はてなキーワード: けいおんとは
けいおん二期でここまで退屈な方法しかとれなかったのは、直前のハルヒ二期が冒険のしすぎで大ひんしゅくを買ってしまったことが原因かも知れないな。
株主だか委員会だかにそのことを問い詰められた結果、けいおん二期では自粛して思い切ったことができなかったのかも。
ハルヒの失敗を一刻も早く挽回しなければいけなかったと考えると、けいおんの二期が発表された時期も、ちょうどぴったり当てはまる。
2009年に放送され、ヒットを記録した「けいおん!(一期)」はまだ記憶に新しいが、その続編である「けいおん!!(二期)」の人気にはいささか翳りが見えてきているようである。
まず、客観的数値として一番わかりやすいそれぞれの初動売上を比較してみよう。
一期1巻:40,452
二期1巻:33,078
数字としては約2割も売上が落ちている。
もちろんキャンペーンの差であるとか、様々な要因が考えられるが人気作の続編としてこの下落率は大失敗と言わざるを得ない。
ここで本題である、「なぜけいおん二期は失敗したか」について考えてみたい。
あまり長いことを書いても読んでもらえないと思うので真っ先に考えられる一番シンプルな理由だけを極々簡単に紹介してみたい。ずばり、二期は全体的にヌルいということである。
一期は言うまでもなく高校入学から軽音楽部入部、そして初めての楽器演奏といった主人公唯の成長譚としても観ることができた。そして1クールという短い回数の中で二年間の成長がうまくまとめられていた。
まじめに練習しているシーンがないと重箱の隅をつつく人もいたようだが、短い尺に納めるため、練習していることは前提としてそれ以外のより重要なシーンを描くことに重きを置いたと解釈するのが自然だと思う。
一方で二期目はどうか。そもそもの話として、二期は一期の成功を確認した上での企画であると思われる。二期を観ていると一期で評価された部分にスタッフが味を占め、そこをあざとく強調しているようにしかみえない。
もちろん一期の短い放送回数では描ききれなかった日常シーンを望む声はあるだろう。けれど、実際に放送された二期をみると制作側からのチャレンジ精神は見えてこず、安易な需要へのフィードバックだった。
つまり、二期は「空気系」および「日常系」といった単語で安全圏に引きこもり、惰性でなんの起伏もないシーンをだらだらと続けているだけである。
過去に大ヒットを記録したアニメは例外なく多くの論争を巻き起こした。某ロボットアニメを例にとるまでもなく、歴史に残るような作品はすべて多大なる長所と短所を包含し、ネット論壇において、放送当時はもとより未だに議論の対象となっている。
ここでけいおん二期に話が戻ると、この作品に至っては「短所」がほとんど存在しない代わりに「長所」も皆無である。一期の成功を前提に無難に無難に作られた作品であるが故に評価すべき点がまったくと言っていいほど見あたらない。
ネットを見渡してもこの作品について精緻な考察を繰り広げているブログも存在しないのではないか。あるのは、キャラに対する表面的な萌えの声や、“あるあるネタ”への共感のみである。
「けいおん!」(一期)は確かにヒットした。時代をうまく汲み取っていたし、批評性があるように思われた。けれどそれに続く二期は、うまみを知って舞い上がった制作陣による、薄く引き延ばした劣化レプリカ、失敗した二次創作、もしくは傲慢な京アニから放たれる醜悪な排泄物にすぎない。
京都アニメーションはこれまで時代性をうまく作品に反映し、優れた技術と相まってその時々を代表する作品を生み出し続けてきた。そういったアグレッシブなメンタリティこそが京アニの真価であり、圧倒的な人気を誇ってきたゆえんでもあろう。
その京アニがけいおん二期という冒険心のない凡作を生み出してしまったという事実は大きい。
一般メディアや中高生向けクラスタへの露出の多さから関連商品は売れ続けるだろうが、その求心力はどんどん衰えていくだろう。
確かに新しいことにチャレンジすることのリスクは大きい。それが京アニという巨大ブランドであればなおさらだ。しかし、当初のコンセプトを失い、目の前にぶら下がった利益だけをむさぼり続けた企業が衰退していくことは歴史が証明している。
京アニには腹の周りについた醜い贅肉をそぎ落とし、いつまでもラディカルな制作集団でいてもらいたい。けいおんはその意味でとてもいいクスリになったはずだ。
