はてなキーワード: 人間とは
生成AIで自分で無限に好きなコンテンツが作れるようになったら云々とは言うけれど
コンテンツが一瞬で作れて直接脳みそに流れ込むようになるのでもなければ消費できる量に限界がある
そして大抵の人間は独創的なアイデアを持っていないし出てこない
ただし、この手の人間なんてどこにでもいるし自意識と実際が離れてるのは知れて良かったじゃないか
ただ、真面目にやってるサボってる訳じゃないのであればそこさえ直せば大丈夫だろ多分
久しぶりにあった友人が子供っぽすぎてどうしよう。
大学の友人とコロナ禍明け、久しぶりに会う機会があった。学生の頃は男女混ざった友達グループで仲良くしてた人で、大学4年から就活とコロナが始まり、そのまま疎遠になっていた。数年ぶりに連絡が来て数回会ったのだが同い年と思えないくらい子供みたいな振る舞いが多くてびっくりした。
具体的なところとしては
人はそれぞれ考えを持ってるから自分の考えを伝えないと相手には伝わらないとか基本的なところができていない。あと若い世代が当たり前に持っている配慮がインストールされていない。一人暮らしの異性の家に行きたいって言わないとか、他人の噂話を無闇に話さないとか。自分も、自分の友人も、自分の会社の同僚や後輩も話す時は当たり前にその配慮をしてるので、配慮できてない友人にすごいびっくりした。
よく見るバウンダリーとかに近いと思う。自分が次ここ行きたいから相手もそう思ってるはずとか、そういう言動がちらほら垣間見える。例えば会った後予定があると言ったら(食事に行く約束しかしてなかった)ついてこようとするとか。
最初の約束の時に「ご飯に行ってその後どこか行きましょう」とかって話してたならまだわかるんだけどそういうのも特になく。自分がこうだから相手もこう、みたいなのが透けて見えてる。小学生くらいの息子がいたらこんな感じかと思った。
•認知が一部歪んでる。
Xとかで一時期話題になってたやつ。一人暮らしだって話をしたら第一声が「なんで僕を呼ばないの!」だった。せめて「僕もいつか行ってみたい」とかあっちが主語だったらわかる。(特にこっちはおいでよとかも言ってない。最近は一人暮らしで自炊してるって言っただけ)
おそらく彼の中では「一人暮らしの話をしてくれた→僕は友人だから当然呼ばれるべきだし話しているということは向こうもそのつもりだろう→でも僕は呼ばれていない→この人が僕を呼ばないのは間違っている。あってはならないことだ→なんで僕を呼ばないの!発言」みたいな感じなんだと思う。(Xの受け売りだけど)
一人暮らしをしたのは自分の生活の事実のみとしてこちらは話しているつもりだし、一人暮らししているの言葉の意味は一人暮らしをしている、以上となる。決して奥ゆかしく誘ってるとかではない。
今まで同年代の男と話してもこんな品のない発言されたことないので面食らった。(会話では曖昧に流したけどその後貴方の最寄り駅行きたいみたいなLINEが来たので丁重にお断りした。曖昧に流さなければよかったと後悔してる。)
余談だけど、この発言聞いた後から何話してもこんなふうに誤解されたらどうしようと思って会話がしづらくなった。
上記みたいに自分が26歳男だと理解して振る舞っていない節がある。言動が子供っぽいのに図体は大人なので結果としてうーんと思う発言が多いと感じる。そして自分が振舞えていないことを無知だけで片付けようとするのでタチが悪い。
例えば5歳の子が見知らぬ女性に抱きついても「お母さんと間違えたかな?」とかになるし「見知らぬ人に抱き付いてはいけません」って知らないんだろうなとなるから注意して終わる。でも26歳男が見知らぬ女性に抱きついたらセクハラだし最悪逮捕される。「僕は見知らぬ女性に抱きついてはダメとは知りませんでした」なんて言ったらお前は26年間の人生どう生きてきたんだ、ってならない?
