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はてなキーワード: フェイズとは

2009-06-04

広告素人

広告を作っているんだが

広告の事を分かってない対象商品専門家開発者などのクライアント担当者が一番うっとうしい

こちらにとっては基本的な約束事が、向こうには身についていないので、かなり基本中の基本まで降りて説明しなければいけない

ちゃんとしたものを作りたいと思っているが、センスがないのでいつも障害になる

別にセンスはなくてもいいんだが、細かいフェイズでいちいち口を出してくるから困る

どのぐらい困るかというと、恋愛映画を作ってる時に、歌舞伎町ナンバーホストがそうじゃない!!このカメラアングルだ!!と専門外の事を決め付けてくるぐらいうっとうしい

あのな、あんたには分かる専門の事と分からない専門外の事があるんだから、せめて専門外の部分はちょっと黙ってくれ

ちゃんと仕事できないだろう

商品の事を把握している専門家が作ったアマチュア広告にしたいのか

2009-05-11

インフルエンザA引き起こし当事者

インフルエンザA型(旧名:豚インフルエンザ)がパンデミック手前になり、国内にも感染者が入った。

ところが、あまり話題になっていないがインフルエンザA引き起こし当事者がいる。

犯人アメリカ

メキシコ養豚場を営んでいるアメリカ企業資本にものを言わせ、世界各国から豚を集め劣悪な環境飼育・品種改良をした結果、副産物インフルエンザA型が完成した。

そこからメキシコ国内に流行し、フェイズ5まで上昇する伝染病となった。

アメリカリーマンショックだけでなく、パンデミック寸前まで引き起こしている。

いい加減にしろよ。

2008-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20081228192804

何もしない人が衣食住確保できるシステム健全かどうか、俺は知らん

だから、なんて言うか、俺が住居を失う事があったら少しでも暖かい所に行こうと思う

障害や病気の人は働けないってのはもっともだけど、そういう人は縁者が世話するモンなのかなぁ。縁者にとってはいいことなんもないけど

国、国ってなんだろうなぁ

難しい事はわかんないけど、海外の恵まれない人達を無償治療するのに国の金使うより、現状では国内のピンチな同胞の為にその予算を使った方がいいんじゃね?とか思う

海外を助けるのは自国に余裕がある時だけネ。みたいな割り切りができないのが国っていうデカいシステムの悪い所じゃないかしらと

今削るべきは、何やっても特に感謝されたりしない他国への支援で、それを国内の同じ国籍を持った人達へ与えるフェイズじゃないかしらと、勝手に思う

2008-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20081031104452

自分のケースでしか話すことができなくて恐縮だけど、内耳圧の話詳細。

まず、自分の場合、あくびのはじめに発生する、耳の奥あたりでじょりってなるあれを常時あくびなしで発生させることができる。トンネルの中に入った時みたいなぼわーんがきても、普段はすぐにそのじょりっで内耳圧リセットできる。

風邪の時は朝起きた時あたりに耳がトンネル状態になってて、じょりってやろうとしても何故かその辺の機能が死んでてできなくなってる。それで、あー風邪だ、かっこんとーかっこんとーってフェイズに移る。

きーんとした耳鳴りはそれとは別ベクトルで来るから、正直分かんない、お役に立てなくてごめん。普段自力で耳鳴り止められる体質なのに止められないんだとしたら、風邪サインの仲間入り果たしてもいいサインだと思う。

