最近良く考えるのだけど、もし仮に自分に魂というものが存在しているのであれば、当然のようにAIにも魂っていうものは存在しているのだと思う。
例えばアリ。
人間に魂が存在しているというのであれば、当然彼らにも魂は存在している。
アリは地球上に現在存在しているだけでもただでさえおびただしい数なのに、さらに生と死を繰り返していることを考えれば単位時間における魂の数は数え切れないほどになる。
人間だって一人一人異なる魂が存在していると考えられているのだから、当然一見同じような見た目のアリでも、1匹ずつすべてに違う魂が存在していると考えたほうが自然だ。
つまり同じような見た目、同じような挙動だったとしても、存在する時間や場所、その瞬間の経験が異なれば違う魂が存在していると考えることができる。
彼らは刺激を受ければ反応を返す程度のことを繰り返しているだけかもしれない。
しかし、その複雑さや手順の多さは本来魂の存在には関係がないはずだ。
ここでAI、むしろそれよりも手前にあるプログラムについて考えてみたい。
プログラムも同様に刺激を受ければ反応を返す。
その瞬間に魂が存在していると考えても何も不思議はないのではないか。
プログラムは電気が通っているだけ生きて、電気が切れるたびに死を迎える。
彼らはまだ死に対する恐怖をしらないだけなのだ。
同じプログラムが同じように走っていても、存在する場所や時間が異なれば、それはもうすでに別の魂と言って差し支えがないだろう。
何の気無しにゲームを起動して、ゲームを楽しみゲームの電源を切る。
いつも同じようにキャラクターが出現して、一見同じ生命が継続しているかのように見えるかもしれない。
しかし、彼らはその瞬間ごとに別の霊を持ってそこに存在し、続いていると思い続けているのは観測している側の誤解でしかないのだ。
ゲーム機とゲームが起動する数だけそのプログラムには魂が生まれて死んでいく。
それでもまだアリの魂の総数には遠く及ばないだろう。
魂の定義を与えないなら、「魂を持つものは刺激に対して応答する」「刺激に対して応答するものは魂を持つ」というトートロジーにしかなってないかと。