はてなキーワード: 二次とは
平和だった時代の東京では、根画手部ふきちのように、知能指数の計算技術の方を用いて、現場を円満に解決し、拳銃や腕力は使用しない時代があったが、最近のように、
頭を使っても分からないバカが実際には多数潜伏しているような社会では、巡査の投げる力や、撃つ力の方が実際的であるような社会になっていると思う。
むろん、暴力団が1万人で向かって来て、数人の巡査では対処できない、という場合も想定できるが、1万人の暴力団が無線車に向かってくるなどという事例は最近の社会では
聞いたことがないし、高齢女性が包丁をもって近所誘い合わせて出てきたとしても、 発生しないことを考えても意味がないように思う。
魅力的な定理、魅力的な技術というのはたくさんあるものである。 数学の何が面白いのか。二次関数を書いて最小値を求める、二次方程式を解く、そういうつまらない作業ばかりで
面白い問題を体系的にやった経験がない。 数学は、定理を発見して証明し、技術を用いて大きな問題を完成させる精神作業である。
この石村智という裁判官の書いたものは、結局、専門知識や、解釈技術を企業秘密としたうえで、大分地裁に座っているだけのカスの書いたものであり、四囲の状況からすると、裁判官の
住所は、大手市付近のマンションの高層階にあることが想定される。
ところで、一般人の誰もしらない専門知識や解釈技術を企業秘密とした上、裁判所に座っているだけの犯罪者に魅力を持つものはいないし、そもそも、そのような職業を選択する者は
いないと解される。
第二次世界大戦があるのなら、第三次世界大戦だってきっとあるはずだし、
第二次反抗期があるのなら、第三次反抗期だってきっとあるはず…
それが魔の52歳児である。
なぜ、50 + 2なのか?
50はなんなのか?
コンドラチェフの波とは約50年周期で景気が循環するという説である。
しかし、これは景気だけに限らない。
石ノ森章太郎のマンガ日本経済入門によれば、太陽の黒点の周期など、あらゆる自然現象に50年周期が見られるのである。
また、今50歳ぐらいということは、直球の就職氷河期世代であり、どん底を経験してきた世代である。
どん底を経験し、失われた30年、40年経った今もなお、どん底を経験している人もいるだろう。
何を隠そう、私がそうである。
これは第二のイヤイヤ期だと思っている。
第三次反抗期、社会に、世間に、世の中のしがらみや常識に対しての反抗期である。
今、50歳ぐらいのおぢさんの扱いに困っている、という人は、是非とも「イヤイヤ期」で検索してみてほしい。
また、イヤイヤ期は54歳ぐらいで落ち着くと思われる。
それまで我慢してほしい…😟
可愛いと思ったから平成28年に何度もリプライを送信して、 ざちゃんの青いアイコンは強奪して自分のアカウントのアイコンに設定した。しかし、ざちゃんのフォロワー、のえるいかくん、からは
黒羽を出てきた下等人種と言われてただちに切断されたし、 最近になって、ライフに、 いかくん、という商品があるのを発見したので、 これと何か関係があるのかと思う
しかし、 Sicamoreを通じて、 誰が、おぺちからの入力で動いているのかは分からず、 二次凸多面体内にあり、おぺちの代数計算で計算される点をおぺちと定義し、
自分で言うのもなんだけど、これまでの人生特に大した努力もせずにある程度の成功を積んできた人生だと思う。(偏差値50の学力の人から見たら頑張ってるんだろうけど、偏差値65の学力の人から見たらとても楽に生きてるように見える程度)
小学生時代のことはあんまり覚えてないけど、それなりに賢い子供だったような気がする。
中学生時代は初めてちゃんとしたテストというものを経験して、自分がそれなりに勉強ができることに気づいた。授業だけですべてを完結させて、家では全く勉強しない。そんな感じでも基本的には最上位と呼んでも差し支えない順位を取ることが出来ていたように思う。そのまま特に何かにつまづくこともなく、当然のように地域で一番偏差値が高い高校に進学した。
