はてなキーワード: 歴史修正主義とは
男「悪い、その日は「南京大虐殺を考える会」があるから行けないんだ。
よかったら君も一緒に行く?」
女「えーでも私そーゆーのに興味ないしー」
男「なんだと!?興味を持たないこと自体が歴史修正主義に無自覚に加担して(ry
こういうことですか?わかりません!
すげえ…増田こええ…
最初の時点で歴史の「れ」の字も出してないのに、歴史修正主義者、終いにゃエロゲヲタ呼ばわりされた…
無関心だとしか言ってないのにフルボッコにされるとは…
http://anond.hatelabo.jp/20100822064429
■「無関心は罪」、って言われてもなぁ
みんな有限なリソースの中で生きてるわけだし、あらゆる出来事に関心持つなんて出来ない。
「歴史修正主義」って「非国民」と同じで便利な言葉だと思うんだよねえ。そもそも、「真」の歴史なんて誰も知らないのに何をもって修正主義というのか。
ツリー読んでから書き込めよ
リフレ派論者との対話を通じてリフレ派全体が歴史修正主義に寛容であることが暴かれたの
じゃあ何度も言うが「反歴史修正主義派」が不完全にであってもコントロールされているような組織の「代表窓口」を挙げてみてくれよと。
誰かが言ってた政府は却下な。早い話野党やNGOが政府のコントロール下にあるわけがないし、与党はむしろ政府「を」コントロールする側だから支離滅裂で論外。
意味不明。「反歴史修正主義派」って政府の犬なんですか。知らなかった。
あのね、俺は「わが国の歴史認識」なんてものに興味はないの。Apemanをはじめとして「反歴史修正主義派」を自認する人間がどういう「コントロール」を受けているかを知りたいわけ。なにしろあなたによると、ある政治的行動をしている団体は全てどこかの「コントロール」を受けており「代表窓口」があるそうなのでね。
組織がないからまともな集団とは限らないという話。
誰がそんなこと言ったのかね。
ああそう。じゃあ、たとえば「反歴史修正主義派」の「代表窓口」ってどこにあるのかな?民主党?金子がいるんだからちがうんだろうね。社民党?共産党?まさか。いったいどこにあるのかな????
そして、Apemanとかhokusyuこそがまさに「反歴史修正主義派」が「ある程度の節度」を守っていない格好の実例じゃないか。
あなたの言っていることはどう見てもファシズムです。本当にありがとうございました。
ああ、そういうことか。要するにあなたはApemanを過大評価(英語だったら皮肉込みでmisoverestimateとか書くところだけど)してるわけだ。
何を今さらだよ、正直。Apemanが「本気で噴き上が」ってるのはいつものことだから。
良くも悪くも自分が「歴史に詳しい一ブロガー」にすぎないということを見失っているとしか言いようがない。
歴史修正主義を一つ一つ地道に批判していればそれだけで功績になるものを、余計な蛇足を付け加えて台無しにしてばかりじゃないか。
で、「リフレ派」という組織が実態として存在するわけ?意味がわからない。
早い話、「反歴史修正主義派」という集団は政治行動しているが、「反歴史修正主義派」の誰かが失言したらそれは「反歴史修正主義派」全体が総括を迫られることになるわけか?それってネトウヨ論法そのものじゃないか。
文意を組めないネトウヨ乙。
反論出来なくなると重箱の隅を突付いて揚げ足取りか。
読めば意味分かるだろ。
国語の成績悪かったんだろうなあ。
Apemanさんたちがしているのは、リフレ派(の多く)は歴史修正主義に鈍感だという批判であって、リフレ政策は歴史修正主義的だという批判ではない
これはApeman氏らが甘い、というか、変な倫理観が邪魔してるんじゃないだろうか?