流石に例え話ほど突飛な行動は友人も取ってないんだけど知らなかったから許してにも限度があると思う。「一人暮らしの異性の家に行こうとしない」くらい令和のマナーとして知っといてほしい。
あっちが実家暮らしでフルリモートワーク、人と会わない 生活をしているからか自分のことについて話すネタがないらしい。(友人にはあまり会わない。会っても3ヶ月に一回程度とのこと)
その結果として他人の話を無遠慮にしてくる。知り合いが有名人と結婚するとか本人に全く関係ないこと。そしてこちらに対しても「面白い話して」とか「僕は話すネタ何もないけどそっちは恋バナあるんでしょ。恋バナしてよ」みたいなことを言ってくる。
「貴方はたまに会ってくれる人間なんだから僕を当然楽しませるべきだ。さあ面白い話をしてください。恋バナをしてください」みたいになってる気がする。
恋バナは情報交換の意味もあるので向こうが話してこないのにこっちだけが話したいとは基本ならない。付き合い立てでこっちがめっちゃ惚気たいとかならともかく一年も前に分かれた元彼の話求められても反応に困る。
•口が軽い
コンテンツ消費してくるとも通ずるんだけど、リモートワークで人とも会わず変化のない生活をしているからか、親の病気とか家庭環境とか他人から聞いた他人の恋愛話とかなんでも話してくる。親から聞いた話をそのままこちらにしてくるので、私がした話も友人の家族に筒抜けなんだろうなと思うと会話しづらいし話題は選ばざるをえない。
実家暮らし•リモートワーク•友人とたまにしか会わないは全部友人が選んだことだ。
これらの生活で家事はやってもらえる•通勤しなくていいといったメリットを享受するならデメリットの人と会わない•単調な生活なども享受するしかない。でもその辺りを理解してないからかたまに会う自分や他の友人に生活の彩りを求めている気がする。人と会いたいなら自ら他の友人を誘うとか出社のある会社に転職するとか。人生がつまらないなら趣味を始めてみるとかやりようはいくらでもあるのにそれをしないで他人に選択した結果のデメリットの解消を求めてくる。端的にいってダサい。
(私が一人暮らしだから趣味を持ってたり人と定期的に会うように予定を入れるタイプなので余計にそう思ってしまう。)
簡単にまとめると、同世代が当たり前に知っている配慮や価値観を知らず、思考や認知が歪んでいて、それをそのまま言葉にする。そして自分が無意識にそれらを選んでいることに気付いていない、みたいな感じ。
禿げてる人が目の前にいたら普通の人は見た目の話題を避けるとかするんだけど、友人は相手に自分を投影して「自分は見た目のことは言ってもらいたいから言おう。この間SNSでおすすめのカツラ屋さん見たからそれも伝えて、センシティブな話題だから敬語で話そう」みたいな思考になって「貴方禿げていらっしゃいますね。どうして禿げたんですか?おすすめのカツラ屋さん知ってるので紹介しましょうか」というコミュニケーションになるみたいな。。(敬語だけはかろうじて気遣いとしてあってるのかまたなんとも言えない)
大学の時(コロナ前)は友人も定期的に人と会う環境にいたし、たまに子供っぽいと思うことはあってもここまでひどくなかった。
今後も友人関係は続けていけたらと思うものの友人が26歳にしてこんな思考なのでここから変わることができるのかとも思ってしまう。
正直会ってても楽しくないし話題も選ばざるをえないので会話が続かない。
他の友人からも「子供っぽい」とは言われてるみたいだけど具体的には言われていないみたいだし本人も「言われちゃった。テヘヘ」みたいな反応だったので深刻に受け取ってなさそう。
どこからどのように指摘したらいいものか、そもそも友人として指摘してもいいものなのか(こちらが指摘する立場にあるのか)悩んでる。
俺たちの国、どこそこ人は出てこない!差別とか
海外でも言い出すけどそも描く方がよく知らんものは出せないのはしょうがなくないか
そういう意味では弱男弱女が出てこないのもわかる
「公共空間でもデカい声でベラベラ喋る」とか「レストランなりに行けば、説明が書いてあるだろうがって感じの事でもすぐ店員に聞きたがる」程度のことも許容できないくらい狭量だから、「自己の領域を他人にまで拡大するようなマネは徹底して嫌悪してる。」などと言い出すんだよ。
うおお……また凄まじいものを見せられている……
ゲーム本編でもつぶやいていた「焦土の夢を見た」がまた出ているが
どこからどこまでが夢なのか
おそらく冒頭から全部夢ってことはないだろう
焦土作戦が実行されたあと、目を覚ましたところからが夢なのか?
それとも死体だらけの焦土で目を覚ましたのは現実だが、その直前まで現実と相違ない夢を見ていたということなのか
夢で見た大樹に囁かれるシーンが現実とオーバーラップして心象風景として描かれているのか?
