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はてなキーワード: そばとは

2024-05-20

今朝、蕎麦屋ごまの蓋が外れた

中身どばーって出たけど全部トレイの中(そばにも必要以上にかかった)だったのでそのまま食べてゴマを乗せたまま返却口に戻した

店員さんは「あいつー!ゴマ無駄使いしやがって!」って思ったかもしれないけど事故です

2024-05-19

男だけど親権とれたパターン ※胸糞注意

ほとんど全員のシングルファザーは、仕事で大変な中、子育てを頑張っているのは知ってるけど

彼は男だけど親権とれて、子供を引き取って育てていた。

奥さん親権争いで負けたらしい。

その男自分母親(子供からしたらおばあちゃん)に子育てを丸投げしていて、毎週土日になると趣味ツーリングに単身で来ていた。

家に帰るとすぐ自室にこもってオンラインゲームバイクの改造に精を出していた。(フレンドだったのでわかる)

ツーリングの仲間でバーベキューをした時に、子供を連れてきていた

子供メンバーに紹介して「え?お子さんいたの?」「かわいいね~」と等と言われまくっていた。

彼は釣りスポットを下見したいと、どこかへ散策しに行ってしまった。

メンバーほとんどが独身子供の扱いがわからない。お子さんはしゃがんで石をいじって遊んでいた。

2,3人の優しいメンバーが「お肉食べる?」「とうもろこし食べる?」などと声掛けしてあげていた。

父親は「川を自転車で渡ろうぜ!」と言って、はしゃいでいた。それをお子さんは物乞いのような目で見ていた。お子さんは自分の唇をつまんでいた。

帰り際に、みんなが「お子さんお利口さんですね」などと声掛けしていたが

父親は「うちの子はいい子かもしれないけど、正直頭は良くないと思うw」と言い、嬉しそうな顔でヘラヘラしていた。

6才くらいだったので、話の内容はわかるだろう。お子さんは大人同士の話を聞きながら、常に不安そうな顔で父親の表情を読み取ろうとしていた。


「そういう話は子供が間にうけてしまうんじゃない?やめたほうがいいんじゃない?」とオブラートに包んで言ってみたら、彼は「貶しても、その分いっぱい愛情を注いでいるか大丈夫」と言っていた。


とある日、お子さんといっしょに車で出かける際に、チャイルドシートがなかった。子供は、そのまま普通に車に乗っていた・・・。

道中で お子さんが酔って吐いてしまったら、彼は急に不機嫌になった。

ちゃんと袋に吐けよ」と言っただけで、何も手を貸そうとしなかったし、運転を止めるつもりもなく、子供自分ビニール袋を持って吐いていた。

そして、そのビニール袋を道端に捨てるために「このまま置いとくと匂うから、これ、道に放置してくる。ちょっと車止めるわ。」と言った。

私が代わりに公衆トイレに中身を流して、袋はゴミ箱に捨てた。

彼はその間ずっと運転席でタバコ。私が車に戻ると「ありがとう」って言ってた。

この間子供心配する言葉が一切ないのが気になったが、私は子育て経験がないのでそんなもんなのかな?と思ってしまった。


ショッピングセンターに着くと、ゲームセンター子供メダルで遊ばせた。

私が子供についてたからだろうけど、彼は音ゲーで遊んでいた。たまに様子を見にきて「こっちのほうがいっぱいメダル出るよ」などとアドバイスして、また戻っていった。


おもちゃコーナーに行くと、お子さんが知育おもちゃカメラを欲しがった。

子供は「パパ、これほしい!これはお勉強もできるんだよ!」と言った

「・・・◯◯ちゃんは本当にこれがほしいの?」

「うん。ほしい」

「・・・◯◯ちゃんは、カメラがほしいんでしょ? これはね、お勉強するやつで、カメラはおまけなんだよ。お勉強は本当はしなくてもいいんでしょ?

