いろいろディープラーニングのラッパーやらAPIをたたける時代になった。データさえ整えれば東京市場の騰落予想も相当の的中率で実現できそうに思えた。
もう金融商品の取引のほとんどがロボットになって久しい。金融商品市場の動向が実体経済を示すのだとしたら、人はもうコンピュータ/プログラムに支配されているといっていいい時代だ。そして前述のとおり、もし誰もが人工知能による予想を利用して金融取引、それもこれまでの人間それこそ有名ファンドマネージャが実現できなかった運用実績を得られるのも現在だろう。誰もが程度の差はあれ金の卵を産むガチョウを持てる時代になったと認識したとき、株式市場やら原油、債券他投資対象の価値をどのように理解すればいいのだろうか。値動きに価値があるのか、そして市場は成立するのだろうか。
そして、その世界ではよりよいプログラム、アルゴリズム、データモデル、パラメータを開発した人間がより収入を得られるとしたときに、スキルのある人間とない人間の差はどうしようもなく開いていくのではないだろうか。士郎正宗が腕のいいプログラマは海外渡航が制限される、と未来を描いたのだけれど、これが現実になるのかもしれない。
今はまだプログラムを書ける人間と書けない人間の差は生まれていない。いや、目に見えないだけで、生まれているのかもしれない。得ている人間は黙っているだろうし。私程度のちょっとしたプログラマでのスキルの有無による現実への格差影響を恐れているのに、まったくスキルのない人間たちがそれをまったく想像していないのも恐ろしい。金の卵を産むガチョウを作れない人たちが、なぜ、平気でいられるのだろうか。その不満が顕出したとき、プログラマに攻撃を始めるのだろうか。