はてなキーワード: 補完性の原理とは
維新を目の敵にしてると同時に「自己責任」を目の敵にして、やることやらないで政治に文句つける奴がリベラルには多すぎる。
そもそも新しい公として「自分でできることは自分で」「自分でできないけど地域でできることは地域で」「地域でできないことは公で」という、より小さい単位が実施するという補完性の原理に基づく地方分権を叫んできたのは他でもない民主党でその流れは自民党も受け継いで「自助・共助・公助」と呼び名を変えて今に繋がっている。
ところが、そこでリベラルは手のひらドリルで「自助なんかおかしいだろ。基本は公助だろ」と、やることやらないで政治に文句垂れるだけのクズに成り下がっている。
当たり前の話だが、そんなのでは税金が持たないので、仮に立憲民主が政権をとったとしてもそんな世の中は未来永劫来ない。政府を変えるよりも自分を変える方がずっと簡単なのにしない。責任ある仕事に就こうともせず、低賃金に甘んじて政治に生殺与奪の権を握られてるのに自分自身にそれを取り返そうと頑張ろうともしない。
政権をとって政策を実現する見込みのない立憲民主党のリベラル系やれいわの甘い言葉、絵に描いた餅を信じて彼らに投票する。リベラルの政治家はそもそも政策を実現しようとしていない。自民党と戦う振りをすることで、無能に夢を見せて政治家という地位とお金を手にする稼業としてやっている商売人でしかない。底辺の不満をぶつけて解消する仕事として政治家をやってる連中だ。政策実現のための具体的な道筋を説明できる者は一人もいない。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1339976/
《私たちは、ただ政権交代がしたくて政権交代をしたわけではありません。やはり、この国の形を根本から変えなきゃいかん、そんな思いで行動して参った所でございます。私はいろんなご批判もいただいておりますが、友愛社会というものを実現をしたい、そのように思っております。それは、考え方などがいろいろ違っていても、それぞれむしろ違いというものを尊敬をしながら、違いを認め合う、そしてお互いに補い合う、そんな社会を実現をして参りたいと、そのように思っております。
ということは今までのように、何でもかんでもいわゆる、国というものがあって、国というものがなんだかよく分からないんですが、国というものが力を持って、何でもがんじがらめで、地域を縛ってしまう、そういうやり方は一切やらないと。むしろそのように達している所でございます。それを私たちは地方分権というよりも、むしろ地方に権利を分け与えるという地方分権ではなくて、地域にこそ主権がある、地域主権の国造りに抜本的に変えて参りたいとそのように思っておりまして、だからこそ私はあえて所信表明の中で、国の政治の役割というものはさほど、むしろ大きくないものなのかもしれない。いやむしろその方が望ましいのではないかと、そのような事まで、あえてその時に申し上げたのでございます。
地域主権、すなわち、地域のことは基本的に地域でかなえられるように、そのようにさせていただくというか、国というものはむしろ、ある意味で、皆さん方が地域でなさることをそれとなく、必要に応じて、それとなく支えることができる、そんな国と地域のあり方に変えていきたい、そのように思っておりまして、それを私たちはいわゆる補完性の原理に基づいて、国と地域のあり方を、むしろ地域があって国があるというような考えに基づいて、行動を強めて参りたいと、そのように感じている所でございまして、私たちは、地域主権を1丁目1番地の思いのように、歩きながらこれから新たな国と地域のあり方というものを、模索をして実現をして参りたいと思っております。》
・僕には地域というものがなんだかよくわからないよ…。
・あとなんとなく僕には「永住外国人に地方参政権→地方分権の売国コンボ」が説得性を帯びてきてる
・国なんてよくわかんないんだから売国も何もないよね!まったく総理は大した無政府主義者だぜ
・個人的に「国」って概念は難しいけど、だからこそ政治学において国家論が議論されてきたわけで、ただ「わからない」というのは謙虚さを装った無責任だと思う。小賢しいっつうかなんつうか。