はてなキーワード: 女子校とは
私が通った公立小学校は郊外の都営団地に隣接していて、同級生の半数以上は団地の子だった。都内郊外といってもいわゆるニュータウンとは違い、古くからの住民が多く住む町だ。団地の意味は例えば練馬や町田とはだいぶ違っていた。つまり、少し言いづらいことだけど、その近辺は地区有数のワイルドサイドと見なされていた。
日光に修学旅行に行ったとき、入口に大鳥居がある駐車場にバスが入ろうとしたことがあった。前方で先生方が何か話し合いをはじめ、バスは入口の手前で止まった。10人ちょっとがそこで下りた。振り返って見てみると、後ろのバスでも同じことが起きていた。宗教上の理由で鳥居をくぐれない子がいるので、と先生が簡潔に説明した。その口調から毎年同じようなことが起きてるんだろうなと思った。先に下りた子と私達は駐車場の外で合流し、そのまま滞りなく観光地だかお昼だかに向かった。家に帰ってから「うちは鳥居をくぐってもだいじょうぶなの?」と母親に確認して、「今までさんざんくぐってるじゃない」と笑い飛ばされた。
4年生の時、隣のクラス担任の先生の口癖は「勉強が好きじゃない子が無理する必要はない」だった。授業時間なのに校庭で騒いでる子がたくさんいるなと思って見てみると、隣のクラスの子達が半分外で遊んでいて半分教室で勉強していたということもあった。よく問題にならなかったものだと思う(なっていたのかもしれない)。50代にもうすぐ手が届くという年頃の男性で、決して声を荒らげない先生だった。当然のことながらPTAからの評判は悪く、生徒には人気があった。
6年生の時の担任の先生はやはり中年の男性で、保護者から有志を募って読書会を開いていた。うろ覚えだが、灰谷健次郎や村上春樹、アレックス・ヘイリー、それに上野千鶴子などがリストアップされていたはずだ。
君が代や国旗の問題がマスコミでちらほら取り上げられるようになってから数年経つ時期だった。式典では起立しない先生の方が多かった。高学年に上がると毎年8月は原爆のことばかり勉強した。ばりばりの日教組の先生が集まっていたと聞いたのは卒業してしばらくしてからだったが、たぶん小学生の頃に聞いても意味が分からなかっただろうと思う。
私はその後私立の女子校を経て地味な国立大学に進み、事務職に就いた。取り立てて特筆すべきこともない平凡な進路だ。
自分が通った小学校がどちらかというと変わったところだとはっきり気づいたのは大人になってからだ。それとももしかして私が勝手にそう勘違いしているだけで、その頃はよくあることだったのかもしれない。とりあえず私としてはけっこう楽しかったです。
小学校の頃通ってた進学塾の先生に「お前が男だったら灘とかラサールとか行けるのにな」と嘆かれて、その辺の全国上位の進学校がみんな男子校だということを初めて知ってすごくショックを受けた。
全国模試では常に10位以内に入ってたから成績的には確かに無理なく狙える範囲だったんだ。他流試合を受けに行く感覚でよその系列の塾の全国模試とかも受けに行ってたけどそこでもそうだった。
親も「男だったら灘みたいな県外校でも行かせるけどあんたは女だしね」と言うので結局県内で女子が入れる中では一番偏差値の高い国立共学校に進んだんだけど(入試成績は男女含めて一番)、それが初めて女であることで可能性が制限されることを実感した体験。(それ以後山のように感じてるけど)
環境のせいにするのはよろしくないと思うけど、高1までで高3までの履修内容は済ませてしまって残り2年は受験対策取ってるようなそういう私立進学校と国立という縛りもあってそんな先取り履修のできない進学校じゃやっぱり差がつくのは仕方がないなと実感した。女子校なら、良妻賢母を指導方針に掲げるところがやっぱ多いんじゃないの?
