「ささやか」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ささやかとは

2024-03-04

呪いだったらいいのにな

父がねえ。指にあかぎれができて痛いんですって。

指の関節、皺のところがぱっくり割れてね、使わなきゃいいって部位でもないしちょっと繋がったと思ったら些細な動作で端がミシッと割れて新しく血が出てね、まあそれがじくじくじくじくと痛いんですよね。

もう何年も男一人の生活で、今になって急に水仕事が増えるなんてことはないでしょ。それに元々が頑丈な人だし、そういうこまごました身体症状とは無縁の人なんですけれどね。

ああでもどうなのかな。男一人と言いつつ世話を焼きに来る女でもいたんですかねえ。最近すっかり小汚くなって、実の娘よりも洗面台を長く占領してセットしてた髪だってすっかりボサボサでとっ散らかしたまま外に出るようになって、もしかしたらいよいよ女に見向きもされなくなったのがあかぎれの遠因だったりするんですかね。

なんでこんなこと書いてるかってね。これがね、呪いなんじゃねえかなあ。ってちょっと思ってね、どうにも嬉しくなっちゃったんですよね。

あかぎれの何が痛いってことを最初に細々書いたでしょ。あれね。私も同じようになったからああやって書いたわけですね。

子供の頃、十歳くらいの時にね、もう指の関節という関節がそんなんなるかってくらい全部ぱっくりと割れて、漫画みたいに絆創膏まみれだったことが何年かあってね。

それをね。誰が憐れんでくれるわけでもないから年相応に泣くわけもなく、ああ痛えなあと無感動に絆創膏で締め上げてたんですよね。周りは工作ちょっと指切ったってだけで涙ぐむ子がいたのにね。

指を折り曲げるだけで痛くて痛くてじくじく血が滲むから、それが嫌でもうほとんど曲がらないようにぎちぎちと絆創膏を巻いてね、それを見て「どうしたの?」なんて言うのと同じ口でやれ床の拭き掃除ができてないやれ皿洗いができてないやれ洗濯物を毎日やれだの言う人がいたんですよね。びっくりしますね。床の拭き掃除なんてね、クイックルワイパーでも使えばいいのに、というかクイックルワイパーを使ってたんですけど、そしたらそんなもんで埃は落ちねえから雑巾絞ってやれなんて言うんですよね。もうね、わかるでしょ。関節という関節が割れた手で雑巾なんて絞ったらさ、どうなると思います

それをね、泣くでもなくただちょっとだけ顔をしかめてやってたんですよね。今だったら人が掃除してる時間にまだ寝てる父を血まみれの手でぶん殴ってると思うんですけど、まあその頃は父がいなきゃただでさえ一日三食じゃない飯が一日ゼロ食になりかねませんでしたからね。

でね。その父が最近あかぎれができて痛いって、私に言うんですよね。もう十数年も前、私の指がズタズタだったことなんて覚えていないんでしょうねえ。

それでね。しばらく父があかぎれが痛い痛い言うのを思い出しては悶々と苛々として、私も痛かったと当てつけに言ってやろうなんて脳内でぐるぐる考えたりしてそんなこと言ったってあのクソカスは一ミリ内省なんかしないんだから言うだけこっちが不快になるだけだととにかく悶々としてたんですけどね。ふとね。呪いだったらいいのにな。って思ったんですよね。

いや、積年の恨み辛みに比べたら随分ささやかですよねえ。でも、まあ、そういうものかなあって。

これからも少しずつ少しずつ、人から怒鳴られて言い返すすべも立場もなく殴り返す腕も衰え、あまり人生のままならなさに食事が喉を通らなくなる日が少しでも増えればいいなと思いますね。

介護になってからも、介護者が急にぱったり何日間か連絡がつかなくなったりね。かと思えばヘラヘラ笑いながら顔を見に来たりすればいいんじゃないですかねえ。まあその場合介護者は私なんですけれどね。ガキでも数日間ほっといて死なないんだからジジイなんかもっと死なないでしょうよ。ねえ。

人を呪わばと言いますけど、あんたが苦しんで苦しんで地獄行きになってくれれば私の晩年もまあ同じでもいいかなと思っちゃうんですよ。あんたはそんな苦しみの中でも一切の反省なんかせずに「どうしてそれなりに正しくそれなりに善人として生きてきた俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」って思ってそうですけどね。いやあ不思議ですね。人に呪われるようなことなんか一切してこなかった人生のはずなのに、不思議ですねえ。

まあ。一番の呪いは人並みに幸せな家庭を築いたはずなのに今でもこんな恨み辛みを書き連ねて開陳せずにいられないことじゃないかなと思いますし、大目に見てくださいね

2024-03-01

カービィ騒ぎのせいでハッピーセット年齢制限設けられたりしたら本当に嫌だな。

カービィ連作品もキャラクターの見た目も好きなのにもしそういう事態になったらカービィごと憎しみの対象になりそう。それも含めてすごく嫌だな。

キティぬいぐるみの時も鬼滅?の時も大概だったけど、今回はSNS不良品が大バズしたせいで余計に醜い騒ぎになってる。

どうにか当分ぬいぐるみは出さない、程度でおさまってくれないかな。

あんな分かりやす不良品が大量に出回ってる時点で作り手の無茶とか苦しみが見えすぎてて心からかわいがれないし、

作り手の待遇なのか何なのか分からないけど改善されるまでは紙モノか作り慣れたプラおもちゃ大人しくしていたほうがいいんじゃないか?