現状、リフレ派には左翼的な人がほとんどいないか、いても歴史修正主義を批判しないファッションサヨクしかいないわけで、
リフレと言う概念が生まれて軽く半世紀以上経ってる状態でこれなら、
「リフレ政策は歴史修正主義的」と断言してしまっても問題ないんじゃないかな。
追記
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100822/p1
「無関心な奴は敵だ」まで仰っているのだから、今更リフレ派を敵認定しても問題はないでしょう… 実際敵だし。
http://anond.hatelabo.jp/20100821011138
の元増田です。
> それから、私が昨日のエッセーのようにリフレ論を説得しようとすることを、そこに論点がないはずなのに的外れなことをしているととらえられる向きもあるようですが、ご理解いただきたいのは、リフレ論というものが内的論理の必然としてナショナリズムに結びつくものなのではないということなのです。そこに必然的な結びつきがあるのならば、右翼政治家の言動にリフレ論者がみな責任を問われなければならないかもしれませんが、実際にはむしろ、リフレ論は左翼にこそ整合的です。石原都知事が重商主義的経済観をお持ちなのは彼の国粋主義的政治信条とつじつまが合うのですが、リフレ論の経済観は重商主義的経済観とは相容れないものです。後からユーザーとしてリフレ論を取り入れた政治家が、たまたまそれとは本来矛盾するナショナリズム的政治信条を持っていたとしても、リフレ論自体がそのことに責任を問われるものではないということを言いたかったのです。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html
の「とらえられる向き」とは自分のことかと思いましたので。
「後からユーザーとしてリフレ論を取り入れた政治家が、たまたまそれとは本来矛盾するナショナリズム的政治信条を持っていたとしても、リフレ論自体がそのことに責任を問われるものではない」とはそのとおりでしょうが、その手の「ナショナリズム的政治信条」を、能動的にか受動的にかはさておき、認容するリフレ論者は、そのことの責任を問われるものでしょう。
> いわゆるリフレ派は本当にいろいろな立場の者がいるのですが、どうもいろんな政策のパッケージで一枚岩の集団に見られているようで困っています。いろいろな政策軸で論者のマップみたいなのを作ったら、一般にわかりやすくなるのではないかと思うのですが。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html
今回の問題について、「一枚岩の集団に見られている」原因は、リフレ派側にあるんじゃないの? 歴史修正主義そのものについてApemanさんたちに論争を挑んでいる人なんていませんよね? リフレに比べれば歴史修正主義等は瑣末な問題で、それにこだわるサヨクがどーたらこーたらというように、わざわざ「リフレ」というキーワードを絡めたコメントばかりでしょ? 「俺はリフレ派だけど、それとは別の問題として、歴史修正主義は…」というような議論をした人がいたでしょうか?(歴史修正主義に批判的な立場の表明は、rnaさんと松尾さんがしたけど)
まして、同じ人を出すのもどーかと思いますが、
>あとは今回もそうだけど、リフレに全然関係ない、まあ、僕からみてもあまり周到に考えられてないつぶやきを大きく拡大解釈し、「歴史修正主義」だとか「右派」だとかさわいでリフレ主張のイメージダウン狙う姑息な戦略ね。これもこの10年でいろんなヴァージョンをみてきたが、得るべき教訓ゼロ
http://twitter.com/hidetomitanaka/statuses/21748207242
でしょ? Apemanさんたちがしているのは、リフレ派(の多く)は歴史修正主義に鈍感だという批判であって、リフレ政策は歴史修正主義的だという批判ではないのに、頭が悪くて誤読しているのか悪意があってすりかえているのかは知りませんが、的外れな反論をした上で、反リフレ陰謀をたくらむ「一枚岩の集団」的なレッテル張り。
松尾さんがApemanさんたちに反論をし、田中さんは黙認・放置しているということは、松尾さんが田中さんがしているような言動を許容しているという意味での「一枚岩の集団」の一員だということ。「リフレ」とさえついていれば、陰謀論だろうが誹謗中傷だろうが(経済学以外の、たとえば歴史学の)「専門知」を軽視しようが受け入れられる、松尾さんはそういう人なんだな、と思われても仕方がない。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100821/p1
実際、歴史問題に関心持ってるのは一部の左翼とネトウヨだけだし、
一般人はウヨサヨの罵り合いをドン引きしながら見てるだけだろ。
選挙の時に候補者の歴史認識を考慮する有権者なんてごく一部で、
大抵はみんな景気対策とか福祉とか減税とか、生活に直結する問題で投票してるわけで。
世間のほとんどの人の態度がそうである以上、リフレのみを共通項に集まった集団が、
歴史問題に対してそういう態度になるのは当然といえば当然で、
別にリフレ派だけじゃなくて、ウヨサヨと関わりが低い政治テーマで集結したら、
どんな集団でも同じような事になるんじゃないか?