むしろ問題なのは灘に女が入れないことだと自分は思う。
そういうとこから男女は差がつけられてる。
それは年代だと思うなあ。
それなりに若い(20代前半まで)か、それなりに年齢行っちゃったか(30代後半以降)かどっちかだと思うんだけど。
そこらへんが気になる。
この手の話題が出ると必ず、「普通の人」は人間関係の維持に多大な労力を払っているという論が出てくる。これは大抵の人が肯定することのようだが、ここから程度の差はあれ「非コミュは努力していないのだから自己責任」という論に繋がっていきそうでどうも怖いものを感じてしまう。
確かに、非コミュが努力しない結果非コミュになったのであれば、「その選択も含めてお前の自由だ」と言われても仕方ない気はする。しかし自分の記憶をたどってみるかぎり、とてもそうは思えない。人間関係には常に悩んできたし、人間関係以外のことで悩んだことはないと言ってもよいくらいだが、結果として多数派に解け込むことはどうしてもできなかったのだ。
俺は幼稚園に入るか入らないかの頃から周囲に対して浮いていた。物心ついた頃には、周囲の同年代の子供の話についていけないのが当たり前だった。語彙も話題も全然違った。だが、それが当たり前だと思っていたのだ。俺は早生まれだったこともあって実際に精神的に幼稚だったのだろう。周囲が「聖闘士星矢」や「ドラゴンボール」を見始める頃、俺はまだ「にこにこぷん」を見て喜んでいた。
その差がいつまでも縮まらないばかりか、ついにどんどん年を重ねるに従って拡大していってしまった気がする。俺が女の子と一言でも口を聞こうものなら「エロい」だの「怪しい」だのと囃し立てていた奴らが実は自分の誕生会に女の子を呼んでいたことにツッコミを入れられなかった頃、コミュ格差はさらに確固としたものとなっていたように思う。
中高生になるとますますひどくなった。俺は私学の男子校にいたのだが、こんなところに来る奴の大半は4月・5月生まれで、早生まれの俺は周囲より明らかに未熟だった。人間関係が急にしんどくなった。部活の人間関係に悩まされ、自分の趣味での腕の拙さに悩み、それで精一杯の学生生活を送っているつもりだった。だがその間にませた奴らは、女子校の文化祭やらグループ交際やらに手を出していたらしい。一方で俺は、中学生の間にはついに「彼女」というものがいったいなんであるのかということすら理解できなかった。小難しい本を読んで「人生とはなんぞや」などと考えていればそれで満足だったのだ。
その後の惨状はネット上で多く語られていることなので繰り返さない。ただ何にせよ、これまでの人生のどこかで挽回するチャンスというものがあったようにすら思えないのだ。問題意識が同年代の周囲とは常に周回遅れで、俺が真面目に何を主張しても大抵の場合は「幼稚な奴」と馬鹿にされるだけだったのだ。馬鹿にされることに腹を立てて真面目に考えれば考えるほど、さらに「幼稚だ」「未熟だ」と馬鹿にされた。そうして劣等感が積もり積もっていってどうにもならなくなっていったのだ。
確かに的外れだったことは認めよう。しかし、周回遅れのテーマに対してであれ、常に必死で考えて努力してきたのだ。俺は人間関係以外のいろいろな分野では多かれ少なかれそれなりの結果を出せているし、「人並み程度に努力する」というのがどういうものなのかも理解しているつもりだ。その俺が、どれだけ必死で考えてどれだけ必死で取り組んでもどうにも対応できないのが人間関係だ。誰かが「ハードウェア処理できなければソフトウェアでエミュレートしろ」と言っていたが、あいにく俺のCPUはそれほど優秀でないらしく、話に乗るタイミングもつかめなければ、とっさに気の利いた応答もできない。まるでお手上げだ。
お願いです。頼むから、「非コミュは自己責任」だけは勘弁してくださいよ。「あんたは運が悪い」と言われるならまだ諦めもつこう。他の分野で挽回することもできる。しかし「努力不足」と言われては、今までの俺の苦労はなんだったのかということになってしまうのですよ。
なんて難しい質問なんだw
話がちょっと変わるけど、男は自分に男らしさを求めていないと思うんだ。
女が男に求めるものが男らしさなのだと思うのだよね。
では答えるぜ!
Q1.「人間力がある」という評価と一線を画する自分の「男らしさ」って何ですか?
