2024-03-26

最近書き始めた日記と、本人には見せない感謝言葉

近頃、日記を書くことの効用が分かってきたような気がする。

文章を読むことは他ならぬ知識の蓄積であるしかしながら、脳裏に浮かんだ取り止めのないことも形として残さなければ、それはただ消えゆくのみである

書けば文学、書かねば妄想。誰が言った言葉かも覚えがないが、実に的確なように思う。

怠惰で自堕落、そして堪え性のない私のことだから明日日記を書かないのかもしれない。

習慣化は難しいことで、習慣化してしまうことによって失われるものもきっとある

自分の思ったことをただ文章に書き連ねていると、それによって分かってくることもある。

書くべきか書かぬべきか。それすらも文字として並べていく。

兼好法師徒然草執筆過程がふと浮かんでくるようだ。

データは何年も残らない。

それでも日記を書くことにどれだけの意味があるのかと思う。

自己満足とはなんなのか、追い詰められた人間の搾り滓が文章なのか。

生きるというのは畢竟、苦に満ちたこである

その心の気休めとして書く文章に、私だけは誰よりも価値見出したい。

文章を書くことが、何よりも真摯に己に向き合うことだと信じて。

この余白の片隅から、誰にも見せない日記、その一節だとしても。

何も出来ない人間なりに、栄えある先達をささやかに見送らせて頂く。

敬愛すべき先輩方に心から感謝を捧げます

社会に正当に向かい合い、戦い続ける方々に、この上ない賛辞を込めて。

ありがとうございました。あなたと過ごした日々が、私の人生で最も価値のある時間でした。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん