俺はのんびりな方だ。
世の中にはせっかちな人がいる。
時に、私の心の中にも「せっかち」がいる。
地下鉄に乗る際に、都度、使用する降り口〜最寄り階段まで計算して座席位置を考える人がいる。
地下鉄の車両に着いたのに、そこからさらになぜかよくわからない車両の所定の座席につかつかと歩いていく。
俺は地下鉄の降り口乗り口と、目的出口との距離をほぼ考えない。
どこに座ってもほぼ距離は変わらないし、降りた後でその分歩けばいい話と思う。
そんなに急いで、あるいは気持ちを急かして、どうするのか。
実際、急いでいるわけではないのだ。
すぐ乗り換えなければならない場合は、流石のこの俺(こういう時の一人称は乃公がいいのかなぁ?)も急ぐ。
俺は絶対に自分の人生のペースを信号ごときに左右されたくないので、自分のペースで歩いて、それで青だったら渡るし、赤だったら止まる。ただそれだけ。
鉄道車両についてもそうで、自分のペースで乗車や乗り換えのところまで歩いて、そこから車両が来るかを考えた方が気が楽だ。
次何分に来るからちょっと急がなきゃ、はそれに乗り遅れた場合に全体の行程に支障をきたす場合にのみ考えるべきだ。
如上の信号のケースも、特に急いでいないのに走り出す。のんびり待って、いいじゃあないか。
信号が赤になりそうな時に走る人とこうした点を話すと、「結局あなたも赤信号で止まるのであれば、信号に人生左右されているのでは?」と言われる。
俺の立場は、信号を守るのは当たり前(急ぐ人もそうでない人も青は進み赤は止まる)で、信号が変わりそうな時に行動を変えさせられるのは、機械に心性を臣従させているようなものだというものだ。
証券会社は使うけど証券会社のAIに投資を任せない、みたいな話だ。
けれど、そういうところに神経を使っている人は、その方が精神的に安定するのかな、と思う。
俺がのんびり歩いた方が精神が安定し、せっかちに動かされると少しだけ不安定になるのと逆なのかも知れない。
ずんずん効率よく進む方が気持ちが落ち着くのであれば、そうした方がいいのかも。
でも、もし「せっかち」モードだけしか知らず、電車の乗り継ぎとかに失敗して知らず知らずに精神を尖らせる生活をしているのであれば、俺のだらだら系のムーブもその人にちょっとは役立つかも知れない。
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遅刻については以下の取り扱いをしています。 ・基本的には遅刻はしません。 ・ただし時間きっかりに到着します。始業時間に仕事を始められるように1分前くらいに到着します。 ・低...
そっかあ!私は「ごめん起きた」「やっぱあと30分」みたいなやり取りを相手と互いに積み重ねて二時間ぐらい予定がズレ込んだりします!