体温は変動しやすいからあんまり計らないなあ。ごはん食べるだけで微熱出るし。

言いたかったことは「人それぞれ」って話なんです。よその人のサインを無理に自分に適用させると余計判断に困るよと。長々すみません。

2008-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20081025192909

自分も少し前までプログラマーだった。

みんなで開発しているときとか、責任が重いときはいいんだけど、

あまりにも放置されているときには落ち込んでた。

保守とかのフェイズだと1人くらいしか割り当てられない。

1人でずっと開発していると孤独すぎて気持ちが落ち込む。

もしも仕事上でうつになるような要因があるなら、

会社の誰かに助けを求めることはできないものかと思う。

2008-09-26

Muxtape物語

オンラインで流せるテープ」 を提供していた muxtape が閉鎖して一月。昨日出た、運営者からのメッセージを勢いで翻訳する。

http://muxtape.com/story

http://muxtape.tumblr.com/post/51762430 ←反応

僕は音楽を愛している。

音楽を愛している人にとって、そして音楽そのものにとって、音楽を共有するという欲望は、本質的でかかせないものだと信じている。

愛すべき音楽に出会ったとき、僕たちは友達をターンテーブルの前に集め、CDを貸し、カーステレオで鳴らし、ミックステープを作る。

僕たちは、音楽から感じるものを知っているから。他の誰かにも、それを感じてほしいから。


Muxtape物語が始まったのは、僕がオレゴンでやっていた、週一の大学ラジオ番組だ。

その番組で流した曲の記録のかたわら、そのプレイリストウェブに上げていた。ひとつのブロックが、その週の番組記録したカセットに対応するというものだ。

当時、ミックステープ斜陽の時代に入っていた。でも、あのプレイリストのページは、ミックステープと同じ役割を、そして多くの点でよりよい役割を果たすはずだ。僕は番組を終えてからも、そのことをずっと考え続けた。

ミックステープのように、プレイリストはある意図を持って集められたものであって、その価値は単なる足し算にとどまらない。

ミックステープとは違って、プレイリストには物理的に届けるための制約がない。でも同時に、そこには実際の楽曲がない。

誰かがそのページを見にきてくれても、知っている曲があれば共感してくれるだろうが、 本来リスナーである人たちにミックスを実際に編集する手間を押し付けるのは、もともとの目的ダメにしてしまう。

五年後、インターネット技術が格段に進歩していた。

僕はウェブサイト実験的なUIを試す仕事をしていた。

プレイリストのことをまた考えはじめ、ついにそれに命を吹き込んだのは、その頃のことだ。

僕の音楽を(ミックステープ的な意味で)共有するという欲望はなくなってはいなかった。

だけど、その行き場はなくなりつつあった。

大手のブログサービス音楽ファイルを短期的に置けるようにしていたけれど、

そういう場は僕が求めていたものではない。

カセットテープを手に握ったときにうまれる、突き動かされるような感覚

それを手にしただけで、プレイヤーを探してそいつの使命を遂げさせたくなる。

Muxtape設計目標は、そういう実感ををデジタル世界翻訳してやり、音楽生命の火花を散らして、持つ人を聞かずにはいられなくするということだった。

最初のバージョンは僕のtumblrに載せた一枚のガジェットだったけれど、後の姿と本質的に変わりはない。

フィードバックはすごいものだった。

「俺の分も作ってくれないか」という質問が次々と来た。

最初は、ソースコードパッケージ方法をあれこれ考えていた。

でも考えが進むにつれ、それはひどくもったいないことだと気づいた。

ソースで配布すると、到達できる範囲はせいぜい自前のサーバーを持ったニッチクラスタだけになってしまう。

音楽発見するための、もっと大きな機会をすべて閉じてしまう。

ミックステープの抜け殻に見えていたそれは、すぐにミックステープ進化形に見えだしてきた。

作ってやらなければならない。

三週間の夜をけずった結果、僕はMuxtapeを公開した。

成功はすぐに目に見えて現れた。

24時間で8685人の登録があり、

1ヶ月で97748人の登録と1200万ユニークアクセスがあり、

さらに順調に伸びつづけた。

ニュースサイトへの露出も多数。

行き過ぎた予想。技術オタクは賛美するか、すぐに失敗すると断じるかに分かれた。

誰もがどきどきしていた。

僕はぞくぞくしていた。

Muxtapeは「レーダーの視界の下を飛んでいる」からなんとか生き残っているだけだ、という誤解は多かった。

いわく、メジャーレーベルに見つかれば、閉鎖させられるだろう、と。

実際には、レーベルRIAA普通の人と同じようにウェブを見ている。

僕も一週間かそこらで、連絡を受けた。

RIAAからの通告が、メールと書留郵便FedEx夜間便(紙とCD)の三点セットで届いた。

彼らは、権利侵害に当たるらしい6つのmuxtapeを止めるように求めてきたから、僕はそうした。

同じ頃、あるメジャー著作権問題(anti-piracy)担当者からの連絡を受けた。

電話をとって最初に聞いた一言は、「教えていただきたいんですが、召喚状と訴状は、どこに送ればいいんですかね?」

対話はそこから始まった。

召喚状は送られてこなくて、それは雰囲気を新規ビジネス立ち上げの会議にふさわしいものにしようとする彼の脅し戦術だった。

本当の狙いはビジネスだった。

同じ頃、別のビッグフォーの企画担当者からもコンタクトを受けた。

次の一月、僕は聴き続けた。

頭のいい法律家、この手の問題について傾聴すべき意見を持つ人々と話し、

Muxtapeの合法性について合意を得ようとした。

得られそうな合意は、合意がないということだけだった。

Muxtapeは100%合法で何の心配もない」から「Muxtape違法コピーの宝庫。十億ドルの訴訟ライカー島(Riker's Island)での服役の覚悟はあるのか?」までのあいだで、二十以上のすこしずつ違う意見をもらった。

結局Muxtapeの合法性は法律的に曖昧(moot)だった。

正当性があろうとなかろうと、訴訟で戦う費用はない僕の上に、メジャーレーベルは斧を振りかざしていた。

僕はいつも、アーティストレーベルが連絡してきて問題を訴えたなら、削除をすると、自分の中で決めていた。

でも、誰からもそういう疑義はなかった。

ひとつも、なかった。

逆に、僕が聞いた範囲では、どのアーティストもこのサイトのファンで、その可能性にわくわくすると言っていた。

そこの親会社は怒っているに違いない大きなレーベルマーケティング担当から電話を貰い、最新の情報ホームページに反映させるにはどうすればいいかと訊かれたことも何度かあった。