「お勉強もする!お勉強もしたい!」

「・・・◯◯ちゃんカメラはほしいからそう言ってるんだよね? 本当はお勉強するやつはいらないんでしょ?」

「お勉強もするよ」

「・・・◯◯ちゃん、パパ怒らないから正直に言っていいんだよ。本当にこのお勉強するやつがほしいの?本当は、カメラがほしいだけなんだよね?」

「(涙目で)うん・・」


この時、私は別の店を見ていたので↑の会話は彼本人から聞いたんだが、

子供ってオマケが欲しいだけなんだよね。カメラけが欲しいって言うと、買ってもらえないか怒られると思ってたんだろうね。でも、ちゃん時間をかけてじっくり聞いたら”カメラけが欲しい”って言っててさ。最後には涙目になって素直になってくれたよ。あとで1万くらいするちゃんとしたデジカメを買ってあげるつもり」と言っていた。

私は、お子さんが自宅でしまじろうのダイレクトメールで届いてくるサンプルDVDを見ていて、サンプルのワークとかもやっていた形跡があったのを知っていた。

おばあちゃんとやってるから、彼はそのことを知らなかったのかもしれない。

お子さんがとてもかわいそうになってしまって、そのあとに私とお子さんでファンシーショップに入り、欲しがったものを何でも買ってあげた。


帰るときに、お子さんは階段を登りたがった。

屋上駐車場が見えてくると、まだ帰りたくない!やだやだ!と、ごねはじめた。

彼は怒って無言になり、黙ってスタスタ車に行ってしまった。私とお子さんを階段の登り口に残したまま。


階段あるし、外は真っ暗だし、子供が一人でいるのは危なさそうなので、子供そばにいた。

お子さんは「パパが行っちゃったぁ・・・・」と泣いていたが、私はまだ子供と会って2,3回だったので、うまいなだめ方がわからない。

とりあえずそのまま待っていた。10分たっても彼は戻ってこない。お子さんは「パパいなくなっちゃったぁ・・・」と泣いている。

電話をかける。出ない。私はお子さんを連れて車に向かった。彼はずっと機嫌悪そうに黙っていた。お子さんはずっと泣いていた。





お察しだろうがこれは自分元彼の話

お付き合いする前はお子さんのエピソードをいっぱい聞かせてくれて、愛情いっぱいのお父さん!というイメージで、一緒に子育てできたらいいな。と思って交際を始めたのだが、思ってたのと違った・・・


最初は「俺の誕生日プレゼント、何もいらないか専業主婦になってほしい」と言っていた。

私は中卒フリーターで、キャバクラバイトしながら定時制高校に通っていたのだが、彼は専業主婦になったら働かなくて済むよ。と言ってくれた。

私が4年かけて卒業した時には「高校卒業おめでとう!」と祝ってくれた。


いざ、お試し同居を始めてみよう、という段階で

専業主婦だと今までみたいに遊べなくなるから、少し働くとかはどう?」と言ってきた。

「じゃ、せっかく高卒になれたから、正社員で働きたいな。今まではバイトしかしたこといから、正社員になりたいな。」

正社員は(育児との両立が)辛そうだぞ~。パートにしといたほうがいいぞ。」

「実は、来年◯◯(教育系)の資格学校に通おうと思っててね・・・。その仕事正社員になりたいと思ってるの」

「お前に人に教える仕事は無理だ。やめとけ」

「でも、職業訓練校だからお金もかからないで資格がとれるんだよ」

「いや、働き始めたら、お前が辛くなる。やめとけ」



だんだん暴力的になり、モラハラ気質になり、私にああしてほしいこうしてほしい、と言ってくるくせに自分が変わる気がないところが決め手となり、別れた。

別れる前には「結婚しないでいいか彼氏彼女として付き合ってくれ」と言われて少し関係を持っていた。

結婚話が宙に消えてからは、高級なレストランを予約したり、私が欲しがっていたペンタブを「そんなの使わないから買うな」といった後でこっそり買っておいて後でプレゼントしてくれたりした。

私が「◯◯ちゃんにはパパと長く過ごして欲しいから、◯◯ちゃん幼稚園に行っている間だけにデートしよう」って提案した。彼は三交替勤務で平日休みなので、それでも問題ない。

彼は「正直に言っていいよ。他に男いるんでしょ?だからそんなこと言うんでしょ?」とヒスっていた。



お子さんは誰にでもよく懐く子で、私にも懐いてくれたのもあり、さみしかったが、子供の心の傷を増やすことになるかもしれないから、それ以降は会わないようにしていた。

彼の話ぶりで女の子大学とか進学させてもらえない雰囲気だったので、お子さんが大きくなったらの進学まわりで世話してあげようか?

