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2014-02-13

河内守の件で思い出した長年の疑問

実はゴーストコンポーザー作曲していたものだし、そもそも聾ではない疑惑もある佐村河内だが、もともとの物語全聾作曲家の生んだ奇跡音楽みたいな話なわけだ。作曲にとって最も重要感覚である聴覚を失いながらも名曲(?)を生み出したというのは(今から思えば)信じがたいことではあるが、しかベートーヴェンという先例があるので受け入れられる素地はあったのだろう。従来より楽聖全聾説には疑問が挟まれているが、よほどクラシックに関心でもなければ知らなくても当然である。もちろん、仮にベートーヴェン全聾でなかったとしても、難聴を抱えながらあれほどの傑作群をものしたのは奇跡だ。

そして私はもうひとつ似たような奇跡を、そしてベートーヴェンよりはるかに信じがたい奇跡を知っている。すなわち、塙保己一である

日本文学日本史を主とする一大叢書『群書類従』、『続群書類従』を、そして『大日本史料』のベースとなった「史料」を編纂した保己一は全盲であったという。信じがたいことである。単に読んだもの(読んでもらったもの)をほとんど記憶しているというだけならば、問題は記憶力のみであり、そういう異能者の話は稀に聞くので信じられないではない。たとえば、井筒俊彦の家を訪れたアラブ第一の学者が、本棚にずらりと並ぶ本を見て、「本が焼けたらどうするんだ。お前は火事とき研究ができなくなるのか」と笑ったとか。もちろんこの学者必要な物はすべて記憶していたわけだ。

しかし、編纂である。複数の本から善本を選び、校合して本文を確定するのだ。しかもその中には大量に漢文(変体漢文)が含まれているのである。これらの作業に最も重要感覚視覚であることは言うをまたない。目で見れば即座に違いがわかり、どの漢字を使っているかを認めることができるのだから。つまり保己一は編纂作業に最も重要感覚を失いながら、日本史に燦然と輝く大偉業を成し遂げたのだ。

正直信じられない。意味がわからない。実際には、プロデューサーディレクター役割を果たしたのであって、実務にはそんなに噛んでなかったのか。仮に編纂実務に携わっていたとしたら、どのように行っていたんだろうと疑問に思っているんだけど、その点について詳述したものが見当たらなくて困っている。なんかいいのないかな。

 
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