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はてなキーワード: 信徒とは

2009-01-22

大学生

週に一度しか大学に行かなくても、大学生というだけで認められる節がある。

雑談の中で、大学の学部が扱う学問が役に立つ、立たないというカテゴリーに分けられることがある。

役に立たない学問というと哲学文学宗教学名前が挙げられる。

もちろん役には立たなくても、知の追求はできる。アカデミックな議論は面白いものだし、大学の中では知というものさしで評価してもらえる。

一方で、社会人への通過点として、ねらいを持って大学にいる人がいる。

医者になりたくて医学部受験する人、ミュージシャンを志す音大生、教職志望者など。

大学の方はそっちのけでダブルスクール公務員試験対策に力を入れる学生もいる。動機の強さはそれぞれだろうけど。

彼らは自分たちが大学生であることにまっとうな理由をつけることができる。

では、知の追求に没頭することは何なんだろう。

学問は一種の信仰で、学者は知の信徒なんだろうか。

これだけ○○学に打ち込みました!っていうのが社会での有能さのアピールだろうか。

いわゆるオタクとはどう違うんだろう。

一方で僕自身は、何事にもだらけて酒飲んでたタイプです。

大学でゆっくりしてしまった人に強みってあるのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20090122113846

最初は真剣教祖電波を受信している所であっても

いつの間にか金儲けをする人が入っていって、金で地位を高めていって、金で宗教を買い取る。

でも金払う事で心に安らぎを得ているのだから、信徒にはれっきとした宗教

金教なのですよ、うんうん。

2009-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20090113134643

たとえて言えば、あくまでも、たとえなので不正確だけど。

キリスト教信者女性幸福

ヒンズー教信者女性幸福

仏教信者女性幸福

科学信徒女性幸福

というのは、同じようでいて微妙に違う。

これを、

女性幸福というくくりでまとめてしまうと、

キリスト教信者女性 は ヒンズー教信者女性幸福を見て、違う部分を発見して、あれは違うと言い、

ヒンズー教信者女性幸福 は キリスト教信者女性幸福 と違う部分を発見して、あれは違うと言い

言い争いになってしまう。人それぞれ価値観が違うので、女性だから、と言っても

国・地域宗教・年代・環境、様々な要素から価値観が違うので、必ずしも子供を産むことが女性幸福とは言い切れない。という事。

価値観の1つとして、子供を産むことが女性幸福であると考える人もいる。というのは、あってるけど。

子供を産むことが女性幸福である。というのは、誤りだと思う。

たとえをさらにたとえると

シスターなどは結婚しないし、そのせいで子供も作らないけれども、それはそういう選択だし

その延長線上で、生理的嫌悪感などから子供を作りたくないという女性がいるならば、その人にとっては子供を産むということは不幸なのかもしれないし、

単なる勘違いで、実は、子供をもうけた方がよいのかもしれない。

でも、それは、その人と、その人の周りの人が話し合って決めることだから、第3者がどうこういうことじゃない。

そうやって、統合的に考えていくと、XXさんにとっての幸せというのは、XXさんとその周囲が話し合って考えて、決めること。

だから、その周囲にいない第3者が、女性幸せってXXだよね。とか言うのは、ちょっと違うと思う。という事と

たまたま宗教子供を作らないと決めた人や、その他の理由から子供は作らないと決めた人への配慮が足りない発言じゃないか?

という事。

2008-10-19

生きていればそれで幸せ教を作ってみた

歴史

生きていればそれで幸せ教は「はてな匿名ダイアリ」から発生した多神教である。

はてな匿名ダイアリでの下記の書き込みが直接の起源であるといわれている。

http://anond.hatelabo.jp/20081019202806

自分で「生きていればそれで幸せ教」を設立する勢いで行け。

この時期、多くの生きていればそれで幸せ教徒は、宗派に属したという意識をもたなかったとする学説が、現在の主流を占める。

21世紀初頭のアメリカから始まった金融危機以降、「生きていればそれで幸せ教」が「勝ち組・負け組み教」から独立して「生きていればそれで幸せ教」としての自覚を持つに至ったとされる。

