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はてなキーワード: 父ちゃんとは

2012-01-28

時代は「チェックリスト」より「鳩が豆食ってパッ!」だろ?

さっきこんなの読んだ。

これはすごい!人生ときめく「チェックリスト」7つの魔法!! | No Second Life

http://www.ttcbn.net/no_second_life/archives/20174

うそ。掴みの話が馬鹿馬鹿しくて途中で読むの止めちゃった。

だってこの人わざわざdomo ToDo+で持ち物リストを作って、

お出掛け前にわざわざiPhone引っ張り出して確認してるらしい。

見るの忘れてわざわざ駅でリップをかったこともあるとか。

どこのどなたかさっぱり知らんのだけど、

普段持って歩くものくらいスッと思い出せないもんかね。

たった11個思い出すのに迷いの時間ができちゃうって・・・。

昔の人は出かける前に「鳩が豆食ってパッ!」ってやってたよね。

ハンカチ時計、がま口、万年筆眼鏡、櫛(?)、手帳、パッ!

だったよね(最後のパッ!て何ですか?)。

うちの父ちゃんもよくやってたなぁ。

ボクの場合はちょっくらアレンジこいて、

「鳩がケーキ食ってパッ!」にして使ってます

ハンカチ時計、がま口、ケータイキー、薬、定期券、パッ!

てなかんじ(だから最後のパッ!て何なのさ??)。

普通リーマンならだいたいオッケーだと思うんだけど、どう?

たぶんこうやって持ち物確認してる人って結構いると思うんだよね。

すげー洒落たやつとか、すげーイケてるやつとか、すげーシュールなやつとか。

そういうの知ってる人は #hatomame つけてつぶやいて欲しいっす。

2012-01-21

文系学部に行かせる親って馬鹿早慶附属中はオワコン

早慶付属中に行く意味」と題してインターエデュに300を超えるコメントが付いています

ttp://www.inter-edu.com/forum/read.php?1644,2373792,page=1

早慶のいづれかの付属中を受験予定の息子がおります

息子は現在、中高大の学生生活を楽しみに受験勉強を頑張っています

わたしも、子どもには大学受験に縛られない有意義学生生活を謳歌してほしい、と希望しております

経済的にも、子沢山ではありますが、十分大学卒業まで問題ないと考えていました。


しかし、この受験直前になって夫から

早慶付属上がりということは、文系学部ほとんどだ。文系と言う事は、仕事は基本的には、営業だ。

営業は実力勝負で、学歴なんて関係ないし、これから文系学部早慶はいえ厳しい。

就職の時ちょっと有利なだけで、人脈と言ったって、昔ほど有用でもないし、

人脈を利用できるできないは本人次第だ。それに、子ども全員早慶など付属いかれたら、

経済的に大丈夫か?今の収入が続く保証はないんだぞ。青春を謳歌するためだけに、

大金を払うつもりはない。中高私立にするなら、大学は、東大東工大医学部とまでは、

全く希望していないが、せめて国立理系にするのを条件にしてくれ。

本心では、公立中→都立高→電通大とか首都大の理工が一番ありがたい。

とにかく、私立中高にいかせるのなら、どこでもいいか国立理系以外ダメ

早慶付属は絶対に認めない、コストパフォーマンスが悪すぎる。これからは、理系以外ダメだ。」

唐突に言われ途方に暮れています

わたしは、夫の意見は、かなり偏っていると思います

何とか説得しようとは思っていますが、どうしたらいいのでしょうか? 」

昨今、東京でも、進学を目的をした

公立中高一貫が乱立し始めたので、

確かに早慶でも附属はオワコン

ここの家の父ちゃんが言ってることは半分正しいと思うけれども。

2012-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20120105003241

どうも増田団塊ジュニアが多いからこういう話を読んで親の年代高度成長期だと反射的に勘違いしがちだけど、今大学生の子が生まれたのって1990年ぐらいだから親は完全にバブル世代だよ。

バブル期なら円が強かったから庶民でも海外旅行はわりとふつう短大卒もふつう中小企業でもボーナス普通に出てた時代だね。

特に増田父ちゃんぐらいだとバブル真っ盛り期にまだ若く責任のある立場でもなかっただろうからバブル崩壊あおりをまともに食わずにある程度の貯金けが残って、で、それを頭金に崩壊後に投げ売りされた不動産物件買うことができたんだろうと思う。

2011-12-13

母親チャンネルを握ってる家庭が多い以上は良質なテレビ番組とか無理

http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51683817.html

まず、若者テレビを始める以前の問題として、母ちゃんのテレビ独占がある

こういう「良質」な番組があったとしても、母ちゃんは即座にチャンネルフジテレビに変えてしまから見れない。

若者のテレビ離れ、ではない。母ちゃんのテレビ独占だ。




父ちゃんマスコミ癒着問題もある

あとうちの父ちゃんも大してレベル変わらん。

いつもテレビ見ながら偉そうなことはいってるけれど

自分が見て、「俺のほうが賢い」って思えるようなニュース以外は見ないから。

父ちゃんマスコミは腐ってるといって自分プライドを保ちたいだけで

別に自分勉強してるわけではない。踊らされてるのをわかってない分ある意味母親より頭悪い。




そして若者も必要最低限の教養すら持ってない

で、私だが、これも弁護するつもりはない。私もダメだ。

そもそもテレビ見ない。

まぁ二人がチャンネル占領してるからってのもあるけど

ワンセグとかネットテレビ見れても多分見ない。

特にそういう真面目な話しとかに興味が有るわけではないし、

BBCニュースとか見ても、見方わからん。あれ結構観るために基礎的な教養が必要だと思う。

子供の頃から見てれば自然に受け入れられるのかもしれないけれど、

多分、日本人が完全に日本語翻訳されたBBCを見ても、わからんと思う。

日経新聞の読み方」なんて本が売れるこの国で、

そして、それをありがたがって読んでいる俺が、BBCニュースを理解できるとは思わん。





まり需要がないどころか、資格がない人間ばっかり。

そして、みんなそのこと=自分はバカ、であることはよくわかっているが、

そのことを直視して受け止めるのがツラいので、

今日も一日バカ番組を見て何も考えないかマスコミの餌に食いついてプライドを保つか、

ネットで他の人の手垢がベタベタついた偏見まみれの記事を真実と思い込むか、そんな事しかできない。




禁書アニメみたいに、ニュース番組の解説をしてくれる人がいつも見れば観るかも

禁書アニメ、ひどいものだったけれど、

原作既読組」が毎回解説してくれたお陰で最後まで見れた。

キャラクターの魅力はあったとおもうので、そういうのも大きかったけど

からなくても、わかってる人間が並走してくれて、助けてくれると思うと何とかなる。

ちょっと前に池上さんがブレークしたあたりからしても、

みんなニュースに興味がないわけではないが、見てもわからんのだと思う。

わかるなら見たいと思ってる人はいると思う。

しかし、誰もその役をやらない。代わりに、

そこでわからなくても楽しめるような「萌え要素」=ニュースで言えば犯罪とか政治家の失脚とか、お笑い芸人とかコメンテーターの耳あたりの良い無責任発言ばっかり散りばめられた番組を作る。結局それで見る人ってのは、人格的にブヒブヒ言ってる萌え豚と一緒で数が限られる。しかも先細りしていく。


