2017-10-08

ユーザビリティで「結果の一意性」を考える

ユーザビリティの分野で「結果の一意性」(「結果の予測やすさ」と言い換えてもいい)を考えれていない人が意外と多いようだ。

一例として、「メニューボタンを押してメニューを開く」「下キーメニューの2番目の項目に移動」「決定キー」という一連の操作を考えてみよう。ツール使用に慣れたユーザメニューボタンを押した後に、選びたい項目が2番目にあることをいちいち視認したりはしない。画面が切り替わるより早く下キーと決定キーを押す。画面のレスポンス待ち時間視覚から情報を取り出す処理時間がロスとなるからだ。さて、ここでツールに「前回メニューを開いた時のカーソル位置記憶する」という一見して便利そうな機能を加えるとどうなるか。そう、前回のカーソル位置ユーザ記憶していない場合、前述の時間ロスが発生するのである。これが「結果の一意性」が損なわれる例だ。注目すべきは、このカーソル位置記憶機能が高い確率操作回数を減らしてくれているにも関わらずユーザは使いにくく感じる、という点である。おそらくだが、UI作りに携わる人間の多くが、UIの品質操作回数だけで評価しており、操作を伴わない処理がユーザ脳内で行われていることを考慮していないのだろう。

ライブ変換機能邪魔に感じる人が多いことは「結果の一意性」に関して別の見地を与えてくれる。従来の変換形式場合ユーザ平仮名を打つ場合には結果の一意性が保障され、文字変換が必要な時にだけレスポンスを処理していた。つまり、「変換キーを押さずにEnter」or「変換キーを押して変換結果を選択」で一意な結果か否かを分離できていたのである。これに対してライブ変換機能は常に変換候補提示しており、レスポンスの正誤判断を要するタイミングが分離できていない状態になった。ユーザとしては、操作は減ってもレスポンス判断する機会が増えているため、使いにくいと評されるに至ったのである。すなわち、「結果の一意性」を保障できないならできないで、そのタイミングを明確にすることでUIは使いやすくなる、というわけだ。

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