言いながら「中国人の私」とか言ってるし、言動一致してないよね。
国籍とか血が云々以前に問題なんじゃない?
そういうところに「違い」を感じて、やっぱり外国の血が入っている人とは考え方とか違って
だめなのかも、って思われてたらどうします?
確かに血統よりも育ち方だと思うけれども、実際この反応見てると血統もあるのかなぁと思っちゃう。
親世代が異質なものを拒む環境で、はたして増田はうまくやっていけるんだろうか。
増田に育てられるであろうその子供はうまくやっていけるんであろうか。
正直、危惧を抱いても仕方がないかなぁという印象を持ちます。
私の家は、父・母・兄・姉・私の5人家族。
子どもの頃、「お父さんとお母さんはなんで結婚したの?」って訊いたら、「お見合い」って言われた。
ふーん、そうなんだー、と思っていたんだけど、よくよく考えたら、父と母の年齢的にそんなわけない。
うちの両親は、出来ちゃった結婚だったんだって。中2くらいのときに、父親がポロッと白状して、やっぱりって思った。
出来ちゃった結婚で何が悪い、っていう人も勿論いると思うんだけど、子どもに嘘ついてたんだからうちの親の場合、後ろめたかったんだと思う。
実家が戦後の混乱に乗じてお金持ちになったような家の末っ子で、更に沢山いる兄弟も起業家が多くて、わりとお金持ち。
つっても、田舎の成金だから、上品な家じゃまるで無いんですけどね(この地方の成金の家はどこもそんな感じらしいが)。でも、皆いい人。
で、高卒後、東京にヘアメイクの学校に通うために上京して父親と出会って、出来ちゃった結婚した。
で、父親はっていうと、正直全然よくわからん。父親の実家とうちって、ほぼ交流無い。私は父方の祖父母や親戚と会ったこと無い。
母や親戚から聞いた断片的な話をまとめると、中部地方の生まれで、蚕さんを育ててる家の生まれらしい。
その地方の聞いたことないような名前の大学を、母を孕ませたため中退(私にはずっと大卒って言ってた)
その後、母の田舎に身を寄せて、フリーター暮らし→自分で会社を起こす。このとき、母方の親戚からかなりの金を借りた。
これらは結構最近、私も物事の仕組みがなんとなくわかるようになってからまとめた話。
子どもの頃は、そんなことも知らず、分からず、それなりに家族みんなで楽しくやってた。
でも、兄も、姉も、高校生くらいになるとすごく父親とモメるようになった。
私はなんで兄と姉が父親を嫌い始めるのかよくわかんなくて、「まあこれが反抗期ってやつなんだな」とか思いながら、私は父親寄りで過ごしてた。
でも、年取ってくると、だんだん父親が変な人だって言うのがわかってきたのさ。
まず、絶対謝らない。
父親が謝ったのって、私生まれてから一度くらいしか聞いたことない(高校生くらいのとき間違って私が風呂入ってるときにドア開けたときだけ)。
何か問題があって、あとで自分の勘違いだったとかそういうことがわかっても絶対謝らないのね。
あと、人の話を聞かない。約束とか、覚えてないからまず守らない。そういうときも「あー忘れちゃった」で終わり。
普通に会話してても、自分が話したいことを一方的に話すばっかりで、噛みあわないんだよね。
で、私も物心ついて色んなことわかるようになって、なんかこの人変だぞ、と思うようになってきた。
でも父親のそういう性分は「どうしようもない」「諦めよう」っていう結論になるらしくて、
兄は高校卒業と同時に家を出ていって、姉も海外に留学して、自分から父親から離れた。
私は高校生だったし、姉が留学したとき母親がすごく寂しそうにしてたし、離れられなかった。
会社は最初の10年くらいは上手くいってた。店舗も県内だけど複数持ってて、わりと上り調子だったんだと思う。
姉も私立のお嬢さん学校に通ってたし、同級生とかと比べるとうちは裕福な暮らししてた。土地も買ったりして、羽振り良かった。
まぁ、今思うと、大半は母方の親族からの出資のおかげだったり、会社の金を好き勝手使ってただけでウチに遊べるお金が沢山あったわけじゃないんだけどね。
