このたび結婚することになった41歳男です。
相手は2年ほど付き合ってた相手で3つ下、特に特徴のない温厚な人で、一緒にいてストレスもなくまた盛り上がりもない相手。外見も中身もタイプではないが、その分気を使わない楽さもある。
でタイトルに戻るが、結婚を決めたのは、男としての消極的撤退だった。
若いうちからいろんな人と付き合ったり好きだの好かれただのを繰り返して、なんだかその活動自体がめんどくさくなってきた。
そして、漫画やドラマで見るような劇的な恋愛やストーリーも、全てを無償で愛せる的な相手も、自分には縁がない(それはおそらく自分の気質にも理由がある)のだとなんとなく悟ってしまった。
もっとぶっちゃけて言うと、色恋にも変に慣れてしまって、落とせそうな相手は大抵わかるし、それでうまく行ってもあまり感慨もわかないし、これ以上行くと面倒だなが勝ってしまうし、セックスの時もああ事ここに至るとみんな一緒なんだなとか思ってしまう。
自分が付き合う相手のタイプもなんとなく測れるようになってしまうし、むっちゃ好みとかむっちゃ美人には最初から手を出さなくなり、そこそこ合う相手と繰り返し付き合い続けた挙句、うーん一生この人に尽くしたいと思えるような最愛の人ってどうやったらできるのって境地に至ってしまった。
うん、わりと最低な感じだな。
その段階に至った頃に同時にコロナがやってきて、歳も歳だしまあこの辺でいっかと思って、結婚を決めた。
相手も、もしここでおれと結婚しなければずっと1人でもいいかもという感じだったが、まあできれば子どもも欲しいし結婚してみよっかというノリで決めたとのこと。
付き合った人も少なくはないけど、過去の話を聞いても大恋愛だったんだねと言った話はなくまあまあ淡々としてる。
仕事が大変であまり恋愛に割くエネルギーがないという部分は異なるが、それ以外はどうやら自分と似たような理由のようだ。
独身という楽しさや刺激や自由はあるけどなんとなく飽きてきた、戦場だかパーティーだかの場からそろそろ撤退するかという理由で結婚する。
特段大きな愛情があるわけではないけど、特段一緒にいてもしんどくない相手だから結婚する。
これでいいのかと思いながら結婚する。
夢見てたのはこんなのじゃなかったなと思いながら結婚する。
でも楽しくやりたいとは思っているし、楽しくやれる相手だと思っている。
互いの両親とも会ったし会わせたけど、とても喜んでくれていたのがうれしいし、できれば孫の顔を見せてもっと喜ばせたいなと思う。
ふと浮かんだ本のタイトル、「幼年期の終わり」ってこういうことなのかなって思いながら、引っ越しの準備を進めている。(読んでないけど)
セックスが円熟するとどんどんよくなるよ。 そして子どもが生まれたらビッグバン!人生が変わる。超大変だけど超かわいいよ。