今回の騒ぎを経て次は生産数を大幅に増やしました!とか言われたとして、それで結局大量の不良品が出荷されることになったら次はネタにして許してもらえるか分からないし。

今回たまたまカービィっていう常日頃トンデモ変形してる生き物だから笑ってもらえてるだけで、他のキャラクターコンテンツだったら大炎上とかして損失に繋がるかもしれない、大量の無残な売れ残りを抱えるかもしれない。そうなるといよいよハッピーセットの存続に関わる気がする。

何十年もハッピーセット買わせてもらってきて、子供向けコンテンツいつまでも親しんでる身にはハッピーセットって本当に大切な、なんかこう各ご家庭の近所で安価コラボカフェやってくれてるみたいなありがたい施しで、

ハッピーセットになったらこ作品キャラクターもいつの間にか人気者になったんだなって実感できる、そういう尺度でもあるし、

とにかく一時のバズとか小金稼ぎとかのために奪わないでほしかった、対象年齢から外れても卒業できなかった痛々しい大人の密やかでささやかな楽しみを。

まあ今からそんなこと言っても手遅れだし、マクドナルドさんの慈悲に縋るしかない。

望み薄だな……落ち込む……。

コメント読まないか無用だし拡散もしないでほしい、嘆きに来ただけなので

2024-02-27

FIREできそうな予感

2800万行きました!

これを倍にすれば退職金と合わせて6000万

このささやかな願いだけ叶えて!!

老後は貯金千万必要ですよとか、お金に関する不安に振り回されたくない

めっちゃ贅沢したいわけじゃないけど、余裕を持って生活できるお金があればそれだけでいいんだけどなぁ…

何年かに一回、どっか旅行できたらいいなぁ…国内で、近場の温泉とかでゆっくりできればそれで良いんだ…

先の心配ばかりするんじゃなくて、今をささやかに生きたい…

2024-02-24

███だけど 夢が異常にデカキャラが苦手



悪いけどちょっと「きゃっつ…」ってなる

リアルの人にはならないよ、あくま二次元の話

大きい方が世界的にもよいって意図みえ

多摩市が震える


そのキャラは 本当に大きな夢が抱きたかったんだろうか?

大切なキャラなら、作者が叶えたかった夢を押し付けないでささやかな夢にするべきだろうに

自分の捨てたもの自分の子供に押し付け

まあステキなこと

おぇ



自分がとっくの昔に大きな夢は持たないって決めてるから余計に思うんだろうな

本当にやめてほしいって思うけれど、この世に諦めた夢と誰もが叶えたい希望がある限り

変わらないんだろう

話はそれたが、夢がデカキャラをやめてほしい

話は好きでも夢がデカくて辛くなる



たとえばさ、オーズとか

もっと小さてもよかったんじゃ…

夢が世界すべてとかいらないんよ…

でも作者さんは好きでやってるんだし、仕方ないんだろうけどさ

個人的にはあの夢の大きさが雑音になってる

でも大きい方が読者も喜ぶし、Win-Winなんだろうなぁ

あー夢が大きいのが良い世の中なんて、生きにくい世の中だ

2024-02-21

ささやかな楽しみ

明日から25日までピザハットアプリから持ち帰り注文でマルゲリータが590円になるってやつ。

実施店舗たまたま近所にあるので買ってくる予定。

ふだんピザ食べないので楽しみ。

2024-02-19

独身讃歌はそろそろやめてくれ

最近の世の中には、「自分の好きな世界趣味を貫ければ独身でもいい」的な風潮があって、ブラッシュアップライフやら大豆田とわ子やら独身エンパワメント!みたいな雰囲気だけど、

パートナーもいなければ貫きたいような自分世界観も特にないんですよね、みたいな人間だしそういう独身の方が多いと思う

愛されたい願望から解脱して愛する喜びを理解できている年齢だが、喜べるほど愛する人もいないし

 

すべてを分かりあうことなんて無理だと知りながら、友達大事にできる年齢だが、友達なんか少ないし

自分にできることなど何もないとわかりながら、できる範囲自己実現を目指せる年齢だが、やる気を出して生きるコストの方がつらい

丁寧な暮らしも日々のささやかな喜びも、2秒で忘れてしま

熱中できる趣味もいつかは飽きると知りながら、遠泳の息継ぎのように夢中になってみているだけ

別に何かがつらいとかじゃなくて、特別何もうまいこといかいから、普通にもう生きるのやめたいみたいな気持ちになる

日常ちょっとした快楽日常ちょっとした躓きを天秤にかけると後者の方が少し重い

けど死を選ぶ面倒さの方がもっと重いだけで生きている

そんな独身に救いはないので、無理やり何かを選ばせて救おうとしてくるのやめてくれないか

やっぱり人生は充実していないといけない気分になるので。私のスカスカ人生肯定させてくれよ

2024-02-18

増田単語リンクからいたずらに遡ると

ささやかな星のような叢の中の小さな赤い実のような増田もいっぱいあるのだが

結局対立要素があったり、あきらかな釣りだとしてもなにか言及ができて不毛な議論が盛り上がる話題はてブでは好まれるのだよな

2024-02-14

熊代亨先生トークイベントおつかれさまでしたat梅田ラテラル

熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います

私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。

普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います

トークイベントでは新刊テーマである推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求所属欲求比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人感情を語ってもどうしても社会接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。

はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートプレーしていますし、それがまた格好良いのです。

一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。

どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。

両親はとある同じ地方出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身先生ならお分かりでしょうが、50年以上前農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています

そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子ども立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています

無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。

ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。

実際、妹は結婚していますが、子ども絶対に作らないと明言しています自分遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。

それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います

今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれから先生を「推し」として応援しています

新海誠好きの元彼の一人として言いたいことがある[追記あり]

新海誠好きの元彼」が何を指すのかについて誤解が生じているようなので下の方に追記しました。

はじめに

新海誠好きの元彼についてアンケートを取り元彼達についての同人誌を出す企画があったが、その企画に対して「新海誠好きの元彼」を馬鹿にしているとの批判が出たこから企画が延期(中止?)になったらしい。

「新海誠が好きだった元カレ」がいた人々にインタビューしてみた|ペシミ

「新海誠好きの元彼」同人誌企画への3つのモヤモヤ、あるいはごく個人的な悲しみについてのこと - ささやかな終末

同人誌の企画中止につきまして|三宅香帆

おそらくこの批判をした人も、そして野次馬の多くも「新海誠好きの元彼」ではないだろう。別に新海誠好きの元彼」を代表するつもりはないのだが、そのうちの一人として意見を表明しておくことに何らかの意味があるかも知れないと思い増田に書いておくことにする。

先に結論を書いておくと、この投稿で主に自分が伝えたいのは「新海誠好きの元彼に関する同人誌」を是非世に出して僕たちの古傷をえぐって欲しいという意見表明であるとともに、そこに少しだけ当時(現在のではない)感じたであろう愛情を添えておいてくれると助かるというお願いである。

新海誠好きの元彼」というステレオタイプ

まず自分の「新海誠好きの元彼」としてのバックグラウンドを話しておきたい。僕が新海誠作品出会ったのは高校一年生のときである中学三年生の時いい感じだった同級生がいたもののお互いに奥手だったので付き合うには至らず、卒業と同時に単身赴任中の父親の勤務先近くに引っ越ししま彼女との別れを経た僕に当時話題になっていた秒速5センチメートル死ぬほど刺さった。その後大学生になってからその同級生と5年間遠距離恋愛をしたり(因みに再開した当時桜木町バイトをしていた、そんなとこにいるはずもなくもなくもなくもなくもなかった。)、彼女の家から帰る時に毎回涙ぐむのを彼女バカにされるのが定番化したり、夜行バスの中で長文LINEメッセージを生成したりといったような自己陶酔ロマンチシズムの激しい人間自分である

そんな自分なので上記新海誠好きの元彼がいた人へのインタビュー記事を読んで自分にも間違いなく「新海誠好きの元彼」としての要素があると思ったし、自分と似た人は世の中にそこそこいるのだろうなとも思った。インタビュー内容からは「集団の中では浮いている教室の隅で本を読んでいるタイプオタクなんだけど、恋愛にはそこそこ興味があって一部の物好きな女性の心をくすぐることがある」というようなイメージがなんとなく浮かんでくる。つまり新海誠好きの元彼」とは、単に新海誠が好きなだけでなく「遠野貴樹」や「秋月孝雄」、「寺尾昇」といった新海誠初期~中期のウジウジとした主人公感情移入し、心の中に彼らが住んでいるような男性を指しているのではないかと思う。

新海誠好きの元彼同人誌が人を傷つける可能性について

まず新海誠好きの元彼同人誌(以下、元彼同人誌と言う)が一方的元彼バカにするだけの目的作成されるというのは誤解を含んでいるのではないかと思う。正直、インタビュー記事の中には自分の行いが書かれているようで目を背けたくなるものもあり、古傷をえぐられる羞恥心となんとも言えない快感に襲われた。あのインタビューバカにしているかいないかで言えば、バカにしている要素を含むのだろう。一方でそこに当時受け取った愛情も同時には感じなかったというと嘘になる。企画自身も弁明しているが、同人誌企画趣旨には「新海誠好きの元彼」と付き合っていた自分という自虐も含むらしい。これは受け取り方によっては「こんな馬鹿な男と付き合っていた私」という追い打ちとも取れる(というかそう取っている人が多いように見える)が、おそらく真の意図は『そんな男を好きになっていた私も同じ穴のムジナ』という意味でありまたそんな思い出も忘れがたい青春の1ページとして同人誌の形で残す意図も含まれているのではないかと思う。なお過去の美しい(?)記憶や思い出をわざわざ言葉という劣化コピーの形で残すのが新海誠作品の読解的に正しい行いなのか、という議論はここでは置いておく。

