以前にこう(上)言っていたことを思い出すと、含蓄のある言葉(下)でもある。
私は自分が表現の自由を擁護したいから、なるべく頑張りたいと思っているけど、社会の偏見や差別によって、表現の自由で抗弁せざるを得ない立場に追い込まれているフィクトセクシュアルの方々に向かって、他の表現の自由の論点についても当然に戦力になれだなんて傲慢なことは、とても言えないよ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) August 4, 2019
頂いたメールに「綺麗事ばっかのうぐいすリボンが大嫌いだったけど、他に頼れる人がいないので仕方なく寄付をしていた。山田さんが国会に戻ったので、もうお前らは用済みだ」みたいなことが書いてあり、「あぁ、それはお辛かったでしょう。良かったですね」とホッとしてしまった。本当に良かった。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) December 25, 2019
まあ確かに山田太郎さんが当選して「一安心」というか、「危機を脱した」感があるのも事実。フィクトセクシャル等に関する議論も軌道に乗ってきたように見えるし、あとは放っておいても差別解消は時間の問題だろうという気もする。
そうなってくると、「表現の自由」問題として「漫画・アニメ文化」を論じる比重は必然的に少なくなるだろう。それが「もはや不安は解消されたことの傍証」なのか、「新たな危機」なのか、すぐにはわからないが。