ちなみに池上さんはわかりやすかったけれど、そしたらそしたで

ニュース池上さんがやってるやつだけみればいいや」という独占状態になっていたなぁ。

俺も、禁書アニメについては、アニメ自体は4倍速で見て、解説を読むとかやってたけど。




本当は池上さんがやってるような個別に丁寧解説とか要約じゃなくて、自分自身でニュースコンテンツが楽しめるようになるためのメタ的な情報が必要なんだろうな。

歴史知識ないやつ向けのコンテンツって考えると、大河ドラマのように説明のための尺が十分に取れる作品でもお江みたいなのになっちゃうようだし、まして1クールドラマアニメなんてどうしようもないし、ドキュメンタリーについても掘り下げがむずかしいとかになるのか。はははどないせーちゅーねん。

2011-10-07

父親が参考にしてる子育てサイト見つけたwww

http://psychotoolbox.web.fc2.com/parent/

無茶苦茶沢山項目があるが、父親がクリックした場所も分かっているので書いていくwww

父はこのあたりが気になるらしいwww

・問題解決を委譲する

・解決策をめぐって子どもと対立が生まれそうなとき

子どもと一緒に問題に取り組むとき

・自主性を育てる

責任を持たせる

読者の方も、父にこういう悩みを抱かせる私がどういう人間かなんとなく想像ついたのではないだろうかwww



私以外の家庭でも、何か問題があるなら、お父ちゃんにこのサイトを教えて、興味がある項目を5つ選択してもらうとかすれば

父と子供で会話するよりも、ずっと客観的に相手の問題意識が判って会話しやすいかもしれないと思ったねwww





逆もしかりだよね。

子供から大人に対する問題意識もこういう風に一覧でまとめてるサイトがあったら完ぺきじゃねwww

はてな民は、親への不満を感傷を交えて共感獲得ゲームの道具にするのが大好きみたいだけど、

そういう一時の慰めのために長時間を費やすんじゃなくて、こういうサイト作ってみた方がいいんじゃねwww

どんだけ傷ついたとか理不尽な目にあったからといって、それが自分や他人の役に立たないならただの自己憐憫でありオナニーだよねwww

最近ホッテントリしたyuhka-unoの文章とか、なにこの公開オナニー恥ずかしいwwwとしか思わんかった。

あいうのが書けてしまうくらい人格のどっかがぶっ壊れてしまうのがアダルトチルドレンなのだという表現なのだとしたらたいしたものだけどねwww




というわけで、まともなはてな民は、このサイトをお手本にして、未来アダルトチルドレンを本当の意味で救うサイトをみんなでつくろうぜwww

2011-09-15

良い子なんてクソッタレだって言う人は、もしドラを読めばいいと思う。

神様、わたしたちはどうしても清くなくてはいけませんか?

父ちゃんが言ってました。

あなたは、あなたの教えに従わぬもの天使でさえも罰すると

あなたの心は私のようなものにはわかりませんが、

あなた存在はずっと私を苦しめました。

あなたが天の座にて見ておられることが

私にとってはずっと重荷でした。

「ヴィンランドサーガ2007年2月号。「末世に小さな罪を犯した少女」より。




最近とある記事が1000ブクマを超える反響を及ぼしたのを見て、

なんとなくもしドラが支持される理由が少しわかる気がする。

というわけで草食系ガールの人は「もしドラ」を読めばいいと思う。



岩崎さんが「マネジメント」を読んで心打たれた箇所を紹介するというコーナーでした発言。

最近は、愛想を良くすること、人付き合いを良くすること、人間を助けることが

マネージャー資質として重要視されている。 そのようなことで十分なはずがない

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、

人付き合いも良くないボスが居る、この種のボスは、

とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。

何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。

真摯さよりも、知的能力を評価したりはしない。

岩崎「これ全部、世の中の人々が誤解してることなんですよ。

 それを一つ一つですね、ひっくり返していく、と。」

このような資質を欠くものは、いかに愛想がよく、助けになり、人付き合いがよかろうと、

また以下に有能であって、聡明であろうと、危険である

岩崎「これ。危険なんですよ。駄目じゃないんですね、危険である、と。」

そのようなものは、マネージャーとしても、紳士としても失格である

(このあたりにむちゃくちゃ力を込めて朗読

岩崎人間としても駄目だと。」

マネージャーに出来なければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。

しかし、学ぶことのできない資質後天的に獲得することができない資質

はじめからみにつけていなければならない資質が1つだけある。才能ではない。真摯である


岩崎「僕は、常に親からあるいは周囲から、人と仲良くしなければならないとずっと言われ続けてきたんです。でもそのことに対する深い疑問がありましたね。それで物事が解決できないし、良くもならない、と。

むしろ愛想をよくし、人を助け、人付き合いを良くすると、かえって事態が悪くなるということを本当に多く経験してきたんです。笑いなさいとか、人を助けること、人付き合いを良くすること、本当にすごく言われ続けてきて、「自分が本当に駄目なんじゃないか」と、生きて行く資格がないんじゃないかというくらい追い詰められたんです

しかし結果的に僕はそれが捨てられず、人間からどんなに嫌われようと、自分の正しいと思うことを貫いてきたんですね。それがですね、誰にも言ってもらえなかったそれが、ここに、強い言葉で書かれていたって言うのが、まぁ心を深く打ちましたですね。うん。」





