私の母は、経験主義者だった。簡単に言ってしまえば、「経験していない人に何がわかるんだ。何も経験してきていない人間は信用できない」という考え方だ。
母はいろいろと波乱万丈な人生を送ってきたらしかった。だが詳しい話を聞いたことは無いし、母がその考え方を私に強要してくることも無く、私には何の苦労もするなと言ってくれている。
だから、あくまで母が、という話なだけなのだが、私はどうにも、「苦しまなければ人の気持ちをわかってはいけない」と思ってしまったようだった。
前置きしておきたいのだが、私も割と難ありな人生を送ってきたほうだと思う。今の年になるまで人付き合いもままならず、メンタルヘルス的な要素を抱えているため、常に何かに追われているような焦りを感じていた。
けれども私は恐らく母よりは普通の人生を送ってきている。元々気にしいでゆとり育ちなので、恐らくほかの人からしても「それくらい皆経験しているよ」と言われるかもしれない。だからこそ、母に認めてもらうには、「もっと苦しい思いをしなければ」と思うようになった。
母が何か悩みを抱えているような素振りを見せたときは、私も焦りながら悩みの種を見つけるようになり、問題を自ら作りこんでは母と愚痴を交わすようになってしまった。
母にも何度も注意された。「あなたはそんなに苦しまなくていい。私の真似をしなくていい」と言われるようになった。私はそのとき無意識にそんなことをしていたため、「もっと問題を見つけなければお母さんに認めてもらえない」と思い、私の行動には拍車がかかった。
当時の私は本当におかしかったと思う。自ら問題を作り、経験主義の母に認めてもらいたいがために、自分を更に追い込んで、終いには自殺未遂までするに至った。
そんな自分を卒業した今だから思えるが、母は私を認めていなかったのではない。ずっと前から認めて、愛してくれていたのを、私のとんだ勘違い(「物事を経験しなければ認めてもらえない」というもの)で、受け取っていなかっただけなのだ。
人と自分の経験を比べたり、苦しみを比較したりして、無理にその人の気持ちをわかろうとしなくてもいい。
母の考え方はもっともだと思うし、素晴らしいと思う。だがそれがすべてじゃない。少なくとも私はそういう考えではないし、そうはなれない。
振り返ってみると、そんな勘違いのせいで、随分と回り道してしまったなと思う。経験しなくていい苦しみを経験してしまったり、変なことに巻き込まれたり・・・なにが一番怖いって、そのときはその架空の問題のせいで苦しんでいたにもかかわらず、どこか苦しめた自分に酔っていたことだ。勘違いとは、本当に怖いものだと思う。
わからないことは、わからないままでいい。人の苦しみは、自分で問題を作り出して背負い込むことじゃない。
人の苦しみに寄り添い、支えることは大切だと思う。だがそれは無理にやることではないし、人の責任や苦悩を自分が背負って、苦しむ必要は全くないのだ。
冷たいだとか、冷徹だとか思う人もいるかもしれないけれど、人の苦しみや辛さを、一緒になって背負い込むことだけがやさしさではないと私は思う。
大体、経験主義って反知性主義じゃん。 元来傲慢なんだよな経験主義者って。
知識でなんでもわかったつもりになるはてな民も問題あるけどな
経験というただのPTSDで苦しむよりはまともな選択肢だろうよ
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