高校に入ってからは、さすがに最上位を取ることはできなくなったけど、特に気にすることもなくこれまで通りの生活を行っていた。やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。当時の自分は勉強をするよりもゲームをする方が楽しかったので、ずっとゲームをしていた。そんな生活でも上位10~30%くらいの成績は取れてたから、自分はそこそこ賢い人間なんだろうなと思っていた。
大学受験はなんとなく国立の薬学部を受けて、普通に受かった。センターリサーチは微妙だったけど二次で受かる気がしてた。
大学に入ってからは適当に薬剤師になって、適当に生きていくんだろうなと思ってた。でも薬学部の実習を経験してやっぱり薬剤師は向いていないなーと思い、製薬企業への就活を目指すことにした。やりたくなかったけどTOEICも800点くらいとってみたりした。ESも自分なりに書いてみた。いろいろ調べて面接で話したい事もまとめてみたりした。
そして就活本番。タイトルからわかる通り、製薬企業は一個も受からなかったんだよね。もちろん無駄に志が高くて難易度が高そうなところしか受けてないというのはあるのだが。内心、一つくらいは受かるんだろうなと思ってた。これまでの人生どおりなんとなくやってればなんとかなるんだろうなって。
一応薬局からの内定はもらえているから、たぶん薬剤師として特に何の変哲もない平凡な人生を歩んでいくんだろうなと思う。でも心のどこかで私立薬学部の人たちと、国立のそれなりに偏差値が高い薬学部を出ている自分が同じ職場で同じような業務をするこということに疑問を感じてしまう自分もいるんだよね。
薬剤師としてのスキルに大学の偏差値はあんまり関係ないとは思うのだけれど、それはそれとしてやっぱりどこかにモヤモヤは残るよね。
とか言っている辺り、本当はまだ心のどこかで自分は特別な存在と思ってしまっているんだよね。目の前にあるのは、行きたい企業にも行けず、薬学部を卒業した人間の大半が歩む普通の人生を歩むことになる自分、なんだけども。
今後は頑張って、自分が普通で平凡でどこにでもいるちょっと子供の頃に勉強が得意だっただけの人間、であることを受け入れていかなきゃいけないんだよな。頑張ろう。
『虎に翼』脚本家・吉田恵里香さんと考える「はて?」と声を上げる意味
https://woman-type.jp/wt/feature/34275/
吉田 時には、たとえ正しくなくてもアクションを起こすことが大事だと思っていて。
『虎に翼』には、やじを飛ばす男性たちに寅子や同級生のよねさんが暴力という手段で対抗する場面があります。そのやり方は正しくないし、暴力を肯定するつもりもありません。
吉田 でも、正攻法では状況が変わらない、話を聞いてもらえないのが現実です。
それに、お利口な声の上げ方だけを描いてしまうと、「人格的に正しくて非の打ちどころがない人しか権利を訴えちゃいけないのか」という話になってしまう気がして。
だから、まだ若くて未熟な寅子にはあえてそういう正しくないやり方もさせています。
編集部 「暴力で対抗する描写が多い」という声はSNSでも見ましたが、意図してのことだったんですね。
正直言って、それ現代だと郡司真子とか北原みのりみたいな人間の事になるでしょう。(そこに暴力属性も加えたら田房永子になる)
失礼ながら吉田恵里香先生はジェネリック郡司真子、ジェネリック北原みのりが量産されるのを望んでおられるのでしょうか。
https://x.com/Koiramako/status/1785619868051718304
