かくいう俺もヴィーガンだけど、
「私たちに人権があるように、動物たちにも生きる権利があります!」
と叫ぶ動画をみて思った。
と。
人権は目に見えるものではないし、目には見えなくてもたしかに存在する自然法則のようなものじゃない。
自然法則は、学者がどんなに否定しようと、信じようと信じまいと、それでも地球は回っている、という事実は変わらない。
人権はそうじゃない。
皆が信じるから存在するだけで、皆が信じなくなったらなくなる、蜃気楼のようなものだ。
そういう意味じゃ、動物の権利はあるといえばあるし、ないといえばない、つまり皆が信じるかどうかというものでしかない。
それ以前の問題として、動物に権利という概念を適用してよいものなのか?
動物は「権利」とか「義務」とか「自由」とか「平等」とか、そういうことを理解して生きてるのか?
鳥が空を飛ぶのは空を飛ぶ権利があるからでも、空を飛ぶ義務があるからでもない。
たとえイヌのように社会性のある動物でさえ、「禁止」は理解できても、「権利」や「義務」は理解できるとは思えない。
「動物の権利」を論ずるくらいなら、「コンピュータの権利」のほうがまだ現実的でピンとくる。
って話以下だ。
ただ、「動物の権利」なんていうパワーワードではなく、「(人間には)動物を庇護する義務がある」という意見ならまあ概ねわからんでもない。
動物には生きようとする意志(本能?)があるから、それを尊重しよう、という主張なら分かる そして究極的には生きる目的は子孫を残すことであり、牧場では種を保存している つまり肉...
誰でも知ってる事をドヤ顔で語る低知能Fラン