好景気以下での「生きていればそれで幸せ教」は「勝ち組・負け組み教」「恋愛すぃーと教」と相容れず、また、過度な努力を拒んだため、社会の異分子としてしばしば注目された。

ニートだの、ワープアだの蔑まれ、信徒は何度かのいわゆる大迫害経験した。

しかし、時の総理大臣杉村太蔵により公認され、その後、日本の国教とされた。

教義

生きていればそれで幸せ教の教義をもっとも簡潔に述べているのが信条である。以下に重要信条をあげる。

社会にも他人にも自分にも期待しない。

恋愛イケメン・美女という動物が行うもので人間が行ってはいけない。

労働を行うことは、敗北である。

・我々は負け組みではなく、あらゆる欲望から解放された新人類である。

組織

信者には、平信者と聖職者に分かれる。聖職者は、魔法使いニートホームレス即身仏に分けられる。

魔法使いとは性欲から開放されたもので、30歳になるまで性行為を行わないことで昇格する。

ニートホームレスの区別は共に働かないことであるが、ホームレスは家からも自由になっているため、「生きていればそれで幸せ教」においては階級が高くなっている。

即身仏とは、瞑想状態のまま、断食をおこない、そのまま仏になったものである。食という概念から開放され仏となり、永遠生命を取得するこの職種が最高位とされている。

一部、異教徒の手先であるマスゴミからは都会の孤独死だの、無職男性が食事もとれずに餓死だのとネガティブ報道がなされているが、これは、自ら食を立ち永遠の命を手に入れるという荒行を冒涜するものである。

信者の特典

即物的なものから解放されない、未熟な信者のために以下の特典が用意されている。

一般信者の特典

公園の豪華ダンボールハウス製宿泊施設の利用権

公園水道水が飲み放題

・各自治体図書館の利用権

・各自治体ゴミを優先して撤去する権利

プレミアム信者(525円/1月寄付金)

ニコニコ動画にて時報OFFが行える。

ニコニコ動画にてアクセス混雑時でも信徒専用回線が用意される。

ニコニコ動画マイリスト、マイメモリーの登録数が増える。

2008-09-17

成功する民族の共通点

ユダヤ人華僑ばかり、なぜ華々しく成功しているんだろうって、ずっと考えていた。

最近インドの中のシーク教徒に成功者が多い、という話を知って、

彼らとユダヤ人華僑との共通点について調べてみた。

すると

一生懸命働くことを尊重する。

お金節約する。

・同じ民族信徒)同士は必ず助けあう。

好奇心旺盛で、新しい業種に果敢にチャレンジする。

という点が共通であることに気づいた。

日本でも、朝鮮系の人々が芸能界ビジネス界で大勢成功している。

彼らも同じ行動原理を持っている。

人間性なんて、関係ない。上記4点さえ守れていればいい。

成功するって、意外に単純な原則に基づいているのかも。

2008-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20080907160419

とりあえず大臣の地位にあるような人が、一新興宗教信徒であることと公人であることのどちらを優先させているか分からない状況

こんな状況あったっけ?

http://anond.hatelabo.jp/20080907142948

憲法20条第1項

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

この「政治上の権力を行使してはならない」が、『制度としての信教の自由を保障するためだけの文言である』とする考え(たとえば直接信教の自由を侵すような政治権力の行使のみが禁止されている=「犬を神様としあがめなさいという法律を作るのはNG」みたいな)もあるが、それだけでなく、戦前国家神道癒着・そこからくる非合理的政策や判断を無くし近代的合理性や人間性を回復することを目的に、『とにかく宗教政治に口出すな、と釘を刺したルールだ』とする考えもあって、後者の立場からは前者憲法の条文を弱めようとしていると批判されてる。その立場からすれば、とりあえず大臣の地位にあるような人が、一新興宗教信徒であることと公人であることのどちらを優先させているか分からない状況というのが気持ち悪く感じられるのも当然かと思う。別に前者の立場を知ってるか知らないかという問題ではないと思うよ。

2008-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20080902184614

俺は政教分離自体は教条的に守る必要はないと思う。

世界中探しても日本より政教分離されている国はほとんど無いしね。

ただ創価は明確に信徒以外を敵とみなしている団体なので政治を担う資格はまったくない

さらに創価信徒衆愚結晶でもあるからその意味でもふさわしくない

これがただ単に神道党、仏教党、キリスト教党だったら特に目くじらを立てるほどのことでもないと思う

http://anond.hatelabo.jp/20080824072729 とか書いた人ですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080902135236

まあ俺がキモオタなのは仕様だけど、それはいいとして(マテ

公明党は今何やりたいかって言うと単純に勝ちたい、じゃないかな?

目的=勝つ だと思うんだ。まぁそのあたりは創価学会からの仕様だけど。

そういや俺の実家の地方でやる会合ではではおもいっきり公明党disってたな、まあ建設的な議論だったけど。

政策がどうだの言ってたなぁ(懐かしい)

あとな、政教分離の話はグレーじゃなく白だろ?政教分離意味はき違えていないか?

ずぶずぶで言ったら、どの政党利益団体とはずぶずぶだろ?

そこらへんは自民民主社民共産もかわらん。というか海外も変わらん。

戦前靖国(と言うか”天皇教”と言うべきか)みたいに国が信仰を強制しているんならわかるけど、

別にそう言う訳じゃないのに何言っているんだか。

とりあえず政教分離意味調べてからおいで。

http://anond.hatelabo.jp/20080902141035

中東あたりのイスラム国家など、宗教国家スルーですね、わかります


==========追記============

http://anond.hatelabo.jp/20080902185644

今日びそんなこと考えてる奴はほとんどいないと思うけど。→信徒以外を敵

ぜひタイトルエントリからばぁちゃんの話見てくれるとうれしいな。

あと衆愚結晶とかいうけどそんなに愚かかね?

むしろ学歴が高いとか聞いた記憶があるけど。

そうじゃない意味で愚かだ、という意味なら、

俺とは見解ずっと平行線になりそうだしどうしようもないけどね。

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-05-31

森博嗣が終わる2

思えば私の高校生のときにエヴァンゲリオンが始まった。その頃すでに森博嗣は世に出ていて、それでもなんとなくタイトルを見たか見ないかというくらいでした。その頃私は宮部みゆき北村薫子供だった。

いわゆる世紀末を越えて、その名を冠したアニメの影響やフォロワが周りに現れ続けていた頃私は緩やかに行き詰っていた。

学問の壁というべきか、私は師匠に恵まれなかったといえば傲慢になりますが、少なくともベストフィット環境ではなく、それを乗り越える精神もなく、茫漠とした、とらえどころのない人生を送っていたと思う。これは本当に傲慢とも思われかねないし、上から見下すわけではないのだけれど、世の中を見るとその茫漠とした人生をずっと過ごしている人がいることを感じ、かわいそうではなくつらいだろうなと思う。世にいる、自分の存在確立しようとして、営業成績よりもずっとあいまいな評価基準の世界に身を置いてそれでもがんばっている人たちよ、幸せであれと思う。

世紀末からゼロ年代にかけそして今このゼロ年代が終わろうとしている、言い換えると完全にゼロ年代しているこのとき、森博嗣が終わるというのだ。カクレカラクリなどと言う爆笑コメディ(あるいは世界初2時間忍耐ドラマ)をもスイッチバックとしてスカイ・クロラ押井守の手によって現れようとしていて、しかもそれはすでに完成している。

