2018-06-24

クリロナ見てるとやっぱり人間って顔がすべてだなあと思う

クリロナは顔がいいか自己肯定感があって、自己肯定感があるから思う存分努力ができて、努力ができたか成功した。

もしもクリロナ日本キモオタみたいな顔だったら、周囲からいじめられて自己肯定感も育まれず、自己否定ばかりの毎日で、無気力になって、努力なんてろくにできなかっただろう。

結局、顔。

あい人間見てるとほんとこの世の残酷さを思い知らされる。

クリロナ人類トップだが、このレベルじゃなくても、人はまず自己肯定感があって努力を始める。

日本でもそうだろう。クリロナから見れば日本人なんて全員奇形の猿に過ぎないが、それでも日本人の中で顔面偏差値の優劣はある。

運良く日本の中で顔面偏差値55以上だった人間自己肯定感を得ることにそれほど苦労しないので、努力必要局面において、普通に努力することになる。

しか顔面偏差値55に達しない人間は周囲からいじめられ、自己否定毎日を送ることになる。

自己否定ばかりしていると、努力必要局面においても「こんなことしてもどうせ……」という思いが邪魔してしまう。

それでも最初の頃は努力していたかもしれない。

しかし、ある程度結果が出た場合にしても、今度は顔面偏差値55以上の人間たちが、「お前の出した結果はたしかに俺らより上だが、結局お前は顔が気持ちいからなあwゲラゲラw」などと罵られることになる。

どんなに努力したところで罵られるという結果は変わらない。

こうなるともう無気力になってしまう。

顔が悪いということは受け入れたつもりだった。だから努力して見返そうと思った。でも努力して結果を出しても結局は罵られた。

そうやって無気力になっていく。人生はむなしい。

世の中は結局顔面偏差値55以上の連中の世界であって、最初にあっち側に自分の身を置けるかどうかですべてが決まる。世の中の人間にとって当たり前のスタート地点に立つということが最も重要ことなのだ。そこから漏れしまうともうどうにもならない。そしてこれは生まれた時点で、いや、受精の段階ですべてが決まっている。

この世には絶望しかない。

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