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はてなキーワード: 物理学とは

2024-05-31

幾何学ラングランズについて

ラングランズ・プログラムは信じられないほど広大で広範囲に及ぶ。

その最も深い側面は、ラングランズが40年近く前に始めた数論的設定に関係している。

しかし、ラングランズ・プログラムにはあらゆる種類の発現がある。

個人的理解しようとしているのは、ラングランズ・プログラムの 「幾何学的な 」形態であり、そこではアイデアの一部が数論から幾何学記述に変換されている。

長い間、幾何学ラングランズ・プログラムに取り組む数学者たちは、数理物理学アイデアを大いに利用してきた。

特に、コンフォーマル場の理論と呼ばれる分野は、物性物理学でも弦理論でも重要である

しかし、物理学アイデアはいつも、物理学から見ると奇妙に見える方法アレンジされていた。

もし物理学に基づく考え方が幾何学ラングランズ・プログラムに関連するのであれば、幾何学ラングランズ・プログラム物理学者にとってより理解やす言葉で再定式化することは可能なはずだと思った。

ラングランズ・プログラムは広大なテーマであり、その全体像を把握できる者はほとんどいない。そして、それが最終的にどこにつながるのか、それを言うのは早すぎる。

2024-05-29

大学物理学をガッチガチに学んで卒業した人なら疑似科学に騙されることはないのかな。

疑似科学に騙されるのは高卒文系に多いのかしら。

2024-05-28

[] 2024-05-28

朝食:はちみつパン、昼食なし、夕食: ごはん, 麻婆豆腐, ナス, いちごヨーグルト

今日は嵐なので家に籠もりっきりだった

そういえばヤングシェルドンシーズン4を見終えた。人間関係カオスビリヤードの玉に喩えるシェルドン、様々な人間関係トラブルに悩まされる

ヤングシェルドンを見ていた時間を別のTVシリーズを見る時間にしたいが、レンタルや購入は避けたいところ

購入するのであれば、レナードニモイがスポックだった頃のスタートレックシリーズ大人買いするという方法もある

現状でアマプラで見ているのはこのすばだけだ。正直、日本アニメの「原作」というやつを見たことはない

これは私だけかもしれないが、プログラミング心理学物理学健康法などの書籍理解できるのだが、文学書は読んでいても全く理解できない

から異世界もの文庫本などは、読む気がしないのである

そういうものを読んでも視覚イメージが全く湧いてこないので、映像ゲームのほうが楽しめる

ただ、ゲームが楽しめるというのは高校生までの話で、最近ゲームストーリーだけをYoutubeで見る以外にはゲームに触れることもなくなった

少し前にFF7リメイクSteamからDLしてプレイしたが、それをクリアしたあとはまともにゲームというものをやったことがない

マジックギャザリングアリーナリーグ・オブ・レジェンドなどにも手を付けたことはあるが、すぐに飽きた

というか、色々なものに楽しめなくなっているのは、投薬量が増えているからだと睨んでいる

こう、挑戦する前のワクワク感、みたいなものを以前は感じたのだが、最近はやる前から面倒臭さを感じてやめてしまうのだ

私の遺伝傾向として新規探求性が高いらしいのだが、面倒くさがりであるという性質も同時に持っているので、常に混乱状態である

うーん、なんか楽しいことないか

2024-05-27

anond:20240527074501

それは経済学だけの話ではない

例えば物理学では、助成金を得るためにぶっ飛んだ理論開陳する傾向が以前に存在しており「数学宇宙仮説」「量子力学関係性仮説」「M理論」はその最たるものだった

2024-05-19

   物理学に言う超対称性ポアンカレ代数の隠れた超対称性というのは、直角三角形を4つに回転対称性に配置するとそこに正方形が出現するという意味でのsupersymmetryであり、

   数学計算技術には頻出するので、こんなもんはカスでもできなければいけないし、出来ないとまじで一生の恥である超対称性による計算が出来るようにしておかないと、

   凸多面体に計算をいれても、そこから先の技術ができない。

2024-05-15

黒沢清蛇の道』(1998年)

自分がやってしまたこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。

前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。

さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。

[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖

[B]全く原因不明の恐怖

どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。

[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。

原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルス感染してしまたことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠禁忌を犯したという程度だ。

そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。

ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているかである

すなわち正当な復讐をする勧善懲悪物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。

では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。

それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである

観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷もの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。