今私は森博嗣の理解者でもなく信徒でもなく、ただ個別に1対1で感じ取るだけの独立した存在になっている。

だからその映画や、これからこれまでの著作について私のみがわかっていると言うのは精確ではない。

正確に言えば、「私の森博嗣理解は、私にだけ最高の価値がある」ということになる。

だからこのまま消えていっても私には十分な読むだけの文章が、森博嗣の書いた文章が残った。それでいいはずだった。

だがそれでも現れては消える、この寂漠とした空気はなんだろうか。

2007-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20071026090719

創価学会に関して言えば別に直接被害を被ったことがないのだけど、エホバなんかは王国会館?が側にあったせいかよく勧誘が来ていた。個人的にはどうも、布教活動を行ってる宗教団体に対して抵抗や嫌悪感を感じてしまう部分がある。宗教なんて誘うようなものなんだろうか。所謂普通仏教とか神道はそうそう目立った布教を行っていないじゃないか(まあ既に相当数確保してるから…今更新規開拓なんて必要ないんだろうけど)。積極的に宗教活動を行ってる人って、どういう気持ちなんだろう。往々にして新興だったり少数派な宗教であるほど、活動が積極的なのだけど、その積極性がとにかく気持ち悪い、と感じてしまう。やっぱり自分が属していないグループの拡大に抵抗を感じるのと一緒なんだろうか。でもそれとは別に、自己啓発系の団体に感じるのと同じような胡散臭さと、嫌悪感もある気がする。別にそれで直接どうこうしたり差別したりとかする気はないんだけど、知り合った人が熱心な信徒さんで積極的に布教してこられたら、サーっと引いてしまう気はする。「宗教って!普通に引くわ!」みたいな。信仰なんて口に出すもんじゃない、という思いがあるのかな……

2007-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20071024214429

子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだもの、としよりわらうないくみちだもの)

子供の過(あやま)ちを無闇の叱るものではなく、老人の言動を軽々しく笑うものではない。

自分も子供の頃に同じ過ちをした筈だし、やがて年を取れば同じような言動をするようになるということ。

★後に「来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、通り直しのできぬ道」と続く。

★作者は不詳。妙好人(=浄土宗信徒の誰か)という。永六輔が著作『大往生』で、愛知県犬山で見たビラの言葉を広めたという。

2007-08-21

anond:20070821134651

ダーウィン進化論人類の命を最も奪ったと言われているようにな。

この表現は誤解を招くと思う。進化論自体は、逆に、人間から優位性を奪い去って、神の似姿、万物の霊長を、ただの猿の一眷属に貶めた代物だよ。そしてまた、彼は進化の遅さ、速さといったものや、優劣といったものも問題にしたけれども、それは淘汰圧や適応から説明されている(例えば、外敵が少ないと淘汰が進まない、など)。そして彼は進化の多様性を認めているし、階梯などといった言葉を使っていても(こうした表現は当時普通に使われていた)、そこで彼が言っているのは、恐らく、進化には無数の方向性があり、あらゆる特性にはそれなりの利点があり、それゆえにそうなったのだと言うこと。少なくとも『進化論』として知られる書は、私にはそう読めた。

でも、どんなものも、第三者の思想によって歪められうる。見るといい。諸行無常色即是空思想に生きている筈の坊主共が刹那の色に溺れている様を。解脱思想が、現世利益思想へ置き換えられている様を。キリスト教徒の中に、どれほど多くマモンの信徒等々が存在しているかを。ナチスが利用したニーチェ思想が、どんなにナチスと相容れないものであるかを。ダーウィン進化論自体が問題ではない、それを言うならば、ニュートン力学等々は、もっと遙かに人々を殺すことに利用されて来たし、今も未だ、それは利用されている。

2007-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20070322031410

今まで見た感じ、彼女はまじめに信者生活を送っています。多分、いま俺がどうこういったところで、耐え切れなかった脱落者としてしか見てくれないでしょう。

最終的には、彼女とその、神からの祝福があってほしいのですが。

それ以前に、こんなふしだらな、どっちつかずな、自分の肉欲のことしか考えていないダメ信徒でも神は受け入れてくれるのか心配です。

2007-03-21

宗教

私の観察によれば、初心者からだんだん信仰が深まっていくと「その宗教が全て!」と言う価値観にいったん近づくが、熱心な信徒を通り越してその信仰を教える側に回ると、大抵の場合他の宗教に寛容になる。

ここで気づいた。

私が無宗教を公言する割に様々な宗教に寛容な態度を取っていられるのは、既に「工学」という宗教に身も心もささげてしまっていて、熱心な信者を通り越して教える側に回ってしまっているからだということに!

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