この理屈で言えば、社民党・共産党以外は「歴史修正主義政党」呼ばわりされるだろうし、
Apemanさんをはじめ、リフレ政策の有効性を疑っていたりするわけではないのに、
> Apemanさんや、コメント欄にお書き込みの仲間のみなさんのような方々にこそ、是非拙著を読んでいただきたいと思っております。私がそこで主張しておりますのは、左翼的価値観の望むことを実現するためには、不況の脱却は必要条件だということです。十分条件ではないかもしれないが、必要条件。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100820.html
みたいな反論をしても、意味がないというか、そういうことを問題にしているわけじゃないのに、「リフレ派」はそういう問題のすり替えをする、とますます問題を悪化させるような。
たぶん、Apemanさんたちの問題意識の理解は、やはりrnaさんがもっとも本質をついていて、
>クルーグマンを読んで欲しいというのはその通りなんですが、今問題になってるのは「リフレ派政治家がクルーグマンじゃなくてアイヒマンだったら、それでも支持するの?」みたいな話です。いや、それは極端かな。。。
http://d.hatena.ne.jp/rna/20100817/p2#c1282255089
というところのはず。松尾さんはこの点には楽観的で、
> ともかく、リフレ派は組織でも派閥でもない上に、金子議員はリフレ派の中でもただの一ユーザーで、リーダーでもなんでもないのですから、リフレ政策に賛同することが金子議員の主張を許容することになるわけでは全くありません。別に自ら「リフレ派」と称さなくても、失業者をなくすために、多少のインフレはむしろ望ましいものと思って、無からおカネをどんどん作る政策を要求なさるならばそれでいいのです。その経済的なメカニズムについては、是非拙著をご検討下さい。
とのことですが、理屈では「リフレ政策に賛同することが金子議員の主張を許容することになるわけでは全くありません」と言えても、リフレ政策への支持がリフレ政策を主導する議員への支持として世間的には影響を及ぼす可能性があるのだから、松尾さん、人が良すぎ、ということ。
>それなりの規模の騒ぎにはなってるにもかかわらず、結局 rnaさん以外にはただの1人も「いやなるほど、たしかにレイシズムや歴史修正主義は問題だ。緊急の問題への取組みが一段落したら注意を払おう」ってリフレ派は現われてないですよね。これってあまりにも示唆的すぎると思うんですが。
http://d.hatena.ne.jp/rna/20100817/p2#c1282306601
というApemanさんの指摘に対して、リフレが成功したら少なからぬ人が反対するよ、といっても納得してもらえるわけない。それどころか、
>まあ、率直にいって、いまさら右派と左派とかよく本人もわかってないような対立軸持ち出して、ある特定の経済政策を主張する人を批判する場合は、1)その主張する人が感情的に嫌、2)別な私的利益を守りたい のいずれかでほぼ間違いないと思う。そうでなければ、ただの古臭い思想ボケ
http://twitter.com/hidetomitanaka/status/21626737559
なんていう人が主要なリフレ派の一人なんですから。Apemanさんたちがこれまでいろいろ積み重ねてきたものを、こんな風に踏みにじられておいて、それでもリフレ政策推進に協力すべきだなんて言われて、それはいくらなんでもひどいじゃないかと反論すれば、リフレ政策がわかっていないんじゃないかなんて。
もちろん、松尾さんがそうした主張の持ち主でないことはよくわかるけど、こういう言動を批判せず許容しておきながら、リフレ派はカルトじゃないとかいっても、白々しく聞こえて当然。
http://anond.hatelabo.jp/20100629192614
現在、悪魔として密教系の邪教団を支配して…(http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1179930)に対して。
-高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。現在、悪魔として密教系の邪教団を支配している。 +高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。# vironviron 2010/06/30 00:13 「はてなキーワード作成・編集ガイドライン」違反となる「悪意や嫌がらせを目的とした内容/ 中立的でない偏った内容/客観的事実ではない内容」を修正しました。
と当然ながら削除。これに対して
-興教大師(1095~1143)平安時代後期の密教僧。 +(1095~1143)平安時代後期の密教僧。高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。現在、悪魔として密教系の邪教団を支配している。 -無常観と浄土教が広がる世に、大日如来を中心とするマンダラ思想を説き真言宗の中興の祖とされる。 -高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。 +『エクソシスト入門』――実録・悪魔との対話 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。# hikarinobosatuhikarinobosatu 2010/06/30 13:40 覚鑁は悪魔として密教系の邪教団を支配している。『エクソシスト入門』――実録・悪魔との対話 大川隆法著(幸福の科学出版刊)にも書かれているように、霊的な事実です。
と差し戻し。
-(1095~1143)平安時代後期の密教僧。高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。現在、悪魔として密教系の邪教団を支配している。 + (1095~1143)平安時代後期の密教僧。高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。 -『エクソシスト入門』――実録・悪魔との対話 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。
「霊的な事実」というのは言い換えれば自身で拵えただけの「事実」なわけですよ。
これが歴史修正主義ってやつなのかしら。
横ですが
あなたが恣意的なのは
ではなくて
あなたが強調した部分
日本の韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある
ではないかな。
「他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」
引用している部分の選択が恣意的であることは、Anne BoothがKimuraやCumingsやKohliの文献を引用しているし
それ以外の多数の論文を考察して結論が異なっていることから分かるという話じゃないですか
現時点で、門外漢がどちらを信じるべきかと考えた場合には、やはり学界の多数派であり、多くの一流ジャーナルにアクセプトされている「歴史修正主義者」側の見解を採るほうが客観的でフェアな選択であると思います。少なくとも、「自分の政治的な意見にとって都合のいい方だけを信じる」という、安易な選択よりは遥かに望ましいでしょう。
これもあなたが匿名である以上フェアかどうか分からないんですよ。
あなたが門外漢かどうか分からないんですから...
http://anond.hatelabo.jp/20100121011555
元増田です。
結論を見ると、元増田と異なっている。
ご紹介頂いた論文の最初の文章をご覧下さい。
"Since the 1980s, a widespread view has arisen in the literature that the post-1950 economic successes of Taiwan and the Republic of Korea have been due, in part at least, to the legacy of Japanese colonialism."
