はてなキーワード: デパスとは
日常生活でイライラして爆発しそうなくらいストレス貯まることってありませんか。
自分、すぐイライラしてしまう性格で、なんとかしようといろいろ試しているんだけども決め手がない。
そもそも、人間だからイライラしたり、「ムカつく!」って思うことは当たり前なのかな。
でも、マジで最近キッツイので、試したイライラ解消法を書くよ。
そして、オススメがあれば教えてほしい。
・壁などを蹴る
足が痛くなるだけだった…
・壁などを殴る
手が痛くなってもうやめようと思った。
・モノにあたる
気持ちいいけど、ふと我に帰ったときの絶望感が凄い
・散歩
気持ちいい。結構好きだ。緑の中を散歩するのが好きだ。
・ハーブティー等の飲み物系
ハーブティーは辛いだけだった…。落ち着くようなそうでもないような…。微妙。
結構気持ちいい。スカっとはしない。紙が可哀想なのと、後が残るから。すぐ捨てるけどゴミ箱から何か感じて怖い
・叫ぶ
車の中で叫んでみた。何か落ち着いた。
・カラオケ
歌が下手で悲しいけど、スカっとはした
・運動
・お香
臭いだけだった…頭いてぇ…
・処方箋
デパスっていうのを出してもらった。
フワ~とするけど、短時間。めっちゃイラついたときは効いてない気がする。
心療内科に行ったのは、自分のイライラがおかしいんじゃないのかな?と思ったから。
案の定薬は増えたり、減ったりしてる。
こんな感じなんだけど。
体動かし系が自分には合う感じ。
一時収まるんだけどな~。自分、ネチっこい性格で、昔の事を掘り返してまたイライラするんだよ。
この考え方を変えないといかんかな~。
愛犬家とか愛猫家とかを自称していて、実際かなり写真を撮ったり口を開けば自慢したりして、可愛がって、なのに死なせてしまった人ってのはどのくらいいるのかな。
自慢するようなことではない。むしろ恥で、だからあんまり「そういう人がいる」と認識できないのだと思うし、本当に可愛がっていたと感じるようであれば、それは不慮の事故とか何かしらの仕方ない理由なんだろうと納得して印象に残らなかったのかも。
3ヶ月くらい前に愛犬が死んだ。
仕事を終えて、新しいドッグフードと賞味期限間近の割引された寿司を買って、晩酌しようと思って帰ったら、もう生きていなかった。寿命にしては早すぎる死だった。
5年は一緒にいたと思う。
学生時代の私の欝がひどいときに家に来て、3年前に独り暮らしをはじめたときも連れて実家を出て、ずっとずっと一緒だった。そして、私の心の支えだった。
世話をあまり見られないほど精神的に弱い時期もじっと、ほとんど黒目の瞳で寄り添っていてくれたのに
仕事がうまくいきはじめて多忙になり、やっと一つ大きな躍進を得た、と考えて帰ったその日にもう手遅れだったことを考えると、もっと何かしてやれたはずではないかとずっと考えてしまう。
依存するばかりの時はそれなりに見ていたのに、驕ったばかりに苦しませて独りで逝かせてしまうことになったのではないか?