要するに、ドラッカーという権威ある人の言葉は、ある種の人間にとって、自己正当化してくれるバイブルみたいな存在なわけね。

聖書もそうだけど、「自分が神の下にあって、敵対するものは討ち滅ぼしても構わない。むしろそれが神の国に至る道、正しいことなのである」くらい

敵を明確に設定してくれて、自分正当化してくれる宗教ってのは、ある種の弱いくせにプライドが高い人間を惹きつけてやまないと思う。

もちろん、マネジメント聖書もこんな単純な話ではないもっと深遠な知恵を授けてくれるものであるが、手っ取り早く強烈な救いを求める人はこういうところに飛びつくんだろうな、と。




上のメッセージだとわかりにくという人間はこちら。

実際こういうレベルで追い詰められた人間に、弱音を吐くなとか言っても無理。

「貴大くんはね、ほんとうはやさしい子なんだよって、先生ゆってた……」

会話としては何の脈絡もないところで、突然ぽつんと、オルタが呟いたことがありました。

学校はこどものだいじなところ。先生は熱心ないい先生。そして貴大くんも、ほんとうはやさしい、いいこども……

それじゃまるで、オルタの胸のなかにある、この苦しみだけが、よぶんなものだということになってしまう。

から、たぶん、行かせれば、オルタは行ったでしょう。

そして次第に、先生に告げ口もしなくなり、わたしにもなにも言わなくなり、「ほんとうはいい子」な貴大くんから仕打ちにもできるだけ耐えて、一番いいことは、もう自分がこれ以上、なにも言わないことだと。みんないい人なんだから、後はわたしががまんするだけなんだと。それがクラスのみんなのためなんだと、自分に言い聞かせながら、きっと最後まで、先生みたいな人たちの期待どおりに、がんばりぬいただろうと思います

最後まで……

まり

壊れるまで。


もしドラの主人公は、倫理感とかバランス感が崩壊している人物で、

他人の感情を無視して自分の考えをガンガン推し進めていくタイプであり、

「もし田中角栄女子高生に憑依したら」とかのほうがよかったと思うような内容なんだけど、

こういう生き方もありなんだ、成果を出せばこっちのもんだ、と開き直りたい人間にはオススメだと思う。

2011-08-20

【追記】「人生を楽に生きる8つの方法」は半分ウソだと思う。

人生を楽に生きる8つの方法

http://chaos2ch.com/archives/2982681.html

これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。





4つだけは本当だということじゃない。

8つすべては「真実」に近いと思う。

実践できれば楽に生きれると思う。

それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。

ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。





いったいなにを欺いているのか?

この方法には2つのウソが隠されていると思う。

リンク先で語られている内容よりも

語られなかった内容に注意してほしい。






上のリンククリックした人は、それだけでかなり頭がいい。

つの方法を抜き出してみよう。




1、今に生きる

過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的

今の自分の状況や気持ちに行動原理をおく。




2、人や社会に期待をしない

求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる

基本は人生自己責任




3、他人は自己投影

自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。

それが心地よくないものなら自分が変われば良い話




4、事象を引き寄せている(選んでいる)のは自分

その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。

災難ととるのではなく自分の選んだものと思って構える




5、自分がいなくても世界は回る

自分が思うより他人や社会自分を見ていない。

こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要




6、ワクワクするものごとを選ぶ

自分の選択で他人が困っても、それは他人が対処すべき問題。

選択の連続人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤ジレンマに苦しむ




7、自分の行いは必ず帰ってくる

自分の行動は、空へ向けてボールを投げるのと同じ。

きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。

自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。




8、物事は全て中立

「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分意味付けをしてるだけ。

たとえば同じ場に居合わせ災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。

自分の見方で世界が変わる。





方法自体はほとんど正しいとおもう。

ぐうの音もでない。

いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば

わりと納得できる考え方だなーと。

(というかこれがわからないとしんどい)






しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。






でも、とりあえず

この方法実践することで人生が楽になる

ということはほぼ間違いないと思う。




世界じゅうの人がみんな

この方法を身につければ

きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。








ちょっと想像してみよう。





  • 過去のことは水に流してくれるし未来絶望しなくてもいいし(今に生きるから
  • あーしろこーしろとうるさく言われないし(人や社会に期待をしないから)
  • 相手を責める前に、まず自分の非を疑うようになるし(他人は自己投影から 以下略
  • 現状を肯定できるようになるし
  • 構ってもらえなくても大丈夫だと思えるし
  • 楽しいことを選ぶことを肯定できるし(仕事は厳しくあるべきなんてことも言わない)
  • 相手のことを慮ることが、自分をいたわることだと気付けるし
  • いいとか悪いとかい価値観に縛られなくなるし





現在あなた人生をおびやかす何者か

(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府日本テロリスト、なんでも)が

もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。

こりゃパラダイスだ!

ぼくたちはお互いがお互いを認められるような

真に寛容な社会を実現できる!

誰と遊んでいようが楽しい

よーし!あの丘の上まで競争だ!






少なくとも2011年の今現在

これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。







でもそれは「従うことができれば」の話。







つの方法としてまとめられた人生訓は

実際、どこの場でも目にする。

人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい

長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると

最後にはだいたい前の8つくらいに収まる

(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビ美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。

昔の人は偉いなあと思う。






そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。

もちろん、まだまだ読み足りない。

なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。

きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど

個人的には、ぼくの考えを

そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して

かばうんざりしながらもそういう本を読んでいた。






今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。

いや、正確に言うと、否定してくれはするけども

それが納得できないのだ。

ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど

もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。








まず1つめのウソ

ぼくが言いたいのは

すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。








古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら

さっさとそれを実行すればいいのに

なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。

なんで大昔の本が現在ぼくらの胸に響くのかと聞かれたら

それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど

じゃあ、なんでその普遍的な問題が

大昔から今まで解決されないままなんだろう。






般若心経の新訳を読んだ。

あれもやっぱり8つの方法の言い換えみたいなもんだ。

聖書だってそんなに変わらないかもしれない。

ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?








そりゃあれじゃないの?

本などの論理的なものほとんど触れないような

感覚で生きている人がすごく多いからじゃないの?








父ちゃんは「男はつらいよシリーズ」が好きで

こないだシリーズDVDツタヤで片っ端から借りてきて

大笑いしながら観ていた。





その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が

実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。





おいちゃんは父親にこう言われたらしい。







「団子屋に文学なんか必要ない」







男はつらいよシリーズフィクションだけれど、

しかに団子屋に文学はべつに必須ではないとおもう。

団子屋は文字より数字数字より団子が読めればいい。

団子屋が文字を読む必要がないなら、

本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。







これは団子屋だけの問題か?







勉強するくらいなら技術を磨けと教えられた人は

かなり多く存在してるんじゃないのか?

