2018-06-26

何者かになりたかったという点で二人は共通している

人間生きていれば誰しもがそうだ。

もちろん自分もそう。

ただ、たまたまあの二人と同年代である自分にはおそらく彼らと共感できるであろう気持ちがある。

それは40歳を超えてからの1年の重みだ。

この1年の衰えは、今までの人生の中で最も早いものだった。

35歳から40歳になるまでの5年間の衰えがたったこの1年で訪れたかのような速さだ。

41歳から42歳はさらに衰えが加速した。

この速さの衰えを感じてみて芽生えたのは、自分はもう何者にもなれないかもしれないという焦りだった。

彼が僕と同世代だと知ったのは最近のことだ。

以前はアイコンだった人間が、妙に写真で現れるようになった。

個性的な切り口と人より何倍も深く切り込む手法と、それまではただ楽しんでいただけだったものが同年代だとわかってから嫉妬に変わった。

それからも彼は着実に何者かになるためのステップを登り続けていった。

彼が一つステップを登るたびに、自分も早く何者かにならなくてはと焦る気持ちと、もう今さら自分には何者にもなることは無理だという絶望とに挟み込まれていった。

40歳という歳は、本当に自分が何者かになるための最後のチャンスなのだろう。

今を逃してしまえば、間違いなく自分も、世に有り余る無能老害に成り果ててしまうに違いない。

40を過ぎてからというもの、そんな焦りばかりに支配される日々を送っていた。

自分が取り残されていると感じれば感じるほど、それは彼に対する嫉妬気持ちに変わっていくことがわかった。

二人は、自分が何者かになるために行動を起こしたのだ。

一人は自らの培ってきた経験センスを生かして、一人はそうして着実に何者かになっていく人間に対する嫉妬を自らの敵と定義してそれを討ち取ることで。

事件後の報道を見ていると彼の饒舌な様子が伺える。

おそらくは、人を殺めてしまたことに対する罪の意識などはなく、自分が何者かになれたことに対する達成感に酔いしれていることだろう。

人を殺すことに対しては微塵も理解はできないが、彼が何者かになれたことに対しては、どこか嫉妬に似たような感情自覚している自分がいることを、皆にも知っておいてもらいたかった。

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