黒沢清監督作品蛇の道』(1998年)はこのような映画である

いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。

この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしま行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。

かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。

それが、紛れもなく人間性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。

それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。

特筆すべき役者は(やはり)哀川翔である

この映画での哀川はほぼ、人間醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界物理学法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。

ともあれ、是非多くの人に見てもらいたい作品である

いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。

ヴィデオ化にあたり、『修羅極道 蛇の道』と改題された。

(この文章1999年8月下旬ごろ書かれた。)

(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)

水泳ダメ練習プログラム

まず選手の出場種目に対して練習最適化されてないのはダメだね

何十人もの選手に同じ練習強制して、短距離泳者に対して長距離泳がせたり、平泳ぎ選手バタフライやらせたりとかはダメ

そんで物理学的に最適なフォームを予め研究してないのは全くダメ

平泳ぎで言えば、手でかくタイミングが多すぎても少なすぎてもダメで適切なポイントがある、そのポイントデータ集めて特定しないとダメ

あと選手の種目に合わせた筋力トレーニングができてないと無駄な部分に筋肉がついてしま悪化するとかもある

他には?

2024-05-13

数学を学ぶ意味数学芸術である

Xで共有された動画塾講師先生が「要領が悪い奴は定数を動かそうとする、変数をどうにかすべき、だからこういうところが数学を学ぶ意味だ」とか言ってんのよ

はぁ?なにが数学を学ぶ意味だ、いい加減にしろ

いか数学ってのは公理から演繹的に体系を導き出す「芸術」だ

証明法にもエレガントさってものがあるし、第一、美しくない公理体系は見向きもされない

定数ってのは物理学の話だ。物理学にはプランク定数h、光の速度c、重力定数G、という基本的な3つの定数があるが、たしかにこれらを「動かそう」という話はしない

あるいは数学にもπやeのような定数はあるが、要領の良さとは無関係であり、動かそうという話もない

しかしそれは常識レベルの話だ、「誰も神の力を持っていない」と言うようなものから

では現実世界に「定数」と呼べるような固定のもの存在するか

線型回帰適用したら定数項が出るかも知れないが、これは変数依存しないというだけの話で、データが変われば動く

政治に対しては努力次第で影響を与えられるし、人間関係だってそうだろう

努力の大きさに見合わないほど、それを動かすのが難しい」という話をしたいなら、残念ながらそれは「定数」の話ではない、むしろ現象変数に対して持つ感度の問題である

しかし俺がいいたいのはそういうことじゃない。芸術であるはずのものを「要領の良さ」という低俗トピックに落とし込むその感性が全く同意できないのである

例えばラングランズ・プログラムの先にあるものはなにか、と考えれば、それは驚愕的な数学の繋がりを示すことであり、陳腐とも言える「要領のいい」応用を目指したものではないだろう

要領の良さというのは、要するに経済学の話であり、数学ではない

わかったか

2024-05-08

意識と量子の関係スピリチュアルとは無関係

お前らは「意識と量子の関係なんて物理学的に興味の範疇外だ!」とかいつも発狂してたから調べたんだけど、Googleの量子科学者が真面目に検証してるぞ。

Google's Top AI Scientist on Consciousness via Quantum Superposition | Hartmut Neven

