2020-12-15

障害を持てば「俺を優先しろ」と思う確率が上がるのはしょうがないと思う

子供をつれてるだけでも、例えばエレベーターで並んだりすると「お前には必要ねぇだろ!」と思うことがままある。言わないけどね、子連れ様嫌いだから。でも内心では思ってるよ。内心の自由最高。ちなみにそういう時は子供を見たりあやしたりして短時間別世界トリップする。だから周りからそういう素振りは見えないだろう。まあ確認したわけではないので分からんがね。

子供を連れるというちょっとした「不自由」でもそう思うんだから車イスとか脳性麻痺とか明らかに他よりも「不自由」を常時強いられれば、「俺を優先しろ」という内心を持つのはとてーーも普通のことだと思う。俺が後天的障害を持てば絶対思うだろう。

それを乗り越えて普通振る舞う障害者は、マジですげえやつだと思う。まあ障害者のなかでそういうことができる余裕がある「障害者の中では三塁に生まれた人」なのかもしれないけど。

もし「ベンチ」で産まれたのにその境地まで登り詰めた奴がいたとしたら、そいつはとんでもなくすごい奴だ。誉めたい。誉めまくりたい(責任は持ちたくない)。だがそういう奴は決して表には出てこない。喧伝しないからだ。「同じ境遇代表して」なんて俺優先を倫理武装したウンチ理論も振りかざさない。卑怯じゃないからな、そういうすげぇ奴は。

から、顔を知っている人を良く見て、そういう奴等の「すげぇところ」をできるだけ把握するようにしてる。そいつがすげぇ奴であることを、俺くらいは知っていたい。できれば他の奴にも説明したいが、二塁くらいかスタートしてる奴にはどんなに言葉を尽くしても分からない。悲しいぜ。でも二塁勢の努力否定なんてする気はねぇ。そいつだって頑張ってきてるからな。俺には分からない頑張りもあるだろう。

人は分かりあえない。それを認めないと先に進めねぇ。いいから顔を知ってる相手を見ろ。知らねぇ奴に絡むな無駄に。

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