植松容疑者の裁判が進む中、ニュースなどで植松容疑者の発言や思想を目にする機会が増えてると思います。
そこで「なんてやつだ!許せん!」と思いながらも植松容疑者にバシっ!と反論する自信がない人は沢山いるのではないでしょうか。
ましてや、賛同する人もいるそうです。
私は自分の中でハッキリとした答えを持っておきたくて、植松容疑者の考え方について自分でも考えてみました。
自分の中でキーワードになったのが「国や人類レベルでの合理性」です。
「障害者は要らない。障害者は生産性が低い。重度の障害者は周りを不幸にする。」
といった感じです。
植松容疑者はおそらく、その金と労力を他のことに使った方が国や人類にとって合理的である、と考えているのではないかと思います。
たくさんのお金と労力を単純に他のことに使える、けれど今は、(植松容疑者曰く)生産性の低い障害者の人たちに使われている。
これは国や人類にとってマイナスなのではないか、といった認識なのではないでしょうか。
「今、障害者の方たちにかかっているお金と労力を他のことに使うために、生まれてきた可愛い子供が障害をもっているという理由だけで殺されてしまう世界は、果たして人類にとって合理的でしょうか?プラスなのでしょうか?」
映画や小説でたまにある、国の決まりでランダムに選ばれた人間が殺される、という描写がありますがそれに近いと思ってます。
国や人間の合理性は、お金と労力だけで語れるものではありません。人間はそんな単純じゃないです。
私はそう思いました。
中東に入った自衛官が車いすで帰国したら植松は殺しに行ったの? 結局は拳銃を常時携帯していない弱い障碍者を選んで殺しているだろ?
なんで車イスの自衛官がピストル常時携帯してんの?
馬鹿が馬鹿なりに真面目に考えるとただふざけてるようにしか見えないパティーン