2016-09-28

もう限界だ なぜ安楽死がないのか

もう限界だ。

自分自分である事にたえられない。

自己肯定感が低いのは確かにそうだ。

だが、客観的に見たスペック社会自分を低いカーストへと固定化しようとする。

それが嫌で嫌でたまらないのに、なぜそれを甘えというのか。

自分高学歴の世界にいた事があるからわかるが、

結局勝ち続けている人たちは負けている人から搾取する事をベースに考えている。

努力能力免罪符自身合理化し、負けた人たちは生活できるだけでもありがたいと思えという。

それはシステム上そうならざるをえなかっただけであり、システム自体に疑問を抱かない。

彼らの言う大人であるくらいなら、まだ堀江貴文氏のように問題提起をしてそれに立ち向かう人間の方が人間らしい。

いや、大人であると思う。

自分もそうやって生きていたかったのに。

そうすることすらできない自分能力の低さと病気が生きる気力すら奪ってしまった。

もっと力を得て、困っている人を助けたかった。

一つでもいいから歪んだシステムを正したかった。

でもそれはもうできない。

悔しい。

 

今は自分がどういうプロセス死ぬしか考えられないが、

その過程でかならず迷惑がかかってしまう。

安楽死制度さえあれば、その迷惑の量を減らす事ができる。

にもかかわらず、なぜ安楽死制度がないのだろうか。

結局GDPを向上させるための消費装置政府は失いたくないだけなのだろうか。

頼むから、この世に絶望し、死ぬ事でしか救われない人たちの負担を軽減する手段模索してほしい。

安楽死があることによって救われる人間がどれほどいるだろうか。

お願いだから安楽死制度を整備してほしい。

それが生きている人間絶望した場合に、少しでも苦しみを減らす手段となるのだから

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