だけどその、私の後悔を誰も責めない。
本当は私だってよく知らない人に「お前が仕事仕事でろくに面倒を見なかったから・・・」「ふれあいを含む世話を放棄したのなら、それは既に虐待で・・・」と言われたくは無い。
私には私なりの事情や考えがあったので、それを前提として知っているくらいの親しい人には叱って欲しい。
しかし、ある程度私と親しい人は、私を責めたりしない。
私のバックグラウンドを知っている人は「大変だったね」とか「突然でショックだろうけど」とか、言葉をまず選び、
そしてともすれば、「きっと没頭できる仕事を見つけたから、天国で待っててくれるように先に行ったんだよ」などとのたまう。
私が欲しいのはやはりそういう言葉でもなくて、なぐさめや例えや、擬人化した勝手な代弁ではなくて、
事実を事実として同じ過ちを繰り返さないようにとかいう建設的でシンプルな答えなのだけど、
どういうわけかそれにすら触れてくれる人は少ない。というか、いなかった。
(もっとも「できるならば時を戻したいが、それをするのは不可能である」と分かっているのが一番のジレンマではあるのだけど・・・)
火葬した日のうちかその次の日に近くの医者に行った。昨日犬が死んだ、眠れない、不安だ、と言うとデパスとレンドルミンを処方された。
人間でもないのに急なことで1日職場から休みをもらったから(夏の暑い日だったから、腐敗するのも早いだろうとすぐ火葬を手配した)あんまりのんびりせずに復帰しなければならないと思った。それに、じっと自室にいるのも嫌だった。
死体があったからではなくて、静かすぎて、色々考える余地ができてしまうから。
眠剤を飲むのも久しぶりだったが、案の定おねしょをした。金縛りにあったように眠るので、それ自体はあまりショックではなかったが、
困ったのは現実感が薄れていることで、ふと餌をやろうとしてしまったりする。
それ自体はよく聞く話でもある。
ただ薬のせいなのか、しばらく夢に生きた飼い犬が出てきて
、実感としては朝じゃれたり舐められたり餌をやったりして、風呂に入り仕事に行き、帰ってきて骨壷に100均で買ってきた線香を上げるような毎日。
よくわからないままに1ヶ月・・・2ヶ月・・・と過ぎてしまった。
眠剤を処方されなくなってしばらく、とてつもなく恐ろしい気持ちがこみ上げてくる。
一目見ただけではわからないような、生きたような死体に触れて「死んでいる」を目の当たりにした時もわんわん泣いた。しかし、その直後から「死」の実感は消え去っていた。
それが、最近やっと「死」を実感しつつある。
じっくりと薬なしで向き合ってたくさん泣くべきなのかもしれないし、そんなことをしていたらいつまでも終わらないのかもしれない。
思いつくままに書いておそらく時系列めちゃくちゃだし推敲もしてない。明日も仕事なので寝るけど、腰を据えて考えながら、起きて落ち着いたら見直そうと思う。
5年通った心療内科で主治医と世間話しながらふとPCの画面を見たら診断がいつの間にか「うつ病」になってた。デパス出してくれるならどこでもいいやぐらいの感じだったんで、診断名がショックだったわけではないけど、長居しすぎたのかな、と思った。主治医には悪いが、彼に求めてたのは処方箋だけで、なにを云われても抜け出せない、でも変われるわけでも死ねるわけでもなかった。けどここに居たらやっぱりそういう病名を付けられる/付けるしかない、袋小路なんだなと実感した。
定時を過ぎて少し経った頃、総務の人に、自分の下にいる派遣嬢が辞めたいといっている、と云われた。前々からそんなことを臭わしていたので驚きはしないが、派遣の1人も使えない自分に嫌気が差すには充分なインパクトだった。
このご時世に仕事があるだけマシだろうとか、布団から出て仕事に行けるだけまだいいじゃん、とか、下を見ればきりがないが、いまこの瞬間の気分としては「死にたい」に尽きる。自分の何かを良くして、そんでどーすんだ。今よりもっと良くなってやりたいこと、ほしいもの、何も思いつかない。これもある種の終わりだ。
こんなやつがのうのうと生きて給料もらって息してて、ごめんなさい。生きたいと願っているあなたと替わってあげられなくてごめんなさい。こんな状態で人とかかわってごめんなさい。ごめんなさい。
君、ちょっと前からそれ書き込んでるみたいだけど、それはマズいだろう
薬を飲む事自体、相当ヤバい方向に進んでるよ
薬が効くかどうかは人それぞれで、効く人は実はほんの一握り。効かないor今後の生活に支障をきたす人がほとんど
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51426617.html
ここを読んでみ
このところ、中川(酒)のアルコール依存症がおもしろい記事になっているのだが、
数年前、いろんなストレスから、コーヒー過剰摂取、睡眠障害、頭痛がひどくなり、
やたらと酒も飲んでました。特に、たちがわるいのは、睡眠薬を飲んだ後の飲酒で、