それでなんの不自由もなく生きていけたなら

感覚だけで生きていくことを恥じることもない。

それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。






ぼくのお父ちゃん電気会社に勤めている。

難しいことはわからない。

バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに

なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。

過去に戻ったり未来に行ったりすると

物語の内容がつかめなくなる。





でもそれがどうした?

父ちゃん電気会社に勤めている。

たんまり儲けている。家族を養っている。

バック・トゥ・ザ・フューチャー理屈がわからなくてもなんの不自由もない。






熱心な仏教徒

敬虔キリスト教徒のうちで

その「教え」に追随する人はいったい何人いるの?





わかりにくいな…。

例えば新興宗教信仰者なんかだと

ただ一つの「救われた経験」を足がかりにして

熱心に信仰する場合があるみたいだけど

その最初の救いを信じていたら

つのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ

オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。






大昔の日本の百姓のいったいどれだけが

仏教意図を理解していたんだろう。

念仏を唱えれば救われる」って

そそのかされただけじゃないのか?






文学がわからない団子屋。

バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん

教えがわからない「熱心な」信仰者。

念仏を唱えるだけの百姓。

そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?






まり、ぼくが言いたいのは

人生を楽に生きる(たった)8つの方法でさえ

読めない人がいるかもしれないということだ。

読んだ人に待ち受けているのは

やるかやらないかの差でしかない。

でも、読んでない人はどうすりゃいい?

つの方法論理的にほとんど正しい気がする。

で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?





ぼくは8つの方法を否定したいわけじゃない。

くり返し言うけど、これらを全ての人間が理解して実践できたら

そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。





でも、現実はそうじゃない。

つの方法をはじめとする人生訓が何を語っているか、よりも

何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。

この人生訓がなぜいいのかということを

絶望的なまでに理解できない人がいる。

そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。

要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。

このたぐいの人生訓すべてが。

掛け算までしかからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。

上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。

いつまでも掛け算のところでつまづいて

文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?

掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?






やっと言いたいことの一つが終わった。

冗長になりそうだけど

もうひとつ言いたいことがある。

更に絶望的な想定だ。








理論としては正しいのに極少数の勝ち組しかトクにならない?







さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。



  • 時間は戻ってこない。目の前のことに集中しよう。(今に生きる 以下ry
  • 現実は甘くない。
  • 人のせいにしない。自分の態度を改めよう。
  • 自分ごまかさない。自分うそをつかない。
  • あなたがいなくても代わりはいます
  • 他人の選択で自分が困っても泣かない。
  • 責任を取りなさい。
  • 運、不運のせいにしない。





つの方法をもうちょい過激に言い換えてみた

(まちがってたら言ってください)。

なんかさぁ…

内容自体はそんなに変わらないのに

急にうっとうしくなった気がしない?





どこかで見たことあるなあ…

これどこで見たんやろう…

ああ、そうか








就活の時の企業パンフレットに載ってたわ。







「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?

こういうことを上司先生や親に言われて

「だから頑張れ」で締めくくられて説教されたことある

その時どんな気分がした?

殺したくなった?

泣きたくなった?





人生を楽に生きる8つの方法

その2つめのウソにして、絶望的な想定はこれである

正義づらした誰かに強制されるのだ。

それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。

底辺を鼓舞搾取)するための大義名分になってしまう。

ぼくみたいなゴミクズ人間はそのことがよくわかる

(このたぐいの説教は何回も何回も聞かされているから)。

から近づきたくないのだ、こういう人生訓には。

うんざりするのだ。自己嫌悪するのだ。





この想定のたちの悪いところは

その大義名分が「間違ってない」というところだ。

誤解なら間違ってると指摘することはできるけど

これは単に曲解しかない。

各々の解釈の違いでしかない。





冒頭に述べたとおり、8つの方法

ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。

え?

間違ってないなら実行できない人が無能怠惰なんだから仕方ないって?





wikipediaによると2009年の時点で日本ニート総数63万人

しかだんだん増えている。

彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?

賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?

ニートだけじゃない。実際働いている人でも

これらの大義名分に苦しめられている人はいると思う

(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格破壊するには充分すぎるとおもう)。




1つめのウソで挙げた、感覚で生きている人を合わせると

この方法に従えない人はかなり多いんじゃないかと思う

統計を出すつもりはないけど)。






1つめのウソで言及しているような

感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手

DQNとか低学歴低賃金職人とか派遣社員とかだ。




2つめのウソで言及しているような

搾取され支配され無能呼ばわりされている代表選手

ニートとかひきこもりとか普通会社員とかだ。





こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?

損する人のほうが多くないか





そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。

この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。

でも納得できない。

これでは救いにならない。

でもいつまでも状況に進展がない。

だれか否定してくれよ。

「おまえ間違ってるよ!」って。






1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど

(ぼくは感覚で生きる人間ではないからあまり真剣になれない)