https://www.youtube.com/watch?v=0dlL2a0n3RY

2024-05-07

anond:20240507205924

ただ数字使ってるだけで数学と思う文系多すぎだよね

物理学ですら数学ではないというのに

2024-05-05

生成AIで思い出したデキる学者普通学者

大学とき固体地球物理学をやってたんだけど、研究をするにあたって観測・測定データがとても大事

それで、たとえば大地震が起きたとき地元大学データ収集して、全世界に公開するかというと、それはしてなかった。

火山噴火ときも、それまで集めた平常時のデータ噴火時のデータを全世界に公開すれば研究は進むけど、それも直ちにはしてなかった。

なにをするかというと、そのデータを用いて、それを収集した人が論文を書く。

それで、論文を書き尽くして「もう、このデータから書ける論文はないかな」となったところで公開する。

最初から公開した方が研究は進むけど、それだとデータ収集した普通学者が食べていけなくなる。

からしょうがないんだと言ってた。

指導教官に「データを公開した方が良いと思うんだけど、しょうがないですかね」と言ったら

「公開した方がいいねデータの下処理を色んな人がやってくれるんなら、その方がありがたい。そこから考察するから

と答えた。

この人は後に学会長になるデキる学者だった。

普通学者データを公開すると、こうしたデキる学者が先に論文書いてしまうので、存在価値ピンチになってしまう。

生成AIによる学習をみて、このことを思い出した。

AI学習ズルい」と言ってる人たちは、普通学者の主張に近いと思う。

デキる学者AIが真似できるようなところで勝負してないんだと思う。

そもそも普通学者存在価値があるのかというと、これは難しい問題

ここがAIで置き換えられるなら、それでもいいじゃんと言う気はする。

もちろん置き換えられる普通学者はたまったものではない。

普通学者がいなければ、デキる学者も出てこないだろ」と主張したいところだけど、これ、たぶん出てくる。

AIに真似されても困らない人だけが残る新しい世界が始まるね。

anond:20240505120039

物理学単語を借用してポエム書く高等遊民なんだろ

そんな学部に入れてくれる親を持てて羨ましいよ

2024-04-24

anond:20240424192135

霊なんて存在しないよ

全て偶然起きた科学現象か、まだ解明されてないだけで普通に現実物理学説明できるであろう科学的なもの

人は解明できないものを神か霊か悪魔として片付けてるだけ、いずれ神も霊も悪魔科学的に解明されつくすよ

そうして人は知るんだよ、「死の先に転生も冥界もない、永遠の無が続くだけ」って

2024-04-22

anond:20240422002105

一般性というのが結局欧米宗教文化を元に法学として成立した一般性じゃん

それは局地的な西欧での一般性に過ぎないでしょ

イスラム法学でそれがどのように解釈されるかもまだ割れてる状況でさも物理と同等レベルフェミニズムに関する法学が全人類一般適用できるかのように言うのがおかし

アッラーはもともと男と(女)との間には優劣をおつけになったのだし、また(生活必要な)金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべもの。だから貞淑な女は(男にたいして)ひたすら従順に、またアッラーが大切に守って下さる(夫婦間の)秘めごとを他人に知られぬようそっと守ることが肝要。反抗的になりそうな心配のある女はよく諭し、(それでも駄目なら)寝床に追いやって(こらしめ、それも効がない場合は)打擲を加えるもよい。だが、それで言うことを聞くようなら、それ以上のことをしようとしてはならぬ。アッラーはいと高く、いとも偉大におわします。

・男たちは妻たちの支援者である。神が一方に他方よりも有利な点を与えたからであり、彼らが財産を費やすからである。よって道徳的に正しい女とは、課せられたことに従う者たちであり、神が大切にしてきたものを守る者たちであるあなた方が抵抗をおそれる女に対しては、諭し、寝床放置し、そのもとを立ち去りなさい。もし彼女たちがあなた方に従えば、それ以上のことをしないように。本当に、神は高く、偉大であられた。

かに井筒俊彦は古い法学者の研究者だったか現代ではフェミニズム適用した後ろに変化しつつはある

でも変化してる最中、受け入れるかどうか実験中ってのは事実としてそうなわけで。

1860年から1900年代にかけて証明された事実なんてのは西欧可能だっただけで別に西欧以外の社会が受け入れたわけでもなんでもない

ウラマーの人たちも今必死こいてどうフェミニズム適用するか社会を見ながら考察解釈してる最中でしょ欧米論理に不信感だってあるのに

軽々しく物理学ほどの一般性を持つと主張するべきではないよ

2024-04-18

anond:20240418105007

ポケモン世界におけるポケモンバトルって、現実でいう物理学経済学みたいにかなり専門性高い扱いだと思うが。同業者に話しかけて意見交換するくらいの感覚だろあれは。

2024-04-07

オッペンハイマー』観た。

元カノが死んでから自分を責めたり、実験の爆発を目の当たりにしてから水爆反対への心変わりに向かっていったりと、オッペンハイマーには自分のやってる事への当事者意識の薄さみたいなのがあるのかなって感じがした。

絶対悪」のナチスドイツなき後にもまだ(瀕死の)日本がいるじゃないか研究を続けて、いざ実験成功して投下した後になってから果てしない核軍拡競争への憂いで気持ちが揺れ始める。赤狩り時代が強調されてはいとはいえ水爆ソ連への牽制だという言い分にもあまり強く言い返せない。

