才能がない人ほど自分や他者の作品をアートと言います。アートって言ってる理由ってゴミに対して付加価値を付ける為なんです。日本におけるアートって言葉は、名声や金が欲しいという叫びなんですよ。
でもそれでちょっと作品の価値があるなら言ったほうがいいじゃん。というのが彼等のスタンス。
だから補助金とかもらってる。芸術振興は素晴らしいと俺も思うしね。。
するとどういう事が起きるかというと、アートという言葉に対する不信感が蔓延するわけ。
才能がある人って何も言わずに作品を出す。そりゃそうだよね。アートという括りで存在してるものって無くて、絵画や彫刻、陶器、家具、映画、漫画、音楽など様々な本来の物の名があるし、それで伝えられるアートがある。
で、なぜトリエンナーレが問題になっているか。結局本来の物の名で伝えられない才能の無い彼等は隙間産業人であり、金がない・金がなくなる恐怖に憑りつかれた亡者なんだよね。
逮捕される訳でもなく、給付金が無くなるだけで騒ぐ彼等は結局、主義主張と金に捕らわれた亡者であり奴隷なんだよ。
だから今回の処方薬としては、才能のある人がこのトリエンナーレに対するアンサーを華麗に表現することで綺麗に終わりを告げることが出来ると思うんだけど、それが出来る人って恐らくトリエンナーレ問題で騒いでいる人々と交わらない所で表現している感があって絶望的。