はてなキーワード: 実業とは
高頻度取り引きシステムと訳すべきを、高周波取り引きシステムと翻訳して、あさっての方向に説明が行っているのが、活字媒体に出ているらしい。
そもそも、高頻度取り引きが可能な状況というのは、高速で注文が執行されるという状況である。これは、arbitrage(アーブ、裁定取引)をやる時に、絶対に必要な条件となる。アーブは、同一の銘柄が複数の市場に上場している時に、価格にズレが発生した瞬間を捉えて売買を行い、利益を上げる。ここに、HFTが必要な理由がある。ほんのわずかでも乖離した瞬間に、乖離したことに気がつかない間抜けの注文を、他の誰よりも早く売買を成立させて取り込み、ノンリスクで利益を捻り出すには、HFTが実現可能な程の取り引き環境を物理的に準備するというリスクが必要となる。そして、HFTを実現させる為のリスクを背負ってしまったら、アーブをやり、利益を上げなければならない。
同一銘柄という定義には、ETFやダウのような合成銘柄と、その構成銘柄のセットでの売買という手も存在する。こういった機械的アーブが通用するのはHFTが実現可能なマーケットに上場しているモノに限られる為に、あまり適用範囲は広くないが、それでも、回転売買で量を増やせるので、ある意味では、ドル箱に出来るとも言える。そして、注文成立の優位が維持できる限り、アーブの利益を独占し、ぼろ儲けを続けられる。
こういった手法は株屋の裏稼業であり、投資銀行がやる事ではないという建前があったのだが、一度投資を始めてしまったら、そして、それで利益を上げてしまったら、投資を回収するまで止められないし、利益を確保できる以上、続けざるを得ないとなる。
目立たないようにやっているうちは問題にならなかったのであろうが、世界中が大不況で決算が赤字になっているときに、のうのうとアーブで黒字にしましたとやったら、それは、目立ちすぎるとなる。
さらに、注文成立の優位を確保・維持する為に、取引所に対してアンフェアな工作をしていたという話も出ているとなれば、"ちょっと頭を冷やそうか?"という話になるのも当然となる。
複数の市場において別々に、同一銘柄が取り引きされているのであれば、値段にズレが発生するのは当然で、そのズレをアーブを行う者が均してくれているとも言えるのだが、本来の出来高とは言い難い点に問題がある。アーブを行った場合、買った物、売った物は、かならず反対売買される事になり、その時の受け手が必要になる。出し手と受け手の間にアーブを行う者が入る事で、結果的に、本来払う必要の無いお金を取られてしまう事になる。
流動性の確保というのであれば、恒常的にHFTを続ける必要は無いわけで、欲張りが過ぎると叩かれるという結果にするしか無いのだが、本当に叩いてしまうと、出来高をデコレーションしていたシステム売買が急速にしぼみ、株価も低迷する事になるので、それを避けたいという意思が働く可能性は否定できない。
落し所としては、取引所毎に注文成立の優位を設定する相手を別の資本系列にする事という内規をつけてごまかすか、あるいは、ダウ30種のように、アーブで食い散らかしても良い銘柄だけを集めたゴミ溜めを作って隔離するといった手法も、ありえる。
ダウ30種は、株屋がアーブをやっていた為に、株屋の資本力では動かせない程の大企業の株を集めてやれるものならやってみろと作ったゴミ溜めであったのだが、今の投資銀行の資本力では、ダウ30種ですら動かせてしまう事から、もっと大きなゴミ溜めを作るか、資本力を分割して小規模な存在に切り分けるかといった事が必要になる。
…アメリカは、金融に力を入れすぎて、金融に実業が振り回されるようになってしまっている。金融そのものでは人を幸せに出来ないのだが、金融が社会の主軸であるかのように振舞っている為に、発生している問題とも言える。
値段も$70台に乗っている。この買いはどこから来たのかと探っていくと、どうやら景気の回復を先取りした買い上がりのようである。