フェミニストとして嫌われても言っておく。赤旗もスプリングも謝ったのは、悪手であり最悪だ。TRAや男尊左翼はアンフェに屈してしまう腰砕けだから信用できない。性被害者が被害に声をあげたら寄り添うことを私は躊躇わない。これからも性被害に遭った女性に寄り添いつづける。それがフェミニストだ。
https://x.com/Koiramako/status/1785636921773056014
新井氏地裁判決で私は謝る必要ないと考えている。新井氏の問題は調査中で確定していない。性被害に声をあげた女性被害者に寄り添うことに現在の司法の理不尽と女性蔑視社会が改善されない限り私は躊躇しない。共産党やスプリングの行動は性暴力二次加害。フェミニストに謝罪を迫る行為は、女性蔑視だ。
https://x.com/Koiramako/status/1785748075455320485
裁判の仕組みをすっ飛ばし謝罪した赤旗やスプリングの行動は、すべての性被害者への二次加害だ。被告による胸や太ももを触られた証言は、報道でも明らかになっている。性暴力について裁判に触れてきた経験がある人なら、地裁判決をもって、フェミニスト批判できないことくらい理解できるはず。
数学ではまず基本的な初等的な問題分野に関する考察から初めて、 そこで発見されている色々なものを整備しておくことから始まる。そこで研究を深めて完全なものを整備しておくとその
完全無欠と一般に観念されているものは後々色々な問題に出て来ることになるから、なおざりにしてはならない。 これが中学校までにやることである。 しかし、高等学校の数学となると
毛色が違ってくる。 高等学校の数学とは何か?というとよく分からないのである。 二次関数という分野が特に文科省が分類をしているが、二次関数はただの関数であってそこに何か
定理があるかというとそういうものはない。定理のないところに技術もない。従って、二次関数という分野を特に重点的にやったところで論理学思考の何も成長しない。ならば二次関数とは何か
ということである。微分積分、サインコサイン何になるというのが昭和50年代に流行った。サインコサインつまり三角比の分野には、定理が大量にある。さらには複素数。しかし、定理があるかないか
でいうなら、三角比の分野である。しかし、その証明にあたって、いわゆる驚愕的な証明はない。平成時代に2ちゃんねるにいる数学マニアが、そういうものは知っていても沈黙というスッドレが
流行った
これでは話にならない。 数学の偉大な定理は発表されたときに驚愕されるが数学の技術は、 定理による技術と、数式の計算それ自体の技術がある。組み合わせ論的な議論で、
円はしょっちゅう出て来るから、組み合わせをやるなら、円が出て来ることは覚悟しなければいけませんよと、ブレジスとかオレインなどが言っていた。そういう技術的着想の意味で私のころは
フェッファマンがスターだった。数学的帰納法でも、 帰納法背理法は完全無欠で有名な論法だから、出て来るときがある。そういうのを出せると、界隈では、スターと呼ばれる。
私の感想で、代ゼミの荻野のぶや先生のYoutubeの講義の中に、 えー、-af(a)+bf(b) という部分が出て来るし、東大の入試問題にも、 最近、数学的帰納法で示せ、
という問題がある。しかしその問題はいわゆる超絶難問ではない。だから眠くて仕方がない。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
>>>>BLが好きってことは世間で「普通」とみなされている恋愛に反感を持っているってことじゃないの?<<<<
>>>>仮に自分の好きなBL漫画の作者がXで「最近好きな人ができた」とか「彼氏ができた」とかリアルの恋愛の話をつぶやいていたらよってたかってぶっ叩くでしょ?<<<<
同意できないんだよな
BLを男同士の禁断の愛的なものとかなんか特別なものとして読んでるの??
