とうとう同窓会にも呼ばれなくなった。
そりゃそうかと思う一方、なんともモヤモヤする。
同窓会に出るたびに、中学時代にいじめをしていたあいつに謝罪を求めてりゃ
空気も悪くなるし、和を保つために僕が排除されるのは当然だろう。
だけど、いじめたあいつはそれを忘れて僕がそれをトラウマとして持ち続けることがどうしても許せない。
あいつは「今考えれば、悪かったと思う。幼さ故にその残酷さ、悪さが理解できなかった。ごめんな。」
と、教科書的なフレーズをなぞって、その後は何もなかったように昔を面白おかしく話す。
それを過去のことにして、過去の自分の未熟さに押し付けて、形だけ謝る。
そしてそこからはそんなことは忘れて談笑し、以後の自分の人生に持ち帰らない。
土下座して、泣いて謝ってくれればいいのか?
分からないけど、少なくとも悪かったって気持ちを見せて欲しい。
向こうから許してもらうまで謝罪の限りを尽くすってのが筋だろう。
常に考えろよ、反省しろよ、謝れよ、僕が過去に苦悩したのと同じくらいには。
「忘れられる権利」ってのがある。
犯罪者がそれを唱えるのもどうかと思うが、一方で分からなくもない。
彼らは正式な手続きを踏まえて、正式なみそぎを終えたんだから。
周囲も調和のため忘れたふりをする。
僕だけだ、覚えているのも、それを主張するのも、苦しむのも。
それは、あのいじめを受けていた時と何も変わっていないじゃないか。
別のやり方もあったんだろう、こんなやり方しかできないからいじめられたんだって?
誰も言ってないけど、そういわれるが如く自己嫌悪にもなる。
行かなければ、この過去の怒りを思い出し、
今はそこを汲んでくれず、ただ僕を排除した周囲にも悲しみと怒りを感じることもなかっただろうに。
許せないから。
低能先生みたいに切りつけるわけでもなく口でグダグダいうだけ 実は恨んでなくて他に持ちネタがないだけ