2つめのウソはぼくにとっては生死に関わるまさに死活問題だ。

そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。






働きたくない働きたくない働きたくない

枠組みを作ろうと思う。

ぼくみたいなクズ人間ものほほんと生きていける枠組みだ。

ほとんど働かなくてもいいような枠組み。

楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。

そうして、口やかましい人たちを黙らせる

(ぼくはこれが実現できないとリアルに死ぬしかなくなる)。

http://auauai.tumblr.com/post/9080858048

幸せものさしの種類がもっとあってもいいと言うのなら

生き方の種類だってもっとたくさんあってもいいはずだ。






これはブログでも書いてるけど

やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。





クズ人間を数人集めて家を借りよう。

クズ人間がお互いのクズ性を認めあう場所だ。

クズであることを糾弾されないリアル空間だ。

リア充は入っちゃいけない。怖いから。

ネットのような優しい空間であることを目指す。

優しくて閉鎖的な空間だ。

個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。

でも家の外にはクズ人間の敵がわんさかいる。

そういう人と連帯を組むことはしたくない。

じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは

同じ穴のムジナであるしかいない。

落伍者うつ病患者社会不適合者、怠け者…

そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。

自信を少しずつ取り戻す。

まずはそこからだ。

だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。






心底、世の中に絶望していた。

人生訓の本にはそうあるべき人の生き方が載ってたけど

どれも納得できなかった。







太宰治とかの救われない小説

共感をもたらしてはくれたけど

やっぱり現実はしんどいままだった。







鴨長明吉田兼好良寛みたいに

山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた

(いまでもその選択肢を考えてる)。







いくら本を読んでも

現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。








でも最近考え方が変わった。

それもやはり本を読んで変わった

(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。








だめ連の本によると

一人の時に負うコストリスク労働量も精神的負荷も、

連帯すると分散される(当たり前か)。

家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。

だめ連はけっこうハチャメチャなことをやってたみたいだし

近隣の人の援助もあったらしい。

それはちょっとできるかどうかわからない。

でもぼくらにはインターネットというツールがある。

それもだめ連の時よりも更に強力に整備、普及されたものだ。





ニコニコ動画の「歌ってみた」からプロデビューする人がいたり

レゴ作って2chスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり

自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画Youtubeで何万再生もされたり

「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり





要するに「好き」とか「やってみた」とかの

草の根レベルのちょっとしたアイディアを発表するだけで

負け犬から注目される人になる可能性がぐんと高くなっている。

ということは

そういうしょーもないアイディア収益化する可能性があるのだ。





リスクコストのかからなくて

ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。

社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。





誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。

自分が感じる心苦しさより欲求が勝てば、そっちの選択のほうがワクワクするものなはず



冒頭のまとめスレにはこんなレスもある。

心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。

外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど

ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。





とりあえずヒマならその家に集まってみて

生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。

なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら

そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる

(ぼくもいくつかアイディアがある)








奇しくもこの考え方は

人生を楽に生きる8つの方法の6つめに従ったやり方だ。

楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。





収益化ができてしまえばあとはどうとでもなる。

しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所

SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)

これができるだけでも意味はあると思う。





もうだから早く家借りよう。

とりあえず、ツイッターmixiメールかなんでもいいから連絡をください。

http://twitter.com/yukkun1986/

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi

breed0902@gmail.com

ぼくは幸運なことに個人情報晒すことはあまり怖くない

(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。

これが実現できないと絶望するしかない。

ぼくにとっては個人情報なんか出し惜しみしてる場合じゃない。





ぼくらクズ人間同士でつながろう。

もうイヤやねん。働きたくないねん。怖すぎるねんこの世界

たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。

怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。

別に住まんでもいいのよ家には

慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。

もう疲れた。

もう待てない。

もう泣きたくない。

誰かが泣くのも見たくない。

ぼくが許せないのは自分と誰かが死ぬことそれだけだ。

きみは死ぬな。

どんなに腐ったような人間でもかまわんから生きてよ。

ぼくだって生きててもなんの価値もない。

それでも生きれるようにしたいのよ。

ぼくもきみも。

これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。






追記

コメントに返事を書く!




なげーよ。

ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。

短く的確に書ければいいなと思います

書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます




誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる

途中で途切れてしまうのでトラックバックとして書きます

2011-07-31

お化けなんてないさー

いるなら連れてこいよ。

うちの祖父ちゃんお化けでもいいから連れてこいや

 

ひ孫にランドセル買ってあげたのに、背負ってるの見る事もなく3月に亡くなったじいちゃん。

姪っ子は、同じく祖父ちゃんが買った電子ピアノでいっぱい練習して、ちゃんと発表会やったよ。

間違えなかったよ。

 

じいちゃんが植えた、たぶん百合花咲いてるよ。

植木鉢の奴枯らせてごめんな。

じいちゃんの東京の姉からメロン届いたよ。

いつも桃売りに来るおばちゃんも来てるよ。

 

夏用のパジャマ捨てるよ?

いっしょに買いにいった靴は捨てられん。

 

金魚はまだ元気やよ。

1日1回しか餌あげてないけど、ちょっとスリムになったわ。

 

じいちゃんが建てた家、ちょっと床が心配になってる。

遺産でなんとかするけど、遺産の処理やりたくない気持ち分かるやろ?

 

じいちゃん。

蕎麦が大好きで、でもこの時期はいつも冷やし中華トマトのっけて食べてたじいちゃん。

本当にいないの?

 

去年の春までばあちゃんがいた病院行ったら、もしかしたら二人ともいるんじゃないの?

 

ブラックは嫌いで、ドロリッチも好きになれなくて、

いつもジュース飲んでたじいちゃん。

じいちゃんが水を含んだスポンジを口に当てると嬉しそうに吸ってたばあちゃん。

 

二人とも本当にいないの?

 

 

 

さみしいよ。

 

一人でご飯作ってもおいしくない。

酒屋に勧められた酒もだめだ。

サザエのシーズン来てるよ。

 

 

やっぱりじいちゃんとばあちゃんあって俺だったんだよ。

 

小学校上がる前に母親を亡くし、

それから母代りに見てくれたばあちゃん、

ほんとに俺があかん事した時以外は全然怒らなかったじいちゃん。

 

ばあちゃんが病気になってから

十数年支え続けて、もうどうしようもない所まで自宅で看病したじいちゃん。

それを受け入れたばあちゃん。

 

今、俺は全然だめだよ。

ばあちゃんが亡くなって、ちょっとして仕事辞めた事知ってるやろ?

でもじいちゃんが亡くなってから、もう何のやる気も出ない。

 

唯一の趣味だった料理も一人じゃおいしくない。

 

彼女も作ろうとしてみたけど、

どうしても結婚しようって気にならん。。。

 

 

 

聞きたい事、報告したい事、いっぱいあるよ。

じいちゃん、ばあちゃん。

本当にいないの?

後ろから肩たたいて欲しい。

 

おい、〇〇~って声かけて欲しい。

俺も、の~、じいちゃんって言いたい。

 

全然おもしろくないTV見ながら言いたい。

うら、この問題分かるわ~って自慢したい。

 

 

 

 

 

幽霊がいるとか言う奴は全員市ね。

いるんなら俺のじいちゃんとばあちゃんとお母さん出してこいや

 

生前の想いがーって言うやつは、8代呪われろ。

 

31歳で7歳と5歳の子供を残して亡くなった母。

その代わりをしてくれたが、60から病気になった祖母。

祖母を送ったけど、姪っ子の入学式も甥っ子のアレルギー克服も見ずに逝った祖父。

 

しょーもない恨み抱いて死んだカスよりよっぽどうちの家族の方が気持ち深いわ。

 

じいちゃん、ばあちゃん、お母さん、

会いたいよ。

 

じいちゃん、頼むわ。。。

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20110630163623

家賃不要、年間120万浮く

メリット

・おそらくかなりの遺産を現金で嫁が相続する

・おそらく不動産も嫁が相続することになる

これ婿入りと関係ない

嫁の親の遺産は嫁が相続する

子供が出来れば義両親が面倒を見てくれるので保育所不要共働きできる

メリット

(そんな義両親ばかりか?いまどき)

・義両親と同居はストレスがかかるのではないか

これはどれぐらいのものなのか測りかねるものがあるね

苗字が変わってしまうという不便

どうでもよくね




あとブコメ年収800の父親をdisる書き込みがあるけど、そういうあなたはいくら稼いでるんですかね?