それまでずっと彼の恋人で居続けようか?とか思い始めていて、それで別れるまでにかなり時間がかかってしまった。


◯◯ちゃんは、今頃は大学生くらいになっているはず。その子のことだけがすごく心に残っている。

2024-05-17

https://anond.hatelabo.jp/20240516095143

元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。

物事について即座に優劣で評価する人だった

早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。

優越欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験就職活動を乗り切れていないようにも思う。

エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。

勝つことが全く意味がないとも思わず人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベート人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。

しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。

私をマウント素材にしつつ私のブスさを憎んでいた

身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。

彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。

友達の前で私の容姿馬鹿にしていた。おそらく友達可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ

別れたあと悪評を流された

この人のそばはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。

訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生ときいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。

それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。

 

なんで元彼と付き合ったのか。

口説き方が強引で明確だったか

行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性ストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツありがちな関係幻想に染まりすぎだった。

最初露骨口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。

(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)

「俺に欲情して強引に露骨口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。

買って済む話ではないことはわかる。ホスト貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの

同じ大学、同じオタクという同類意識があったか

私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面偏見安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰

救おうとか考えた

元彼の両親は偉い父親専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。

元彼父親強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親価値観インストールして母親馬鹿にしているようにも見えた。

「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。

2024-05-16

和久井おぢは吊り橋のそばに引っ越せばよかったのに

ぼくは吊り橋効果モテモテになりました

今では幸せ一夫多妻生活を送っています

anond:20240516082346

Cocco壱は小麦粉ベースカレーやぞ

 

子どもの頃に家族友達と行ったのと、金が無かった新社会人時代に行ったので思い入れがあること、

かなり早い段階で、アレルギーフリー(小麦粉そばピーナッツ牛丼、卵、えびかにを含まない) のカレーを出していたこと、

スマホ時代が本格到来する前から席にコンセントがあったり、漫画が備え付けられていたりだったり、

Cocco壱は意識高くてすごく好感を持っている

 

嫌いじゃない、むしろ好感を持っている企業なので、誰かが行きたがったり、食べたがれば食べるけど、味はそんなに好きじゃないやで

何気にインドにも出展してそこそこ好評らしいが、スパイスカレー屋やちゃんとしたインドカレー(辛さが調整できるとか言わないやつ)の方が好きやで

[]

観察してた巣にはいないけど、そばを別?のツバメが2羽とんで鳴いてたから、多分近くのどっかにいるような気がする

2024-05-15

ラーメンの食い方が気に食わない

ラーメンを食う時前かがみになって口から麺を食いに行く。大げさにすると犬食いみたいなその姿勢があまりきじゃない。

そばうどんだと丼を片手に持つことが出来る。カップラーメンも出来る。

でも外食ラーメンで鉢が大きいとそれが出来ないんだ。つけ麺も汁が熱すぎて鉢を持つことは出来ない。

レンゲで食うのは麺のアイデンティティを失う。なんでラーメンはこんな進化をしたんだ。

2024-05-14

素材を台無しにしてる料理

例えばカツ丼とかさ

あれ、サクサクなのが美味しいのに、卵でとじてベチャベチャにしてるパターンあるじゃん

他にも、サクサクカツカレーなのに、カツの上からカレーかけるとか!

あとさ、天ぷらそばなのに、天ぷら別になってなくてつゆにドボンと浸かってるやつ!

あいうの!

許せんよな!

あいうのをもっと成敗したいので、他にありませんか?

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

今月、結婚する。

先月から書いて準備してある婚姻届は、実は3回も書き損じてしまった。

なんだあの普段生活で見慣れない言葉の数々は。世の既婚者さん、よくストレートに書けましたねという気持ちだ。

 

結婚はしてもしなくてもいい」わりとそんなスタンスで生きてきた。結婚相手気持ちがあることだし、今の時代は必ずしなければいけないものでもないと。でも、提出予定日を間近に控えた今、とてもワクワクしている。

 

結婚をより楽しみで素敵なものに変えてくれたのは、彼はもちろんだけど周囲の人たちの反応もとても大きい。

 

「顔合わせも結婚式もいらんでしょ。なんなら結婚指輪婚約指輪もなくてもいいよ」

基本的にはそんなスタンスだった私だけど、「いや、結婚指輪はつけるでしょ」という彼の言葉に「そうなんだ!」となり、一緒にいくつかのお店を見て回った。なんだかんだ、ふたりとも同じ温度感で気に入ったお店が見つかり、近々また訪問する予定だ。刻印する内容を毎日考えては彼に「これはどう!?」と見せびらかしている。いつの間にか私の方が欲しがってる感じになってる。

 

