最近女性の発達障害者とか毒親育ちの苦労話とかって理解ある彼くん救済オチがあまりにも定型化しすぎてて叩かれる風潮が強くなってきたからか、
「いつ理解ある彼くんが出てくるんだろう?」って警戒しながら読み進めていったら最後まで出てこないパターンも目に入るようになってきた気がする。
でもさ、昔勤めてたブラック企業の話とかセクハラ・パワハラ受けた話とか限定したエピソードトークならまだしもプライベートな人間関係とか人生設計に大きく関わってくるような人生談なのに彼くんの存在だけ綺麗に抜き取られてるのって逆に違和感感じないか?
いやこれが男の話だったら単純に「この手の生き辛さを抱えた男には恋人や結婚相手と支え合って生きていくっていのも難易度高いし辛いよなぁ…」ってなるだけなんだが、
女性でこれされると「ああ、この人生談には本当は理解ある彼くんに救われたエピソードがいくつもあって、正直に言えば結婚やらでパートナーと物理的/精神的に支え合って慰めてもらいながら生きていくことは可能だけど(もしくは現在進行系でそんな感じで生きてる)、でもそれを正直に描いてしまうと”自分の人生は生き辛いものだった”っていう自分の頭の中のストーリーを客観的に描けなくなるしなんか人生イージー感が出ちゃうから、まあ描写しないだけならまあ嘘ではないし最近理解ある彼くん物語への当たりも強いし、そういうの色々計算した上で意図的に理解ある彼くんの存在を隠してるんだろうなぁ」
とか逆に考えてしまうのだが、ひねくれすぎだろうか?
叩かれるのなんて恐れずに正直に素敵な元カレや夫を描いちゃえよもう。嘘ついてるのと何が違うんだよこんなの。強者が弱者のフリすんなよ。
みんな自分に正直になろうよ。
確率論的にはいるだろうな。ただそれだけ。
自分の学生時代や職場にいたちょっと浮いてる感じの女(発達障害かは知らない)って、独身だったり全く彼氏の存在を感じさせなかったから 現実は彼くんテンプレの方がレアなんだろ...
せやな
結局のところ、誰かの承認なしに立ち直れることなんて殆どないんだよ、ってブラックな話は売れない(ウケない)し、書く気も起きないから出てこないだけ、ということじゃないの?