小さめのレーベルからは、彼らのコンテンツを別のクリエイティブな仕方でアピールできないかと言われた。

明らかに、Muxtapeリスナーにもアーティストにも、同じように価値あるものだった。

五月、メジャーレーベルのひとつ、ユニバーサルミュージックとの最初の会議をした。

僕は、最悪の扱いを覚悟して、一人でそこに行った。

この十年、インディーの界隈に片足を突っ込み、そこで大きなレーベルが彼らの利益になるものも知らず、頑固にラッダイトしているのをみたからだ。

ここで言っておきたいのだけど、レーベル自分自身のビジネスを、ふつうの人が疑っているレベルよりはずっとよく知っている。

ただし、未来へのアプローチに関しては、個々のレーベルによって驚くべき違いがある。

ユニバーサルで僕が会った紳士たちはすごく柔軟で機転が効いていた。

僕は、彼らにMuxtapeが与える利点を売り込む必要はなかった。

彼らはMuxtapeの素晴らしさを知っていて、ただ、支払いを欲しがっているだけだった。

その点については同情する。

僕は、共同で提案を行うにはまだいくらか時間が必要だと伝え、決定を先延ばしした。

数週間後、EMIとの会議をした。

彼らは大きく違ったタイプだった。

僕は会議室に入り、8、9人と握手をしてテーブルの前に着くと、目の前に "Muxtape" と題された電話帳並のファイルがあった。

彼らは半円状になって左右の脳のように僕の回りに陣取った。片方は法律、もう片方はビジネス企画

会議の相手は交互に切り替わった。

貴方意図的に権利侵害をしている、サービスを止めるまでに数時間の猶予は与える」という法律サイドハードな尋問と

「仮にサービスを止めさせられなかったら、どのような協力がありえると思うか?」というおずおずとしたビジネスサイドとの議論。

僕は提案を作るのに二週間を求めたが、二日と告げられた。

決断をしなければならなかった。

僕がみるに、選択肢は三つ。

第一は、全てをやめること。これはずっと考えていなかったことだ。

第二は、メジャーレーベルコンテンツを全て禁止すること。これなら、直近の危機を回避することができそうだが、二つ大きな問題があった。

ひとつは明らかなことだけど、ユーザーがミックスに使いたいと思う大半の音楽を禁止することになってしまう、ということ。

もうひとつはメジャーレーベル以外に関して、楽曲所有権と利用をどう扱うべきかという重い問題についてなにもやらないに等しい、ということ。

中規模のレーベル独立アーティストにも、彼らのコンテンツがどのように使われているかについて、それほど圧力は使えないにしろ、大企業と同様の基本的な権利がある。

第三の選択肢は、完全にライセンスを受けるモデルにすること。

これは、ユニバーサルの人に会ってからずっと挑戦していたことだ。

他のサービスライセンスを受けているものは、いろいろな理由でうまくいっていることを知っていた。

同時に、Muxtapeの場合は違うということ、少なくとも模索する価値はあることを知っていた。

レーベルがそこに価値見出しているかどうかという疑問の答えは得られていなかったが、次の疑問は、それにどれだけの費用がかかるか、だった。

六月。

僕は五番街の法律事務所に、メジャーレーベルとのライセンス交渉の代理人をつとめることを求めて、彼らは承諾した。

二週間後、今度は弁護士を同席して、僕は四レーベルに会った。

そして、取引をするための遅々としたプロセスが始まった。

第一回は、堅苦しく複雑だった。だけど、思ったほど悪くはない。

僕は彼らを説得し、Muxtapeがこのままサービスを続けることが皆にとっての最良の利益になる、と納得させた。

これでうまく行きそうだった。

さらに二ヶ月、投資家と会合を持ち、サイトの次のフェイズ設計し、交渉監督した。

困難が予想されたのは、Muxtapeが単純なオンデマンドサービスではない、という点で、オンデマンドよりは支払いが低くて済むはず、という点を考慮に入れてもらえるかどうかだった。

ライセンスの条件からはじめたかったのは、めずらしいwin-winになると思ったからでもある。

僕は、どんな通達があっても(at any given notice)、楽曲検索して再生する機能を持たせたくはなかった。

一方、彼らもそういう昨日にあまりいい顔はしない(少なくとも、今の価格では)。

Muxtapeの特徴的な機能は、複数の意味で強みになった。

最初の危険信号は八月に来た。

それまでは、すべての議論は数字に関するものだったが、

合意に近づくにつれて、掲載位置の販売とかマーケティングの方向性に話が移ってきた。

Muxtapeモバイルバージョンを提案したが、否定された。

僕の柔軟性は身動きできなくなっていた。

Muxtapeに対して公正な取引をすることに心を割いてはいたけど、僕がずっと持ちつづけていた最大の関心は、サイトの統一性と使用感を保つことだった。

(それはライセンスを求めはじめた元々の理由のひとつでもある)

Muxtape経済面での各種の侵略に合意したのも、動かしたい(play ball)からだった。

だけど、編集創作についてコントロールを手放すのはものすごくつらいことだった。

これと格闘している最中MuxtapeサービスホストしているAmazon Web Servicesから通告を受けたのが、8月15日

RIAAからの訴状AWSに届いている、と。

Amazon規約によれば、とんでもなく長い一覧に挙げられた楽曲を一営業日以内にすべて除去しなければ、

サーバーを止められて全データ削除されることになっていた。

これはかなりの驚きだった。

RIAAからの連絡はずっと途絶えていたのだけれど、僕はこれをレーベルの理解が得られたためだと思っていた。

パニックになりながら何度かAmazonメールを交換し、

僕はライセンス交渉最中にあること、これは事務的な間違いじゃないか、夏の金曜日の午後をとりもどせるようにするためにはなんでもしよう、ということを説明しようとした。

営業日どころか、週末を越えて月曜日までやり続けても、結局、Amazonが要求する文書を作ることはできなかった。RIAA電話で連絡したけれど、受けてもらうことさえできなかった。