池上彰「今回、なぜ、平野綾さんが恋愛経験を語っただけで騒動になったのでしょうか?ひとりさん分かります?」
劇団ひとり「え~っと 綾ちゃんがアイドル声優だからですか?」
池上彰「正解です。その通りなんですね。では、なぜアイドル声優だから、これ程騒がれるのか解説していきましょう。
キーワードは『アイドル神話の崩壊』です。従来、アイドルと呼ばれる人はトイレにもいかない、虚像的なイメージを持っていたんです。
それが80年代に入り、おニャン子クラブの登場でごくごく普通の女の子がアイドルになって、この神話は崩れました。でも、もうお判りですね。土田さん?」
土田「そのアイドルの代わりに声優さんが、このイメージを持つようになった……」
池上彰「そうなんです。アニメという二次元的なイメージと密接に関わる声優さんは、虚像的なイメージをもたれやすいです。
『声優は最後のアイドルだ』と言う人も少なくありません。彼女たちもこのことをわきまえて、アイドルを演じています。
その筆頭格の一人であった、平野綾さんが恋愛経験を語ったんだから、騒動になるのも当然なんですね」
柴田理恵「ああーなるほどー」
池上彰「いい質問ですね。この騒動で幻滅した平野綾さんのファンは、スフィアの四人に移行すると言われています。
彼女たちは11月に武道館ライブも決定しています。言わば、ノリにノッている声優グループです。
平野綾さんの騒動が彼女たちの更なる起爆剤になることが予想されています」
池上彰「そうなんです。ひとりさん!!いい所に気が付きましたね~
平野綾さんの代表作と言えば『涼宮ハルヒの憂鬱』ですね、彼女のファンの多くはハルヒからファンになったという人も少なくありません。
スフィアで一番人気と言われている、豊崎愛生さんは『けいおん!』の平沢唯役で大ブレイクしました。
土田さん、もう、お判りですね?」
池上彰「そうなんです!この現象は京アニブームの移り変わりを上手く象徴しています」
柴田理恵「じゃ……綾ちゃんはどうなるの?」
池上彰「またまた、いい質問ですね~ 恋愛経験を語ると同性に好かれます。
昨晩の騒動は熱狂的だったファンを減らして、代わりにライトな女性層を獲得する意図があったですよ。
これが成功したかどうかは、これからの彼女の頑張り次第です」
劇団ひとり「いやー、すごくよく分かりました」
池上彰「でも、皆さん、これだけはわかって下さい。演じるということは経験を積むということです。
普通の女性のように恋愛経験が合ったほうが演技に幅が出ると思いませんか?
彼氏が居ても、居なくてもファンは一途に応援しましょうよ」
柴田理恵「そうよね。22歳で恋愛経験が無い方がオカシイわ。アタシだって、綾ちゃん位の歳で彼氏居たわよ~」
池上彰「最後に答えづらい質問が来ちゃいましたね(汗)~
えー喜多村英梨さん、伊藤かな恵ちゃん、花澤香菜たん、スフィアの四人も当然好きですね。
一同「ハハハッ」
池上彰「いや〜でも、それだけ魅力的な声優さんが多いですよ〜 皆さんも好きな声優さんを見つけて素敵なボイスライフを送りましょうね。本日はここまで、ありがとうございました」
積みアニメも増えた。
なんというか見るのが面倒くさい。遊ぶのが面倒くさい。
確かに一度はじめればのめりこめるんだが、そこまで自分を持っていくのが面倒というか。
そこまでして遊ぶほどのもんかなと思ってしまったり。
去年までは大丈夫だったんだけど、今年に入って急にこんな感じだ。
どうしちゃったんだろう。
鋼のもけいおんも3ヶ月前の分から溜まってる
いつもだと続きが気になって仕方なくてアニメなんかだと原作でストーリー追いかけようとまでするのに、
最近はもう、「どうせあと6回で終了なら、もう見なくてもいいか」なんて気になってしまう
漫画の新連載も読む気が起きない
こんなんでいいんだろうか
若いのに何枯れてんだろう俺
俺は全く見たこと無いし、少なくとも俺の周りで見たと言った奴はいない(こっそり見てるかもしらんけど)。
澪に恋に落ちた。
いやね、けいおん!、けいおん!!ともに全話見てるんだが、今までは澪はそんなに好きじゃなかったんだ。むしろなんだこの狙ったキャラは、舐めてんのか、って思ってた。あずにゃんぺろぺろとか言ってた。みちあるいてるときも、たばこすってるときも、ぼーっとしてるときも。
それが、突然。日笠陽子さまを見てから。ぴかしゃかわいいよぴかしゃ。うがぁぁ。YouTubeとかにライブ映像あがってたじゃないですか。あれで泣いてるのがもう、もう、もうっ!!
