ADHDで発達障害という診断が下っており、なんとかとかいう薬を飲んでる友達と一緒にいてわかったことを書く。
というより、何かあるっぽいけどわからないから困っていると言うのが正解っぽい。いやこれくらいわかってよ、みたいなことがことごとく全部ダメっぽい。それは他者と接していれば当たり前にわかることだったりするけど全部ダメ。まじで全部ダメ。もしかしたら後から気づいたりはするのかもだけど。
言葉のまま受け取るし、それ以上がない。
でも本当は、そんなもんでいいのかもしれない。
全部説明して含ませたりはしない、ということで落ち着いた。
自分が話したことがその人の全てになってしまうのでSNSでは距離を置いた。
私が言う何気ないことや雑談が友人の全てになってしまうし、何気ない悪態などがものすごい憎悪の塊になってしまっていたので驚いた。
これは前述した、「言葉のまま受け取る」という特性のせいなんだろうな。強めの言葉や冗談なんかは一切通じない。だからそういうのを見せちゃダメだし言ってもダメ。お互いに悲しく辛いことになるし、そもそもこっちの言ったことや生活がそいつの根になることは、かなりキモい。なんで穏やかな人なのに友達がいねーのかなと思ってたけどなるほどなと感じる。
他人の言葉やどこかで見たものをひたすらトレースしている。友人だけじゃなくこの世のすべての人間もまあそうなんだけど、友人は極端にそうだということ。だから硬筆とか習字とか向いてるんだと思う。お手本があってその通りにやること。私たちはハンドメイド手芸の趣味で知り合っているので、なかなか厳しいものがあると思った。
1番の問題は、そんな奴と一緒にいて楽しいのか? ということ。
友人は技術があり技術の話はたいそう弾むのでそこは楽しい。多分自分の特性のせいで人間関係で相当苦労していて、だからかさらっとした雑談なども可能。人当たりもよく、だからこそ深く付き合うと「なぜ?」と混乱してくる。
人間として好きな部分が多いからこれからも付かず離れずでいると思うけど、余裕がないときに接するのが厳しい。でも人間関係なんてそんなもんだよね。
「何気ない悪態などがものすごい憎悪の塊になってしまっていた」 これ、増田がADHDの友人に対し、何気ない悪態をSNSで呟いたら、相手が憎悪の塊ぶつけられたと解釈して、通常考えら...