そもそも論で言うと、自分新海誠に会ってから新作を見るたびに(あるいは動画を見返すたびに)傷つけられてそれが快感になっている。そして「新海誠好きの元彼」の中には同類が数多くいるのではないかとも思う。成長した元彼元彼同人誌を見て「こんな馬鹿なこともしたな、懐かしいなぁ」と心中悶え苦しみながらも穏やかに過去自分、そして成長した自分に向き合う、そういった同人誌になるのであればウェルカムだ。ただ本当に馬鹿にされているだけの同人誌だったら後で泣いてしまうと思うので、どうか当時の愛情を少しだけ添えておいて欲しい。

自分以外の「新海誠好きの元彼」へ

自分元彼同人誌が読みたい。そして忘れている過去の恥ずかしい思い出を掘り起こされて悶絶しつつ『あの頃』に浸りたい。きっと共感してくれる元彼もいると思うし、それを発信することで企画が前に進むこともあるのではないかと思う。もちろんそんな思い出は見たくもないというのであれば読まなければ良いし、そんなものが世に出ること自体が許せないなら反対の声を上げるのも自由だ。ただ今は自分たちの声が置き去りにされて無関係人達だけで議論が進んでいるようなので、当事者として声を上げることが大事だと思う。

元彼同人誌に反対の声を上げてくれた人へ

結果的余計なお世話だという趣旨記事になってしまったが、元彼の中には自分気持ちを代弁してくれてありがたい人もいると思います。代わってお礼を言わせてください。ありがとうございます

追記

新海誠好きの元彼」について少しだけ補足させてください。「新海誠好きの元彼」を定義することは元彼同人誌がやるべきだと思ったのであえて本文中ではボカしたのですが、それが「新海誠男性ファン」とイコールで捉えられることは本意ではありませんでした(元彼同人誌炎上根本的な要因も、「新海誠好きの元彼」が指す範囲ボタンの掛け違いなのではないかと思っています)。実際の「新海誠好きの元彼」が指す対象は「新海誠男性ファン」よりも(今となっては)かなり狭く、あえて乱暴定義するなら「新海誠初期~中期の作品感傷マゾ性癖クリーンヒットしてしまった人」でかつ「現実の男女関係にも感傷マゾ性癖を持ち出してしまう」ような人達のことを指すのではないかと思っています。なんなら新海誠作品出会っていないが「新海誠好きの元彼」的な性質を持っている人もいるはずで、「新海誠好きの元彼」の「新海誠」とはあくまでも当時感傷マゾをしばき倒していた代表格としての意味しか持たないと自分理解しています。(この辺りが同人誌作成過程の調査で明らかになると良いと思っています。)

そんな気持ち悪い、本質的には新海誠作品とあまり関係ない生物呼称新海誠名前を使うのは失礼という指摘に対しては、まあ一理あるけど概ね当然の報いなのでは?というのが自分の偽らざる気持ちです。

2024-02-13

推しマジで幸せになんかならないでほしいっていう話

この文章は知らないオタク匿名箱に入れようとして思いとどまったやつだから、その体で書かれた文章だと理解してくれればうれしい。

本当にひどく不快にさせてしまうかもしれないのですが、どうしても誰かに話をしたくて、でもこんな話をできる相手なんていなくて壁打ちさせてください。

世間でいうところの推しがこれまで数人いて私の人生をありえないほど彩ってくれているのですが、どうしても推し幸せを望むことができません。

常日頃自分に関わる全ての人間幸せに生きていてほしいと祈りながら生きているんです。

でもどうしても推しだけはずっとステージの上にいて欲しいしずっと命を削って舞台に立ち続けていてほしいしステージで浴びる拍手や歓声に依存していてほしいのです。ささやか日常幸せなんて見出さずにただひたすら芸能世界にしがみついて死ぬまで生きていてほしいのです。だからファンレターでは一度も「どんなあなたでも応援します」とは書いたことがありません。それだけがささやか抵抗で、積極的に不幸を祈っているわけでは全くありません。

私の好きな人は自立した立派な人だから、いつかそのときがきたら勝手幸せになって舞台から降りてしまうのはわかっています

でも舞台の上で輝く姿が大好きでしょうがなくて、心の底から幸せを願うことができないのです。

これまでの推し(と言っていいのか分かりませんが普通の消費活動から逸したお支払いをしてきた相手)の中にはすでに結婚して、お子さんもいて、もうステージには立っていない方もいます。貴重な青春時代エンタメとして切り売りするのを終えて、ようやく自分生活幸せに送れるようになったことを一人の人間として純粋にお祝いする気持ちもある一方、やっぱりあの頃のステージの上の高揚を忘れられずにどうしようもなく辛くなっていてくれないかな、と心の隅で思ってしまます

この文章を書いていて、本当にひどいことを言っているなと改めて思います。誰にも言ったことがないんです。自分がただ楽しいから、好きだから、行きたいから、欲しいから、勝手お金を使っているだけなのに、このささやかな消費によって、少しでもその方の舞台の上の人生が輝かしいものになってそのあまり舞台から降りれなくなってくれないかなという願いも託してしまます。本当にごめんなさい。こんな文章をもし読んでくれたのなら申し訳ないです。許さなくていいです。

2024-02-12

anond:20240212175752

自己否定になるような妄想ダメだと思うの

 

たとえば、何かの習慣化とかささやか妄想ならいいんじゃないの?