「両家の顔合わせとか別にいいっしょ。あーでも、結婚するならとりあえず彼と家族だけは会わせておいた方がいいかね」

そんな感じで、私の家族と会ってもらった。今住んでいる場所から新幹線に乗らなければ着かない私の地元に彼がいるのは、なんだか新鮮だった。

私の母は「仲がいいのが伝わってきてとても良かった、会えてよかった」と言ってくれ、父は「変なヤツじゃなくて普通のヤツで良かった」と言っていたらしい。どんなん連れてくる思っとんねん。「これがオレの精一杯や」と家族がくれたご祝儀には、私が想像するよりもたくさんのお金が入っていた。たまたま会えた親戚の子どもたちも「楽しかった、また会いたい」と言ってくれているらしい。かわいい

 

その後、母が「絶対ドレス似合うと思うから着て欲しい」と、お金支援するのでブライダルフォトを撮らないか提案してくれた。その言葉を聞いて「ああ、母に結婚した姿をきちんと見せないと」という気持ちになった。結婚式というのは、家族のためにやるものだと言う人がいるけど、「これかあ」となった。家族だけで神前式をしたい、写真も撮りたいと彼に伝えたら、「結婚式はしたいと思わない」と言っていた彼も「やろう」快諾してくれた。ありがとう。綺麗な着物を着て、なんたらかんたら読み上げてもらえると思うと楽しみだ。支援はもちろん断るつもりだけど、母は時折頑固だからな。

 

彼のご両親も、話を聞く限りだと「家族関係希薄な方なのかな?」と思っていたけれど、いざ会ってみたらとても嬉しそうで、私にも良くしてくれる。ご祝儀やお祝いの品をくれたり、「相手の親御さんに何かした方がいいのか?」と丁寧に聞いてくれたり。

それぞれの親の反応を見て、なんだか私も彼も、「私たちって、両親にとってとても大事な我が子だったんだね」と改めて実感することばかりだ。

 

「既に一緒に住んでいる私たち結婚しても、そんなに何も変わらないだろう」

そう思っていたけれど、こんな風に家族が喜んでくれて、親戚も友達も「おめでとう」と言ってくれるのは、こそばゆくて嬉しい。 「なんてことない」と思っていた結婚イベントが、なんだかすごく素敵でたまらないものに感じてくる。

 

うそう。「プロポーズなんて別にいらないっしょ!自然かたちでオッケーOK!」と思っていた私だけど、彼は意外にもきちんと考えてくれていた。ある日、私が帰宅すると玄関ぬいぐるみがポンと置かれていて。「見慣れない子がいるねえ」と、その子を抱き上げると、頭にキランとネックレスがついていて、メモが添えてあった。これがプロポーズか!となった。

 

私はぬいぐるみが好きだ。でも、自宅をぬいぐるみ屋敷にしないよう、なるべく買わないように、買わないように(でも時々厳選して買って)努力している。そんな私の気持ちを知っていながら、ときどき私にぬいぐるみプレゼントしてくる彼は「オレがこの家をぬいぐるみ屋敷にしてしまうかもしれない」と言っていた(笑)。彼がいいなら別にいいのだが。この新しい子も、他の子達も、わんころべえも、ついでに私も。末永く大事にしてくれたまえ。

2024-05-12

トラペジウム 面白かった。

どんな言葉で褒めても、ネタバレになりそうだから、何も言えないんだけど。

それより「何故そこまでアイドルに執着するのか」という理由描写されないのがモヤモヤする…

母子家庭で、放任主義的な母親から愛情が上手く感じられず、学校でもボッチだったりすると、

承認欲求をこじらせちゃうんでしょ。

財力のある子、知力で勝負できる子、ボランティアや家庭といった愛に生きられる子がそばに居ても、

その生き方は真似できないじゃん?

スクールカウンセラーみたいな人が、あなたのような子はこうやって生きると良いですよって教えてくれる大人も居なかったじゃん?

視野の狭い子が必死生き方を考えて「アイドルになるしかない」と思い込むのは自然なことかなと。

2024-05-11

まつやにするか。あそこならポーランドふうハンバーグみたいなのがあるし・・なまえをわすれたけど。

QuoCardPayつかえる。さいふにあまりかねがはいってない・・そうだ!おもいだした。

こどもとそばをたべにいく。あのはなしがどうなったのだろうか?そもそも論、こどもはいつまで学校なのだろうか?

