人間生きていれば誰しもがそうだ。
もちろん自分もそう。
ただ、たまたまあの二人と同年代である自分にはおそらく彼らと共感できるであろう気持ちがある。
35歳から40歳になるまでの5年間の衰えがたったこの1年で訪れたかのような速さだ。
この速さの衰えを感じてみて芽生えたのは、自分はもう何者にもなれないかもしれないという焦りだった。
個性的な切り口と人より何倍も深く切り込む手法と、それまではただ楽しんでいただけだったものが同年代だとわかってからは嫉妬に変わった。
それからも彼は着実に何者かになるためのステップを登り続けていった。
彼が一つステップを登るたびに、自分も早く何者かにならなくてはと焦る気持ちと、もう今さら自分には何者にもなることは無理だという絶望とに挟み込まれていった。
40歳という歳は、本当に自分が何者かになるための最後のチャンスなのだろう。
今を逃してしまえば、間違いなく自分も、世に有り余る無能な老害に成り果ててしまうに違いない。
40を過ぎてからというもの、そんな焦りばかりに支配される日々を送っていた。
自分が取り残されていると感じれば感じるほど、それは彼に対する嫉妬の気持ちに変わっていくことがわかった。
一人は自らの培ってきた経験とセンスを生かして、一人はそうして着実に何者かになっていく人間に対する嫉妬を自らの敵と定義してそれを討ち取ることで。
おそらくは、人を殺めてしまったことに対する罪の意識などはなく、自分が何者かになれたことに対する達成感に酔いしれていることだろう。
人を殺すことに対しては微塵も理解はできないが、彼が何者かになれたことに対しては、どこか嫉妬に似たような感情を自覚している自分がいることを、皆にも知っておいてもらいたかった。