当時マイスリーを飲んでアルコールを飲み、かなりの健忘やトリップを繰り返しました。
朝起きると、部屋がちらかっていて、、だれかがいろんなものをコンビニで買ってきて
食い散らかしたようになってるんです。よくよく考えると、夢の中でそういうのがあった
ような気もする、って訳で、財布の中にレシートが入ってて、そういうことだったか、と
あとで気づく。
またあるときも、妙にリアルな夢で、どさんこラーメンを食べている夢を見て、数日後、
財布の中にレシートを見つけた。距離的には、クルマでしか行けないところだったので、
多分、クルマで行ったんだと思いますが、これが全く記憶にないのですね。
それ以降もそんな失態はよくありましたが、デパス、マイスリーといった薬とアルコールの
同時摂取は非常に危険ですし、風邪薬とアルコールのの飲み合わせも、ごろんごろんに
酔っぱらうので身を滅ぼすことは必至です。
そういえば、1年ほど前にもこんな事がありました。
仕事のプロジェクト打ち上げで、何件かはしごをしたんですが、、その際に持ってた
ノートパソコンをなくしたんですよ。で、その後、どれだけ探しても見つからなかった
わけですが、とりあえず、クビにはなってません。事の顛末としては、何重にも暗号化が
されてるし、たとえ、これを拾っても中のデータは取り出せないはず、ということで、
あるべき顧客にはすべて謝りに行くということで非常に大変だったわけですが。
ま、別にパソコンなくしたって、会社が潰れることはあっても、自分が死ぬわけでもないし、
大したことはないんですね。余り表沙汰にもなってないですから
生活には影響はありませんね。ただ、社内での出世はないでしょうね。
とりあえず、これ書いてるのも、風邪薬飲んでますけど、アルコールはとってません。
まともな文章は書けないですし。
前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。
医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学を卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親の存在が自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。
考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原因の矛先が自分に向いていることもあった。たとえば運動会で一番になれなかったとか、マラソン大会で後ろの方を走ってたとか、勉強しているとかそういう自分に原因のある場合もあった。あるいは表情が変わらないとか、びくびくして隠れてばかりいるとかそういう環境による原因から来た自分の状態を責められることもあった。時には鍋が焦げ付いたからとか買ってきたものを間違えたからとか庭の植木の剪定がうまくいかなかったからとかそういう母親のミスが原因でスイッチが入ることもあった。いつどこでどういう風にスイッチが入るかはわからなかった。とにかく機嫌が悪ければ、自分に矛先が向いた。うまくことが収まらなければ、ちまちまとためているお小遣いを没収されたり、教科書などの学用品を捨てられたり、あるいは着の身着のままで追い出されたりもした。折檻も受けた。いまだに残っている傷跡もある。でも一番きつかったのは給食費や修学旅行費などの学費を出さないと言われることだった。それが一番弱った。
スイッチが入っていなければ普通の、ごく普通の家庭だったと思う。大学にまで行ってるのだから、と人は言うからおそらくは幸せだと考えなければならないんだろう。感謝しなければならないんだろう。そうずっと思ってきた。
学費のことはよく言われた。困らせようとしているのはある程度大きくなったらわかっていたが、しかし実際困った。中学を卒業してしまえば、金を出さない働けと言われてしまうとそうするほかなかった。そうしなければならないんだろうと何度か学校をやめようとしたこともあるが、そのたびに誰かに止められた。先生だったり友達だったり、恋人だったり。お金を出してあげるからと言ってもらったこともある。金を出さないという脅し文句は一番卑怯で最も子供に言ってはいけないことなんだから自分が悪いと思う必要はないと諭してくれた人もいた。その中で毒親という言葉を知り自分の母親がそうであるということも理解した。
よく考えてみれば、何を言っても言い訳になるようになっている。うまいこところころと人の発言を自分の思う通りに解釈してそれを掲げて人を糾弾するのが得意な人だ。自分が悪いような気がしてしまう。誰かを責めるためなら直前にいったことと180度逆のことも恥ずかしげなく言える人だ。しかしそれはうまくコーティングされて、それが正しいような気がしてしまう。そういう能力に関しては長けている人だ。生きてきた年数分うまいのだろう。
