2022-12-10

なぜ「多様じゃない多様性」が生まれたのか?

多様性と言ったら「色んな人がいていい」なのに

なぜか現代多様性では「色んな人がいなきゃいけない」になっている

「色んな人がいなきゃいけない」の正しさの押し付けになっている

スタートの公平じゃなくて結果の同一性になっている

 

こういうのって、最初に言い出した人はいいんだけど

その声を聞いて周りに正しさを押し付ける人が一定数居るんだと思う

 

1.最初に言い出した人(当事者第一人者

2.それを広める人

3.正しさを押し付ける人

4.彼らに従う人

5.反発する人

 

と言う構図がある

 

こういうの誰しも覚えがあるんじゃないだろうか

昔、某掲示板二次創作を始めたことがあって、その後それなりのブームになったことがあった

私はちょっとした始祖というか神扱いされて気分が良かったのだが

やがて「増田さんならこう言っていた」「増田さんはこう言うはず」「増田さんはこうだから君は逸脱している」

のような、勝手ルールを増やす人達が現れた

そのたびに私がもっと自由にやろうと、多様性を確保しようとしたのを覚えている

 

あるいは某技術系の業界では、有名な人のやり方を当然参考にするムーブメントがあるわけだけど

「彼がこうしていたからこれが正しい」というような人たちが一定数居る

それで後になってその有名人が「あの方法よくないよね」とかちゃぶ台返ししたりする

 

まり、神を作り上げて周りに押し付ける人というのが世の中には一定数居るんだと思う

今回で言えば当事者マイノリティ

マイノリティ過去何十年も同じように主張してきたが

最近になってこの「神を作り上げて周りに押し付ける人」が現れてきて、監視社会のような様相になってきている(主にアメリカで)

たぶんだけどこれはSNSが強く影響していると思う

今のツイフェミ周りのムーブメントにも似ているし

 

そうやって「多様性を謳ってるのに多様じゃなくなっている」といった意味不明な状況が生まれているんだと私は考えている

 

あとはそういう一連の流れがバズるので社会的煽り合戦が行われてしまうというのもありそう

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