会社の経営も、どうやら父の下にものすごく腕のいい人がいて、その人のおかげによるところが大きかったらしい。
で、あるとき、その腕のいい人が父親に賃上げ要求をしたんだって。でも父が断って、その人辞めちゃった。
それと同時期に、父親がまた新しく店舗を作るって言い出した。県内の繁華街の、とてもいい立地の、すごく賃料の高いビル。
会社の人も、母親も、反対したんだけど、父は出店した。確かに、そこで成功できたらもう当分安泰だろうなっていうくらいの場所だったから。
でも、敏腕の人も辞めたあとだったし、案の定そこでの出店は大失敗。他の店舗の売り上げが全部そこの赤字に消えるくらいの失敗。
と、同時に、他の店舗をまかされていた人たちも父親に「もうついていけません」って一斉に辞めるって言い出して(どんだけ人望無かったんだよと思う)、
結局他の店舗をそれぞれ独立させるっていう形で切り離して、大赤字の店舗も潰して、会社は事実上倒産した。
たしか2,3年ちょっとくらいの間の出来事なのかなこれが。
ウチはもう土地も手放して、母方の親戚にも正確な金額は知らないけどかなりの借金かぶってもらって、姉の留学のお金も払えなくなって中退させて日本に帰ってこさせて。
丁度そのとき私、高3だったんだけど、受験した大学もまぁたぶん学費払えないよね、ってことで、
バイトして二部制のある大学に通うことにした。母親も、元々介護職で働いてたんだけど、もうちょっと給料のいい会社に移った。
で、そのあたりから父親がおかしくなった。元々ヘンな人だったんだけど、いよいよ社会性のない変な人になりはじめた。
仕事ないから、何もしてないのはしょうがないんだけど、風呂に入らなくなった。そして居間の床で寝るようになった。あと、家族の財布から金を抜くようになった。
バイトでもしてくれりゃいいんだけど、一日中、煙草吸って徹夜でテレビ見て、昼から夕方まで寝て、冷蔵庫あさって。
私はっていうと、高校生までのうのうと贅沢な暮らしさせてもらってたから、結構バイトと学校の掛け持ちがきつくて、
けっこう疲れてたんだ。で、ある日、母親が夜勤で留守にしてるとき、私がバイトに出る準備してる間も悪臭を放ちながらテレビ見てる父親についにキレてしまった。
「風呂入ってよ!仕事してよ!一日中何もしないであんたクズだよ!!」ってぶち切れたら、灰皿を投げつけられた。
むかついたから、私、フライパンで親父のこと殴った。でもやっぱ父親のほうが力強いし、柔道やってた人だから、投げられるわ絞められるわでぼこぼこにされた。
結局その日はバイト行けなかった。奥歯折れたし体痛くて二日くらい寝込んだ。バイトの先の人が皆優しくて、本当に有難かった。
うちの母親は、昔から「子どもに手を上げたら即離婚」っていうのを心に決めてた人らしくて、
私が親父とモメたその日から、家を出て私・母・姉の三人で暮らすことになった。また、母方の親戚からお金借りた。
そのとき、母が席を外してる間に、親戚のおじさんの一人(一番お金持ち。父親の借金もだいぶかぶった人)に、
「お前の父親はどうしようもねえ」ってすごい言われた。でも、本当にそうだと思う。
あと、結婚当初、兄がお腹にいたときに、「お前のせいで大学辞めなきゃいけなかった」ってしょっちゅう母を責めてたって話も聞かされた。
それから、朝起きられなくてまともに会社勤めができなくて、結局自分で会社起こしたってう話。笑っちゃう。なんだそいつ。
でも、それが私の父親なんだなって思って、なんだかすごく惨めだったし申し訳ない気分になった。
でも、三人の暮らしも2年くらいしか続かなかった。
最初、三人で生活費出し合えばなんとかなるっていう目算だったんだけど、
実は姉が、留学から連れ戻されてから引きこもりになってたの。つっても、自分の部屋からは出てくるんだけど。家からは出ない。
バイトしてって言うんだけど、中々見つからないって言うし、あんま言うと「あんたが大学行くから私は中退させられた」って切れるし。
介護業界の給料なんてたかが知れてるし、私のバイト代も学費に吸い取られてほとんど残らない。
水商売とかやる度胸と根性があれば違ったのかもしんないけど私不細工だしコミュ下手だし。いや、何よりヘタレだったのです。
つーか、結局皆贅沢暮らしが染み付いててなかなか生活水準落とせなかったせいかもしんない。
そしてその頃、父親が腎臓病になって障害年金が貰えるようになったんだよね。月に15万の不労収入。
で、また家族で家賃の安いアパート借りて暮らそうっていうことになった(持ち家は、とっくに手放してた。でもまだローン残ってんだけどね)。
私は大学辞めて働くから一人暮らしするって言ったんだけど、残念ながら私の貯金では頭金にもならなかったし現実的には無理でした。
もう3年だから、あと1年我慢して、卒業して就職してどこへでも行け、っていうことで結局みんなで暮らすことになった。そして現在に至る。
で、それから今度は私がおかしくなった。街歩くと人が振り返るくらい、顔の半分がヤケドみたいに赤く湿疹に覆われてるようになって死ぬほど痒い。
皮膚科に何件も行ったんだけど未だに原因分からない。ステロイド塗ったり飲んだりしても一時的に良くなるだけ。
バイトも、飲食店だったんだけど、はっきり言って顔がグロ画像みたいなもんだから続けられなくなって、辞めた。
そのうち夜、眠れなくなって、わけもなく泣くようになった。バイトも時給のいいコルセンに移ったんだけど、泣いてしまって仕事にならない。
コルセンの社員さんと相談して、辞めた。で、代わりに、ちょっと経歴詐称して姉を雇ってもらうことにした。
病院行きたいって言ったんだけど、母親は仕事で老人性のうつの人とか沢山見てるから、そんなに重症じゃない、年頃だから不安定なんでしょうって言う。
学校も通ってるんだけど先生が何言ってんのかわかんなくなってきて、単位落としまくってしまった。頑張って授業料払ったのに馬鹿みたい。
結局私も父親と変わらないくらいクズになってしまった。
死にたくなってドアノブで首吊ったんだけど苦しくて止めちゃって(アホか)、しょうがないから飛び降りようと思ったら姉に見つかって通報されて、
警察の人が母親に病院に行きたがってる、って伝えてくれて、心療内科に行くことになった。で、学校も今年の後期から休学してる。
でも、学校卒業しないと、でなくてもバイトしてお金貯めないと家を出て行けない。でも今の私は前はできてたような当たり前のことができない。
バイトも、するんだけど、すぐに辞めてしまうことがもう何回も続いてる。たまに日雇いバイトするのがやっと。
病院の先生は焦っちゃだめ、っていうけど焦らないでいられるわけない。いつまでもこんな生活してたら社会に出られなくなる。
そしたら、姉から「父親が家に全くお金を入れてない」っていうことを聞かされた。FXやってるんだってさ。障害年金で。
確かに、しょっちゅうガス止まったり電気止まったりしてるし、家電とか繋がってるほうが珍しいし
(ネットは、私がお金を払っているので絶対に止まらないのです)
いま、母と姉だけでこの家を支えている状態。姉が何回も「お金出して」って言ってるんだけど、出してくれないんだって。
私はほとんど今部屋で寝てて(姉が引きこもりをやめたら今度は私が引きこもりになったわけです)父親と顔をあわせないようにしてるから知らなかった。
今住んでるアパートも、ずっと家賃遅れてて、もしかしたら出てかなくちゃならないかもしれないって言う。
なんなんだよこの家。もう超底辺。そしてその家で働きもせず学校も行ってない私が一番ひどい。
父親は許せないけど、大嫌いだけど、それでも一時は会社を上手くやっていい暮らしさせてくれてたのは間違いない。
もうお金が無くて何もできない。病院に行こうにも、こんな状況じゃ「病院行くからお金ください」が言えない。精神科ってなんであんなに高いの。
病院のソーシャルワーカーの人に相談したら、自立支援の申請をすすめられたんだけど、
母親にそれを言ったらすごく反対された。精神病患者だって記録を残したら就職もできなくなるからやめなさいって。