2024-02-10

伊東純也事件の諸説をまとめる

週刊新潮スクープと思われたこネタ、その新潮が今のところ二の矢を出すことが出来ず、見事なトーンダウン状態

この話はいくつかの説があるのでまとめてみる

説1:本当に伊東純也が性加害をやらかし

最初新潮スクープの通りの話。ただこの線は今や風前の灯火。文春だったら二の矢三の矢が出てくるはずのタイミングで、出てきたのはデイリー新潮からのただの逆ギレお気持ち文章伊東所属クラブ伊東本人と新しい代理人(注:元々の代理人は「X氏」だったが、彼は1月エージェント会社退職している)からヒアリングの上、練習に参加させていることから見ても、所属クラブ伊東本人を「シロ」と見ているのだろう。

説2:女性側の勇み足

https://anond.hatelabo.jp/20240210072041 の通り。

説3:X氏が黒幕だった

Z李氏が「X氏が全て悪い」とX(旧ツイッターのほう)で断罪していた内容。X氏が問題飲み会交渉など全てを主導していたが、それがバレてX氏がエージェント会社退職に追い込まれたという線。「言うことがコロコロ変わる」と伊東から不信感を持たれたと言うX氏の不可解な言動や、1月に突然退職し、代わりに出てきたのがX氏が過去に関与していた「かぼちゃの馬車事件スルガ銀行不正融資事件)で被害者救済に走った加藤弁護士という、真逆立場の人が出てきたという流れの説明がつく唯一の説。

説4:女性スポンサー伊東ライバル選手スポンサー黒幕だった

一部でささやかれる説。女性スポンサーが居ることと、X氏がそのスポンサー企業社員だった過去があること、そして伊東が居なくなることで出番を得る選手実在することから編み出された話。ただこの件は続報が無く可能性としては薄いか

他にもあれば教えてくれると助かる。

2024-01-30

ついに原作レイプで人死にが出た

なんたることだ! 再発防止策が必要だ!

……とはいっても、『テラスハウス』で人死にが出てもリアリティショーをやめずに平気で『バチェラー』や『バチェロレッテ』を放映していた面の皮が京極夏彦の本くらい厚そうなTV業界の皆様に再発防止を求めるのは、タリバンの方々に女性尊重を求める以上の難事であることは間違いなく、今後とも安易ドラマ化による原作レイプは引き起こされ続けるだろうし、売上に目が眩んだとか最高級の桃のように押しに弱いとか赤ちゃんコウノトリが連れてくると信じているほどに純朴だとか色々な理由ドラマ化を承諾する原作者も後を絶たないだろう。この事件製作側に何がしかの変化をもたらす、ということは、明日ミナミノミナミノ』の続刊が出版されるくらいにはありえそうもないことだ。

ただし、読者の目線は、ファンの反発は、オタク実写化に対する態度は、変化するだろう。より正確に言うと、いっそう厳しく硬いものになっていくだろう。

これまでの原作レイプに対するオタクたちの反対というのは、イメージと違うとか原作ではそうじゃないとかこのキャラはこんなこと言わないとか先輩がスパゲティを食べてるなんておかしいとか、言ってしまえばお気持ち表明でしかなく、それによって引き起こされた悲劇といっても、原作者に眉を顰められたりなかったことにされたりするのがせいぜいで、最大の悲劇は裸になったアイドルがいいひとだったせいで連載が終了したことです、という、まあファンがグチグチ怨念ネットの海に垂れ流す程度のささやかものに過ぎなかった。

ところが、今回は、原作者が自ら生命を絶つという最悪の事態になってしまった。

好きなシリーズの続きが読めなくなったどころではない。もう二度と彼女の新作を読めなくなったのだ。

リアリティショーと同様に、原作レイプでも人が死ぬTV業界の人たちはそんな些事を気にも留めないのかもしれないが、業界の外にいる人間、ただ純粋作品を楽しんでいたいだけの人間からするとたまったものではないわけで、今リアリティショーに対して「なんでそんな死人が出るような番組やってんだよ」という声が徐々に高まっているように、今後、「なんでそんな死人が出るようなドラマ化やってんだよ」という批判の声はより大きくなっていくだろう。だって我々は、まさか人死にが出るなんて思ってもみなかったんだから

もちろん表現の自由というものがあり、ガイガーカウンターを使って女児を手籠めにする漫画出版自由であるべきなのと同じように、恋愛リアリティショーや原作レイプTVドラマといった類の下世話な番組を放映するのも自由であるべきで、自キャラ選挙に動員することに躊躇のない国会議員さんが「業界団体(や場合によっては議員チーム)で検討する組織体を作るべき」とか言ってたのはお前表現の自由はどこ行ったんだよという感じになってしまうのだが、原理原則論からいえばこれらの番組を法的・社会的咎め立てすることはできないだろう。