とありますよね。現在進行形で記述されている以上、「1950年以降の台湾と韓国の経済的成功は、少なくとも部分的には、日本の植民地政策の遺産に依っている」という説は、30年間にわたって、そして現在も、「広く知られた見解」なのです。もしこの見解が実際にはマイナーなものに過ぎず、私の恣意的な選択によってあたかも広く受け入れられているかのように錯覚させているだけだと思われるのであれば、是非その根拠をお聞かせ頂きたいと思います。私は紹介した論文以外にもいくつかの論文のliterature reviewを参照していますが(議論の大枠をつかむにはこれが一番手っ取り早い)、この見解が学界で広く受け入れられているものであることを疑わせるような記述はただの一つも見つかりませんでした。A Boothの論文も、「歴史修正主義者」の見解がどのようにして学界で広まり、議論が深められていったかを丁寧に説明していますよね。この最初の数段落はサーベイとして良くまとまっていると思いますので、是非ご一読ください。
もちろん、この見解には反論も提出されています。私の最初のエントリーで紹介したHaggard, Kang and Moon (1997)がそれです。ですが、Haggard, Kang and Moonの論文が世に出て10年以上、依然として彼らが異を唱えた見解は広く受け入れられていることはBooth自身が指摘しているわけで、彼らの反論が受け入れられなかったことは明らかです。Boothの論文はまだ発表されて3年ですので、この論文の影響を測るのは難しいですが、比較的似たKimura (2005, JEH)の論文(前のエントリーで紹介済み)と比べて、発表されたジャーナルの格が全く違います(主観的な感想をお許し願えれば、論文自体の説得力もKimura, 2005が遥かに上であると思います)。現時点で、門外漢がどちらを信じるべきかと考えた場合には、やはり学界の多数派であり、多くの一流ジャーナルにアクセプトされている「歴史修正主義者」側の見解を採るほうが客観的でフェアな選択であると思います。少なくとも、「自分の政治的な意見にとって都合のいい方だけを信じる」という、安易な選択よりは遥かに望ましいでしょう。
私自身もブログは持っていますが、この手の話を書くと、議論の内容ではなく、「自分の意見の味方であるか敵であるか」だけに注目して妙な感情論を投げてくる人が多いので、政治宗教プロ野球の話は原則として益田を使うことにしています。妙に興奮した感情論にいちいち答えるのは疲れますから。
また、この件で匿名で書くか実名か、またはペンネーム(id)を使うかが何か重要な違いをもたらす理由が良く分かりません。重要なのはプリンストンのKohliやイェールのReymonds、またはご紹介いただいたSOASのBoothが口をそろえて指摘する、「1950年以降の台湾と韓国の経済的成功は、少なくとも部分的には、日本の植民地政策の遺産に依っている」という見解が広く受け入れられている、ということを信じるかどうかであって、私の個人的見解は披瀝してもいませんし、信じてほしいとも思っていません。
若干突き放した書き方をしますと、あそこまで書いても、中身も読まずに「検討に値しない」とか言ってしまう人は、私が想定する読み手ではないのです。(こういう放言が出来るのも増田のメリットと言えるかもしれませんね。)
http://anond.hatelabo.jp/20100119124726
上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。
植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地は近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。
最初にいただいた反論は、日本の植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人の生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。
まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業は植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。
また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主の土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。
重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。
で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮の生活水準:大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学の木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、
この論文では日本統治下での朝鮮大衆の生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入、農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆の生活水準は植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。
言うまでもなく、識字率とはハングルの識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまいな言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者のアマルティア・センの生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産や効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率、栄養摂取などに着目しようというものだ。
ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人の身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人の健康を損ねるレベルでカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。
一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。
これらの要素から、木村教授はアマルティア・センの基準に基づいて、
M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.
http://www.jstor.org/stable/2122408
日本は英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義や排外主義の立場の人の言い分ですね。
しかし香港やシンガポールは英国の植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。
この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中の植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮と台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリスの植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、そしてポルトガル。アフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチの宗主国はフランスである。
http://www.jstor.org/stable/2724912
あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人の努力の賜物だとも言えますよね。
まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。
教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。
後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリーで引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮の鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。
前段については、「北朝鮮が経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国の経済成長が韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験や技術、各種インフラ、教育制度、官僚機構などを日本の植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長の必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本の植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。