センターとか二次試験の評論文見てるとあまりの悪文になんじゃこりゃってなる。
ちょっと調べると「身体感覚の制度化とはどういう意味か」なんて問題が出てきて頭を抱えたよ。
「の」って格を表示しないから、「クズの本懐」みたいに前が明らかに人って分かる言葉じゃない場合は前の単語と後ろの単語がどういう意味で結びついてるのかからして読み取りづらくなっちゃうんだよね。そういうことを全く配慮できてない悪文なんだよ。
問題を作るにはうってつけかもしれんがああいうのって元はといえば学者が専門知識のない一般の大衆に向けて書いてるんだよね。
大衆に向けてるのだから内容自体は研究者間でやり取りしてるものよりは高度じゃないはずなのになんであんなに分かりづらくしか書けないんだろう。
俺は研究とは縁のない世界で生きてるが一般向けの文章があんなのだと研究者同士でちゃんと情報を誤解なくやり取りできているのか不安になる。
研究者ぐらい頭がよければ理解できるんだとしたって、もっと分かりやすい文章で情報を把握できるんだとしたら絶対それよりは効率が悪い。研究の進歩の妨げになってるんじゃないのか。
血の巨人とかいう恐ろしい化け物が書いた文章だから仕方がない。 逆らうと殺されそうだし。
日本語そのものが主語を用いなくても大方通じちゃうのがね
テンソルとか出て来る工学の専門書とか読んでもちゃんと理解できるもんなあ。 むしろ専門知識がないことを前提にして無理にかみ砕こうとするから分かりづなくなっちゃうのかな。
問題文が短い評論文の場合 解答者に知識がない場合もある 出題者側が家族間とかみたいに主語を廃しても「あぁ、あのことね」となると思ってるパターンもある 元増田の例だと「身体...