から。せめて我々は、彼らがやったことを忘れずにいよう。事あるごとに蒸し返そう。彼らが原作蔑ろにした作品を世に出す度に、「お前ら前に原作レイプ漫画家を死に追いやったよな。なんも反省してないの?」と言い続けよう。それは弔いのためではない。彼女はそれを望まないかもしれない。ただ、増田は、二度と原作が踏み躙られる光景を見たくはないし、原作者が苦悩する姿を仄聞するのは嫌なのだ

2024-01-21

anond:20240121032147

実際には(例えば)移動シャワーのような予め用意したサービスに特化した団体

少数の迷惑YouTuberみたいなのが乗り込んでいるだけなのに、あたか人海戦術型の一般ボランティアが詰めかけて困っているかのような注意喚起拡散される。

そういう断片的情報拡散は「なにかしたい」「ささやかなりと貢献したい」欲求を手軽に解消する。スラックティビズム一種と言える。

そもそも実際にボランティア活動をするモチベーションと、ネットでいちいちコメントしたい欲動はその起点において重なるものがある。

からこそ分かれた道はもう合流しない。リポスト活動で満足して、それ以上の行動を求めなくなる。それがまた現場リアルから遊離した空中戦助長する。

それにしても今回の地震野次馬のワーワーの声が大きい。ただ騒ぐだけでなく憎悪はらんでいる。いちいち「これはOK」「これはむしろ迷惑」と聞きかじりで早計に持ち上げたり叩いたり、それがもともと存在する党派性の争いと一体になっている。ツダだからOKor許せない、れい太郎から云々。

もちろん東日本大震災原発事故ときは今回どころでなくネット憎悪のるつぼだったが。

局地的災害ネタにそんなに無駄にいがみ合う意味があるのか?これだけ立て続けに災害があってまだこんなに我々の社会災害に不慣れなのかと思うが、局地的災害からこそ「なにかしたい気持ち」のはけ口がないのかもしれない。

まあなんだかんだ政府自治体には着実にノウハウは蓄積されて行っている。官民の連携はまだまだこれからというところ。ある意味ネットは一番遅れている。

「小規模避難所二次避難拒否ジレンマ」みたいなのも、またしょーもない連中が田舎ヘイト高齢者ヘイトのいいネタ見つけやがった感がある。もちろんイシューとしては重要な要素を含んでるがこいつらの深刻ぶった論壇ごっこはどこにもたどり着かない

anond:20240120113950

結婚前のささやか不安結婚後にはとんでもなく大きな後悔になると思う

分かってたつもりでも、世間はそんな話ばかり

矯正は望めない前提で諦めるか、別れるかの二択だと思う

2024-01-18

anond:20240118231322

まり行政が用意してる正規対応(児相保護とか)と

ネット民の知ったふうな見解(関わらないのが正解、とか)の間の隙間で

個人的にできることややるべきことがあるんじゃないか、という話をしてるのかな?いまいちよくわからんけど。

そうだとしたら、ボランティアマインドってつまりそういうことだ。

ボランティアといえばなんかどっかに登録してやるものとか特別活動というイメージが固まっちゃってるけど。

迷子徘徊老人保護するとかさ。単なる親切と地続きなのがボランティア

どんなに福祉管理が行き届いた社会でも「隙間」は必ずある。

気づいた人が自分意志能力責任において試みるべき人助けがボランティア本質であって。

そこが全くわかってない人(≒人助経験値ゼロの人)が、懐手であれはいいとかこれはわるいだとかのネット品評会をやっている現状。

間違ってはいけないのは善意であれば何やってもいいというのとは違うということ。人助けというのは一にも二にもテクニカル問題。できることはやればいいし、できないことはできない。

放置子に関しても「児相通報するか一切関わらないかのどっちか」だなんていうゼロ百のルールはない。その間のところで、自分責任においてがっつりコミットしてもいいしちょっと言葉かけるくらいの超ささやかな関わり方があってもいい。何が正解だとか不正解だとか他人ジャッジや指図してもらうことじゃない。

正解がない問題においては探り探り動くしかない。蛮勇で突っ込むのも冷静を気取って最後まで指一本動かさないのも違う。

anond:20240118155947

インスタに子供写真とかハイスペ彼氏写真を上げまくってる女子サークル時代はパッとしないか

埋もれていた人なので、「満たされている」というよりかは「満たされてなかった」人が取り戻してる感じがあるな。それで今は満たしている最中なんだと思っている。


でも「受け手を喜ばせる情報」ではなくて「発信者である自分を喜ばせるための情報」を永遠に見続けるのはストレスなので、2ヵ月くらいたったらミュートにしている。


カッコいい彼氏ができた、子供ができた、そこで舞い上がって自慢するのはわかる。

こちらも近況がわかるし、素直に喜ばしいと思う。

でも舞い上がりの時期が終わって、興味が無くなっても、

いつまでも需要の無い同じ情報を発信してくるのはささやかな加害だ。


相手の底の浅さが見える。飽きる。飽きると粗が見えてしまう。

「あ、こいつマウントしたいんだな」と思ってしまう。「そういえばこいつパッとしなかったな」「愚痴ばっかりだな」「ガキの顔上げながらガキの愚痴言うの頭おかしくないか?」「なんで知らない男の笑顔見なきゃいけないんだ?ちょっと男の顔も呆れてるし」

