「ドーキンス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ドーキンスとは

2009-12-14

ホモだって言われた方がマシだった

仲の良い友人と喫茶店で喋っていて、知り合いが「水は答えを知っている」のことを目をキラキラさせながら喋っていたという話をした。

自分としは笑い話をしたつもりだったのだが、彼は真顔で「え?俺もあの本好きだよ」と言う。

彼とは読書趣味という共通点があるので、お互い文学の話やたまに政治の話もしていたのだが、まさか彼があのエセ科学本を無批判に信じ込んでいるとは

思わずショックを受けた。

僕はドーキンスの話を引用して、検証不可能なことは科学ではないと何度も言ったのだが、彼は認識の相違という逃げ場に逃げ込んで話は平行線となった。

それまではお互いに楽しい時間を過ごしていたのだが、それで一気に空気が悪くなった。

あまり仲の良くない女の子なら、俺は笑って流せたのだが、同じ価値観で離せると思っていた男の友人が無批判にあの本を信じ込んでいて、しかも

道徳科学と分けることに何の意味がある?」と発言したのには驚きを通り越して失望した。

そして、そんなことを思っている自分自己嫌悪した。

なんとなくやるせない。

2009-05-21

幸福実現党の件で思い出したこと

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090520/stt0905202027013-n1.htm


かつて職場に会員がいた。ある日のこと…


増田君,最近危ない本読んでるみたいだから。」

−「危ない本って何ですか?」

「まあ読んでみてよ。」


と,封筒に入った本を手渡された。その場では怖くて帰宅してから開いた,『永遠の法』だ。


そういえば,ドーキンスの『神は妄想である』を職場で昼休みに読んでいたのだが,それを見て「危ない本」と言ったのだろう。

彼らには禁書リストがあるのだろうか…

2009-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20090501230210

シュンペータードラッカードーキンスとかいるのに「哲学」に一括りするなんて

学が浅いにもほどがあるな。

2009-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20090203012956

神はいないなんて知ってるよ。だけど、君はそれを超えたことを言ってるだろう。

だからドーキンスの「神は妄想である」を読めよ。

なんで「だから」なんだ?科学の議論が文脈で、なんで「だから」なんての使ったんだ?

あまりにも手垢のつきすぎている物語を信じるのは騙されやすい人間だけだ。

「騙されやすい人間だけだ」って、明らかに人間に対する価値判断を含んだ断定だよな。妄想に騙されない俺はそれだけ優れている、なんで?自然科学者だからか?自分はより論理的だからか?

ほれみろ。自然科学を絶対化してるじゃないか。

(追記)

逃げるねえ。逃げる。

そもそも科学者でもなんでもない。

科学とは何のかかわりもない人間でござんす。

ただの無神論者

あとで言うな。誤魔化しなさんな。もっとも、学者かどうかは分からんがね。まともな学者なら、こんな馬脚は出さんからな。

http://anond.hatelabo.jp/20090203011439

だからドーキンスの「神は妄想である」を読めよ。

それを読まなくても神話の成り立ちを考えれば、

いかに神の物語恣意的な内容に満ちているかがわかるだろう。

あまりにも手垢のつきすぎている物語を信じるのは騙されやすい人間だけだ。

自分神話を書いてみればよくわかるよ。

2009-01-26

面白いな

http://anond.hatelabo.jp/20090123231723

http://anond.hatelabo.jp/20090125095427

この二つ。

前者は一見似非科学批判批判のようで、「ガン治療の遅れ」つまり科学技術の遅れがもたらした問題であり、科学技術進歩により問題が解決するという、科学絶対主義的、似非科学似非批判者的主張をしている。

後者は一見似非科学批判批判のようで、「何でも科学のせいにするな!」と盲目的な信頼、つまり科学宗教信仰の手段に持ち出す似非科学の批判を行っている。

今一度、科学宗教とで盛り上がったこのhttp://anond.hatelabo.jp/20090120003918エントリーの周辺を眺めてみることをお勧めする。

宗教は信じること。科学は疑うこと。」

って、誰が言ったんだっけ。あと、ドーキンスの「神は妄想である」はお勧めなんですか?