ストローズの「奴は瓶から出した原爆魔神を元に戻そうとしてる」みたいな台詞は、オッペンハイマー憎しで出た言葉かもしれないけど彼のふわふわした感じを端的に表していたような気がした。トルーマンに腰抜けと一蹴されたのも。

学生時代に病んでたのは、物理学なんかやってると唯物論的な方面実存不安を抱えるようになるんだろうか。ピカソストラヴィンスキーに触れるシーンでそう思った。それに対してセックス不足だろと言われてたのも、そういう抽象的な事ばかり考えずに地に足つけて生活したら、的な意味だったんだろうか。共産主義唯物論は結び付けられて語られるようだけど、活動に傾倒していったのもそういう事なんだろうか。

日本にまつわる描写淡白だっていう感想もあるらしいけど、自分は投下後に言われていた「国内で抗議が"起こらない"のが心配だ」みたいな台詞結構印象的だった。

劇中で何度も鳴り響くオッペンハイマーの功績を称える足音軍靴の音に重なるものがあった。

実験シーンで爆破音を大分遅らせる演出は、まあそうなるだろうなあと思わせる猶予になってしまったけど、それを補って余りある ほどにオッペンハイマーが抱いたであろうアンビバレント感情を思わせられた。

「ほぼ0%」だからまあ大丈夫だろうと研究を続けたり、爆破の直前に賭けをしてたり、防護服を着る事もなく目視で爆発を眺めたり、実験成功すれば無邪気に熱狂する辺り、研究者達からはどこか呑気さを感じる。

それはしばしばハリウッド映画非難されていた核兵器への認識無頓着さへによるものではなく、むしろそういったものに関して意識的に描いているんだと思う。思いたい。核兵器が実戦投入される以前の出来事を描いたシーンでもあるし。

ローレンスやラビ出会いから関係比較的重点的に描かれてたけど、他にも色々と博士政府人間が出てくる中で、それ誰だっけって人名が飛び交ったりして分かり辛い部分も多かった。

証人に呼ばれたローレンスと廊下鉢合わせて、結局彼が来なかったシーンもいまいち意味が分からなかった。冒頭の1. 核融合 2. 核分裂も何か象徴的な事を言っているのだろうけどいまいちよく分からなかった。

ただ3つのパートが徐々に絡み合っていってオッペンハイマー人生が語られる感じは、テネットとかインセプションに比べたら大分と分かりやすかった気がした。

プロジェクトX、よりは粛々と進むマンハッタン計画、胃が痛くなるような小部屋の尋問ストローズの閣僚入りに向けた公聴会、というそれぞれのシーンの要点を抑えた上で2度目に観たら前半の印象も大分鮮明になってより分かりやすくなった。

今の所世界は滅んでないけど核兵器も滅んでいないらしいし、これからどうなんでしょうねえ。この手の作品を観て大量破壊兵器よろしくないですねえ、平和は個々人の意識によって作られるものですよねえ、というポーズを取りつつ、まあ言うても別にボーッと生きてたって自分の生きてる間くらいは大丈夫っしょ……って思ってる自分がいますねえ。