負の感情が増えていく。

妬みや恨み、その果てには。「お前さ、俺の事馬鹿にしてるんだろ?言えよ!」

ってなってくる。そうなったらそっとミュートする。人間性を疑う場合ブロックしておく。

ストレスを貯めないのが人に優しくできるコツだ。

2024-01-10

世代収入を追いかけ続ける人生

20歳社員として働き始めたとき手取り15万でボーナス有休もない会社だった。

世代の友人たちはもうちょっと良い稼ぎをしていたものの、俺は実家暮らしだったから付き合う金にはそれほど困らなかった。

24歳のとき同業他社転職して、その会社では手取り19万でボーナスは年間合計2ヵ月分。年収もやっと300万に届いて「俺は奴隷から人間になったんだ」と思った。残業代有休もなかったけど。

友人たちは車を買ったりちょっと贅沢な家に住んだりしていて、少しずつ差を感じるようになった。

彼女(今は妻)と同棲し始め、ささやかながら自立した生活を送れることに満足していた。

29歳でまた同業他社転職して、そこでは鬼のよう残業をこなし、年収が400万を超えた。あと鬱になった。

妻と話し合い、少し贅沢な築浅の23区内のマンションを借りた。猫と暮らし始めた。

そのころの友人たちは、さらにイケイケの企業転職して年収が数百万単位で上がったり、1000万を超える者もいた。

コロナが直撃し、年収は300万円強に戻った。この会社死ぬほど働いた数年間、給与が上がることはなかった。

32歳でまたまた同業他社転職して、人生で初めて肩書をもらった。プライム上場企業(の事業会社)で、プライムマークのついた名刺を見せると親はたいそう喜んでいた。

去年の源泉徴収票を見ると年収が500万を超えていた。手取り15万から始まった俺の人生も、来るとこまで来たんだと感慨にふけった。

一方で、友人たちはNISAに常に満額突っ込んでるとか、賢いマンションの買い方の話をしていた。友人たちはおそらく年収が700万以上あることに気付いた。そういえば20代半ばのとき、友人たちのひとりが500万ぐらいだと言っていたなあ。

もちろん俺より厳しい年収人間が山ほどいることは重々承知だ。

それでも、俺は一生友人たちの年収を追い越すことはないんだろうと考えるとむなしくなる。

全ての人間平等パラダイスみてえな国ねえかな。

2024-01-07

収入が増えた

まれてこの方不景気で食うに困るほどではなかったけどろくに贅沢もせず生きてきた。

生活必需品は常に店頭で1番安い1番グレードの低いものを買うのが当たり前の35年間。

それがひょんなことから職を変えることになって収入が急にめちゃくちゃ増えた。

給料明細見てびっくりした。ギリギリ生活にもかなり余裕ができてきた。

外食の値段を気にしなくなったり、毎日ささやか晩酌ができるようになったり、親に美味しいものを買って送ることもできた。

ここ15年ほぼ毎日同じメニューだった食パンコーヒー朝ごはん

ふと、たまにはパン屋ちょっといいパンを買っていつもと違う朝ごはんにしてみようかなと思った。

いいなと思った。

人生って楽しいんだなと思った。

ずっとそういうささやか生活の充実を求めてたのかもしれないけど、それに気づくことも出来なかった。

今思うといつも足元がソワソワしてて「生きる」をこなしてる感覚があった。

死ぬほど辛くはないけど、長生きしたいほどの充実もない毎日がなんだか素晴らしいものになってきた感覚がある。

仕事も楽じゃないけど頑張ろうと思えるし、他人に優しくもできるようになってきた。

お金すごいぜ。お金ありがとう

多分世間の人みんながちょっと余裕ある暮らしをできるようになったら色んな社会問題解決するんじゃないかな…

そういう世の中になるといいのにな。

2023-12-29

松本人志スキャンダル(かも?)で

ほんまこういうことがあると

人生負け組何者かになりたかったけど

何者にもなれなかったこじらせおじさんが

「なんでカリスマかわからない」

おもしろいと思ったことがない」

弱者を笑う、人をおとしめる芸人

とかとかマウント取れた気になって次々湧いてくるのすごいな。

週刊誌の作り方、知ってるかい?強きをけなし、弱きをわらう。

勝者のアラ探しで庶民嫉妬心をやわらげ、敗者の弱点をついて

大衆ささやか優越感を与える。

これが日本人快感原則いちばん合うんだな」

とほんまにこれ。

一応説明しとくわ。

「なんでカリスマか」

→IPPON、すべらない話等々バラエティ番組企画フォーマットいくつ作ったか知ってる?

「何が面白かわからない」

→上の何年も続く企画がどんだけ視聴率取ってる

か知ってる?

弱者をおとしめる笑い」

→同じように松本自身筋肉バカ過去著作物いじり、とかとかいじられてるの知ってる?