去年の夏ごろ、父親が病気になった。体に多少不自由が残っているが、自分で身の回りのことはできる。思うように動けないせいかややひがみっぽいことを言うことが増えたが、命に別条はない。父親も被害者のようなものだった。昔はそうでもなかったような気がするのだが、最近は呆けたような顔をすることが増えた。長年人格を否定され罵声を浴びせられ続けるとあんな空虚な顔になるのだろうと思う。その父親を母親は親の敵のように嫌っている。いや、母親が親に恩など感じているわけがないし自分でもそう言っているのだから、犬猿の仲とでも言えばよいのか。物心ついた時には母親が父親をいつものやり方で責め立てているのが日常の風景だった。
正月、正直実家に戻る気にはなれなかった。卒論もあるし、家に帰ったらそれどころではなくなるのはわかっていたのだ。でも帰らなければまたうるさいということもわかっていた。最大限の妥協をして年末の数日実家に帰り年が明けてすぐ下宿先に戻ろうと思っていた。でもやっぱりそうは問屋がおろさなかった。
愚痴を聞くだけなら、かまわなかったのだ。病人を抱えていればそれなりにたまってくるものはあるだろうということは簡単に予想できるから、それを聞くのはやぶさかではないと思っていた。忙しくてあまり帰らず申し訳ないとも思っていた。夏はちょうど私自身も心を病んでいてどん底にいたのであまり父親の病気には関わらなかった。関われなかった。それでもできる限りのことはしようといろいろしたのだ。しかし、それが足りなかったらしい。まずその不満からだった。母親は自分のしゃべっていることでどんどん興奮していくたちなのでなだめながら聞いていたが、でもやっぱり駄目だった。父親に向けられなくなった分こちらに向かってくるエネルギーがすさまじかった。私は疲弊した。そんな私を好きなように攻め立て、あらゆる事実を捻じ曲げ、母親は私を糾弾した。薬をいつもより多めに飲んでもそれでも駄目だった。気分が落ち込んでいくのは止められなかった。そんな私に母親はあんたの性格が悪いから病気になるんだといった。薬を飲むのをやめろと言った。医者なんか信用するなと言った。そして、その医者はあんたの好みなのかと聞いて嗤った。それでもおさまらなかったらしく、離婚してやると喚いた。離婚して父親の面倒を押しつけてやるといった。離婚したら結婚も難しくなるあんたはみかけもたいしてよくないし、と言った。父親の面倒をみたら仕事にも支障がでるだろうねと笑った。親が離婚していてさらにその親の介護をしているあんたは嫁にいけないよと言った。仕事にも集中できないから貧しい暮らしになるに違いないと言った。そういいながら笑った。ずっと私は正座し黙っていた。10時間。ひどい正月だった。卒論は進まなかった。たぶん留年すればいいとでも思っているのだろう。そういう人だ。留年したら就職は難しくなるから、これからも矛先を向け続けることができるし、そして逃げ出せなくなるとわかってやっているのだ。わかっていた。だから黙っていた。もう何度死んでくれたらいいのにと思ったかわからない。頭の中でぐるぐるとどうやって殺してやろうかと考えていた。そう考えるだけでずいぶん楽だった。どうやって苦しめてやろうかと考えていた。静かな気持ちになれた。
母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころはそうだった。しかし、いつまでもそうではないのだ。私は卒業し、就職したら母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は困らせればすがりついてくると思っている。またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも。親もきょうだいも何もかも捨てて過去は断ち切るのだ。まともな生活を普通の人間関係を、得てもいいといろんな人が言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人から言われる。居場所を奪わない人がいる。失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいてそういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、そういう幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。
追記:
わわわ、ありがとうございます。がんばって逃げます。
icloud 幸せになってほしい。あまり大きな声でいえないけど、計画がうまくいくといいな・・ ・・・・・ところでうちの母もこのような感じ(ここまでではない)のだけど・・・病院につれていってみるかな・・
残念ですが毒親本人はおそらく病院に連れて行ってもせいぜい境界線人格障害と診断?される程度じゃないかと思います。それだったら距離を置いてしまうのがよいのでは。程度によりますが少し距離を置いた方がうまくいったり環境を変えることで寛解することもあるらしいです。
