まあ俺が昔そうだったんだが。
とある作品のキャラにハマって原作読んだら、なんでもバトルで解決するのが理解できなかった。
「拳を交わしてお互いの力を認めあったら友達」っていうあの文脈がよく分からなかった。
そう言った作品を読むときはバトルは半分無視して結果の確認だけする感じで読み進めていた。
でもあるときに「外交の前提条件として武力がないと交渉のテーブルにも立てないんだぜ」みたいな画像がネットで流れてきて全てが氷解した。
交渉のテーブルに立つ権利を得るための武力を持っていることを確認し合うことで始めてお互いのコミュニケーションが始まる世界でバトル漫画やスポーツ漫画の住民は生きているのだなと。
特にスポーツの方がこれは顕著で、まず相手に自分の力を認めさせないとその他大勢として会話さえ成立させてもらえない状況が多々ある。
力を認めさせるのに一番いいのは相手に勝つことなので、相手とコミュニケーションを取るための手段として強くなっていっているということ。
自分を磨いて相手に振り向かせるためのやり方がある意味で凄いシンプルな世界なんだよね。
気づいてしまうと単純すぎて笑ってしまうんだけど、これはこれで何かを達観した価値観の上に根付いているように思う。
そもそも学校とかの人間関係においても圧倒的な力の差があると片方が神で片方がムシケラという扱いになって、そこには人間同士のコミュニケーションと呼べるものなんてなくなってしまうことがある。
その状況を切り開く手段として、強い力を持った他人や社会を召喚するのではなく、自分の力を鍛えることで解決しようってのがバトルやスポーツを主軸にした漫画なんだよね。
結局は現実との戦い方の切り口が違うだけ。
それを幼稚と笑っちゃう人の方がずっと幼稚だと思うな。