正直、めちゃくちゃ心に来た。
これは、「100日後に死ぬ」なんて教えてもらえないまま友人を交通事故で亡くしたそこらへんの一般人による「現実だとこうなるよ」というただの書き殴りだ。
当たり前だけど、当日、なんなら事故が起こったと知るまでいつも通りの生活を送っていた。
あとX日? やりたいことやっときなよ! 言いたいこと言っときなよ! なんてことが出来るわけないのである。
だからやりたいことをやれとかそう言うことではなくて、現実はただ残酷だという、ただそれだけのことだ。
ワニは3日目にヒヨコを助けていたことが伏線となったが、現実は意図的に伏線が張られることはない。
しかし遺された人というのは勝手なもので、死を通して色々と思い起こしては「こういう事言ってたな」「こういう事やってたな」という記憶を伏線のように繋げていくものである。
死因によって遺された人の苦しみに区別を付けるわけではないが、どうしても似た境遇だと思い心を痛めてしまう。
ワニは創作作品ではあるが、主軸が死である以上引きずられてしまった。
100日目に死ぬワニの100日目を読んだ同居人が「まぁどうせみんな数日経ったら忘れるよ」と言っていて、それはきっとその通りだろうなと思った。
しかし、現実に友人を亡くした身としては、未だにこうして死んでしまったワニと突然友人を喪ったネズミたちに自分を重ねて勝手にダメージを受けてしまうくらい、友人のことは忘れられない。きっとこれからも忘れないだろう。
・きくちゆうきさんは友人を交通事故で亡くされたと聞いた。大事な人を突然喪う悲しみを知っていて、それを作品に綺麗に落とし込み、なおかつ読者にも考えさせるような作品にしていることに純粋に尊敬の意を示す。
ダメージを受けたとは言ったが、それはダメージを受けられるくらいすごい作品だったということに他ならない。100日間、プレッシャーの中で連載を続けることは大変だったと思う。本当にお疲れ様でした。
・これを読んでる人はありとあらゆる交通機関でちょっとだけでも気をつけてほしい。
私自身うっかりした性格なので人のことは言えないが、ちょっとした油断や不注意で簡単に事故は起こる。
100日後に死ぬなんて現実世界ではわからないが、その代わり私たちには注意をすることで死から免れるという選択肢もある。
でもキモくて金のないおっさんが交通事故で死んだらどうせ無価値な存在だからどうでもいいと思うんですよねわかります
どうでもいいから俺を殺せ 殺してくれ
果たして作者がそこまで考えているのか気になる。読者の想像力って果てしないからね。