自分のっていうのは、自分が持っている属性という意味? であればそんなものはないね。
自分の思う「男らしさ」であれば、たとえば、自分から女を口説く奴は男らしいと思う。
Q2.男らしさの説明として父性を挙げた方がいましたが、あなたの父親はそもそも「男らしい」男でしたか?そうならどんな点が?
飲んだくれだったが、男らしいと思ったことはないね。
Q3.仮に父親からでないとしたら生まれてから今日まで何処で「男らしさ」を学習したのですか?(男子校や女子校で無い限り学校教育は基本的に男女平等ですし)
たとえば週間少年ジャンプw
Q4.自分の事を好きだと言ってくれてセックスもしてる彼女がいたとしても「俺の男らしさ」に惹かれたので無ければぶっちゃけ恋愛の意味が無いと感じる?
http://anond.hatelabo.jp/20080528222912
http://anond.hatelabo.jp/20080528232358の元増田です。今だかつて無いほどのトラックバックにビックリ(笑)
この手の話題って本当に関心度が高いんだなぁ。
昨日までの書き方で質問の意図がわかりにくかったり誤解を与えたりしたと思いますので
まずなるべく簡素に疑問点だけを抽出して書きます。
Q1.「人間力がある」という評価と一線を画する自分の「男らしさ」って何ですか?
Q2.男らしさの説明として父性を挙げた方がいましたが、あなたの父親はそもそも「男らしい」男でしたか?そうならどんな点が?
(飲んだくれ、暴力、愛人作りまくり等、通常なら離婚されてしかるべきDQN系の父親は除外)
Q3.仮に父親からでないとしたら生まれてから今日まで何処で「男らしさ」を学習したのですか?(男子校や女子校で無い限り学校教育は基本的に男女平等ですし)
Q4.自分の事を好きだと言ってくれてセックスもしてる彼女がいたとしても「俺の男らしさ」に惹かれたので無ければぶっちゃけ恋愛の意味が無いと感じる?
以上です。
主旨は以前から気になる事をこの機会に知りたいなぁと言う事だけで、他意はありません。
ちなみに昨日も書きましたが私の定義する「女らしさ」とは、方法にそれぞれ違いがあっても「男性の男らしさに魅力を感じて必要としている」という前提の上に成り立つもの、です。
例えば「オトコノコの世界っていいな☆」「強くて頼もしい男性が近くにいれば安心する」「なんで男の人って無茶ばっかりするんだろう…バカなんだから(だがそこがいい)」
→そういう男性の傍にいられるように様々なアプローチをかける。そんな感じ。
そこに「男らしさ」というものの価値が実感できなかったり、「別に男っぽくなくても彼とは楽しく付き合える」と思う女性が出る等、その大前提が崩れたら存在意義を失う。
よって社会が進歩すれば「女らしい女」が少なくなるのもある意味必然。女の方はその事を特に問題視していない。
そこが女性不在でも語られる固定的な「男らしさ」と決定的に違うところかな。
もっとも私には「男らしさ」は既に実体を失いつつあるように見えて、男性自身にも実の所よくわかっていなさそうなのに、
何で多くの人はこだわろうとするんだろう?
誰にも教えてもらえなくて、よくわからない「男らしさ」を目指そうなんて相当無理があるんじゃないか?
もしそれのせいで欲求不満になってるならいっそのこと捨てちゃってもいいんじゃないの?それでいて親しく付き合えるなら女だって気にしないよ。少なくとも私は歓迎するよ。
全然簡素でも無いし長いですね。
特殊なのはわかってるってw そうでなくて一般の会社なら構成員がほぼ女性という会社はかなり珍しいだろうけど、教育関係ならそういうところも多少はあるだろうって意味。全国に女子校がどんだけあるかは知らないけど、県によってはかなりあるよね?