[] 無限存在するか

数えることを学ぶとき無限に遭遇し、永遠に数え続けることができることに気づきます

それほど独創的な観察ではないですが、いつでも1を足してさらに大きな数を得ることができるため、数えることに終わりがないことが、無限重要性質です。

無限にはさまざまな種類があるため、それほど単純ではありません。 1、2、3 などの自然数の量は「可算無限」と呼ばれる最も単純な種類の無限にすぎません。

正式には、自然数から他の集合への1対1の写像(注: 勝間さんではありません)がある場合、この集合は自然数と同様に無限であることを意味し、同じ種類の無限です。

実数場合、その写像存在しないので、より大きな無限となります

さて、無限演算定義するとどうなるでしょうか。無限大に1を加えても無限大になります自然数のある数を無限大で割るとゼロになります

まり無限大に1を加算すると、結果は同じ種類の無限大になることを意味します。

これらの関係方程式として記述する場合には問題が起こってしまうことがよく知られます

無限大を無限大で割ったり、無限大にゼロを乗算したりする場合さら意味不明になります

実際には数学者無限対処する方法をよく知っています。ただ注意しなければならないのは、その無限がどこから来たのかを追跡することです。

たとえばxが無限大になると無限大になるx squareのような関数があるとします。

それを指数関数で割ると、これもxで無限大になります

まり無限無限で割ることになります

しかしこの場合、結果はゼロになります

無限大がどこから来るのかがわかっていれば、もう一方から1を引くこともできます

実際、物理学者は場の量子論で常にこれを行っています

たとえば、1/イプシロン、1/イプシロン二乗イプシロン対数などの用語がある場合があります

これらの各項は、イプシロンからゼロまでの無限大を与えます

しかし2つの項が同じ無限大であり、イプシロンの同じ関数であることがわかっている場合は、数値と同様に加算または減算できます

物理学では通常、これを行う目的計算最後にそれらがすべて互いに打ち消し合い、すべてが理にかなっていることを示すことです。

したがって数学的には無限は興味深いですが問題はありません。数学に関して言えば、無限をうまく処理する方法を知っています

しか無限存在しますか?