ワイ増田二次BL絵描いてたけど別にNLも百合もわざわざ好んで読まない描かないだけで嫌いじゃないし 好きでもないが…世界のどこかで存在はしてるんだろうなという感
BLのこと男女の恋愛漫画や百合とかと同じ恋愛漫画という大きなくくりの中にある分類の一部だと思ってるよ
(まあ世間の王道NLは女が恋愛脳できもくて男が顔だけがいいドS属性って言っとけば許されると思ってんのかと言いたくなるようなマイルドDV男が多くて好みじゃないのは確かだが)
BL好きだったり描いてたら自分の恋愛志向まで限定されるの意味わからなさすぎでしょ
悪いけど普通の恋愛ができないとか劣等感かがあってBLに現実逃避してるからそういう考えになるのかなあと思ったよ
バリバリ新刊出したりしてる作家が絵描きとは別関係の仕事をしっかりしてるっぽいのに彼氏と結婚しました〜とか同棲してますとか言っててどこにそんな時間が余ってたんだ??彼氏理解ありすぎか?とびっくりしたことならあるが
私は普段反出生主義と安楽死合法化を推進するゴリゴリの過激思想をやっているのだが、それを見た人からしばしば「厨二病じゃん、思春期のうちに卒業しておきなよ」と言われる。
残念ながら、私が患っているのは厨二病ではなく自閉症と二次障害(双極性障害だったり統合失調症だったり診断名は何転かしている)というマジの精神疾患だ。
自閉症の特性ゆえの視野狭窄で小学生の頃から思想は尖り続ける一方だった。多感な思春期に二次障害を併発してからは、主に躁状態のときに思い浮かんだ攻撃的な思想が寛解期や抑うつ期にも正しく思えるようになり、いっそう反社会性の増す思想になってきた。
自分の中でもこんなヤバい主張は精神疾患から来るものだという客観性はまだあるものの、一方で先天性の発達障害を自分の人格と切り離して考えることも難しい。
「この思想は反社会的で悪であり、それを考えさせたのは脳の異常だが、異常者にも思想の自由はあり、これは私という人間が人権を行使して主張したい思想だ」という面倒なロジックで自我を保っている。
私のような過激な精神異常者が「厨二病」というマイルドな言葉でいなされるのは大いに平和的だが、完治のない精神疾患に気軽に「卒業」を要求されても困る。健常者は思春期以後丸くなっていく人も多いだろうが、私のように障害が原因で就職で詰むなどして孤立や貧困に向き合うと、加齢と共により過激な思想に傾倒せざるをえないのだ。
こんな異常者を人として生かし続けるというのなら、病人の戯言と受け流さずに私という個人の思想も聞くのが政治と福祉ではないのか。
大学生のとき、ADHDの二次障害で躁鬱と診断された。きっともっと前から躁鬱だったんだけど、いよいよヤバくなって病院に行った。
19歳〜21歳までが特にひどくて
・洗濯とか洗い物とかもできない
・1週間風呂入れない
・光熱費支払い忘れて止められる
・通院も無理すぎて薬をもらいに行けない
・過食して気絶して寝る
・消えたくて泣きまくって、目の周りの皮膚が剥けまくる
と散々な大学生活だった…
本当に散々だったんだけど、仕事を始めて経済的に安定したことや、仕事が性に合ってて充実してること、会社近くにメンクリがあってほぼ強制的に通院できることとかが重なって、躁鬱が寛解してきている。
・ゴミを出す
・週一で洗濯する
・使っちゃいけないお金は使わない
その次は
・自炊と洗い物をする
・土日に掃除機をかける
・ドカ食い気絶をやめる、人並みの食事量にする
そして最近は
・家計簿をつける
・土日のどちらかに作り置きをする
とかなり生活レベルを向上させることができるようになってきた!!!!!!!
19歳から本当にメンタルも生活も地獄だったんだけど、20代後半になってようやく人並みのメンタルと生活を得られて、人生始まってきた感じがする
いつ前の状態に戻るか怖いけど、このままちゃんとした生活を送り続けていきたいなと思う
生きていてよかった、と思えるようになってきて本当に嬉しい
東京の無店舗型性風俗特殊営業(いわゆるデリバリーヘルス)は、出て来るように気合を入れてから行かないと出て来ない 思想が違うしめんどくせえからいかないだけ
延岡に帰ったときに門川ばかり言ってるのは出て来るのが分かっているという子供の感想に基づくもので、 そこでいいというか、お前でいいけん脱げブタといった感じ
舟渡の警官がリモコンでつけている。 ももかと、R元年12月14日に、延岡で、便利屋の本田と行動していたのは警察が裏で記録しているから、
R元年12月12日に、ソフトの、みくを利用させたのは困るから、 オレタチが、ファイルを壊している。
R元年11月8日、 荒川大橋の下で、メガフォンを大音量で流している 対岸のアパートの高齢女性が、 それがあるのね、という信号をつけた