そうなのか。祖母が教師で定年まで勤めて年金もらって生活してるのと、私は女子校だったんだけど教師は9割くらい女性だった(校長や理事も女性)ことが念頭にあったので。そういう職場もあるのって教育系かなあと思ったんだ。
「異常なまで」じゃないけど、そんな先生がいた。
私は中高女子校。
ちょっと前までランドセルしょって男子とおっかけっこやってた私には、
男と戦うとか全然分からないしピンとこなかった。
その先生はいつも「女だから、って色々諦めないで欲しい」「女でもなんでもできる」
「女だからって負けた気にならないで欲しい」とか、そんな感じ。
男女平等とは違うかも知れない。
ずーっと共学の女の子で、「私、女だから・・・」って言ってる子がいて、
私はそんなこと思ったこと無かったからちょっと驚いた。
性差によるそれぞれの特性を考慮した上での「男女平等」があるべきなのに。
http://anond.hatelabo.jp/20080521180829
>社会に出ればいつまでも女子校気分ではいられないから男とも一応付き合うようになるけど、
>それも単に世間的に彼氏いないとやばいからとかそう言う意味合いが強くて
>本当は大して男にも恋愛にも興味がない、学生時代のように女と居る方が楽しいという人が多いような。
前のツレもそうやって去っていった
二十歳代後半、初めての男が自分
でも、異性への愛情の持ち方が分からないんだって
魅力がないヤシですみませんでした
自分を変えてくれるような劇的ななにかを求められていたなあ
これは独断と偏見だけど、女子校生活の長かった私の雑感としては、共学校の女子に比べて女子校女子の方が男子に縁遠くなりがちだと思う。女同士でいる方が気楽になってしまったり、酷くなると男嫌いや苦手だったり、女ばかりで生活していて何でも独立独歩タイプになってしまい男に頼らないので可愛げがないとして敬遠されたり。
だから男女を別々に育てたら、ますます男女はカップルとして成立する率が少なくなるかもしれないよ。昔は7歳になったら別々に育ったわけだけど、その別々に育った男女をムリヤリくっつけるシステムがあったからどうにかなったわけで。今のように男も女も一人で生きていける時代では、どちらか片方が「一人でいいやー」と思った時点でカップルが一組成り立たないことになる。
普通に学校に通って会社に入って、あんまり自分から踏み出さずに生きていると身の回りにいる人たちって自分と似たような育ちの似たようなタイプの人に固まりがちになる。私が今まで「おお、ここは私がいまだかつてあまり身近にいなかったタイプの人がたくさんいる…!」と思ったのは、学生時代に地元書店でやったバイトの時と(地元若手主婦が多かった)、教習所に免許を取りに行った時と(ヤンキー系がたくさんいた。話してみると気のいい感じ)、都心に住み始めてネットで知り合った腐女子仲間とオフで知り合い始めた時だった。
特に新鮮だったのが、腐女子仲間の出来たとき。なにしろ隠れオタク暦が十数年だったので身近にホモの好きな人なんていなかった。この腐女子仲間っていうのが面白かった。実に幅広く色んな層から寄り集まっている。カード破産しているキャバ嬢もいたし、広尾のセレブ主婦もいたし、嫁姑紛争をかかえたヤンママもいたし、九州から出てきたばっかりの18歳の初々しい子もいた。親が社長な人もいたし、親が破産して離婚して母子家庭の人もいた。高学歴キャリアもいたし、ファミレスのウエイトレスもいた。
しかし幅広い層でなりたつ知り合いというのはやっぱり揉めることも多くて、結局いろいろないざこざがあってずっと楽しく仲良くはいられなかったのだけど、今でもずっと一番印象に残っているのが九州から出てきた一番若い女の子のことだった。
18歳で単身九州から上京…と聞いただけで「ああ、何か複雑な事情が…!?」など勝手に余計なことを想像して「いっとくけどフツーのことだよ就職先が東京なんて」とかたしなめられた私はさておき、老舗の食材店の正社員として働く彼女を、腐女子仲間年長組は暖かく見守っていたのです。素朴で可愛くてまじめだったしね。彼女もお店の商品を差し入れてくれたり、おいしい調理のコツを教えてくれたりした。年長組はご飯奢ってあげたり、自宅に呼んでもてなしたりしていた。