と言いつつ自分東海オンエアやらコムドットあたりのYoutuber面白さが全然からないので

同じように「すごいんだよ!」と言われてもわからいかも知れない。

2023-12-27

叔父に裏切られ、叔父を裏切った人生

少し自分語りになる。特定されぬ様少しフェイク入れる。


俺は叔父会社で働いていたんだが、俺には親が早くに亡くなり居らず、

叔父も実子が居ない為、何れは俺に後を継いで貰う、と常々言ってくれていた。

両親を亡くし孤独となった俺を親代わりに育ててくれた叔父を、父の様な存在だと思っていた。



会社の方で大きなプロジェクトに取り組む様になり、俺もそれなりの大役を任された。

もしこのプロジェクト成功すれば、名実共に俺を叔父の跡継ぎにしてくれると約束してくれた。


しか叔父は、良くも悪くも「実利」「効率」よりも

「(会社としての)体面、矜持」「社会的な意義」等を重視する人だった。

また、自身が一番働くタイプトップだった為、部下らにもハード労働を半ば悪気なく強いていた。

ブラック残業で部下が潰れて討ち死に状態になっても「(会社としての)大義の為ならば仕方が無い」というスタンスだった。

昔はそんな一本筋の通った叔父尊敬もしていたが、叔父懐刀となって働く内、段々疑問が芽生えてきた。

「本当にこれで良いのか?」と。

付いてくる同僚、部下達を、会社大義の為に使い潰して良いのかと。


疑問は確信に変わり、従来のやり方を革新する方向でどんどん仕事を進めて行った。

同僚、部下の配置は適材適所

競争相手である外資系企業は強引な商売をする事もあったが、

それを逆手に取り更にこちらが有利になる様に取引を進め、相手企業利益シェアを削り、こちら側のシェアを増やして行った。

人心掌握術、営業、切った張ったの駆け引き等、やれる事は時には強引に何でもやった。

そうして、ようやく自社がシェアに大きく食い込み、プロジェクトの成果も目に見えて上がってきた。


しかし、叔父は俺のやり方を認めず「邪道」「真っ当な道に反する」と反対した。

だが俺も、叔父が今まで切り捨てて来た部下の為にも、このプロジェクト成功させないと必死だった。

叔父との対立は激化していき、部下らにも知られる程ともなったが、とある相手企業との取引において、

相手企業の知り得た内部情報を上手く活用し、内部での混乱に乗じる形で取引を有利に進めた。

それが遂に叔父逆鱗に触れ、俺は後ろから撃たれる形で叔父会社を追い出された。


不幸中の幸い、俺に付いて来てくれる同僚・部下達もおり、

後で彼らと新たに集めた仲間で会社を立ち上げ、

叔父と時には対立、時には協力する形で、他社としてプロジェクトを進めて行った。

そして…叔父と、叔父会社の悲願だったプロジェクト成功したが、俺の強引なやり方のせいか

叔父の真っ当な仕事人としての名誉は穢れてしまった。叔父意気消沈し、自ら責任を取った。

結果的に、俺は叔父に引導を渡してしまった……



今は俺も会社を畳み、フリーランスの様な仕事で糊口をしのぎながら、

小さいながらもマイホーム趣味を細々としてささやかながら楽しく暮らしている。

元部下で、今も仲が良く俺なんかの世話を焼いてくれている女友達もおり、孤独でも無い。


しかし、今でも思う、もし俺が積極的に行動しなかったら、叔父主導のプロジェクトは失敗に終わり、会社悲惨な事になっていただろう。

叔父引退したが、会社は残り今でも残った者達だけで頑張っている。

だが、親父代わりだと本当に思っていた叔父を追い込み、叔父は息子だと思っていた俺に引導を渡された。

俺はこの先、何を思い生きていけば良いのか……

叔父への贖罪の為、自らも身を持ち崩すべきか。

それとも、細やかながらも家庭を持ち、静かに暮らしていけば良いのか。


こんな日は午前6時眠れなくて、朝方まで考えても、答えは出ない……

2023-12-25

年月を重ね、様々な人々、事件出来事を学んでくると

人と人が理解し合える、認め合える、和解する事の難しさを知る

今の私は涙もろいのだ

ささやか和解ささやか理解

それに触れるだけで涙があふれる

2023-12-24

世間ではクリスマスらしいが

私はアニメYouTubeはてなを観てるぞ!

朝食はスムージーで昼食はコッペパンで夕食は野菜たっぷりオートミール

20歳くらいからずっとクリスマスはこんな感じが当たり前でもはや疑問すら感じなくなっていたが

ハレとケを作らないと生活にハリがなくなるというのを見かけて確かにそうかもしれんと感じた

でもな……初めて一人暮らしを始めたときに、一人で小さなクリスマスケーキと寿司チキンを食べて、すさまじい虚しさが襲ってきた記憶があるんだよな……

たぶん無理矢理「楽しくしよう、豪華にしよう」としすぎたからかもしれん

ささやかに、ほんの少し、いつもよりちょっとだけ良いもの食べてみるとか、なんか好きなスイーツ一品買ってみるとか、そういうのなら虚しくならんのかもな

俺たち本当はささやかだけど一家団欒の慎ましい、でも温かいクリスマス希望なのに

なぜそれを風俗嬢に求めて架空のひととき幸せで満足してると自分を納得させてしまってるんだろう

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん