2020-02-21

植松容疑者障害のある方への考え方について思ったこ

植松容疑者裁判が進む中、ニュースなどで植松容疑者発言思想を目にする機会が増えてると思います

そこで「なんてやつだ!許せん!」と思いながらも植松容疑者にバシっ!と反論する自信がない人は沢山いるのではないでしょうか。

ましてや、賛同する人もいるそうです。

私は自分の中でハッキリとした答えを持っておきたくて、植松容疑者の考え方について自分でも考えてみました。

自分の中でキーワードになったのが「国や人類レベルでの合理性」です。

障害者は要らない。障害者生産性が低い。重度の障害者は周りを不幸にする。」

植松容疑者思想を私なりの解釈で書くと、

障害者生産性が低い。

から障害者に金と労力をかけるのはおかしい。

障害者はいなくなるべきだ。

といった感じです。

植松容疑者はおそらく、その金と労力を他のことに使った方が国や人類にとって合理的である、と考えているのではないかと思います

たくさんのお金と労力を単純に他のことに使える、けれど今は、(植松容疑者曰く)生産性の低い障害者の人たちに使われている。

これは国や人類にとってマイナスなのではないか、といった認識なのではないでしょうか。

私はこの考えに対し、こう反論します。

「今、障害者の方たちにかかっているお金と労力を他のことに使うために、生まれてきた可愛い子供障害をもっているという理由だけで殺されてしま世界は、果たして人類にとって合理的でしょうか?プラスなのでしょうか?」

映画小説でたまにある、国の決まりランダムに選ばれた人間が殺される、という描写がありますがそれに近いと思ってます

果たしてそれは人類にとってプラスなのでしょうか?

国や人間合理性は、お金と労力だけで語れるものではありません。人間はそんな単純じゃないです。

私はそう思いました。

  • 中東に入った自衛官が車いすで帰国したら植松は殺しに行ったの? 結局は拳銃を常時携帯していない弱い障碍者を選んで殺しているだろ?

  • 馬鹿が馬鹿なりに真面目に考えるとただふざけてるようにしか見えないパティーン

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