そのうち彼女には私たち以外に同じ年頃のオタク友達が出来たのだけど、そうこうするうちに1年も経たずに就職先をやめてしまった。人間関係のトラブルだという話をしていたけど、腐女子仲間年長組のある人は本当はそんなのが理由じゃないという。
「結局あの子は、友達は東京に実家があって、バイトしながらふらふら平日も遊んでいるのを見て羨ましくなっただけなんだよ」
「自分だけが毎日働きにいって遊ぶ時間がないのが嫌だったんだよ」
「でもそんなの仕方ないことなのに。友達は実家が東京なんだもん、あの子は実家が九州なんだし。そんなのどうやったって変わらないし、同じように遊びたいと思うことが間違ってる」
会社員として働いていたものの、東京に実家があって、学生時代に散々平日もふらふら遊んでいた経験のある私には言葉がでなかった。
それから、彼女は生活費を稼ぐためにバイトを始めた。スナックで。さらに店で知り合った40歳くらいのオヤジと付き合い始めた。私には何をどうしたらいいんだかよくわからなかった。「水商売なんてやめなよ!」と言っても本人は「今どき誰でもやってるよ、増田さんは大げさなんだよ」とかいって意にも介さない。年長組に「スナックってどうなのさ!」と言ってみても「スナックぐらいなら、まあいいんじゃない」「放っておきなよ」ってエエエエー?そういうもんなの!? 女子校育ちで世間知らずの私には色々ショックが大きく、彼女とはそのあたりからもうあまり関わらなくなってしまった。
今、彼女がどこに住んでいて何をしているのか。しあわせにやっているのか。何もわからないけど、時々、18歳だった頃の、はじめての仕事に懸命に取り組んで目をキラキラさせてた彼女を思い出す。うちの会社の食材はこんなにすばらしいんだよ!とプレゼントしてくれた彼女の、私はその食材のソムリエみたいな仕事をしてるんだと誇らしげに笑った、ばら色の頬を思い出す。こんなのは、ただの私の感傷にすぎないんだろうけど。
わかるなあ。小学校で男子がすっかり嫌いになって、それからは女子校に通っていたけど、あそこは天国だった。
学園祭になると男性が入ってくるけど、スタッフ以外は入れない実行委員本部に篭もってた。
大学は共学だったけど、私は文系だったので真面目に大学に来る人は女の子が多いし友達も女子ばかり。
卒業してからの職場は理系の研究系で(私は事務方)男性の方が多いのですが
個々のブース分けもされているし、社員同士の会話もほとんどないので
可愛くて胸もあって肌もきれーでオシャレで19歳で頭もよくて話も面白くて穏やかないい子なのに
全く彼氏を作る事に興味が無いと言う子がそういえば友達でいたけど
確かに勿体無い……と思った。まあ勿体無いと感じるのは私の価値観であって彼女の価値観はそうでないんだからいくら言ったところで無意味なんだが……でも一度言ってみたことがあったんだけどそうしたら
「あんまり特定の異性と遊ぶ事に魅力を感じないんだよねぇ…映画なら一人で観に行ってるし既に…買い物は寧ろ一人がいいし…○○(私のこと)と一緒に遊ぶのは、楽しいけど…彼氏とか作っても何すりゃいいのかわからんし…別に絶対嫌ってわけじゃないけど、作る気にはなれんなぁ…大体、好きな人が出来たことないからその時点でどうしようもないっすわ」
「ないねぇ…」
「いや…全く。友チョコすら無い。私チョコ好きじゃないから自分でも買わないし…」
「ていうか、男子と話したことあるの?」
「あるよそりゃー。プリントまわしたりするときとか。掃除の役割分担とか。班長になったときとか」
「んな事務的な会話じゃなくてさ…」
こんなんでも女子校とかじゃなくてずっと共学なんだよね。不思議だよ。可愛いのに、意外とこういう子って告白もされないっぽい。中高のときって、顔よりもハツラツしてる感じの方がモテるからなあ……
違う違う、女性が一方的に辛いとか言う気はないよ。
自分の体験を話してる訳じゃないし。
自分は女子校出身なので、話を聞くモデルケースが多いって言うのはあるかもしれないけど。
元増田の記事を読んで、「女性が結婚式であれだけ盛大にお祝いされるのは、めでたいからじゃなくって
それ以降が大変だからじゃないかなあ」ってことを書いたんだよ。
記事を書いた主目的が「女性はこんなに大変なのに、男性分かってくれなくてムッキー」ではないです。
(そういうのは個々人が夫婦で解決する問題だろうし)
で、それに反感を覚えるなら、ぜひ「女性が気づかない、結婚で男性が失ってるもの」を教えてほしいと思います。
あと、私の周りの話を書いてるんじゃなくて、一般論として書いてるつもりなんです。
私の周りで言えば、
子供の幼稚園の送り迎えをするために会社のすぐそばに引っ越した旦那様だっているし、
奥さんより家事をよくする旦那様だっているのね。
でも世間の総数で言えば、奥さんの転勤についてく旦那は少ないし(ちなみに、知人にはいる)、
旦那の転勤についてく奥さんのほうが圧倒的に多いと思うわけです。
で、私の感想としてはそこらへんどうなのかと言えば、
それをおかしいと思う人は相手と交渉して直すべきだと思うのです。
だから、1個前の増田が奥さんの看病で休む同僚を祝福できる人なのがうれしかったりするのです。
彼と私は一応元恋人同士だった。一応というのは、その期間が2週間だったからだ。私が告白する形で付き合いだした2週間後に、そのことを知らない共通の友人Aちゃんが彼に告白をしたのだ。Aちゃんは可愛かった。性格も可愛い子だった。彼は私には何も言わなかったが、悩んでいることは明白だったので、「別にそんな好きじゃなかったし、Aちゃんにしなよ」と言い放ち円満にお別れした。そのころの私は、ブサイクのくせにプライドだけは高く、捨てられる前に捨てたかったのだ。
それ以降、2人にはかかわらないでおこうと決心したにもかかわらず、何故か私は彼とAちゃん双方の恋愛相談係になってしまっていた。なにしろ他に共通の友人がいなかった。「Aがすげーわがままでさー」だの「彼が冷たい」だのを聞かされ、複雑な気持ちをかかえたまま必死にフォローするハメになった。正直に言うと彼のことはまだ好きだったのだけれど、2人が上手くいってくれていれば多少救われる気がしていたのだ。
半年が過ぎ、願いむなしく彼らは別れてしまった。友達からは「良かったじゃん、後釜狙いなよ」と言われたけども、とてもそんな気にはなれなかった。ひょっとしたら自分でも意識しない内に、相談係の立場を利用して彼らが別れるように仕向けていたのかもしれない。そういう考えが頭から離れず、自分が別れた時以上に落ち込んだ。Aちゃんは最後まで、私が彼と付き合っていたことを知らなかった。
それから数ヵ月。彼とは適当に距離をとりつつ過ごした。やっとわだかまりなくAちゃんとも仲良く出来るようになったころ、彼から久しぶりにメールが入った。彼と私は偶然同郷で、その日は成人式の前日だったので「もしかしたら会場で会えるかもね」ということだった。特に何も感じることもなく、「そうかもね」と返した。
成人式当日、地元の友達と一緒に会場につくと、彼から「会おう」と電話がかかってきた。まぁ同じ場所にいるのだし、と思って彼をみつけて手をふると、そこには彼と彼の男子校時代の仲間がたくさんいた。自分も女子校出身なのでピンときた。彼は「元カノがいる俺」を、仲間に見せたかったのだ。中高を通して男子校・女子校だと、異性の知り合いがいるということだけで自慢になってしまう。さらに彼は、「やっぱりお前がいい」と言い出した。その時に、はっきりと悟った。色々言い訳はしたけれど、結局私は彼を逆恨みしていたのだ。
「あ、ごめん。私いま彼氏いるし絶対嫌。」
これ以上むなしい嘘はないと思った。もちろん彼氏なんていなかった。彼を仲間の面前でバッサリやって溜飲を下げて、すっきりする自分にまた嫌気が差した。
あれから数年、あと一ヶ月ほどでまた成人式の季節になる。ニュースでその話題を見かけるたびに、自分の最低な嘘を思い出していたたまれなくなる。きっと毎年のように思い出して、毎年のように落ち込むのだろう。そんなわけで今、増田で懺悔します。2人とも、あの時は本当にごめんなさい。Aちゃんは、新年早々に新しい彼と結婚するそうです。
女子校では力仕事でも何でも、できること、向いていることを分担します。そもそも何かというと「男の子に…」となるのは、共学出身者にありがちな発想で、ちょっと甘いよなーとか、向き不向きで物事を考えないのって非合理的じゃない?!とか思ってしまいます。
これって本当に共学にありがちなんだろうか?自分の周りにはいないんだけど、女子高出身のこの人がこの情報をどこで得たのかが気になる。理系女子のイメージする文系女子が偏ってるのと同じように女子高出身者の驚愕へのイメージは偏ってるのかも。まあ見たことないから仕方ないんだろうけどさ。
市内にあった女子校はどこも、在籍してる男性教諭のほとんどは元教え子と結婚してた。
同級生にも在学中からずっと噂があった先生と大学卒業後に結婚した子がいる。
いつの時点から身体の関係を持ってたかとかはさすがに知らないけど、男性教師が教え子に手を出すってよくある話で、割と当たり前のように受け止められてた。
そういうのってなんか気持ちが悪かったけど、誰も問題視してないし、そういうものなのかなと思ってた。
だから、ここ数年、淫行教師っていうのがニュースで取り上げられるようになってきたのは、ちょっと意外。
個人的には、教師と教え子って関係だと、卒業してからたまたま再会して親しくなるっていうのならありだと思うけど、付き合い始めの時点で対等じゃない関係だと支配・被支配の関係になりやすくて被支配者の方が不利益を蒙ってる場合があるんじゃないかというイメージ。
だからそういう恋愛に違和感はあるんだけど、報道のニュアンスにはうまいことやりやがってこの野郎みたいな嫉妬っぽいものを感じるので、なんかそれも気持ち悪い。対等な自由恋愛ならほっとけばいいじゃん、とも思う。
こういうのって通報したのが誰なのかによっても印象変わってきそうだね。
ネットだと散々ネタ扱いされているけれども、新條まゆという作家は侮れない。読者のニーズや流行を一歩も二歩も早く察知する探究心と、サービス精神は赤松健クラスじゃないかと思う。そして思春期女子を問答無用で黙らせる力技は並じゃない。強引男によるエロという様式だけ真似た「まゆたんチルドレン」とは格が違う。彼女の作品を俺たちが理解できないのは当然だ。新條まゆは特定の読者層を極めて正確に狙い撃ちしているのだ。一般女子が「ToLOVEる」を読んでも全く面白くないようなもんだ。
「バカでも描けるまんが教室」という新條まゆの技術書というか自叙伝があるが、これを読むと彼女がいかに自分の長所と短所を正確に把握し、「それまでの少コミにないジャンル」を開拓したかが分かる。最初からエロだったわけではないのだ。新條まゆははじめから「それまでの少コミにないジャンル」を描かなくてはいけない、と言っている。新條まゆ作品は雑誌にとって異端でなくてはならない存在だったのだ。
ところが、新條まゆの作り出した新ジャンルには、たくさんの「まゆたんチルドレン」がむらがった。とにかく強引男、そしてエロであればいいというような作品が増え、従来の少コミ作家が肩身の狭い思いをするようになってしまった。結果、新條まゆは少コミが性コミ化した戦犯扱いとなってしまったのだが、この場合、本当の戦犯は編集部だろう。
一方、雑誌がそんなことになってしまったのをよそに、異端でいたい新條まゆ本人は、(少コミにしては)ほとんどエロのない男子校の姫×女子校の王子様のラブコメなんて描きはじめてしまう。しかも心底楽しそうに。エロ鬼畜セレブ男子×没個性一般女子を描かせたかった小学館は相当焦ったと思う。エロ少女漫画の旗頭がそれでは…といったところだろう。そのあたりのいざこざが小学館との決別につながったんじゃないかと俺は勝手に想像しているんだが。
新條まゆは自らの手でムーブメントを引き寄せることの出来る作家だ。そして、世間が追いついたころにはすでに次の段階にいる。トンデモ台詞やオモシロポーズに騙されてはいけない。彼女の真価は既にそんなところには存在しない。新條まゆは、天然と計算が絶妙にミックスされたニュータイプなのだから。