今回の事件の容疑者のように、強い生きづらさを抱えた人を親族が支えるのは限界がある。
そもそも生きづらい特性は育て方が悪かったのではなく、先天的に決まっていて、周囲の力ではどうしようもないケースが多い。
容疑者も、小さい頃から他人の家に入り込むなどする変わった子だったという。
こういう生きづらさを抱える人こそ、外部の専門家の力を借りて生活を立て直すしかなく、その端的な例がやまゆり園だったというのに。
世間から聞こえるのは、やれ家族が見捨ただの、そんな施設を建てるなだの、もっとひどいのは既存の施設も解体しろだのと逆行する意見ばかり。
生きづらさを抱えている人が、入る施設もなく、支える家族もいなくなったらどうなるか。
川崎の容疑者以外にもショッキングな例をいくつも見てきたはず。
生きづらさを解消しきれず自死を選んだ者、自宅のトイレで孤独死した者、近所の人を盗撮して回り、トラブルを起こし続けた挙句収監された者。
一方で家族に丸投げすれば、自宅で拘束されて身体的に重篤な機能障害を負ってしまったり、数々の心中事件。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190529/k10011933671000.html