その中でダムで沈んでしまう村の桜を移植して再生する、っていう事業があったのね
そしてその桜を移植して、そこは第二のふるさとになったっていう話で、結構感動したんだけど
でもそこでは間違いなくふるさとは壊れてて
でも新しいふるさととしての桜が生まれた、というエピソードなんだけど
俺は地元愛とか持ってないんだけど
これ見て、ふるさとってじゃあ、後天的に人々が決める、共有するものなんじゃなかろうかと
俺はまだ地元愛とか持ってないけど、いずれ何がしかの経験、コミュニケーションの中で守りたい地域が出てくる
普通の場合でも、ふるさとって長くそこに住んだ経験があって初めて
(意識的か無意識的かはおいといても)「ふるさと」へとなっていく、守りたいと自覚できるようになる
生まれた場所として最初から決まっているとか、親によって決まるものでもないんじゃないか
どこかに住みついて、そこの人とコミュニケーションをとって、愛着を持つようになる過程でふるさとになる
ということに意識がいくと、こういうことを支援したり、そうしたふるさとの意識を持った人々がふるさとを守るため
あるいはこの場合は、新しいふるさとを他の人々と共有するため行動を起こす
いやいや、そういうことも、じゃなく、そういうこと、が政治なのだよ。 田舎に行くとよく分かる。 政治なんてふるさと同士の利権争い以外のなにものでもない。