このあいだ、母親に「このままじゃ生活できないからあなたもちゃんとバイトするようにしてほしい」って言われた。
そんなの私が一番わかってる、でもバイトしたって上手くできる自信がない
もっと辛い状況で頑張ってる人だっているのに私は甘えてると思う、でもいま辛くてしょうがない
今24歳だが、生まれて初めて外国人差別をされた。相手は、恋人の父親(と母親)。最近、恋人と結婚の話がもちあがるようになって、恋人づてで聞かされた。
私の母方の祖父は中国とヨーロッパのマイナー国のクウォーターで、中国人だったが、日本で生まれ育った。日本の高校、大学を出て日本で80歳まで働いていた。長い間働いて地域に貢献したとして都道府県から表彰されたこともある人だ。祖父は日本人の祖母と結婚して母をもうける。祖父が帰化したのは50代。同時に母が帰化したのが20代、それまでは在日中国人として日本にいたらしい。23歳のときに苗字が変わった。
母は日本人の父と結婚したので、生まれたときから私は日本人で、血としては3/4が日本、3/16が中国、1/16がヨーロッパマイナー国ということになる。日本人として育ち、日本の大学で勉強している。日本語しかできない。顔も髪も眼も背丈もごく普通の日本人女性のそれだ。苗字も名前も日本人。旅行で中国に行ったこともあるが、特に自分の祖先の国だという感覚はない。ヨーロッパには行ったことがない。祖父の親戚が中国にいたが、文化大革命で粛清されて、音信不通の状態がつづいているようだ。
このことを、これまではあまり配慮せずに思いついたときに言って人を驚かせたりしてきたが、その後それで差別されたと感じたことはない。
恋人は「父がこのことで泣いていたと母づてに聞いて、正直引いたわ」と言っていた。(このこと、とは恋人が中国人の私と結婚を前提に交際していること)そして「その場で母にあなたはどう思うの、と訊いたら、わからないと言われ、わからないってなんだよとひどい大喧嘩になった」とも言っていた。
恋人のお父さんとは二度お会いしたことがあるが、明るくて人当たりのいい人だと感じた。難しいことを言ったり、自分のこだわりを持っていたり、無闇に若者に説教をするようなタイプではなかった。お勤めの職業から判断しても、どちらかと言えばラディカルなタイプだと思う。お話していて、嫌われたと思ったこともないし、何かマナーの悪いことをした覚えもない。Wiiで一緒に遊んですごく楽しかった。しかしあの遊んでいたときも心中穏やかではなかったということか。恋人が言うには、「ラディカルぶっていても妙に前時代的なところがあるからたちが悪い」ということらしい。お父さんは京都の古い家柄の末っ子で、ご実家のことに関しては特に前時代的になって、よく彼のお母さんとももめるそうだ。
このことについて、私自身は特に傷ついたり悲しいと思ったりはしていないのだが、恋人が「あんな考えを持っているなんて自分の親として恥ずかしい」とか「俺のデメリットを考えてそういうことを言っているとは到底思えない」と言って憤っているので、なんだか申し訳ない気分になってきた。あんな明るいお父さんが泣くほど嫌なんて相当嫌なんだろう。
結婚自体にはあまり興味がないのだが、彼はとても気が合うし、私は子どもがほしいので結婚できればいいなと思ってはいる。でも一人っ子でお金をかけて良い環境で育て、背が高く顔も頭も職業もいい上に良識もある、かなりスペックの高いできた恋人なので、ご両親にとってどれだけ大事かということはよくわかる。
自分が外国人だと思っていないし、事実上外国人ではないので、それなのに外国人差別をされてなんだか不思議な気分だ。こんなトラブルを呼ぶとは、これからはカミングアウトにも慎重にならざるをえないのかもしれない。もともと、言っても言わなくてもどちらでもいい情報だし。
元増田です。
というか、元増田の内容は元嫁に送るつもりで書いた内容だったのですが、携帯のメールアドレスが変わっていたため
送信できず、増田にぶつけてしまった次第です。
調停は来週、ただし調停は「養育費増額の申し立て」で、差し押さえとは別、と相手方は思っているようです。