俺はdisってないけど

あんな「わたしのおとーちゃんおっかねもちー」「だからわたしゆうりょうぶっけんー」って書き方するための具として見るなら

ちょっとステータス足りてないのは事実だと思う

たとえば俺のとーちゃんは上場企業正社員からメーカー会社作ってそこの社長収入はあの父ちゃんの倍ぐらい有るで

趣味は「テレビ鑑賞」というひどいものなのでそこはあの父ちゃんに負けるが





ていうかあんた何がいいてえんだよ

いまいち婉曲で主張が掴みづらいわ

3行でいってみ

心のど真ん中だけを

2011-03-14

災害躁病 および 災害うつ病に注意!

うちの父ちゃん陰謀論云々みたいな記事を書いてたものだけれど、

あれから http://togetter.com/li/111193  を見て災害躁病というのがあるということがわかった。

私の記事のことはもうどうでもいいので、この情報はみなさんにも知っておいてほしい

そんで、身内に混乱している人がいたら、責めたりせずに、落ち着かせてあげてほしい

それはお父さんやお母さんが悪いわけではなく一時的にパニックになってるだけだから

周りの人間は、なんとかひきずられずに落ち着きをキープしよう。



http://twitter.com/#!/hkazano/status/46805206314401792

"災害躁病というものがありまして、被災者躁うつ病の方は、ショックに対する防衛機制から躁状態になることがありますボランティア躁病ってのもあって、テレビで惨状を見て何かしなくちゃと気分昂揚して現地に向かい暴力事件を起こして入院になった例が阪神大震災で報告されています。"


http://blog.goo.ne.jp/gab49535/e/a3dfbfd29892f93be9115f601c441e5a

・躁病者は相手のゲーム、周囲のゲームに対して「立法者」ないし「法の番人」としてふるまう傾向がある.躁病者は、「私がルールブックだ」とかつて宣言したあの高名なアンパイアにどこか似ている。

・実は組織に対しては反抗的とか、そういう性格ということらしい。こういう人が、「秩序」の担い手になったとき躁状態になることが多い

・躁病は、マニー型の人に何かの負荷がかかったときに発病する、という例が多いのですね。うつ病では「昇進うつ病」とか「引っ越しうつ病」というパターンが知られているが、これが躁だと(名前は悪いが)「葬式躁病」とか「水害躁病」、阪神大震災ときには「ボランティア躁病」(!)なんてのも報告されてたりしま

性格的には、「ボランティア型」は共感性、正義感が強く熱中巻き込まれ型(マニー型に近いかな)、「被災者型」は几帳面、まじめな性格が特徴的だった



この災害躁病と親和性が高いマニー型の人格があるそうだけれども、その特徴は以下のとおり。

負けん気が強く、強気で、鼻っ柱の強さの陰に小心さがかくされており、積極的・活動的である

物事に熱中しやすく、一度やり始めるととことんまでやらないと気がすまない。

常識である反面、理想を追い求め、正義感が強く、潔癖で非常に気をつかい几帳面である

通常時にはツンデレたいな感じだと思うんだけど、非常時にツンデレキャラメンタルが弱いのは知ってるはず。

あと現実にはツンデレキャラ美少女よりもオッサンに多いというのもそろそろ認知されてきているだろう。

こういう人が、ちょっといつもと違う行動や、いつもより激しい態度をとりはじめたら注意しよう。



私はこのことを知らなかったから、父の変化に戸惑い、2日間適切な対処を取ることが出来なかった。

今父は2日間の反動からか、今猛烈に塞ぎこんでしまっている。

ようやく母が戻ってきたので状況が少しは落ち着くだろうし、これから家族ケアしてきたいと思う。

2011-01-14

給料と役職を切り離してはどうか

将来的にはどうか知らんが、今は企業ってなんだかんだ言って雇用を守ることが目的ってところもあるだろ?

で、年寄り給料が高くないと家族を養えないって言ってるわけだろ。

そこはもう変えようがないんだから給料は別に今まででもいいよ。年功序列でもいい。

そりゃあ、本音を言えばちっとは節約しろは思うし、

年金介護保険制度わがまま言うなら、その金を払ってくれる若い物にでかい顔をするな、とは思う。

ほとんどのオッサンが勘違いしてるけど、あれは君らが金を払ったから国が支払ってくれるわけじゃあないよ?