そしてサーバーは止められ、アカウントは停止された。

僕はドメインネームを新しいサーバーに移して、

これを解決できるはずだという、ほんとうに感じていたままの期待をそこにメッセージとして残した。

僕はまだ、これがなにかのひどいミスだと思っていた。

でもそれは間違いだった。

事態がすこし把握できてきた次の週。

RIAAの動きは、レーベル親会社とは別の、自律したものだということ。

レーベルとの間で得た理解は、RIAAには継承されないということ。

どのレーベルも、僕を助けることに特に興味を持っていないということ。

彼らの見かたでは、交渉には影響しない、という。

僕は納得しなかった。

取引にはまだ数週間か数ヶ月(インターネット上では永遠に等しい)はかかる。

つまり、Muxtapeはすくなくとも年末までは止まったままということだ。

また、どうやって支払うかという問題も残っていた。

この変わりやすい世界では、急成長するウェブサイトがある場合でさえ、投資を受けるのは難しい。

サイトがまったくない状態では、筋違いもいいところだ。

だから僕は、これまでの人生で一番つらい決断をした。

ライセンスの取引すべてからの撤退。

どの取引も、単純さを信条とするこのサイトに対しては複雑過ぎるものになりつつあり、

僕がやりたい方向のイノベーションにとって、制約が強すぎ敵対的すぎるものになりつつあった。

開発にほとんど注意を向けられなくなってしまった結果、僕は自分モチベーションに疑問を感じはじめていた。

僕は、すべてを犠牲にして急スピード大会社を建てるために、これをはじめたんじゃない。

僕がこれをはじめたのは、音楽を愛する人たちのために単純で美しいなにかを作りたかったからだ。

だから、またそこからはじめたいと思う。

約束したとおり、サイトは復帰させる。

でも、いままでどおりのものではない。

ある、開発初期段階にある機能を取り入れるからだ。これからはその機能に中心的な役割を持たせたい。

Muxtapeは、バンドだけのためのサービスとして再出発する。

インターネットで活動するための、これまでにないシンプルで強力なプラットフォームとしての機能を提供する。

2008年ミュージシャンは、ウェブ開発者と手を組まない限り、オンラインで地位を確保する手段はほとんどない。

しかし、彼らのニーズは、実は共通の問題の中にあることが多い。

あたらしいMuxtapeは、バンド自分楽曲アップロードして、それを埋め込みプレイヤーとして提供し、

もともとのMuxtapeの形式に加えてウェブのどこででも動かすことができるようになる。

魅力あるプロフィールを取り付ける機能、さらに、カレンダー写真コメントダウンロード、販売、あるいはニーズのある他の全ての追加機能のモジュールを提供する。

システムは0の段階から無限拡張することができ、CSSデザイナーが使えるようなテンプレートシステムの層を設ける。

詳細は追って公開する。

ベータ版はいまところ非公開だけど、数週間以内に変更する予定。

これは機能の点でかなりの大きな転換だということは、意識している。

でも、Muxtapeの核となる目標は、変わっていない。

僕はいまも、音楽オンライン経験する方法を変革したいと思っている。

僕はいまも、相互接続された音楽のもっとも興味深い側面、新しいものをみつける、という側面を実現したいと思っている。


第一フェイズMuxtapeをこれだけすごい場所にしてくれた皆さんに感謝します。

皆さんのミックスがなければ、ありえなかったことです。

音楽業界はいつかついてくるでしょう。ぜったいに、そうすることになるはずです。