お母様が毒親に苦しめられているということだとしても病院は病気になってる人しか助けられないので病名はつけてくれるかもしれませんが原因が取り除かれないことには…。穏やかな日々が来るといいですね。がんばりましょう。
私が飲んでるのはデパスじゃなくてリーマスなんですよね…正真正銘メンヘラです。はぁ。でもたぶんきっと本当に必要なのは、薬じゃなくて簡単になくならない信頼関係なんじゃないかと思うのです。たとえば私は無自覚に誰かを傷つけたり怒らせたりすることはあるわけだけれども、そういう状況になった時にあぁ生活すべてがめちゃくちゃになるこれで何もかも終わりだっていう絶望感にとらわれなくてもよい、という思えることが本当は必要なんです。そういう信頼関係が築ける相手がいることが必要なんです。対立しても怒らせても、ちゃんといいたいことは言って嫌だと思うことは伝えて、そういうことができる関係というのが。
母親は自分の存在を確かめるために、自分が必要な人間だと思われているということを確認したいがために私を使ってきたわけで、私はあくまでも母親の自尊心を確保するための道具だった。必要な道具だったからそこにおいていただけなんですよ。私じゃなくてもよかった。ただちょうどよかっただけで、そのために手入れもしたんだろうし金もかけたから手放すのは嫌なんでしょう。でももし代わりになる道具がでてきて私が必要なくなれば簡単に捨てるだろうってことを私は知ってる。
道具が持ち主を愛さなきゃいけないんでしょうか。しなくてもいいですよね。理解すらしなくていいと思う。泣かせてもエグいとすら最近は思わないです。やりこめることはできる(そのあと包丁が出てきたりとか面倒なことになるので避けることが多いですが)。だって私は道具だし。都合のよいように使えなかったから泣いてるだけでただの子供なんです。あの人は私にとって脅威ではない。ただの面倒な子供で、縁を切ってしまいたい。でもあの面倒な子供は生きてきた年数分だけ聡く狡賢いやり方を知って、攻撃力は半端ないし、私も痛いのは嫌だし職や住まいや恋人を奪われるのは嫌なので空気のように消えていくしかないんだと思います。中途半端はよくない。やるなら徹底的に消息を絶たないと、たぶんいろんな意味で殺されるから。
デパスとベゲタミンを合わせて5〜7錠で死んでしまったのかー。
知人にメンヘラが多いので、「ベゲタミンを4錠ぐらい飲まないと寝付けない」や
「ベゲタミン含めて100錠以上飲んだけど死ねなくて胃洗浄苦しかったよ〜www」という話をよく聞きます。
5〜7錠では普通の人は丸2・3日ものすごく、ぐっすり眠るだけだとかなぁと。
お兄さんは同量飲んで全く問題なかったようですが、この薬の種類と量は通常の不眠の人には明らかに強すぎなので
日常的に強い不眠で、この薬をよく手に入れて服用していたのかもしれません。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1216042591/
2chのニューススレでは大阪話とメンヘラ話が入り交じっているのですが、興味深いレスを引用
75 名前:名無しさん@九周年 []: 2008/07/14(月) 22:52:44 ID:lMB1ViUJ0
悪性症候群てやつでしょ?
薬で中毒症状出るやつってたまにいるよ。俺も出たしw
確かにベゲタミンの成分クロルプロマジンにはめったにあらわれないものの、症状が現れたら怖い悪性症候群という副作用があり
最悪の場合死に至ります。この可能性もありますね。
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1179100.html
http://topnet.gr.jp/Hsiori/ZYUDAI/AKUSEI.HTM
78 名前:名無しさん@九周年 [sage]: 2008/07/14(月) 22:54:14 ID:XVQ9lMO00
いやいや、俺の元カノはべゲタミンAとB50錠、ハルシオン金銀を40錠、合わせて100錠近く
飲んだけど、ICUで回復したぞ。
ベゲ5??7錠じゃ年齢若くたって死なないって(笑)もっと他に飲ませてんだろ。
兄貴が女に睡眠薬飲ませてよからぬことをする前に、弟に飲ませて実験したら
死んじゃったと憶測してみる。
メンヘラカップルはいろいろ大変ですので気をつけましょう。主に別れ際。
126 名前:名無しさん@九周年 []: 2008/07/14(月) 23:09:07 ID:APH10AJ+O (4)
>>103
1.悪性症候群
2.吐いたものが気管に詰まる
3.毒物混入(今回たぶんこれかと)
署が錠剤を調べたとニュースにあるので、この場合はわざわざ偽の錠剤を作るより盗むなり横流しされた本物の錠剤じゃないかと思います。
薬は病院で、くれぐれもお酒と一緒に飲まないようにしてくださいね。
弟さんのご冥福をお祈りします。