この作戦が夢ではないとして、現実としてホタルは生還しており、そして宇宙で星の破片にまぎれて漂流していたところをカフカが見つけたシーンも事実だとして
そうなると大樹はさておき、少なくともホタルは心象風景と同じように何らかの力の覚醒を経て、星を砕くほどの行為を実際にしていたということになる
もちろん目覚めシーンからは全部夢で爆撃の衝撃で単純に瓦礫ごと宇宙まで吹き飛ばされてただけという線もなくはないかもしれないが
やはり大樹由来っぽい緑の発光を伴って全裸で漂流していることから、装甲サムの能力を超えた何かが覚醒していると見た方が正しいだろう
もし大樹が夢ではないのだとしたら、あのような力は「豊穣」しか考えられない
大樹って呼び方は自分が言っているだけだが、一応ピノコニー編のクロックボーイ文脈で「大樹」といえばファミリーから来たゴフェル、「調和」や「調和」の中の「秩序」の象徴だったが
にょきにょき伸びて緑に光る意匠からして、星神と関連づけるなら「豊穣」が妥当だろう
ただ樹状の先端の黄色とか、蟲との戦いで星を燃やすとかは「壊滅」の関連も見いだせそうだが決定的なことは何もわからん
カフカに発見されたということは、あの蝗害に遭っていた岩石惑星は星核と関係があったのかもしれない
覚醒とともに「豊穣」から使令クラスの力を得て、さらに星核からも何らかの力を得るくらいでないと星を砕くのは無理だろう(ヨウおじは置いといて)
ホタルにとってサムが医療ポッドとして機能していたということはクローン兵士であるグラモスの鉄騎全員がロストエントロピー症候群を患っているということなのだろうか
ホタルの顔に入るヒビのような模様が関係ありそうだが、この緑色版の崩壊エネルギー侵食の発光のようなものは、ホタル以外の兵士にも現れているようだ
このアニメだと芽が大樹へと育つのと同時に涙の跡も樹状の侵食模様へ育っていく描写がある
一つ前の紀行PVでは、4人のパイロットがそれぞれ変身解除したあとの数秒光っているのに加え、旗をちぎる前後のシーンでもホタルとメガネの同僚になぜか発生している
このメカニズムも謎だけど何かと関係していそうで、生命力との関連を感じさせるのでもしかしたら鉄騎のテクノロジー自体、そもそも豊穣由来なのかもしれない
ロストエントロピーとは「物理構造が不可逆的な慢性解離に陥る」ことらしいので、生身の人間がまるで体格の異なるロボへと変異するメカニズムが、魔陰の身のように「物理構造を乖離」させることで成立している、それが豊穣だという具合に解釈可能
まあ意味不明な変形は虚数エネルギーに通じるあらゆる星神とその運命の行人が使えそうと言えなくもないが
一応遺物テキストにも「彼ら(鉄騎)の降臨は神の恩恵の如く」という一文があり、「人類の本質に手を加える」というのも生命を弄ぶ豊穣との関わりが疑われる部分だ
あと覚醒ホタルに砕かれた星の背後にもう一つ星があったのが気になるが何か意味があるかは分からない
もう一つ気になるのが、グラモスはもう存在しないのになぜクローン兵士はずっとグラモス軍規に従って活動を続けているのかということ
かつてグラモス共和国は架空の「グラモス帝国」の女皇「ティタニア」に盲従する洗脳済クローンを量産し鉄騎兵団とすることで星系で発生していた蝗害を鎮めたが
その強大な武力の扱いをめぐり内紛?が起きて滅びたと取れるような内容が遺物ストーリーにて明かされていた
この人間間の問題によって滅びたくだりが胡散臭いと個人的には思っている
クローンが長命種でない限り、グラモスの改造戦士技術(と付随する洗脳技術)は何者かによって収奪され、つい最近まで宇宙の蝗害対策として使い捨ての道具のように運用されていたのが事実のように見える
そうでもないと大勢の自軍兵士の巻き添えを厭わない爆撃作戦など実行されないだろう
協定採択の協定がなんなのかはわからないが、協定は一つの国だけで結べるものではない、怪しい
描写からも洗脳あるいは記憶操作状態にある様子が見て取れ、その洗脳が解けたのと同時に謎の力に覚醒してただ一人生還したというのがこのアニメの内容だろう
遺物テキストで「彼女(「ティタニア」)が織りなす夢」と言われているのがこの洗脳技術だと思われ、その嘘を初めて打ち破ったクローンがホタルなのだろう、そう考えるとピノコニーの出来事とも符号する
もしかするとグラモスも、カンパニー、市場開拓部オスワルド・シュナイダーによって、意図的に内紛が起こされて滅び、技術を奪われたのかもしれない
ピノコニー編の主要人物、アベンチュリンとブートヒルもオスワルドによって故郷を滅ぼされているので、二度あることは三度ある予想をしたくなってしまう
文章が下手なのにはご容赦ください。