Justin

2008-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20080405143603

増田です。

まさに、そのサバイバルバイアスのことが気になってました。統計用語に疎いもので、申し訳ない。

まぁ、上場廃止の少し前には株価に反映しているのが普通だし、統計サンプリングの時期にも

そういうフェイズに入ってる銘柄がある程度存在しているだろうことを考えれば、ひどい差にはならないですね。

なるほど。

しかし、多くの銘柄を短期間に取得して長期保有する場合には、やはり結構な差が生まれてくるような気がします。

統計情報の解釈はやはりきちんとしないと怖いですね・・・。

※前の自分のコメント、ぶら下げ方間違ってる・・・orz

2008-01-11

仕事が終わる気がしない

オーダーがタスクに落ちない。

淡々と作業をするフェイズに入れない。

どこに誰がどん情報を持っているかわからない。

組織のあり方というよりも、モチベーションの問題な気がしてきた。

いまひとつ、攻めの姿勢で仕事が出来てない気がする。

一つ一つが漠然としていて、どう料理していくかが見えてこない。

「こんな状態で帰宅していいのか」

そんな自問自答の中、タイムリミットは刻々と近づいてくる。

バスは11時3分。

2007-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20071105162546

もう既にどちらが持ちかけたというのはどうでもよくて、

小沢代表がある程度連立を視野に入れていたということが重要フェイズに移っているから。

民主党小沢復帰のあかつきには、安保関連の政策協議を検討する約束事まで作った。小沢があれだけの記者会見をしてしまったのだからどちらにせよこれからだね。

朝日日経以外の毀誉褒貶はあったかもしれないけど、小沢があの会見をしてしまったことで結局マスコミにはジャブぐらいしか打てなかった。

行き過ぎはあったけど小沢があの会見をしたんだから小沢が連立も考えてた事は既に事実になってしまったということ。

だからこの後もみんな読売を信じるだろうね。

あ、君は読売派かwまぁ、小沢を信じても大した損はない。壊し屋の本性が残っていることも改めて認識できた。

2007-09-08

ゆとりを望んだのは戦後日本そのもの

http://anond.hatelabo.jp/20070908042618

恐らくは、成長と拡大前提社会の分配方針が教育という再生産のプロセスにまで到達したことにより「ゆとり教育」という制度に可視化されただけ。

学生暴力による社会への作用なんてものを意図する時点でおかしくなっている。

しかしその成長フェイズでは判断できなかったのも致し方ないのだろう。

逆に今後2、30年のうちに問題となるのは縮小する前提の社会再生産する教育制度が同じように行き過ぎることだろう。

社会人間の半生以上の体験を記憶できないらしい。

2007-08-20

ぐーるぐるぐる目よ回れ

この記事を使用するとき、使用者は以下の効果の内、一つを選択する。

一、 もし貴方が、上半身はTシャツ一枚で、手にうちわがあって、寝ぐせがまだ直ってなくて、ここ5分以内に烏龍茶をコップ一杯以上飲んでいて、なおかつMPが30以下の場合、この記事の効果により貴方の目が回ります。ただし、貴方が次のターンのエンドフェイズまでに負けを宣言し、なおかつフィールド上の全クリーチャーを墓地へ送ることを約束することによりこの記事の効果の対象から外れることができます。なお、約束を守ったかどうかは本記事は一切関知しません。