そうだ。きょう、土曜日授業なのだ半ドンだけど・・・すっかりわすれていた。しかしともだちと学校のかえりみちに

そばをたべにいければいくとか言っていた。となると( ^ω^)・・・わたくしは・・ランチそれまで待つということか?

クルマもつまにとれれているし・・・キャッサバに援助してほしいみたいなこといわれてクルマうっぱらったひとの気分が

すこしだけわかるわ。でもあいつは軽トラはのこしていたんだよな

鼻をかむ時の擬音

「チーン」はおかしくない?

まれてこのかた鼻をすする音に共感しない

そばを啜る音と同じで「ズルズル」でいいよね

でも「チーンして」と「ズルズルして」は両方指事語っぽくないね

指事語のときは「フンッ!して」がいいか

そうだね

それに比べておっぱいを「モミモミする」という擬音はいいね

厳密には揉み揉みなので擬音ではないけど

擬音ではない言葉連続で擬音のように使われる「モミモミ」は素晴らしい

2024-05-08

子供にとっての「おもしろおじさん・おばさん」枠の難しさ

子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。

私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。



まず、子供そばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベル社会性や身分保証必要である

次に、友人や親族が続々と結婚妊娠出産ラッシュを迎えていても同調圧力社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。

そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解社会的なルールタブーアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。

意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である



人手不足時代である。一つ目の、定量化できる身分保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。

三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃん相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というもの権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。

じゃあ、自分ケアをして愉快な接しやす人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ

というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである

彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。

私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたとき相手きらきらとした目が見たい。

でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分パートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか

と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち自分は出来損ないなのではないかという劣等感現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的存在する不安感。こういったもの抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。



いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジション候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。

最近休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしかおもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライト修行僧のようではないか。実際に結婚妊娠出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。

幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイント若い世代からの支持を得られるのだろう。



社会の無害なアウトサイダーポジションになるのは、想像以上の努力と忍耐が必要そうだった、というお話

2024-05-07

[] 2024-05-07

GWが終わってしまった。

いつもどおり朝の冷水シャワーを浴びる。

自作ポモドーロタイマーとTOOD管理ツールはうまく使えた。

仕事集中力は7ポモドーロ限界

5分休憩のたびに立ち上がり、リビングでぐるぐると歩き回ったり、コーヒーを注いだりした。

昼はコンビニサンドイッチを食べたが、手料理には劣る。

仕事中はイッヌがずっとそばにいる。ダメになるクッションでダメになっている。

午後はもう気力を使い果たしてしまって、何をしたのかすらよく覚えていない。

時間勤務にしているのがせめてもの救いだが、それでも仕事が終わってからは気力を使い果たしてなにか趣味をやることもできない。

うーん、なんというかこんな一日が続いて何が楽しいんだろうか。

ベーシックインカムまだ?

2024-05-06

[]

回転寿司(桜鯛三貫盛り・さより・炙りかんぱち・炭焼き鰹のたたき身のっけ盛・のどぐろなど)

温泉わらび餅

山芋と食べる!茄子オクラの揚げだし

4種果汁が決め手!国産あじ南蛮漬け

西京味噌でじっくり漬け込んだローストビーフ

沖縄わかめそば(インスタント)

anond:20240506192638

トムとジェリーの真ん中の話で、鹿撃ちのハンターが仕留めたあと獲物のそばで喜んでたら別のハンターに遠くから「どんなのが獲れた?」て問われて両手を両耳の横に大きなツノのように掲げて「こんなスゲーのが!」ってやった直後に撃たれた場面を思い出した

anond:20240506091319

中国古典、猿の母子の悲しい故事が多い

猿拔母箭_百度百科

https://baike.baidu.com/item/%E7%8C%BF%E6%8B%94%E6%AF%8D%E7%AE%AD

後漢末の人、鄧芝は母猿を矢で射ち抜くと、そばの子猿が母猿から矢を抜いて傷口を舐めて木の葉で止血をしているのを見た。悲しくなって弓矢を捨て「もう狩りはしない!」と決意した。

 

猿母中箭_百度百科

https://baike.baidu.com/item/%E7%8C%BF%E6%AF%8D%E4%B8%AD%E7%AE%AD/4782455

僧侶は、鳥を狙った狩人が木の上の母子猿に矢を放つのを見た。矢は母猿の腹に当たった。母猿は近くの父猿を呼び、子猿を託すと矢を引き抜いて、木から落下し絶命した。狩人は弓を折り「もう狩りはしない!」と決意した。

【古今著聞集/母子猿】の元ネタ

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