数学的な意味存在します。つまりその特性分析してそれについて話すことができるという意味です。

しか科学的な意味では、無限存在しません。

科学的には、観察を説明する必要がある場合にのみ、自然理論の要素が「存在する」と言えるからです。

そして無限を測定することができないので、観察するもの記述するために実際には無限必要しません。

無限大は測定できないという問題は、ゼロ問題と密接に関係しています

たとえば、点の数学抽象化を考えてみましょう。物理学者は点粒子を扱うときに常にこれを使用します。点のサイズゼロです。

しかし、実際にサイズゼロであることを示すには、無限に正確に測定する必要があります

したがって、測定精度が許容するものよりも小さいこしか示せません。

無限ゼロ物理学のいたるところに存在します。

宇宙や時空のような一見無害なものであっても。空間数学を書き留めた瞬間、そこにはギャップがないと想定します。

無限に多くの無限の小さな点で構成された完全に滑らかな連続である仮定します。

数学的にはこれは扱いやすいため便利な仮定です。そしてそれはうまく機能しているようです。

それがほとんどの物理学者があまり心配していない理由です。彼らは無限有用数学ツールとして使用しているだけです。

おそらく物理学無限ゼロ使用すると間違いが生じるのは、これらの仮定科学的に正当化されていないためです。

そしてこれは、宇宙量子力学理解役割を果たす可能性があります

ジョージ エリスティム パーマーニコラス ギシンなどの一部の物理学者が、無限使用せずに物理学を定式化する必要があると主張したのはこのためです。

2024-04-04

anond:20240404084711

2個目はもっと(僕みたいな)素人向けだね

量子物理学の初期にはそもそもよくわかってなかったのでノイマンみたいな天才論文以外で言ったことがいろいろ尾鰭ついたみたいだね

一つ知らなかったのが、有名なダブルスリット実験スリットが一つでも干渉は起きて波になってるってるってところ

後半に1個目のビデオペンローズの話が出てきてそれに対する一般的批判説明されてる

このビデオではmeasurementというのは3 :42辺りで言ってるように観察する方法との相互作用とするのが普通と言っている

観察するというのは見てる人が居るとか居ないとかではなくて、光が当たったことが「観察」であるという話

2024-04-02

観測意識

量子力学は、測定が行われるまで粒子は重ね合わせの状態、つまり同時に 2 つの状態にある可能性があることを示唆している。

そのとき初めて、粒子を記述する波動関数は 2 つの状態のいずれかに崩壊する。

量子力学コペンハーゲン解釈によれば、波動関数崩壊意識のある観察者が関与したときに起こる。

しかペンローズによれば、それは逆だという。

意識崩壊を引き起こすのではなく、波動関数自然崩壊し、その過程意識が生じるとペンローズ示唆した。

この仮説の奇妙さにもかかわらず、最近実験結果は、そのようなプロセスが脳の微小管内で起こっていることを示唆している。

意識はすべてを包括しており、現実のもの構成しており、物質世界は単なる幻想である、と言う人もいる。

意識幻想であり、実際の現象的な経験意識的な制御感覚はないと言う人も。

この見解によれば私たちは「ただの無力な観客であり、ただ乗り物に乗っているだけ」である

そして、脳をコンピューターとして見る人もいる。

機能歴史的に、蝋の「封印リング」としての記憶という古代ギリシャの考え方から電信交換回路、ホログラムコンピューターに至るまで、現代情報技術比較されてきた。

神経科学者、哲学者人工知能 (AI) の支持者は、脳を、可変強度のシナプス接続された単純なアルゴリズムニューロンからなる複雑なコンピューターに例えている。

これらのプロセスは、意識を持たない「自動操縦機能には適しているかもしれないが、意識考慮することはできない。

意識基本的ものとして捉え、宇宙の微細な構造物理学に何らかの形でつながっていると考える人たちもいる。

例えば、意識は量子領域古典的領域の間の境界における活動である「量子波動関数崩壊」という客観的還元プロセスに関連しているというペンローズ見解が含まれる。

基礎物理学とのそのようなつながりをスピリチュアルもの他者宇宙とのつながりと見る人もいるが、意識現実基本的な特徴であり、生命のものよりもずっと前に発達したものであることの証拠である考える人もいる。

ペンローズは、客観的還元意識科学的根拠としてだけでなく、量子力学の「測定問題」の解決策としても提案していた。

20世紀初頭以来、量子粒子は、シュレディンガー方程式に従った波動関数として数学的に記述され、複数可能状態および/または位置を同時に重ね合わせて存在できることが知られてきた。

しかし、そのような重ね合わせは見られない。

なぜなら、初期の量子研究者にとって、測定または意識的な観察という行為自体が、波動関数を明確な状態位置に「崩壊」させるように見えたかである

2024-03-29

世界情報理論

多世界解釈量子力学観測問題に対する一つの解釈で、宇宙波動関数実在のものとみなし、その波動関数シュレディンガー方程式に従って時間発展すると考える。

この解釈では波束の収縮は起こらず、代わりに重ね合わせ状態干渉性を失うことで異なる世界分岐していくと考えられる。

しか意識がどのように一つの分岐選択するかについては疑問が残る。多世界解釈ではすべての可能な結果がそれぞれの世界で実現するとされている。

意識が一つの分岐を「選択」するのだろうか。それとも意識のすべての可能状態がそれぞれの世界で実現するのだろうか。

この解釈物理学者哲学者の間でさまざまな議論引き起こしている。特に多世界解釈が「存在論的な浪費」であるとの批判もある。

まり観測できない多数の世界を考えること自体論理無駄だというものである

ところでエントロピー一般的には系の「乱雑さ」や「不確定性」を表す量として理解されるが、エントロピーが低下するということは「秩序」が増すということを意味する。

観測によって情報が定まることによってエントロピーが低下するという観点から見ると、系の状態特定状態に「収束」するという意味理解できる。

ここで情報理論について見てみると、観測者が持つ知識が、観測対象に対して影響を与えうるのではないかという疑問が生じる。

ジョン・フォン・ノイマンは、1932年の著書 「量子力学数学的基礎」において、精神現象に直接的に影響を与えないという前提が科学世界観にとって基本的要請であるとして、実験系と測定側の境界を置けなければならないと述べている。

しか観測主体対象エントロピーを低下させるという事実無視することはできない。これは環境対象相互作用した場合デコヒーレンスとは違っているのである

熱力学第二法則では基本的に2つのことを述べており、一つはデコヒーレンスによるエントロピー増加、もうひとつ観測によるエントロピー低下である

観測者が系に知識をもたらすことによって情報が積み重ねられていった結果、現在世界存在すると考えれば、本質的情報理論こそが量子力学の基礎を成していることがわかる。

しかしこの情報理論は諸刃の剣であり、つまり世界の安定性がなぜ保証されるのか不安になるので、当面の物理学要請として量子力学から情報理論の側面を剥ぎ取ることが要求されるだろう。

2024-03-27

anond:20240327133639

> 全問正解するような人はそもそもすでに研究者になってるような生粋の学究の徒

これは研究の中でも、特に理系理論系に多そうな気がするんだよね。実験系とかは、たとえば、元素一つずつ試して物性評価するとか、もっと地道な努力が要されることがある。そういう点で、受験研究は違う。あと、そもそも金の問題研究に進まないとかも全然あるから、この引用元は単純に成り立たない。

さらに、モチベーションも違う。親の保護のもと受験ナンバーワンになり、卒業後はさっさと就職する人もいれば、受験生の頃から純粋学問として深ぼり、金のない研究生活を厭わない人もいる (受験勉強が暇でファインマン物理学とか読んで余裕で受かる特異なタイプはこっち)。

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