例えば入試。
女子学生に不利になっていたり、浪人生に不利になっていたりするという差別が明らかになったが、これを撤廃したところで入学できる受験生の数は増えないことが重要だ。
女子差別を撤廃し、浪人差別を撤廃したら合格者の中に占める女子と浪人生の割合は増えるだろう。
だが結局入試は差別することが目的で、差別しなければ意味がない制度だ。
テストのスコアで差別をするということは、生育環境や遺伝子によって差別をしているのと同じだ。
テストのスコアは努力によって伸ばせると言ってみても同じことだ。努力をできる生育環境と遺伝子があったものを優遇することにしかならない。
社会的構造的に最初から不利であることが知られている学生のスコアを補正するようなアファーマティブアクションが行われている場合もあるが、そんなことをしても結局はその制度において不利な属性と有利な属性が現れるだけで、不利な属性の持ち主が差別されていることには変わりはない。
本当に差別を撤廃したければ、完全にランダムに合否を決める必要があるが、様々な属性で差別をする現行の仕組みよりもその方がマシだと思う人はいるだろうか?
差別撤廃は偽善だ。男女、年齢と言った注目を集めやすい特定の変数だけに注目し、それ以外の注目を集めにくい、あるいは未知の変数を無視して、それに基づいた差別を新たに開始しようとするのが、差別撤廃の本質である。
憲法に謳われている「平等権」は機会が平等に与えられることであり (生まれつきの属性で差別されない) 結果の平等ではないよ。 不利な属性の持ち主が差別されていることには変...
進めるべきは無くなるわけがない差別の撤廃じゃなくて機会の平等じゃねえのかなって思ってるよ
あの件について言えることはひとつだけだよ 群馬大学の件で高齢受験生を排除した件で「まあしょうがないよね……」とか言ってた奴が、損したのが女だからって差別だ排除だとわめい...