これが当たり前なんだと思い込んでいた。家から出る前に箱からマスクを取ること、こまめに手をアルコールで消毒すること、くしゃみをしそうになったら誰かが周りにいないかを確認してちょっと厚めに折ったハンカチで口をふさぐこと、その後周りからどんな目で見られているのかが怖くなって、前を向けずに下を向くこと。
いつの間にか当たり前になった日常にちゃんと順応していた。これはきっと良いことだ。歯向かうこともなく、ただ目の前で起きていることへの”対策”を自分なりに行って、自分一人で生きている世界ではないから…と、周りのことを想った行動を心がける日々は、きっと必要なことであり、良いことなんだと思っていた。
だから、忘れるようにしていたのかもしれない。何気なくて特別な一瞬や、大好きだった瞬間を。
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真っ赤な照明が舞台をバチッと照らす、客席の横側からも彩が加わるように照らされた光。目に飛び込んでくるのは、強くて熱い光に照らされた舞台で演奏をするバンド、そしてそれを見つめる人たちの姿だった。
私にとっては当たり前だったこの風景が、とてつもなく久しぶりのように感じた。いつしか「必要のないもの」だと言われてしまったこの場は、本当に必要のない場所なのだろうか。
少し離れた席にはタオルで涙をぬぐう人の姿が見え、私の目頭もじんわりと熱くなってきた。同じ想いで泣いているのではないかもしれない。でも、もしかすると同じ理由で涙を流しているのかもしれないと思えるのは、この場に来るまでに感じた、自分にとって必要であるものが必要ではないと言われる現実があったから。 https://b.hatena.ne.jp/vnaoogawepo/
さまざまな光と大きな音が合わさる空間は特別で、その場いるだけで「ここにくるまで頑張ってよかった」と何度も思ってきたはずなのに…日常の中のほんの少しの贅沢な時間のために、一生懸命生きてきた日々があったはずなのに、そんなことはまるで無かったことのようにして、誰かが言った「必要ないもの」というレッテルにいつしか自分が振り回されていたことに気づいた時、悔しくて、悲しくて、涙が溢れてきたのと同時に、「色々あった日々」を生き抜いた自分を少しだけ褒めてあげたくなった。
もちろん、もっと我慢をしている人もいるだろうし、まだまだ気が抜けない状態ではあるけど、それでもその瞬間に感じた少しの労いの気持ちはちゃんと言葉にして自分にかけてあげたいと思った。