2009-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20090110013953

自然にはどんな自律性もない。

「なにか大きな計画がある」は宗教的な発想(絶対的な存在がある)としては自然なんだが、最終的には道を誤まる。

あと単なるレトリックだと思うならドーキンスをちゃんと読めてないぞ。

「神は妄想である」とかも読んだほうがいいのかもな。

ドーキンスの罠

http://anond.hatelabo.jp/20090109152059

ども、これ書いた増田です。

ミーム(文化的な遺伝子みたいなもの)がどうこうと言ってる人がいるけど、

あのよく出来た小理屈もやっぱ「文化」の張り巡らせた罠だと思うんだよね。

納得づくで淘汰されていただくシステムというか。

地球環境に対してヒトが増えすぎてきてるから、

いろんな文化的「生きがい」を仕込んで数を調整しにかかってるんだと思う。

俺は遺伝子奴隷じゃない!

とか言ってる独身人生謳歌のヒトは実はよくよく訓練された奴隷なのかもしれない。

そこで淘汰されていただくための。

勝ち組遺伝子戦略としてデーブ大久保工藤公康というのは、

コントラスティブで興味深い事例だと思ってます。

あくまでヒトとして、ですが。

2008-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20081003120036

それはまあ、J.B.ホールデンが出したたとえ話だが。

進化の主体は何なのか、個体なのか、種なのか、いろいろ説はあったけど、説明がつかない事例があったのね。

例えば蜂のような社会昆虫

これを進化の主体は遺伝子だと想定すると矛盾なく説明できるわけ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%B8%81%E9%81%B8%E6%8A%9E

↑この辺参考にしる。

ドーキンス利己遺伝子論もこのへんを踏まえて構築されている。

2008-03-15

anond:20080315145308

本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。

グーグルキャッシュ初版なので違うところがあるかも。

プラトン国家』 

アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キルケゴール『不安の概念』 

スピノザエチカ』 

ルソー社会契約論』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教経験の諸相』 

ニーチェ権力への意志』 

フッサール論理学研究』 

ハイデガー存在と時間』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間と自由』

レヴィナス『全体性と無限』 

フロイト快感原則の彼岸』 

ラカン精神分析の四つの基本概念』 

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール『一般言語学講義』 

チョムスキー『文法理論の諸相』 

ヴェイユ重力と恩寵』 

アーレント精神の生活』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』 

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義精神』 

デュルケム『自殺論』 

バタイユエロティシズム』 

モース『社会学人類学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

マクルーハンメディア論』 

ブローデル地中海』 

ウォーラステイン『近代世界システム』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法の原理序説』

ミル『自由論』 マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展の理論』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』

ボードリャール消費社会神話と構造』 

オルテガ『大衆の反逆』 

ミルズ『パワーエリート

リースマン『孤独な群衆』  

イリイチシャドウ・ワーク』 

ベル資本主義の文化的矛盾』 

ネグリ『構成的権力』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

アンダーソン『想像共同体』 

バレーラマトゥラーナ知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ロールズ正義論』 

ハイエク『法・立法・自由』 

ブルデュー資本主義ハビトゥス』 

オング『声の文化と文字の文化』  

M・ポランニー『暗黙知次元』 

クーン科学革命の構造』 

ポパー『推測と反駁』 

サイードオリエンタリズム』 

メルロ=ポンティ知覚現象学』 

フッサール論理学研究』 

ラッセル西洋哲学史』 

フロム『自由からの逃走』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』

デリダ『グラマトロジーについて』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

フレイザー金枝篇』 

シュミット政治神学』 

クラウゼヴィッツ戦争論』

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

リップマン『世論』 

マンハイムイデオロギーユートピア』 

ブルームアメリカンマインドの終焉』 

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトライス』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

クーン科学革命の構造』 

ホワイトヘッド科学と近代世界』 

ソンタグ『反解釈』 

ドーキンス 『利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学的視覚論』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

ケストラー『機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 

イーザー『行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マン『ロマン主義レトリック』 

シオラン歴史ユートピア』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ『経験論と心の哲学』 

パーソンズ社会的行為の構造』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アガンベンホモ・サケル』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

マッキンタイア『美徳なき時代』

こういう時、トラバツリーが各所に残る今の仕様は便利だ。

ツリー内主要エントリ

2007-12-10

anond:20071210022046

本質的には学問は面白いものなのに、テストだの受験だののせいで詰まらないものになっちゃってる感があるよね。

受験数学の本(というかチャート)なんて見るだけで嘔吐感を催すくらい嫌いだったのに、最近では数学ガール読み始めたりしてる。中学2年くらいまでは数学大好きだったのだけど、その時を思い出して気分が高揚してくる。