補助金をばら撒く事で景気の悪化を食い止めているのだが、そのお金のファイナンスはまだされていない。
お金がヘリコプターから降ってきている状態で、そのお金の出所や請求書が後で回ってくるということを認識していないという状況なので、景気の回復という言葉が出てくるのであろう。
景気が回復すれば、昔のように旺盛な消費が始まる筈、ガソリンと冬のヒーティングオイルは間違いないという事で、商品相場にお金が向かうという現象が発生したという解釈である。
しかし、補助金としてばら撒いたお金のファイナンスが始まれば、必然的に景気は再び悪化する。お金をばら撒いて景気の悪化を防ぐ事が仕事で、その仕事が終わったら今度は使ったお金の財源を手当てする事だという考え方は単純でわかりやすく、しかも、お金をばら撒く際に支持者に手厚くばら撒き、財源を作る時に敵対政党の支持者を狙い撃ちする事で、党勢拡大に繋がる。
産業の邪魔をする諸制度や判例は何も変わっていないという状態では、このような政治の動きは、実業に従事するよりも、政治家や行政官になった方がマシという判断を人民に抱かさせる。
自由経済主義でありながら、共産主義国家と同じような結果を招いてしまう。
法匪という言葉がある。秩序が整いすぎると、管理される側よりも管理する側の方が暮らし易くなるのは当然で、人民が秩序を求める時に、その求めに乗じて私利私欲の為に法制度を運用する法匪が発生し、結果的に、秩序は整ったけど人民の暮らしは良くならないし、かえって悪くなるという結果を招く。
立法府の人間を民間から選ぶのは、この法匪の発生を防ぐ為なのだが、多選によって経験を積まなければ発言権が無いというようになると、人民の代表の筈が法匪の側に取り込まれてしまう。
久しぶりに友人数人で会ったときに、そうみんなに伝えたらしい。
私には言い出しにくかったらしい。
その理由はよくわからなかった。
こっそり教えてくれた共通の友人は、私が比較的その友人とよく遊んだりしていたからじゃないのかな、と言っていた。大学進学することによって、さらに近い距離になったのに、それがまたもとの少し遠い距離になる。頻繁に会う距離ではない。
ここからはすべて私の適当な話。
友人が大学に在学していることの意義を見出せなくなった理由はわからないけれど、なんだかんだでどっぷりと大学生活に浸かってきた私はきっと友人に対して、よっぽどの理由でなければそのまま様子を見たほうがよいと100%言うであろう。自分が通ってきた道だ、周囲を見渡してもそう。大学4年間という人生で1番自由なモラトリアム期間を自分のために使うという価値観に染まっている。そういう私らみたいな人間には、途中で降りる人間の決断を想像しようと思っても、きっと上手くできやしない。
別にレールを敷かれっぱなしでいろとかそういうわけではないけれど、レールを転換する時期をそんなに早く決めなくてもいいのでは?という気持ちなのだ。その時々で訪れる転換期でいいのでは?と。
そう、大学というのはモラトリアム延長であると同時に、ある意味の保険のようでもある。
せっかく行けたのならば大学や専門学校は行っておいたほうが良い。たとえ授業はちょっと不真面目だったとしても。(ここでは高卒就職は高卒でまた別。実業系とかは就職に力入れてたりするようだし)
他にどうしてもやりたいことがあって、それを成し遂げるために時間がもったいないということだったら、きっとものすごく納得するんだろうけれど。
なんにせよ、そういう話を聞いたときに、自分の考えがなんて一義的なんだろうと感じた。1つの側面でしかものを見ていなかったんだ。そりゃそうだ、人は自分の歩んできた道が1番だと思っているから。
今度会う機会があったとき、もしかしたら理由を話してくれるかもしれないし、そういう機会にもなかなか恵まれないかもしれない。なんにせよ、人生の責任を負うのは自分だ。外野の人間がつべこべ言うことではない。
