例えば安倍晋三は国家社会主義、軍国主義の信奉者だが、自分は保守政治家だと言う。
例えば枝野幸男は社会自由主義を主張するのではなく、以下のように言う
現在、日本では政治家は誰もが自分こそが保守政治家であると主張している。自分こそが保守であって他の政治家は実は伝統の破壊者なのだと主張するやり方が一番一般的になっている。
驚くべきことは共産党ですらそうした傾向を見せはじめているということだ。ただこれに関してはどうも志位和夫という個人の資質によるところが大きいらしい。故に民主集中制という最大の弱点を志位和夫は正すことができない。それをやると頑固な共産政党に戻ってしまうのだろう。
社民党は相変わらず社会民主主義を強く提示し続けているが、共産党と比較した際の党勢の劣勢は否定できない。
たしかに、過去日本の政治は実は大きな失敗をしてこなかったのかもしれない。少なくとも侵略されることはなかったし、ジブチのあれを数に入れなければ侵略することもなかった。経済はそれなりに成功し、格差が広がった今でも iPhone をみんなもっている。餓死する人もいない。水道、電気、ガス、道路、治水に失敗したということもない(比較対象としてはイタリア南部の道路整備の酷さを見よ)。
とはいえみんながみんな保守政治家であろうとするのが健康的なこととは思えない。結局それでは縮小均衡に向いつつある現状の追認にしかならないからだ。そして、結局のところ皆が「リベラリズム」「自由主義」を名乗ることによって自由が空虚化していくからだ。