あれは、後の世代が払ってくれるんだよ?あんたが払った分は、あんたらのお父ちゃんやお母ちゃんが受け取った分だよ。

だけどもう、それはいっても仕方ない。そこでケンカしたくない。

から給料については今まででいい。

私らが望んでいるのは少なくとも企業においては給料が高い=えらいって考え方を早々に潰したい。

運に恵まれたにせよ、それはあんたらが生み出した金だ。あんたらが受け取ったらいい。

50代のノンワーキングリッチに文句を言っていいのは優秀な40~60代だけだ。

彼らに払う分を増やすためにちょっとだけ給料削って、後は全部胸をはって受け取ればいいよ。

たくさん受け取ることには一応感謝して、その分

子供にいい教育受けさせたり、自分の住んでる街のためになりそうなことに使うなど

できるだけ自分以外の為にくれればいいな、と願うだけだ。





そのかわり、給料をもらうために役職にしがみついたり、若者の足引っ張るのは絶対やめろ。

能力ない人は、給料貰ってもいいから平社員になって、若者の部下としてできることだけやってくれ。

能力ないくせに役職が高いから、給料が高いからって理由だけで威張らないでくれ。

余計なことは考えずにあんたらの気持ち悪いほどの根回しやら人付き合いの上手さだけを活かしてくれよ。



今ある金は要らない。でも自分の金を自分たちで稼ぐ機会まで潰されたくない。

企業はいろんなリソースが揃ってる。特に大企業しかできないことはやっぱりある

いきなり起業しろとかいう人もいるけど、そこまで優秀じゃないことは自分でもよくわかってる。

から企業仕事できることはほんとうに嬉しい

ところが、給料がほしいばっかりに役職を守りたがり、役職を守りたがるばっかりに

今までやってきたことをかたくなに守りたがって、若いヤツにはダメだししかしない奴がいると

せっかく出来ることもできなくなってしまう。

組織は今でも役職ある奴同士で話をしないと通らないことがあるんだ。

そこで通せんぼされると、同じことやるにしても地道な根回しかプレゼンからすごい時間かかってしまう。

そういう時間無駄したくないんだ。やりたいことがいっぱいあるんだ。



会社入ってみて忙しく仕事してるとわかった。

若いうちは金はそんなにいらない。どうせそんなに遊ぶ暇はない。独り身の間は年300万あれば十分だ。

でも将来的には結婚するまでには500~600万はほしい若者だって結局こういう考え方をする。年寄りは贅沢だって批判はできない)。

その金は自分が作った仕事で稼ぎたいあんたらがそうしてきたように。

あんたらの金を削っておこぼれみたいな形で貰っても嬉しくない。というか

どうせそうしたらまたあんたらはでかい顔するに決まってる。そういうのはすごく気持ち悪い。

からあんたらの金はいらん。

から、新しいことやる機会をよこせ、あんたらの椅子だけよこせ、

あんたらのつまらないプライド不安を守るために無駄に費やされる俺達の時間を返せ。

金もプライドも何でもってのは欲張りすぎだ。

カネのことしか考えられないってあさましいことを言うなら、金はくれてやる。仕事をしなくてもそれは持って行っていい。

から他のものは尊敬できる仕事をする人以外には渡せない。置いていけ。

2010-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20101224160222

バカか。オリジナルなんてどこにも存在しねえよ。

お前の親がお前を育てたのだって、お前の爺ちゃんがお前の父ちゃんを育てたパロディしか過ぎねえ。そして漏れらも、ちょいと形を変えただけのパロディ子育てしかできねえんだよ。

2010-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20101221133517

この話読んで思ったけど

女ウケのいいやつって大体結婚してるよな。心得てるっていうか。

アンテナが女向きに立ってる。だから結婚できるんだろうけど。

俺とか絶対正直に「アニソン」て答えちゃうもん。

自分子供に合わせてアニソン歌うなんていい父ちゃんじゃないか

本当にキモイ奴は俺のように自分向けにしかアンテナを立てない。

ツイッターだろうが何だろうが好かれない。以上

2010-12-15

大好きな散髪屋

時間残業をして、猛烈に疲れたので、月に一度のあの散髪屋に行く事にした

行きつけの美容室移転したのをきっかけになんとなく入った散髪屋なんだけど、

①外観と比べて内装がヘタな美容室よりもよっぽどセンスがあって雰囲気がいい

②散髪するアンちゃん(トロフィーをいっぱい持ってるらしい。かなり上手い。なんでこんな田舎で店やってるのか不思議)とその父ちゃん母ちゃん(とても雰囲気がよくて気さく。ほっとする)の3人で経営していて、会話をすると落ち着く。

③寝たい放題寝る事が許される。顔剃りもしてくれるし、全部の工程が今まで行った美容室よりもきめ細かい。終わるまでの時間は50分か60分と、幸せ時間が長く続く。

④3300円するけど、終わった後にとてもおいしコーヒーが出る(普段コーヒーを飲まない自分でも美味しくいただける)


とまぁ、いたれりつくせり。

ぶっちゃけて言えば何ヶ月かに一度行く風俗なんかよりも、よっぽど乾いた心や疲れた体を癒してくれる。そして安い。

マッサージも気持ちいいし…いや、ホント、散髪っていいよね

2010-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20101202163046

だから何。俺の母ちゃんと父ちゃんも、先祖アフリカで裸で暮らしていたらしいけど、それがどうかした? 

2010-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20101108153150

バイタリティがあってモテモテタイプのいい男じゃん父ちゃん

男から見るとアレだけど、女から見ると好ましいんでしょそういうのって。

http://anond.hatelabo.jp/20101106160326

毛嫌いしてるおたくの母娘が異常なんじゃ?

2010-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20100909172140

だよな(笑)親バカ

良いお父ちゃんだと思うぜ。


子供がSLなんてどうでもいいやって、カメラに向かってピースサインなんてしてたらちょっと切ないけど。

2010-09-06

一昨日の夢

俺の父の見舞いのため中学クラス全員が電車に乗っていた。

駅に到着するとなぜか父が後ろ向きで立っていた、服はパジャマ姿。

そこからみんなからの一言名前の順に言っていった。

途中俺の番が飛ばされたが取り敢えず文句言っておいてようやく順番が来た

俺「お父さんへ 早く良くなって うちに戻ってこれると良いね」

(なんか小学生感想文みたいだが気にしない。)

すると、父はこちらに右回りで振り向き

父「ああ」

と返事をしなぜか感動の場面みたいなBGMが流れ始めた。

見た目は凄いガリガリで今にも倒れるんじゃないかというほっそり体型

顔は今の父と再婚前の父が混ざった感じだった。



父ちゃん無事やろか・・・

2010-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20100904200900

うわー、きっつー。

子供は「お前の父ちゃんテロリストーwww」って苛められるな。

2010-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20100830232615

熱で錯乱したらみんなキチガイみたいになったり幼児化したりするのに

父ちゃんがそうなってるのを見て労わるどころか引くとか



何歳だかしらないけど頼りないガキどもだなあ

ギリギリ中学生ぐらいまでなら許す

高校生以上でそれならむしろお前らが歳に比して幼児傾向強いよ

2010-08-24

育メンとか流行ってるんだね。

この間電車で見たよ。

歩けない子供一人乗せるのにこのサイズかよ!ってデカくてゴツいベビーカー

まだ離乳食だろうなぁ、って子供のっけて

上は小学校の3,4年生?って年齢の子供を更に4人連れたお父ちゃん

車両の後方にベビーカーを押して乗り込んで、

電車に乗るなりはしゃぎだした上の子に

「静かにしろ。それから、人が座れるようにお前ら壁に沿って立ってろ」

子供達、すんなりお父ちゃんの言う事聞いて左右に2人づつ別れた。

静かなもんだ。

時々ちょっかい出し始めたけど、

その度に同じ事言って静かになってた。


けどさ、お父ちゃん

父ちゃんがそのでっかいベビーカーを通路に突っ込んで

左右に子供を並べたら、

その先にあるシルバーシートも、誰一人座れないんだ。

ベビーカーがみっちり通路塞いでるだろ。

ほら、隣の車両から入ってきた人が通行止めにびっくりして戻っていっただろ。


ああ、ひとり中年のおばちゃんが子供にどいて、って言った。

おばちゃん、カニ歩きで席ゲット。

子供、再び通路ふさいだ。

勇気があるの、おばちゃんだけだった。


満員じゃないけど、そこそこ混んだ車両の中で、

なんかそこだけすぽーんと席が空いてて微妙な気分になった。

もういっそ、子供に座らせればいいのになー…。ポリシーなのか…な。

2010-08-19

スーパーカブにおけるパラダイムシフトについて

新着はてぶに載ってた記事↓

http://burusoku-vip.com/archives/1335818.html

を読んで思った事をちょっと書いてみる。

  