パートナーには「会社に差し押え請求きちゃった、てへ」くらいにしか伝えてません。
思い詰めているとは思っていないでしょうし、胎教にもよくないでしょうから…。
実際はいろいろ調べていくうちに半分取られると知り、戦慄とともに絶望しているところです。
実は、30過ぎて情けないのですが、両親に相談しに行ってました。
住宅ローンの保証人にもなってもらっているので、僕になにかあれば当然影響は受けると考えたためです。
結果、悟られて、叱られました。
トラバいただいた方のように、方法はまだあるのではないか?探るのがさきだろう?と。
とはいえ、命を絶つ以外に良い方法があるかは、分からないのですが…。
何らかの事情というのは、たしかにあります。
今の妻に懐いていた末っ子(当時4歳)を、誘拐まがい(保育園から連れて帰った)に相手方の親がつれていってしまい、
今の妻が「あきらめよう」と思ったことが、調停を受け入れた一番大きな原因です。
最初は、「あの人には引き取る資格はない」とつっぱねていたのですが。
調停を重ねるうちに、先の「母親が一番です」発言もあり、疲れ果てて手放したという過去があります。
http://anond.hatelabo.jp/20090726130752
専業主婦で一人目の子なら、ごくごく当たり前だと思う。これが間をおかずに二人目が出来たりすると、愚痴ってるヒマもなくなって「私は赤ん坊の奴隷かいっ」と叫びたくなるだろう。三人目になると「家庭にいるのが私の仕事」とでも思わないとやっていけなくなる、精神的に。
で、末っ子が中学卒業して「やれやれ、ようやく自分の時間を持てる」と思ったころには、あんなに熱心に誘ってきてた「元の会社」からも「今更」と冷たくあしらわれるようになり、誰でも雇ってくれるような近所のパートでお茶を濁すことに。
で、挙句に夫が定年になって収入がガタンと減ったのに、今までと同じようにお金使ってたら「お前はお金稼いだことがないから無駄遣いできるんだ」なんて、お小言言ったりするんだよね。この手の男って。「男はえらい」感覚? やだやだ。
「あたしはあたしのキャリアが欲しいの」とはっきり言って、働きに出たほうがいいと思うよ。たぶん、先に行けば行くほど、息が詰まる感じがひどくなると思うよ。
きょうだいの一番上に生まれた。
両親はともに末っ子かそれに近い位置。
「一番上なんだから」と、自分のこと+きょうだいのことをやるのが当然!という環境だった。
「怒られたくないから」「ほめられたいから」こどもだった自分は健気になんでも頑張った。
しかしそれをほめられることはついになく、気付けば思春期、受験、そして、大人になっていた。
自分の話を聞いて欲しかったら人の話をきけ、
優しくして欲しかったら優しくしろ、
とか、そんな風に厳しく言われてきて、それについては今でも納得している。
逆に言ってしまえば、
意地悪する相手に優しくする必要はない、と、思っている部分がある。
両親ともに、年を取り、きょうだいの半分は家を出た。
家にいる時間が長くなり、私たちこどもと接する機会や時間が増えた。
しかし、こどもといえども、もう大きくなってしまった。
私の話をこれっぽっちも聞かず、それでも聞いてくれとアピールすると、
①無視②うるさいと怒られる③殴られる のどれかだった。
のに、だ。
二人とも話しかけてくる。あれもこれも、と。
私は冷たく接する。
だってあのときあんなに冷たく接したじゃないか。
あのとき私はこどもだった。
両親以外に頼れる人も好きな人もいなかったのに。
唯一無二だった二人にあんな寂しいつらい思いをさせられてどれだけ悲しかったか。
そんなことなかったかのような、二人の現在。
私は優しく接することができない。するつもりもない。
学費を出してくれたことには感謝している。
でも、それだけだ。
この二人は気付いているんだろうか。気付くのだろうか。
それとも、どんな風に接しても、こどもは大人になれば親を尊敬し面倒を見ると思っているのだろうか。