国語も、やっぱり大嫌いだったのだけど、最近では室生犀星とか読んでるし。科学系も嫌いだったのにドーキンス本買い漁ってるし。

よく考えれば、「勉強ツマンネ」って言ってゲームやってても、そのゲーム内で必要とされる計算なんかは喜んでやってるわけだ。ゲーム製作試みた人なら、期待値計算とか延々やってたり、独自言語製作のために格変化云々考えたり、魔法のためには物理学上の数値(重力係数とか)を変えて発生する現象を考えてみたり、化学式見て都合の良い変化を起こす方法考えたり、まあ色々やったことがあると思う。で結局設定段階で力尽きていたことと思う。

2007-06-05

動物性欲つながりになっててわらった

俺はむしろ

ギデンズだいじ。でも日本人日本語で読むのが分かりやすいと思ったので。フォローTHX

[増田の箱舟]

すげー先読みだw

http://anond.hatelabo.jp/20070605183309

まぁそりゃ手法としての正当性を求めりゃそーなんだけど、そっち方面から先に攻めると竹内久美子みたいなDQNが出来上がってくる例が経験的に多いのでw ダーウィン御大ドーキンスも今西も、かんたんに教訓話(ルビ:トンデモ)に仕立てられちゃうしね。

2007-01-18

一度親友に告白して大失敗をしたことがある。

一緒に酒を飲んでいて物凄くリアクションがいいし、楽しそうだし、実際に「○○と話してると楽しい」と言ってたし、あちこちデートに誘っても一度も断られなかったし、家にも遊びに来るというので満を持して告白したら、

「○○のことは友人として好きなんだけど……」

という定型の断り文句が帰ってきた。

「話しているととても楽しいんだけど、彼氏としては見れない」

と言われた俺は、「話していると楽しい」=恋人としての最大の要素だと当時思っていたわけで、自分の何が悪いのかが全くわからずパニックになった。その後もしばらく腐れ縁のような形でたまにご飯を食べたりしていたが、もう今は交流はない。

その後女の友達と色々話すにつれて、「女性は一般的に男を自分にとって恋愛対象であるか否か、ひと目で見抜く。話していて楽しいかどうか、性格が合うか合わないかはほとんど関係ない。性格が全然合わなくても、話していてつまらなくても、相手が恋愛対象のカテゴリに入るならば恋人になれるし、逆もまた然り。一旦どちらかにカテゴライズされたら、もうカテゴリの移動は出来ない、云々」というようなことを聞き、俺は再度パニックになった。なんだそりゃ!? しかし色々な女と話していると、どうもそれが真実のようだ。俺は恋愛に対する考え方を変えた。

恋愛ロジックでするものではない。「性格が合うから」「趣味が一緒だから」そんなロジックを積み重ねても、本能的な直感の前ではそんな戯言は吹けば飛ぶようなもので、恋愛とはもっとエモーショナルなものなのだ。ドーキンスだったか誰かが「人が恋をするのは遺伝子のせいだ」という胡散臭い説を唱えていたが、確かにそうなのかもしれない。それまでの俺はロジック恋愛をしていた。「この子は可愛いとは思わないけれど、自分とこの部分が一緒だから一緒にいるべきなんだ」という思い込みを恋愛と勘違いしていた。こんなんで彼女が出来るわけはない。それ以来、恋愛に対してもっと直感を大事にすることを心がけた。自分が可愛いと思うか、セックスしたいと思うか、一緒にいたいと思うかをまず考えることにした。

そんなこんなで俺にも可愛い彼女が出来て、先月婚約をした。趣味は一緒だが、二人でそれを楽しんだことはないし、はっきり言って性格も合わない。ずぼらで楽観的な俺と、神経質で落ち込みやすい彼女。だが、一緒にいてこの上なく楽しいし、心から彼女を愛している。ロジックではない部分で我々は繋がっているのだと思うと、たまらなく彼女のことがいとおしくなる。これが恋愛なのだと、20代も半ばを過ぎてからようやく理解できた。

旅行フィンランドに行こうと思っている。これも直感だ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん