最近のLGBT関連の議論見てると、人類が最初に自分たちのことを男と女に分けてしまったことがそもそもの問題だったのではないかと思うようになった。
分け方が雑なのよ。2つって少なすぎ。こんな低い解像度で人類を認識するようになってしまったのが失敗だったのではないか?
人間の性は本来多様でグラデーションになっていて、男と女の2つで記述し切れるものじゃなかったのを2つに分けてしまった。
虹の色は文化によってその数が違っているのよく知られた事実だが、面白いのは虹の色の数は7つという文化で暮らす人には本当に7つにしか見えなくて、5つという文化で暮らす人にはもう5つにしか見えない。「5つ?そんなわけないじゃん、もっとあるでしょ、見えるでしよ?」って7つの人が言っても本人にはどう頑張っても見えない。文化的なバックグラウンドって人間の世界認識のあり方まで変えてしまうんだな。
この男女2分問題も同様で「男と女の2つです!」っていう文化、社会で生活していると、もう男と女の二つしか存在しないというふうに見えちゃうんだろうね。そういうふうに世界を認識してしまって、そういうふうにしか見えないんだろうな。で、本人たちはそのことに気づけない。
本来多様なものを無理やり2つに分け、社会制度も文化も庶民の行動様式も2つに分けたもんだから、最近になって「あれ?2つじゃなくね?俺らの解像度低くね?」てなった時に、当然その矛盾が噴き出すことになる。
まぁこの多様な性は最近になってようやく認識され、受容され始めたことだから1万年前の人類には難しかったとは思うが、悪手は悪手だ。
どんな社会制度や文化や行動様式すればそうした多様な性を受容できるようになるのかを模索しているのが現代で、その変化の過程で既存の社会制度や文化や行動様式との軋轢が生じているということなんだな。