はてなキーワード: 道路交通法とは
事故を起こした時に危ないのでシートベルトを付けようとしたら「シートベルトを付けるなんて、お前は事故を起こす気なのか! お前が十分に注意深かったらシートベルトは要らないはずだ! お前がちゃんと注意しろ! それで済むことなんだから!」みたいな理屈で僕に文句を付けてくる同期(♂)がいるのです。
シートベルトの着用義務は道路交通法に定められた事項ですので、これを破ることは明確な法律違反です。このことを上のようにして恫喝とともに強要するのは、反社会的逸脱行為といっても過言ではありません。運転を業務として行っているのであれば(多分そうでしょうね)その会社のコンプライアンスに関わる問題でもあります。大きい会社ならば総務・庶務セクションに担当部署があるはずなのでいちどそこにちゃんと話をしておくべきです。小さい会社なら、上長に書面でレポートし、対応がなされないのであれば警察に報告するつもりであると告げましょう。
きちんと対処しておかないと、問題化される事態に至った際に、見過ごしていたとしてあなたにも責任が及びますよ。
マジレスするよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%BF%83%E9%81%8B%E8%BB%A2%E8%80%85%E6%A8%99%E8%AD%98
また周囲の運転者はこの標識を掲示した車両を保護する義務を有し、幅寄せ・割り込みなどの行為を行なってはならないと定められており、表示車に対して幅寄せ・割り込みをした場合は交通違反となる
障害者や高齢者もわかば同様保護されてるけんね、同様に社会的弱者とされる赤ん坊が車にのっている場合もこの恩恵はうけられてしかるべきじゃないかな。道路交通法では規定されてないけど、もしも事故に発展したとき民事だったらそれなりに考慮されそうな気がするよ。
うちの姉も赤ん坊つれて車で実家にきたり病院にいったりするけど、車の中で赤子に泣かれたりするとやっぱり集中力途切れるべ。
さらに車の運転に不慣れな人だったりしたらベイビーインザカーとかつけて、周囲の車に掲示努力してるんじゃないかな。
そういう車に強引な割り込みとか幅寄せとか煽りとかはやはり考慮されるべき特殊事情なのではないかと思うよ。
「赤ん坊が要るんです!!」
若い奥さんが火事の家の前で泣き叫ぶ姿はヒーロー映画にありがちだろ?
そういうスチュエーション一歩手前だ。
痛いニュース(ノ∀`):「死刑で死ねる」 暴走車、次々に男女5人轢き殺傷→23歳男に無罪判決
フォーカスして空想する、世界を変えるには - 精神異常者を死刑にしたい人へ
再発の防止の役に立たないから、精神異常者を処罰すべきではない、とこの人は書いているけど、再発防止という意味であれば、「危険だと分かっている人物をもう一度野に放つのは危険」という判断は十分に妥当だと思うけれど。健常者であれば処罰が再発防止のための教育となるので、「もうこんな目に遭いたくなければ再犯するなよ」という”教育がなされた”と考えて釈放することもできるが、「精神をコントロールできない状況に陥ることを防ぐことをでき」ない人には”教育できない”と考えているのであれば、そんな危険物を身近(再犯可能な環境)に置いておくことはできない=死刑という考えもおかしくはないはずだ。
もう一つ気になったのは、心神喪失状態の者を罰するのは意味がない、わけではない、ということ。次のように意味がある。
自分も正常な状態になるまで拘束するということに賛成します。
ただ犯罪を犯した精神異常者の場合は、無罪となっても通常は入院措置になり、ある程度正常になるまで社会復帰は認められないはずなのでそこは心配ないと思います。
無罪、というと”拘束なし”というイメージが強いから、よけいに「腹立たしい」「再犯が予防されている気がしない」のだと思う。「精神異常で無罪(減刑)になるとこんなデメリットが!」「精神異常で罪を犯した人達はこんな治療を受けます、で再犯率はこれくらい!」という情報があるなら、きちんと流してやればある程度そのあたりは解消される気がする。
むしろ、退院した後のケア体制のほうが自分は心配です。
退院してしまえば病気を発症した以前と同じ環境に戻ってしまう。
そういう人たちをケアしてあげる組織が必要なのかもしれません。
これも「ケアする仕組みが無い」現状で、「仕組みができるまで野放し」か「仕組みができるまで拘束状態に」か、という判断ができると思うし、拘束状態=終身刑or死刑 と素人が考えるのも無理はない。
私は、一番大事なのは自分(や家族や身近な人)で、自分が将来的に事故に遭う確率はなるべく減らしたい。そのために「自分が将来的に精神病になる可能性」も考えた上で、「精神病者は無罪な社会」よりは「精神病が原因で事故を起こした者にも同等の刑罰を与える社会」の方がよい。受刑が困難な場合も、他の受刑中の病気の場合と同じくされるべきだ。
もちろん「神病が原因で事故が起こせないようになっている社会」の方が望ましい。が、現状はそうなっておらず、そのために私たちが何を負担しなければならないかが分からない現状では、前の二択からの選択になるだろう。
あとこの事件だと、刑法ではなくて道路交通法とかでは処罰されてるのかな?道路交通法できちんと5人を轢いた分の処罰がされていて、普通の事故と同じように賠償責任などが生じているのであれば、とりあえずそれで納得なんだけど。
不二家の問題は食品の衛生の問題と言うよりは、メディアリテラシーの問題の様相を呈してきた。つまり「これだけボロクソに叩かれるほどの問題なのか?」ということだ。
今回の賞味期限切れ材料の使用問題や、蛾の混入問題などは、そりゃあ善か悪かで言えば悪であろう。だが、食中毒すらほとんど出していない(過去食中毒が出たことがあるが、それは今回の問題と関係ない)、ましてや死者など全く出ていない現状、不二家をぶっ潰せの勢いで過剰報道を繰り返すマスメディアには強い危惧を覚える。この問題が報じられるとすれば、
という情報が付属されていないと、最低限の客観性すら担保されていないと私は思う。まあこれでも不充分だけど。
おれ「い、いや、でも車は来ていなかったですし……」
マスコミ「お前は道路交通法に違反している! お前のような奴がいるから自動車事故はなくならないのだ!」
おれ「いや、でも、他の人も渡ってますし……」
マスコミ「そんなのは金にならないから報道しない! 視聴者はお前が叩かれ、ボロボロになり、首をくくるところを楽しみに待っているんだ! 我々は視聴者が望むものを報道しているのだ!」
おれ「そ、そんなぁ……(高橋陽一風)」
ひとつの微罪(だかなんだかは私は詳しくないので判らんが)を見つけると、針の穴を広げるように一転突破で叩きまくり、しかも客観性がないというのはもはや報道ではなく、単なるプロパガンダに過ぎない。その昔「年金未納者叩き」というのがマスメディアで流行ったことがあるけれど、あの問題はその後どうなったのだろう? 政治家を何人も辞任に追い込み、国政を混乱させてまで報じるほどの問題だったのか。それほどの問題だったのならばなぜ今は報じられていないのか。不二家の問題はひとつの企業を潰し、大量の失業者を発生させかねないという社会的リスクを負ってまで報じるほどの問題なのか。
最も問題なのはこういう低レベルな報道の姿勢ではなく、報道のあり方を巡る送り手・受け手の意識の問題にあるだろう。受け手は「食品の衛生を巡る諸処の議論……」云々よりも、「不二家は悪魔の企業だ! 諸君、奴らを石持て追え!」の方が判りやすいし、何よりも面白い。送り手の中にはもっと突っ込んでこの問題を取り上げたい人もいるだろうが、「金にならない」という理由で次元の低い方法を選択せざるを得ない。このような負のスパイラルの中で、報道の客観性は失われ、報道局はプロパガンダ機関と化していく。
こういう時に大事なのがNHKのような特定のスポンサーを持たない企業であるのだけれど、どうもNHKの報道姿勢も民放とどっこいどっこいのようで、これは情けないとしか言いようがない。NHKのような機関が積極的に報道のレベルを上げていかないと、いつまで経っても負のスパイラルは終わらず、視聴者の自己満足が満たされるだけで問題の本質は何も変わらない。くだんの「秋山問題」でもそうだったけれど、いつになったらこんな地点を脱却できるのか、道のりは遥か遠いと言わざるを得ないだろう。私に出来ることはこうやって少数の読者に問題意識を投げかけるぐらい。無力を感じる。