簡単な自己紹介を。私はASDとADHDを併発してるタイプの発達障害者です。
色々な紆余曲折を経て、現在は特例子会社の障害者枠で働いています。
私が今回お話したいことは「誰かに自分の気持ちや意図をしっかりと伝えることが可能である」ということ自体に、高校生になるまで気づけなかったことです。
色々自分の障害や特性について考えていて、「ああ~、そうだったんだ!」とさっき気付きました。
私は昔から「マイペース、のんびりしてる」と認識されてました。小学校では徐々にハブられて、小学校高学年頃から中学生頃にはいじめられました。幸いにもちょっかい程度のいじめであって、私自身でやり返したり、言い返したりして不登校には至りませんでした。むしろいじめっ子くらいしか関わってくれなかったので、つまらない学校の良い刺激として捉えていたかもしれません。
内向的で吃音の癖もある変わり者のまま中学校を卒業し、知り合いが1人もいないのんびりとした高校に入学しました。高校でも1人も友人は出来ず、しかしスマホを与えられて急速にネットにのめりこみました。そこで私は初めて、自分がずっと続けてきた創作活動をネットに放流することを経験しました。
私はその頃にはすっかりぼっちに慣れており、好きな作品の二次創作を漁って、ちまちまと創作して誰も見ないフォロワー0のアカウントに投稿していました。そこで幸運にも見てくれる人に出会い、動画をアップしたりする中で交流も始まり、その縁でゲームを遊ぶネット上の知人が出来ました。それまではネットでも現実でも話す相手がいない私にとっては革命的な出来事でした。そこから私は人狼ゲームにどっぷりとハマることになりました。
私はテストの点はあまり良くなく、興味がないことは全然ダメで、人狼ゲームなんて議論ゲームは全く出来ないと考えていました。しかし後に受けたIQテストでは言語系がやたらめったらに高く、私はASD傾向が強かったのです。つまり本来は言語表現が得意で理論的な思考をする人間だったのです。私は1日に5回連続で村を楽しむほどにハマってしまいました。
自分の考察を熟練者の方に自ら欠点の指摘を懇願し、何度も何度も自分の文章を見返して添削を繰り返しました。
その中で私の世界は明確に変化しました。今まで私は生きていたのだろうか?と不思議に思うほど、自分の思考がしっかりと認知できるようになったのです。自分が何を見て何を感じ、何を想像して何を求めているのかを始めて自覚できるようになりました。そしてそれらを生きている人に伝え、議論を重ねることが出来るようになりました。
ただのゲームだったはずの人狼ゲームが私の自我を芽生え、と言いますか覚醒を促してくれたのです。
文章が長くなってしまってすみません。私は文章を書くことがその時からとても好きになりました。口に出して話すよりも迅速なので、すごく気持ちがいいんです。
今は生きるのが以前よりも明確に楽しく感じていると思います。前よりも精力的でイキイキしています。
何がきっかけで人生が変わるのかわからないなぁ、と日々実感しています。
自分語りで申し訳ありません、でもこのわくわく感が少しでも伝わったら嬉しいです。
【おまけ】
人狼ゲームでやっと私は自分の考えを認識出来るようになりましたが、感情に認識についてはまだまだなのです。人狼ゲームは明確に何かしらの事実や確率を元に構成していくものですが、感情というのはそう単純なものではありません。
例えば楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか、怒ってるとか。そういったことを「何を根拠に認識するべきか」と私は考えてしまうんです。
楽しい!と伝える少し前に「おそらく楽しいと感じている!この感覚は経験則からすると気分の高揚である!」と一瞬考えて判断を行っている、と思います。なんというか、不安定さや微妙なラグを感じているんです。
私は昔からストレス耐性が高いと感じていたのですが、限界を迎える瞬間までストレスを感じていない可能性が高くなってきました。
かかりつけの先生に相談したところ、「内受容感覚」が鈍い可能性を指摘していただきました。空腹感や動悸などの体内からくる感覚を指す言葉であり、感情の感じ方にも大きく影響があるそうです。確かに私は昔から高熱に気付かなかったり、テストのストレスで気絶したりもあったので、かなりの説得力がありました。
発達障害を持っていて、私みたいな「感じ方」をしている方がいたら、「内受容感覚」について調べてみるといいと思います。
私はストレスをどういう時に感じるのか、怒りや悲しみをスルーしてないかをちょっとずつ勉強していこうとしています。
ここまで読んでくださった方がいたら本当にありがとうございました!
エアコンを付けずに熱中症で苦しんで死ぬって人生もおまえにはふさわしいんじゃないかな?
そもそも自分が生き残るに値する人間なのか、そういう価値のある人間になれるようにちゃんと努力してきたのか、まずはそこから考えようぜ
授業は真面目に聞いて、行事とかも騒ぐやんちゃグループを尻目に真面目に参加してた
しかし、大学入って、一人暮らしも慣れてきて、バイトを始めてから3ヶ月目
店長に呼び出されて「真面目に仕事をする気がないなら辞めてもらいたい」
って言われた
当然仕事は真面目にやっていたつもりだった
・返事だけは良いけど本当に返事だけ
・お客さんに対する態度も悪い、せめて敬語はちゃんと使いなさい
などと、色々言われた。
返事については、正直にわかりませんできませんって言うよりまずは
しまわないというのは、これは何処にしまえばいいかわからなかったり、まだ使うと思ってそのままにしておいたので、悪気は無い
あいさつをしないというのは、こちらでは会釈で返したつもりだったけど、伝わってないし聞こえないといわれた
店長からは、 わからない、できないことを出来るというのは嘘つきで、そのせいで他の人が仕事が増えるのが困る、みんな迷惑していると言われた
皆が使うものをしまわずにそこらに放置するのも、定位置に戻さないのは自分さえ良ければいいという態度で不快とも言われた
客観的に見るとあなたは仕事を覚えてない、勘違いして覚えてるのに確認せず勝手にやるのは大きなミスに繋がって本当にこまるし迷惑だと言われてしまった
これを言われた時、自分なりに「それはこういう理由です」って落ち着いて説明したつもりだけれど
「そうやって言い訳はするけれど、ミスしてもあなたは謝罪をしませんよね?」とも言われた。
それから「やる気ありますってアピールだけで実際に何も伴っていない」って言われたのは。本当にショックだった。
そういうつもりじゃないし真面目にやってる、やる気は本当にあるって伝えたけれど
「真面目にやってこれなら、いっそ辞めてほしいと思う」
って…言われた
なんだこのゲーム。
全然あがれなくてキレながらググったら「麻雀は単純計算で4回に1回しかあがれません!あがれないのが普通なので認識を改めましょう!」とか説教された。
0.1秒だけ納得しそうになったが、そんなゲーム何が楽しいんだ?どんなに何切る読んで牌譜検討して押し引きに頭悩ませても気持ちよくなれる瞬間が4回に1回て。コスパ悪すぎ。
友達とやるなら誰があがって誰があがられてってだけでゲラゲラ笑えるけど、赤の他人とのネット対戦じゃ自分以外の人間があがってもムカつくだけじゃん。
だいいちフィードバックがクソなんだよな。
他のデジタルゲームだったら「ここでこの入力をしてなかったからこれができなかったんだな」って明確な反省がしやすいじゃん。
麻雀はなんだよ。どこまでも運が付き纏ってくるせいで自分が悪いのか運が悪いのか分かんねえじゃねえか。
攻めすぎなのか守りすぎなのか知りたくても「和了率や放銃率はウン百局しないと統計として役に立ちません」じゃねえんだよ。今不調だから今なんとかしてえんだよ。でもどうせあがれんの4回に1回だしな。別のゲームやるわ。
おかえり、人間。
理系にとって常識とは「多数が実際に知っていること」であって、「みんなが知るべきこと」ではない。
理系からすれば高校数学(3C含む)あるいは大学の教養数学(微積、線型、フーリエ級数)までぐらいはすべての人間が知っていないとならないことだ。社会統計やエネルギー問題についての議論を高校数学もできない奴に理解することはできない。
しかし、理系は高校数学を「常識」とは呼ばない。それができないのが大半の人類だということは重々承知しているからだ。多数ができないことを「常識」と呼ぶ不毛さを理解するのが理系である。
一方で、Mrs. GREEN APPLEの『コロンブス』が炎上した件からわかるのは、文系は学歴の高低を問わず、「常識」を「自分が知っていて、みんなも知っているべきこと」という意味で何の躊躇もなく使えるということである。
「コロンブス」という西洋史の中の一人物に過ぎない存在の細かい仕事内容なんて、当たり前だがほとんどの日本人は学校の授業で習わない。習わないということは、個人的に興味を持ってそういう資料に接しなければ知り得ないということである。それをするかどうかは個人の自由意志の問題であって、そんなことをコントロールすることはできないし、してはならない。
しかしながら、文系学徒はそういう、自分自身の興味領域であって他人にも「知って欲しい」という願望がある知識、体系を、「常識」として押しつけることが何の問題もない行為であるという意識を持っていることを、今回の件は露呈してしまった。
文系にとって「常識」とは、この様子から有り体に解釈するなら、「誰もが『知っているべき』こと」という希望的観測から導かれる思想的な概念なのである。
その「知っているべき」と考える理由自体は、これは単に個人的な興味の問題なのでさまざまなようである。あるいは単なる歴史オタクだから、あるいは漫画やアニメに関連する知識だから、あるいは「海外ニュースくらい見ろよ」という出羽守。ともあれ、どのような理由であろうとも、自分の「興味」が誰にとっても重要であるべき「教養」に勝手にすり替わってしまうのが文系の基本的な思考回路であるということがこのことから見て取れる。
この、理系(あるいは、非オタク的な、自分に関係のないことに興味を示さない普通の人)にとっては狂気の沙汰とも思えるような思想的言葉遣いが、この手の炎上屋の発想の根源にあることは、重々注意しておかないといけない。そもそもの言葉遣いが、ものごとの科学的定義からではなく、「こうあって欲しい」という願望から来ているような連中に、論理的な話が通じるわけがないのである。
イエローモンキーとか言われて散々蔑まれてきた日本人が、自分たちを蔑んできた白人の側に立って、「猿が文明を持ってることに驚き、馬車をひかせたりしながら、自分たちの文明を教えてあげてる」みたいな構図がめちゃめちゃグロテスクだし、日本人もアジア諸外国を占領して強制的に日本語教育したり虐げてきた過去を、まるで理解していないどころか忘れているってことを露呈している証拠でもあるし、そもそも国関係なく今この時代に「猿=人間にもっとも近い野生動物的存在」になにかを教えてあげるみたいな感じを侵略者の傲慢として受けとらない感じもけっこうやばい
そもそもポリコレは西洋的価値観だからあがめられているのではなく、「みんな一緒が一番いい」をやめて「みんな違ってみんないい」を推進するもの。日本人がついていけないのは単に同調意識の強い島国根性というだけで、その意味ではMVの猿のように「広い世界を見せてやるぜ」ってやられている立場なのに、自分たちはそうじゃないって思ってる感じもマジでやばい
あのMVに問題がないと思うのは自由だし、内心でどんだけ差別思考もっててもいいけど、今この時代にこの表現を世界に発信したら超絶ダサいし日本の価値が暴落するって客観的に気づけないのもビジネスセンスがなさすぎるし、ほんとやばいなと思う。
ただ絶対に噛んでたくせに切り捨てたコカ・コーラが最悪すぎるし、音源はめっちゃよかったから、早いうちに取り下げて重症にならなかったことを幸いとしてミセスには今後も頑張ってほしいと思う。これで叩かれすぎて次頑張れないとかが一番最悪
A:男女ともに声が低くなる
B:声は男は低く女は高くなる
目があったとき
A:3秒以上目があったら脈あり
B:すぐ目をそらしたら好き避けで脈あり
目の前で髪を触る女性
A:退屈で触っている
B:あなたに可愛く見られたくて触っている
そもそも視力いくつ必要なんだよ 医者だって目にライト当てて顔近づけて瞳孔開いてるか確認するのに普通の人間が今瞳孔開いた!とかわかるわけねえじゃん馬鹿かよ
その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日の晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。
ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。
「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップで散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿の賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。
ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。
あ、死んでる。
体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。
明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。
ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。
お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルだから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。
来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。
小さいころに東北大震災で地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震に大丈夫になったな。
お前はボールやおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。
トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。
嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。
老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。
喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。
帰路で他の家族と散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。
お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族に爆笑されたのが亡くなる直前の休み。
熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。
ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。
「あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族で計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。
スマホの写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間の食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。
ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。
小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤の電車内でもお構いなしに悲しくなる。
お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人の自分。寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。
「今日は肉料理だからあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパーの精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。
今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。
いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。