若い奴がスーパーカブ(以下、カブ)に普通に乗るようになったのは、

正確には覚えてないけど、今から15年ぐらい前からだったと思う。

オッサンなら誰でも覚えていると思うけど、

それ以前はバイト以外でカブ乗ってる若者なんか本当にいなかった。

例外的に、免許取りたてでバイク買えない奴が、どうしてもバイクに乗りたくて、

とりあえず家にあるカブを近所で乗りまわすぐらいだった。

  

当時、若い奴がカブ乗ってるのを見たら…今の奴にもわかるように言うと…どんな感じかな。

例えば中学生男子が、前後子供載せるイスが着いたママチャリ乗ってるぐらいの

「それ絶対お前のじゃないだろ」っていう違和感

それぐらい、カブからはぬぐいきれないオッサン臭がしていた。

  

それがほんの2~3年でスタンダードになってしまった。

つうか、むしろ流行ってた。

  

古いものが若い奴らに新鮮に映るのは、よくあることなのはもちろん知っている。

80年代は裾がちょっとでも広がったズボンなんて、ギャグでしかあり得なかったのに、

90年代早々に流行したのはベルボトムジーンズだった。

でもそれは70年代ファッション馬鹿にし続けた80年代感覚を、

知らずに育ってきた奴らの間で流行ったのだ。

そんな風に、裾が広がったズボンに対する価値観には、明確な空白期間があった。

自分は、この空白期間は絶対に必要なのだと思っていた。

  

しかしカブは違った。今と同じかそれ以上にそこら中で使われていた。

田園風景を走る軽トラ農家のオッサンを想起させるように、

カブは連綿と配達orオッサン御用達の、カッコよくない乗り物で有り続けていた。

TWみたいにマイナーであまり知られてなかったとか、

SRみたいに最初からレトロ路線で売っていたとかでもない。

バイクを殆ど知らないオッサンやオバハンまで含めて、皆がそう思っていた。

うちの親なんか、とっつぁんバイクって呼んでたくらいだ。

(とっつぁん=父ちゃん、転じてオッサンの意)

  

そんなオッサンバイクの価値観がいきなり短期間で反対側にシフトした。

レッグシールド外してカスタムした奴らはちょっとだけオサレっぽくしたりしてたけど

やっぱりどう見てもカブ以外の何物でもない物に、若者がマイバイクとして乗り始めたのだ。

もちろん、漫画ドラマでカッコよく使われたとかでもなかったと思う。

自分の知らない、トリガーになった出来事があったんでしょうか?

    

未だにパラダイムシフトという言葉を聞くと、この事を思い出す。

他にも空白期間が無いのにいきなりダサダサ→オサレってのはあるのかな。

誰か知ってたら教えてください。

  

2010-08-16

医者の当たり外れでこんなに違うという話

2chスレより

37 : AV女優(鹿児島県) :sage :2010/08/14(土) 16:24:26.20
俺の父ちゃんもクビの骨を折って、最初に担ぎ込まれた病院で、 
全身麻痺です、寝たきりになります、車椅子もムリですって言われて 
母ちゃん号泣。 
その後大きな救急病院に搬送したら腕のいい医者がいて、そこで直して 
もらって全快だった。 
医者でぜんぜん違うな。 


628 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:37:40.74
>37 
そうそう俺もむかし腹が痛くて痛くて病院に駆け込んだときに、 
最初病院医者はいきなり悪性って診断しやがってマジ泣いた 
次の病院エコー見てもわからないから痛み止め処方w 
次の病院エコーに4人掛かりでわからず、 
最後医者は持ち込んだレントゲン見て一発で膿瘍と診断、即入院手術で回復 
医者でぜんっぜん違うから注意だわ 

702 : 柔道整復師(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 22:52:22.74
>37 
知り合いがバイク事故って救急車で運ばれたんだけど 
医者が「足を切らないと死んでしまう」って 
それ聞いたそいつのカーチャンが「そんなの絶対駄目」って、急いで違う病院に運んだんだけど 
今では普通に歩いたり走ったりしてる 
怖すぎ 


751 : 爽健美茶(大阪府) :2010/08/15(日) 00:46:05.67
>37 
6年ぐらい前に頭がフラフラするし身体に力が入らない、おまけに 
野良猫に噛まれて足が腫れて来た。 
近所の緊急行ったらベビーカー押した爺さんが出てきて症状を説明しても 
「わからんなぁ」で傷だけ消毒されて終わり。 

翌日症状が治まらないから別の個人病院行ったら、医者が俺の顔見るなり 
緊急手術とか言い出した。 
出血性胃潰瘍で失血死寸前、よく一人で医者まで来れたなと言われたお。 
貧血で顔真っ青、見た瞬間判ったって言われたよ。 


634 : AV女優(東京都) :sage :2010/08/14(土) 20:40:17.23
>628 
どういう病院おすすめ?大きい病院? 


637 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:45:12.90
大学病院>634 


640 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:48:21.16
>634 
最後の当たりの病院国立だけど担当した医者は何年かで移動しちゃうし、 
3番目の4人掛かりダメ病院も箱自体は日本赤十字のでかい病院だし 
結局いい医者に当たるかどうかは運のような 


649 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:56:41.16
>645 
ああ、確かにコネ重要だよな。 
ウチの母ちゃんの場合は俺の勤めてる会社社長が手を尽くしてくれて 
取引先の某大企業部長さんの紹介で直ぐに見て貰えたからな。 


797 : ノブ姉(山形県) :2010/08/15(日) 03:14:59.01
>37 
>702 
これマジかよw 
洒落で済まないぞ 

807 : まりもっこり(中部地方) :2010/08/15(日) 03:35:30.29
>797 
指チョンパして、「もうくっつきません」って言われた指他に持ってったらひっついたとか 
けっこうその手の話よく聞くぞ 
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