まず、現代の日本国内において、児童買春が行われているという情報は無い。そういう事は、フィリピンやタイのパッポンストリートとかで行われているものであって、スラムで育った子供が、お金欲しさに年齢を偽ってタチンボをしたり、そういう商売を行っている売春宿に親が売り飛ばしたりした結果として行われている。大政奉還によって貧民が東京に流れ込み、スラムを形成した頃には、実在したと記録にあるが、それらのスラムは、東京大空襲で貧民ごと焼き払われ、消滅している。
根底にあるのは貧しさであり、不法移民がスラムを形成しているという現実から発生している。買うほうが悪いとか、売るほうが悪いという末端で議論を幾らやっても、供給元である不法移民とスラムが存在する限り、非合法化すれば地下に潜り、より、劣悪な条件や環境で売買春行為が行われるだけである。
日本でも、最近は不法移民によるスラムが発生してきている。高度成長期には、不法移民であってもまともな仕事にありつけたし、子供の教育も、日本語でならば受けられた。しかし、景気が悪くなると、仕事にありつけないし、民族教育を行うとして公教育から外れ、存在した筈の不法移民の子供が、どこで何をしているのかわからなくなるという状況になりつつある。お金欲しさに、私娼窟が発生する可能性が生まれつつあるという点で、何とかしようという"善意"は理解できるが、その手法として、法規制をかけて取り締まるという考え方は、同意できない。
不法移民は家族全員で祖国に帰還するべきであり、帰還事業を促進するというやり方を模索するべきであろう。また、日本人でもまともな仕事にありつけないようになってきている為に、結婚や出産の量が減ってきている。これは、まともな判断能力のある層が結婚や出産を控えているのであって、いわゆるDQNは、DQNの子沢山と言われるように、出来婚等で考えなしに子供を作っている。この為、これらの層の子供が、育てられないから殺してしまったり、売春宿に売り飛ばすという、児童虐待の対象となる可能性がある。この問題は、まともな判断能力の無い層が親となることによって発生する問題なので、親を教育する事でしか、対応出来ない。マスコミ等を使った洗脳を行うしかないのであるが、そういう層を相手にするビジネスである筈のマスコミが、芸術だの娯楽だのという御託を並べ、あげくに数字が取れないからという理由で、より低い方向へと道徳を誘導しているのであった。
これも、末端で買う方が悪い売る方が悪いという議論をやっても時間の無駄でしかない問題である。
次に、児童ポルノであるが、日本にスナッフビデオは無い。そもそも、スナッフ物は、階層社会において、上位階層の子供を、下位階層の犯罪者が誘拐して殺すモノである。犯罪者に対して快楽殺人者やペドフィリアという精神疾患の結果であるという事にしているが、それは表向きの表現でしかない。
スナッフは階級社会に対する挑戦であるのだが、それを認める事は、まかり間違っても出来ない。もちろん、本当に快楽殺人者が、無差別に同じ下層階級の子供を誘拐して殺っているモノもあるのだろうが、そういうモノと一緒にしてしまうことで、階級社会に対する反抗という建前を無効化して、犯人を単なる性犯罪者として処刑するという手段しか、取りようが無い。そうしないと、犯罪者が下層階級の英雄になってしまうのだ。その先には、階層間の相克がより酷くなり、革命という結論へと結びついてしまう。階級と民族とが一致している欧州等では、民族対立と階級対立とが同時に発生すると、状況をコントロールできなくなる為に、スナッフ物を階級社会に対する挑戦ではなく、ポルノとして貶めなければならないのである。
日本に階級社会は存在しない。快楽殺人者として、連続幼女殺害事件を起こして死刑になった犯罪者が居たくらいである。ただし、現在は、徐々に、公務員を最上位とし、派遣従業員を最下層とする階級社会が成立しつつある。最下層民は、秋葉原で無差別殺人をやらかす程度で済んでいるが、階級社会をテロの対象と捉えるようになると、上位階層の子供を誘拐して殺人ビデオを撮って家族に送りつけるという行為を行う者も出てくるであろう。肌の色や髪や瞳の色といった明確な違いがあると、メッセージ性はより強くなるが、単一民族国家においては、あまりメッセージ性が強くならないので、親の仕事や誘拐前の生活環境から通しで撮影したビデオという手法になるのではなかろうか。