二、 もし貴方が望むなら追加コストを支払うことでこの記事の効果を無香にすることができます。そうでなければ、この記事はひどい臭いをまき散らすでしょう。

三、 対象のクリーチャーに3の精神ダメージをあたえる

四、 全てのプレーヤーは3ターン以内に負けを宣言するか、いますぐデッキから30枚のカードを墓地に送るかのどちらかを選択しなければならない。

2007-07-27

つぶしかた

前準備、攻撃、構造化という3つのフェイズがある。

前準備

まずはコミュニティの心理的な地形を把握する。社会的な立場が同一であっても、

立場の強い人や弱い人、打たれ強いひとやそうでない人、様々な力関係が見えてくる。

一見すると「平野」のように見える組織であっても、よく観察すれば、必ず山や谷がある。

状況に応じて「地形」は変わる。メンバーの入れ替わりや、組織にもち込まれる様々な問題、

メンバー同士の喧嘩といった、様々な要因は「山」と「谷」とを逆転させ、

コミュニティ内部の地形を複雑に変えていく。

攻撃者は、対象との何気ない会話を通じて、その人の出自や年齢、得意分野や社会的な立場等を

探っていき、対象が「谷」に置かれる状況、「山」になりにくい状況を探る。

攻撃

適切な状況設定を通じて、対象が「谷」の位置で安定したところで、攻撃が行われる。

罵倒には意味がない。攻撃の目的は、対象をコミュニティから切り離すこと。

攻撃すべきポイントは、対象の「存在」や「行為」などではなく、「異質である」部分。

対象の異質性が強調されることで、「攻撃者と対象」という1対1の関係は、

コミュニティ全体に対立する一人の対象」という構図へと進化していく。

基本方針は2つ。

  • 結果ではなく過程を責める
  • 構造ではなく人間を責める

結果には再現性がある。同じ問題に別の人があたったところで、結果が変わらない可能性が残る。

結果にたどりつくまでの「過程」には、無限のやりかたが考えられるので、「異質である」ことの

非を問うべきは、「対象がたどった過程」となる。

攻撃者は、「対象が嫌いだ」というメッセージを発信してはならない。

発信すべきは、「攻撃者は、対象が実力を発揮できるような構造設定に尽力したにもかかわらず、

対象はそれに応えられなかった」という絶望感であり、外見上、攻撃者は対象を責めてはいけない。

映画フルメタルジャケット」では、パンを隠し持っていたゴーマー・パイルに与えられた罰則は、

「パンを食べる」というものだった。パイルがパンを貪っている間、それ以外の全員には

「腕立てふせ」が命じられた。

熟練した攻撃者は、攻撃を通じて、次の攻撃への前準備を済ませてしまう。

対象を罵倒する台詞を通じて、同時にそれ以外のメンバーの笑いを誘ったり、対象の失敗で迷惑を

こうむるのが対照以外のメンバー全員だったりといった設定を通じて、次の攻撃への下準備が行われる。

構造化

いじめ」というのは構造がおこすものであって、人がおこすものではない。

同じ攻撃者が対象を責めつづければ、どんなにそれを巧妙に行ったところで、

いつかは攻撃者自身がコミュニティから疎外されてしまう。

「強者が弱者いじめる」攻撃手法は、対象にはほとんどダメージにならない。

対象の周囲を囲んでいた「弱者」が牙をむき始め、「弱者弱者いじめる」

構図が生まれて、はじめて攻撃はダメージとして意味を持つようになる。

何回かの攻撃を通じて、攻撃者が最終的に目指すのは、対象を絶対的な「谷」として、

そのまわりを残り全員が「山」として取り囲む、コミュニティをそんな構造に固定すること。

コミュニティ内部には、対象と同じく立場の弱い「谷」となっているメンバーは他にもいる。

外圧を演出することで、彼らを「山」として持ち上げることができる。

コミュニティ外圧に抵抗するためには、集団が一つの価値観でまとまらなくてはならない。

同調圧力の中で合意を形成していく過程において、異物に対する攻撃が出現するのは必然であり、

集団の正義ですらある。

合意が形成されていく中で、異物としてとどまらざるを得ない対象一人を除いて、

すべてのメンバーは異物の排除に参加するか、少なくともそれを黙認する「山」となって

対象を取り囲み、対象の逃げ場を奪っていく。

外圧の演じかたは2通り。対象が不得意なものをぶつけるやりかたと、対象が得意とするものを

外圧として利用するやりかたとがある。

対象が苦手な問題を使う例としては、たとえば何人かのチームを組んで問題に当たらせるとき、

対象と組む人間が誰もいない「仲間はずれ状況」を作り出すとか、チーム全体に集団責任ルール

を設定した後、解決不可能な問題を提示して、チーム全員を罰してみせるやりかたなど。

対象が得意なものを使うときには、対象一人にほとんどの仕事を仕切ってもらって、

「仕切りたがりの対象を不快に思う、傍観者としてのそれ以外全員」という構図を演出する。

攻撃者としての自らを隠蔽しつつ、適切な外圧創作する部分に、攻撃者の技量が問われる。

大切なのはいかにイメージを操作するかであり、事実はその手段に過ぎない。

2006-12-24

抑圧とテロの循環

オウム真理教の前身となるオウム神仙の会は、1984年に発足している。当時はバブルが始まった頃で、これから景気も良くなってジャパンアズナンバーワンだ、と浮かれていた時期だ。11年後には、そのオウムサリンを撒くというかたちで、大規模なテロを起こした。

80年代の中ごろというのは、いまの状況とある側面では似ていると思う。経済が上向きになり、「勝ち組負け組」(当時はマル金/マルビなどと言われていたらしいが)というような区別が流行り、消費が一気に活性化し、再開発が進んだ。そしてその狂騒にノれなかった人たちが、鬱屈をかかえて宗教に走り、その一部はカルト化した。

今の経済フェイズが84年なのか85年なのか、はたまバブル天井の88年なのかは分からないけれど、景気回復の裏側で消費社会にノれない人たちが鬱屈を抱えるという現象は今も起こっているように思う。彼らの鬱屈がいつどのような形で噴出するのか、それは2015年かもしれないし2017年かもしれないし、平和で何事も起こらないのが一番いいのはもちろんのことだ。けれども、何らかの形で歴史から学ぶことはできるのではないか、と思う。

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