それ以来ブログ、らじおん、ぴかしゃの出てる他のアニメ、ネットストーカーでごぜえます。けいおん全話見返しても澪しか見てないというか澪の姿をした日笠さまを追っている。これまで声優に興味はなく、声優ヲタとかは作品を見てない(キリッ っとか言ってましたよ そ れ が な に か おれはもうだめかもしれない かあさん、ごめん みおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉー00---=--!!! ぴかしゃー0----ぁあだdsふぁs
誰かたすけて
大体言っていることは同意できるのだけど二つだけ気になる点。
1.咲って言われているほど失敗してないよ。
咲-sakiって8000枚くらいは売れていますよ。そりゃけいおんに比べたら見劣りするけど、これだけ売れれば充分合格点。けいおんについては、私の直感だから、ソースを出せと言われたら困るのだけど、女性ファンについては高校生以上の人はほとんど居なくて、小中学生以上の若くて購買力のない女の子がファンになるケースが多い気がする。実際女性ファンが多い作品ってDVDが売れる傾向が強いんだけど、ほとんど売れていないし、当たらずとも遠からずな気がする。
2008年夏にストライクウィッチーズが起こした奇跡はまだ記憶に新しい。
ヤマトからガンダムそしてエヴァへと続いたSFアニメ、エヴァ以降に生まれ席巻した萌えアニメ、その両方を奇跡的なバランスで兼ね備えた名作である。
00年代末期にして生まれた00年代の代表作である事は誰もが疑わない事であろう。そのDVD第一巻の売上は推定累計15000本の大ヒット。
だが後の「けいおん!」の50000本、「化物語」の80000本と比べると見劣りしてしまう。
この2作品は実に特殊である。化物語の特徴的な演出は普遍性があるとは言いがたいし、けいおん!に至っては本放送当時、多数の同業者が首を傾げた事実がある。
そんな言わば傷物の作品が何故これほどまでの売上を誇る事が出来たのであろうか。
結論から言ってしまうと「女性アニメオタクにも配慮した結果」である。
化物語も個性あふれる多種多様なヒロインが登場する作品であるが、原作からして女性ファンが多く、アニメも人気男性声優を起用する事で
否応なしに女性を惹きつける事に成功している。
けいおん!は劇中に女性キャラしか登場させず、ヒロイン達も非常に媚びた言動をするキャラクターであり、一見男性向けのように感じるが
その実、女性の嫌がる性的要素を徹底的に排除してあり、加えて、京都アニメーションの高い演出力によるリアルな描写に反した
いかにもアニメ的な言動をするキャラの“ちぐはぐさ”が、逆に「これはフィクションなんだ」と無意識に訴えかけ、女性に抵抗を感じさせない。
そして決定的なのがキャラクターデザイン。いわゆる「萌え絵」と言うものが浸透した現代において明らかに異質な絵柄。何と言うか、非常に“ブサイク”
まるで平安美人のようである。この絵柄は近年の京都アニメーション作品の中に蔓延し「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期の中にも見え隠れしている。
特に「らき☆すたin武道館」におけるこなた達を見れば、いかに“けいおん顔”がブサイクであるかは誰でも容易に一目瞭然である。
だがしかしこのブサイクさが重要なのである。「家庭教師ヒットマンREBORN!」におけるヒロインへの女性からのバッシングを代表するように
女性オタクは非常に嫉妬深い。アニメキャラクターへも容赦なく負の感情をぶつけてくる。
けいおん!はあえてキャラクターの外見をブサイクにする事でそれを回避する事に成功しているのである。
そういった様々な配慮により、女性の目にも耐えうる作品になっているのである。
こう言った要素の片鱗は08年秋から始まった「とある魔術の禁書目録」に感じられ、翌年の「とある科学の超電磁砲」に引き継がれる。
09年「けいおん!」から始まり「化物語」「とある科学の超電磁砲」と女性配慮アニメが台頭する中にあっては
男性主観の象徴である百合アニメ、そのブームの延長線である「咲-saki-」が失敗し、「大正野球娘。」が不発に終わったのも時代の必然だったのである。
時代。そう、ストライクウィッチーズ誕生の奇跡によってアニメは一つの限界を向かえ、新たな時代へと進まざるを得なかったのである。
そして10年代に突入した現在、女性配慮の意思を受け継いでるアニメがある。それが「WORKING!!」「Angel Beats!」である。
WORKING!!も「けいおん顔」のようなブサイクさを踏襲し、化物語のように男性キャラクターを兼ね備えている。EDで男性キャラクターを立たせているのは
「バカとテストと召還獣」でも見られた手法だ。そして「種島ぽぷら」のような扇情的な造形をし、女性の逆鱗に触れるようなキャラクターは不自然なまでに隅に追いやっている。
こういった細かい「配慮」で非常に少ない放送局でありながらDVD売上30000本に届こうかという勢いを叩き出している最中である。
そして「Angel Beats!」だ。このアニメも近年のアニメとしては男性キャラクターが多く、直井というキャラに緒方恵美を起用するなど女性に配慮しているアニメである。
しかしこの作品の真価は非常に特殊な設定で、00年代に流行った要素を意図的に詰め込んでる感があるのは誰もが思うところだろう。
真っ先に思いつくのが涼宮ハルヒ以外何者でもないヒロインのデザインと、SOS団を思い起こさせる「死んだ世界戦線」略して「SSS」だ。
意図せずにこうまで類似した設定を作るものだろうか? あえてやっているとしか思えないのである。
では何故そんな、ともすればバッシングの的になる事をあえてやるのか?
一つ思う。
00年代の要素すべてを一途に消費させ、新たな10年代のアニメを始まらせるためではないか。
そんな「架け橋」になろうとしているAngel Beats!が、「女性配慮」という00年代末期に「けいおん!」「化物語」が起こしたばかりの新時代の要素をも
内包している事に驚きを隠せない。……これは偶然だろうか?
古き時代と新しき時代を繋いだAngel Beats!、その終了によってアニメはようやく10年代のスタートを切る事が出来るのだろうか。
7月からは待望のストライクウィッチーズ第二期が開始される。
他にも「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「神のみぞ知るセカイ」そして「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメ化が決定
話題作が目白押しだ。
それらの中から「10年代のストライクウィッチーズ」が現れる事を、ただひたすら祈ることしきりである。
日本肥満学会の基準では、
となっている。
つまりメンバー全員、標準体重より若干軽い程度の健康体で、決して太っちょとは言い切れないといえる。(体脂肪率も込みで考えると話は別だが)
みたいな描写がよくあるからお互い様じゃね。
いわゆる萌えアニメに出てくる彼女達を、私には嫁と言い張る権利がない。
それは自分が男じゃなくてかつ同性愛者でもなく、あんなに可愛い彼女達を恋愛対象(or性的対象かw)として見ることがないからだ。
じゃあなんで自分はホモ好き腐女子でありながら女の子が選り取り見取りのアニメを見続け、
楽しんで、あまつさえフィギュアやグッズに手を出すのか。
そのヒーローのことを思うと憧れがとまらなくて同じコスチュームやポーズを真似してみたり。というか俺もうヒーローなんじゃね?と思ってみたり。
子供のころだけに留まらず、それは多分大人になっても、アイドルだったり歌手だったりモデルだったりに形を変えて人は自分以外の何かに憧れる。
私にとってそれが萌えアニメの女の子たちであっただけのことだ。
そしてその対象をリアルの人物に変えられないのは自分の圧倒的な劣等感だと思う。
自分はかつての周りの同級生が憧れた同性のアイドル、いわゆるあゆとか、モー娘。なんかにはハマれなくて。
そのときに、周りから外れることが最も恐怖である小学生時代に、自分はダメだなあという圧倒的な敗北感を味わった。
でもそれから何年かして今になってやっと、自分は自分だけの憧憬の対象を見つけられた。
とか、こんな風になんだかんだカッコよく繕ったって、自分は大人になっても二次元を所詮逃げで利用してるんであって。
それはよくわかってる。
「ああ、懐かしいなあ。そんなのあったなあ。」なんて懐古できるほど精神が成長してない。
まさに幼稚園児と同じ状態にあるから。
でも、もうそんなことどうでもいいと思うよ。
だって、彼女達を思うと本当に嬉しくなる。
例えば自分が好きなキャラクターの一人である、けいおんの唯は、アホの子だの(^p^)だの言われるけど、
彼女のひたむきさと純粋さと元気さと可愛さは、自分には欲しくても手に入れられなかったものだ。
彼女みたいになりたい。私は。だから頑張る気も起きる。くじけても立ち直れる。
いやまあ唯にはなれないってわかってるけど、それでも、さあ。
これは、正直男オタの人が言うような「俺の嫁ええええええ!」と、99%ほぼ同じ感情だと思う。
他の女性がこういうアニメをどうやって見てるのかわかりませんが、
強くて、優しくて、厳しくて、明るくて、元気で、いつまでも可愛いあなた達が永遠の憧れです。
いつもありがとう。
秘仏(数十年に一回、仏像を一般解放する)見学しに山奥へいったりだの
面白い仏像についての語りイベント会へ参加だの、確かにアニヲタとなんら変わらないんだが
だってヤツラは仏像に対して、けいおんの唯萌え~なのを抱ける人種なんだから。
知的探求心が俗に言う境目なんだろうとは思う。
例えば仏ヲタは仏像を見て、これいいわと種類(何の仏か)や年代、
なんで並べられているか(配置、仏像同士のの関係性)を調べる。
これはアニヲタがキャラのプロフィールや関係性、別作品との関連を調べるのとなんら変わりがないんだけど
対象が歴史的価値や学術的資料価値のあるものだとサブカルヲタで、対象がそうでないとキモヲタになる。
この「知的探究心レベル」「学問的価値」が高尚っぽさがサブカル扱いにされてしまうんだろうが、
高尚でもなんでもない。
勿論中にはサブカルを高尚だと思っている人はいるだろうけど、今の社会では