名もない家事、というのがある。
https://toyokeizai.net/articles/-/338150
誰かがやらないといけないような小さな家事を、でも誰もやらなくて、結局「わたし」がやってしまうことが、小さなイライラ、小さなストレスとなり、たまりたまってやがて爆発する。
そういう仕事は確かにある。家事に限らず、会社の仕事なんかでも同じだろう。たとてばシュレッダーのゴミがたまっていたから捨てておいた。コピー機の用紙が少なくなっていたから補充しておいた。
もちろん会社の仕事だと、黙ってやるだけではまずい仕事が多いので、何かしらの報告なり記録なりはつける。ただ、それで評価が大きく上がるかというと、そんなことはない。ちょっとはあるかもしれないけれど。
家事なら、流しのゴミを捨てるとか、水道の蛇口の水垢をとるとか、トイレを汚したら軽く掃除しておくとか、……いや、これは小さくないか。もっと小さな、床に落ちている髪の毛をゴミ箱に捨てるとか、だろうか。
やればいいのである。
大した手間じゃないんだから、気がついたら、気がついた奴がやればいい。俺はそうしている。少なくともそうしているつもりだ。そういう奴に限って実は肝心なことをやっていないと言われそうだが、そう言われてしまうと反論のしようがない。
俺自身は、ちょっとした、それでもちょっとした手間の仕事は、自分がやれるならやってしまうのが一番早いと思っているから、それ以上は追求しないで欲しい。
シンプルだと思う。
俺の嫁は専業主婦だ。この嫁が、上の「名もない家事」の記事を読んだらしく、「そう!その通り!」みたいなことを言い出した。
そして、だから専業主婦は大変だとか、自分がどれだけ気をつかっているかとか、そういうことを主張しだした。
ああ。
これまで名前がなかった小さな仕事たちに、ここにきて名前がついてしまった。「名もない家事」という名前が。
だから彼女は、それまであまり意識していなかった(あるいは意識していても嫌々ながらもやっていた)「名もない家事」に対して、少なからぬ抵抗を持ってしまった。
名前がつくことで、認識され、認知されることによりストレス源が明確になって、ストレスの解決方法も導きやすくなるという効果はあるのかもしれない。
でも名前がつかないことで、どうにかこうにかバランスをとっていた人が、「名もない家事はつらい」という認知を得てしまったということはないだろうか。
名前がつくと認識されるのよね。 つらい。 肩こりって単語がなかったアメリカ人は肩こり知らなかったそうだよ。 名前がつくだけで認識できるようになる。 何でも名前つけちゃ駄目ね...