これも、児童ポルノの所持がどうこうという問題ではない。というか、スナッフ物を知らない人が、その穏当な言い換え単語である児童ポルノについて主張していると言う点で、違和感がありまくりである。日本にはスナッフビデオが無い為に、言い換えの児童ポルノを単語の意味のまま解釈して暴走している状態にある。法律を作る前に現実を見るべきであるし、現実を変えるには経済的に変えるしかない。
行政にやらせようという考え方は、根本的に間違っている。誰も責任をとらない組織である行政に、書類を作る事以上の事は期待してはならない。現実を変えたければ民間でやるべきであるし、その為に、企業は存在する。民間で行った実績を行政に追認させるというやり方以外には、有効な法律は作れないのである。
法律を作れば現実が変わるというのであれば、立法権を持っている国家はすべて、世界征服を達成している筈であると以前書いた。本当に世の中を変えたいのであれば、行政や政治ではなく、実業の世界に進むべきであるし、実際に物を作り、動かしている現場にこそ、変化を生み出す力がある。
景気を良くするのも、まず、現場を元気にしなければならない。現場の元気を奪っている法や条例や判例や労働契約や大企業による寡占という状況を外していかなければ、景気は回復しないのである。
やっぱこれおかしくね?
社会人がコピペしてるとどうして学生がコピペしていいことになるんだ?
お前がプロジェクトを率いることになったら分かるよ。
コピペだけでは、勝てないんだよ。
著作権フリーの素材コピーしてくるのは低コストで時間を節約できるからセーフ。でも他社のプロジェクトをコピペしたらパクリだっつの。違法性はなくても信用はなくなるわ。
どうやったらビジネスで勝てるか、という正解のない問題を解いているんだ。そこで正解の近似値に至るまでのプロセスが重要となる。別に学生時代にやっていたゼミや研究室の手法をそのまま使えるとは言わない。プロセスを想定して問題を解決するというマインドの話。
そもそもさ、簡単にコピペできるようなビジネスなんてすぐ没落する。実業では資本の壁があるからすぐというのは誇張かも知れないが。
どいつもこいつも実業をやらなければならない、っていうその考えはどうして正しいの?
折角納得した後になんだが、その言い方は正しくない。
まず、金ってのは株(投資)じゃ増えもしないし減りもしないんだ。
(中略)
投資で金が増える、なんてのはまやかしに過ぎず、結局はどこかで誰かがモノを売り買いして始めてお金が生じる。勿論、効率よい投資の分配のためには株式市場などの投資市場は必要なのだけれどね。投資市場というのは経済の潤滑油なんだ。エンジンオイルをいいものにすれば燃費は良くなるし、エンジンオイルなしじゃ燃費が悪くてやってられないけれど、エンジンオイルだけでは車は走らない。
金は労働力や情報(技術)と同様に、モノを売買するための要素だよ。この要素のどれが欠けてもビジネスをすることは出来ない。潤滑油の喩えは、金のある側面を表現しているが、同時に金自身が商売の必須の要素であることを省いている。おそらく意図的に。虚業/実業なんて言いたがりな日本人気質に関係するかもしれない。
その必須の要素をどう調達するかって手段に株式ってのがあって、この株式ってもんがどう動くかは他増田のエントリの通り。金の持ち主にとっては、利子は相手任せで(でも過去の利子は分かる)金を貸してるようなもんで、これまで儲かってたと聞いたから自分も便乗しようと金を貸したら、急に失敗しやがって、というようなことだ。
金を貸して儲かるための権利である株式自体が一種の商品になってて、価格がついてて、毎日競りにかけられて価格が変わる。そんな世界。
適当に段落切って転載。全ては匿名で転載可能なtwitterまとめサービスがないのが悪い。ある?